南海の王女に雪が降る(19)
次回でこの節は完結の予定です。
長かった……二ヶ月以上かかっちゃった。
あと拙作にレビューつけてくださった方ありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです!
……モリオンちゃんの転落事故と、振って湧いた聖女騒動から一週間。
オズエンデンドの空気はますます冷え込み、室内ではそろそろ常時暖房を付けても良いくらいになってきた。
「こりゃあ、そろそろ雪が降るわねぇ」
ガラス窓の外の分厚くどんよりと曇った空を見ていると、本格的な冬の到来が近いことを覚悟せずにはいられない。
《寒いのはやだな》
自分はすっかり冬毛に生え変わって丸々とした見た目になっているくせに、タヌタヌが憂鬱そうな目をしていた。
実は寒がりなのだろうか?
「安心しなさい。もうすぐ注文していた秘密兵器ができるはずだから」
《秘密兵器?》
首をかしげたタヌタヌだが、すぐにはっと思い直した顔になった。
《ああ、あれのことか! ようやくできたのか!》
「そうよ」
《えらい時間がかかったな》
「仕方ないじゃない。村は今、建設ラッシュなんだから。自分たちのことは後回しよ」
事業の資金でうるおっている上に、スターファからきた作業員たちの宿舎建設や住民たちの建て替えとリフォームが重なって、村の建設業界は大わらわだ。
隣のシャンク子爵領から山を超えて、大工や建具職人が大勢出稼ぎにやって来ているくらいである。
自分のことを優先させていたらどこかでやっかみや嫉妬の視線が向けられかねないではないか。
《まあいいや。楽しみだな》
珍しく機嫌良さそうに、タヌタヌはピンと太い尻尾を持ち上げた。
めったにしない喜びのしぐさだ。
私には良く分からないがこういう時はタヌキの本能が出てくるらしい。
《……そろそろお昼かな? 良い匂いがしてきた》
「おっ。こっちも頼んでたのができたみたいね」
意地汚くタヌタヌがクンクンと鼻を鳴らし始めた。台所から食事の支度をする匂いが漂って来たらしい。
「さてと、じゃあ王女様の手当を始めますか」
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「……ちょうど呼びに行こうと思ってたところです、レセディ!」
「はいはい。ご苦労様」
台所に入ると、鍋の前のマダマさまが元気な笑顔を見せてきた。
この間作業員の昼食づくりを手伝って以来、すっかり料理がマイブームのようだ。
台所の主であるトパースの補助を受けながらも、この短期間で一品料理を作れるまでになってしまった。
「……」
一方で、三等警護官のベリルは所在なさそうに台所の隅っこに突っ立っていた。
王族を護衛する立場の彼女としては主人が料理を趣味にするのは面白くなく、さりとて無理に止めることもできずに傍観するしかない様子だ。
ちょっと申し訳ない気もした。
「ちゃんと頼んだものは入れてくれた?」
「もちろんです。見てください、出入りの八百屋さんがこんなに立派なマッシュルームを持ってきてくれたんですよ」
マダマさまの言う通り、テーブルの上に置かれたキノコは少年の握り拳ほどもあった。
「あら、本当に立派。この寒いのに山の中に入ってキノコを取って来てくれるなんて、ご苦労だわね」
「えっ?」
「えっ」
「マッシュルームは昔から、たいていは人工栽培ですよ?」
こともなげにマダマさまに言われてしまう。
黙っているトパースがぎょっと肩をすくめたのを見ても、私の発言はよほど物を知らない人間の言うことだったらしい。
「人工栽培? そうなの?」
「ええ……。屋内で堆肥を敷き詰めて育てるんです。それで一年中手に入るんですよ」
「……」
「し、知りませんでした?」
マダマさまから気まずそうにされてしまう。
知らなかった。
キノコの人工生産なんて近代になってようやく確立されたイメージがあったが、マッシュルームの栽培がそんなに歴史のあるものだったとは……。
「そ、そうだったのね……。それはともかく、美味しそうじゃない!」
話題を逸らして鍋の中をのぞきこむ。
鉄鍋の中では、白いシチューがよく煮込まれて粘度の高い小さな泡を立てていた。
「うん、上出来上出来」
「チーズもたくさん入れましたから、たっぷりコクが出て美味しいはずですよ」
