軍靴の響き(1)
ラーザワルド商会の隊商が大量の荷物を持って山を越えてきたのは、年の瀬が押し迫る12月が過ぎてからだ。
ご苦労なことに雪が降りしきる中、領地の境目である山脈を越えてやってきた。
「ああ、来た来た。良かったわ」
雪の中を苦労して進みながらも、馬車の列が目抜き通りまで近づいてくるのが見えて私はほっと息をついた。
このオズエンデンドのような僻地では、品物を手に入れようと思ってもそう簡単にはいかない。
流通には彼らのような行商人が頼りで、領民たちも到着が遅れていたのを今か今かと待っていたのだ。
「年末なのに何も手に入らない、ってなったらみんなの不満が溜まるものね」
「ボクも頼んでおいたものが届きそうで良かったです」
領民たちが小雪がちらつく中待ち構えているのに混じって、マダマさまも頬を緩ませていた。
この知的好奇心が強い少年は、行商が来るたびに教養本や珍しいものが手に入ったか確認するのが習慣だった。
「馬車が増えてるわね。5台も連れてきたわ」
「流石に商人はめざといですね!」
まさかこの間グアノを出荷したとは知らないだろうが、オズエンデンドでは今誰もが小金を持て余している状態だった。
イワシの瓶詰から肥料の出荷事業まで、私たちが現金で給料を払い続けた結果だ。
国中全体で不景気の続いているファセット王国で、銅貨や銀貨を銀行から必要な分だけ供給させるのはそれほど難しいことではなかった。
しかしカネはあっても、モノの流通自体はこんな北の果てではそうすぐに改善するのは難しい。
みんな欲しい物が届くのを待っている状態で、まさに彼らのような行商人にとっては濡れ手で粟の稼ぎ時と言えた。
「……皆様、お待たせいたしました!」
背の高い異国の男が馬車の先頭に立っていた。
行商人のラーザワルドだ。
肌は浅黒く彫りの深い顔立ちで、ファセット王国の住民ともモルガナたちスターファの人たちとも特徴が異なる。
もっと東の乾燥した地帯の出身らしいが、詳しいことは知らない。
とにかくこんな北の果てで行商をしているより、ラクダに乗って砂漠のキャラバンの隊長か何かでもしているのが似合いそうな頑健な長身の男だった。
「このラーザワルド、雪山を超えてご注文の品々を抱えてまいりました!」
まるで劇団の座長のような芝居がかった口上を述べながら、馬車から荷物を下ろそうとする。
「衣類も香辛料も山ほど持ってまいりました! どうぞご覧になってください!」
行商人たちが一斉に荷物を解放し、雪の上に敷いたシートの上に並べだす。
まるでフリーマーケットのような素朴な売り方だったが、わっ、と村人が押し寄せた。
「押さないで押さないで! 在庫はまだまだまたくさんございます!」
「染め物は持ってきてくれた!?」
「塩をどっさりくれ!」
「手袋を見せて!」
みんなが欲望を満たそうと、店頭に並んだこの地では生産できない商品に手を伸ばした。
「まるで砂糖に群がるアリね!」
「その言い方はどうかと思いますが」
「どうぞ皆さま、お買い逃しなく! 私どもは年内にはもう来られませんよ!」
『これが最後の機会だ』というラーザワルドの煽りに乗せられて、住民たちはバーゲンセールに殺到する主婦のごとく購買意欲をさらに過熱させた。
「ラーザワルド」
店頭で自ら品物を売りつけている主人に、私とマダマさまは連れだって近づいた。
相変わらず芝居がかった仕草で、声をかけられたラーザワルドはうやうやしく礼をした。
「これは公爵殿下。ごあいさつが遅れまして」
「来てくれてありがとう。みんな喜びます」
「後ほど私どもからお伺いするつもりでしたものを、ご足労とは痛み入ります」
「ところで、ボクが前に頼んでいたものは手に入りましたか?」
「ええ、ええ。間違いなく。少々お待ちくださいませ」
ニコニコともみ手すり手をしながら、ラーザワルドは積み荷の奥の方、厳重に油紙でくるんだ木箱に収納していた品物を取り出してきた。
「『ファセット王国通史』『中世政治学概論』『大陸王家君主列伝』……。全て新書でございますよ」
分厚いハードカバーで何冊も分冊になっている難しい本ばかりだった。
私は思わず『うっ』と顔をしかめてしまったが、マダマさまは嬉しそうに手をはたいてみせる。
「注文したもの全部ですか。よく手に入りましたね」
「公爵殿下のご注文とあっては、特に書店に良く言って仕入れさせました」
「後で領主館に届けてください。支払いはいつも通りに」
「ありがとうございます。今後ともごひいきに。書籍の他にいかがです、防寒具などは?」
取引がうまく行ってほくほく顔の店主は、更に何か買わせようと高級品が並んだ一角へマダマさまは手招きした。
「ごらんください、見事でしょう。この黒テンの毛皮など」