マダマさまが胸を張った。
トパースに手伝ってもらったとはいえ、12歳の料理初心者の男の子が作ったとは思えない出来栄えだ。
「じゃあ食堂に運んでちょうだい」
「分かりました。ほらほらベリル。何をしてるんですか、早くお皿を出してください」
「……は、かしこまりました」
得意げにお玉を手に取ったマダマさまが、ベリルに声をかける。
不承不承といった具合でベリルがシチュー皿をお盆に並べ出した。
「……重ねて申し上げますが、くれぐれも大公夫人には内密にお願いします」
皿を持ってそっと近づいてきたベリルが耳打ちしてきたので、コクコクとうなずく。
「分かってるわよ。絶対怒られるもの」
「……その程度で済めば良いのですが」
「やめてよ、怖いこと言うの」
私たちの密談は幸運にも耳に入らなかったようで、マダマさまはちょっとおぼつかない手つきでシチューを皿に注ぎ始めた。
その途中で、ふとかわいらしく小首をかしげてみせる。
「ところで、レセディ。今更ですが」
「ん? どったの?」
「本当にこれがお薬になるんですか?」
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「みんなー、ご飯よ」
『はーい!』
モルガナの部屋のドアに向かって声をかけると、黄色い返事と一緒に中から人影が飛び出してきた。
シトリンちゃんとフューメちゃん、それからモリオンちゃんのクォーツ三姉妹だ。
三人は目の色を変えてばたばたと食堂へ向かって全力疾走していく。
『ごはん!!』
「ほらほら、廊下は走らないの!」
背中に向かって叱りつけながら、
(だんだん所帯じみてきたなぁ、この館)
と思わずにはいられない。
仮死状態から蘇生したモリオンちゃんの経過観察と万一の時の備えとして、村長の家には帰さずに部屋の一つを病室にして泊めておいたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
タヌタヌにはあれこれ心配事があったようだが、絶対安静を命じた3日間の間にモリオンちゃんの状態はみるみる回復していった。
その間にお姉ちゃんたちは毎日見舞いに来ていたのだが、往復が面倒くさくなったのかいつのまにかそのまま一緒に病室のベッドで寝泊まりするようになってしまった。
今ではこうして元気に屋敷の中を走り回るありさまである。
そろそろ無理矢理にでも家に帰すべきだろうか?
「こらー、アンタたち! 私を置いてくんじゃないわよ!」
遅れてよろよろとモルガナが出てきた。
部屋で一緒に採集した資料を標本にする作業をしていたようだが、食欲旺盛な三姉妹に完全に置いてきぼりを食らった形だ。
「あの子たち、私の側仕えしてるって自覚あるの!?」
「多分だけど、全然全くちっとも考えてないと思うわ」
良い遊び相手くらいにしか認識されていないであろう王女様に手を貸してやった。
「いたた……。ありがとね」
「大丈夫?」
「前よりかは我慢できるわ」
「安心して。薬を用意したから」
「薬? そんなものあったの!?」
「ええ、今日から毎日食べてもらいますからね」
モルガナは眼を丸くした。
「……食べる? 飲むじゃなくて?」
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食堂につくと、とっくにテーブルについた三姉妹がスプーンを握りしめ、ベリルが給仕するシチュー皿に目を輝かせていた。
『いただきまーす!』
「こぼすんじゃないわよ。ちゃんと教えた通りにスプーン持って。かきこまないの、お皿は置きなさい!」
三姉妹がシチューにがっつき始めた。
あまり口うるさくしたくはないのだが、まるで複数頭飼育の犬のエサやりのような光景についつい叱り飛ばしてしまう。
腰を痛そうにしている王女様のために椅子を引いてやると、ちょっと苦労してテーブルの上座についたモルガナは怪訝そうに眉をしかめた。
「……何のメニュー、これ?」
「チーズ入り、サケとマッシュルームのシチューよ」
「サケ!? マッシュルーム!?」
育ちからは考えられないほどの素っ頓狂な悲鳴があがった。
「脂の強い魚は苦手だって言ったじゃない!」
「苦手でも食べてもらうわよ。あなたはね、ここに来てから栄養が偏ってたの。そのせいで骨が弱ったのよ」
日照不足で