どうやら自慢の一品らしい。ラーザワルドが黒い毛皮を取り上げて見せる。
ビロードのように黒光りする毛皮は、確かに言う通り宝石を溶かしたような光沢を放っていた。
お値段も相当しそうな代物だ。
「全て天然もので、矢傷の入っているような粗悪品などはもちろん除けてあります。 この柔らかさと軽さは一度身につけると病みつきになることうけあい! コートか襟巻にすると最高ですよ」
「……毛皮はあまり好きではありません」
かわいい黒テンが弓矢で狩られた時のことを想像してしまったのか、マダマさまは苦い顔をした。
「それは残念。しかし殿方のご趣味と、ご婦人の趣味は一致するとは限らないものでございますよ」
「え?」
「ご婦人はほら、冷え性の方が多いでしょう。気を遣ってさしあげるのも殿方の甲斐性ですとも」
ラーザワルドがにやり、としながら私の方に目くばせをしてみせた。
どうやら『私へのプレゼントにしたら男が上がりますよ?』と少年に勧めているつもりらしい。
「れ、レセディは毛皮が欲しいんですか?」
「う、うーん……」
確かに主人の言う通りに最高級の毛皮のようだし、魅力を感じないといえば嘘になる。
しかし黒テンのコートだなんて映画女優か何かが身に着けるイメージしかない。
私が自分で着るにはちょっとハイソ過ぎる品物だ。
「ちょっと高級すぎるわ。それにほら、我が家にはただでさえ生きてる毛玉がいることだし」
「そうですよね。タヌタヌが気を悪くします」
マダマさまは真面目くさってうなずいた。
「それは残念」
「気を悪くしないでください」
「いえいえ。お気遣いなく。王都に戻れば欲しいという方が出てくるでしょう。今、高級な毛皮は品薄ですから」
本当に気にした様子もなく、ラーザワルドは黒テンの毛皮をしまい直した。
「品薄?」
「……実を申し上げますと、ここだけの話。こういう高級毛皮が手に入るのは、今が最後の機会かもしれませんよ」
「どういう意味です?」
真剣ぶって声を低くしたラーザワルドに釣られて、マダマさまと私はついつい前のめりになって聞き言ってしまった。
「それが私も小耳に挟んだ程度なのですが、大陸東の大平原地帯では大きな政変があったとか」
「それは初めて聞きました」
「どうもこの百年はなかった大きな戦争になりそうだとかで」
「へぇ」
始めて聞いたが、流石にあちこちを旅して回っている商人は耳が早い。
こういう北の果てではなかなか異国の情報は入ってこないものだ。
「でもそれが、毛皮とどう関係あるんです?」
「私どもが仕入れている毛皮の業者も、元をたどれば東方の狩猟部族から買い付けておりますでしょう」
話を聞いていて思い出した。
そういえばタヌタヌももともとは東の方にいて見世物として売られてきたんだった。
狩猟を生業としている部族にとっては、珍しい生き物や毛皮は重要な現金化できる商品のはずだった。
「それが最近はどこの部族ともとんと連絡が取れずに、商売にならないそうなんです」
「……狩猟部族が逃げ出してる、っていうの?」
「そのようです。あちらでは戦争になると、集落まるごと移動して足取りがつかめなくなるのが普通だそうですから」
大草原地帯で移動式のテント生活をしている遊牧民たちの姿を想像してみた。
季節によって家や家畜ごと居場所を変える生活を日常としている彼らなら、当然災害や戦争を避けて移動するのはごく当たり前のことなのだろう。
「そんなに大変なことになってるとは知らなかったわ」
「まさかファセット王国まで何か影響があると思えませんが……一応はお耳に入れようかと」
いわゆる大陸中央の『大平原』と、大陸の西の端近いファセット王国では数千キロの距離がある。
その間には大小強弱さまざまだがいくつもの国が存在する。
どんなに大戦乱が起きていようと、こんな距離を超えて戦火が広がるとは到底考えられないことではあった。
「ありがとう、助かるわ」
とはいうものの、正直この情報が何かに役立つとは思えないところではあった。
東方向けのキャラバンの投資詐欺などに引っかからないよう、友人に奨めるくらいしか活用法が思いつかない。
「毛皮の他にも何かありますか?」
「ございますとも。殿下が気に入られるかと思い、面白い物を仕入れてまいりました」
「へぇ」
マダマさまは更に目を輝かせたが、私にとっては興味を引かれるものはもうなさそうだった。
外に出ているのも寒いし、引き上げさせてもらおう。
「私は帰らせてもらうわね」
「分かりました。ボクはもうちょっとラーザワルドに品物を見せてもらっています」
こうしてマダマさまを残して、私は先に領主館に戻った。
……まさかこんなことが騒動の引き金になるだなんて、思いもしなかった。




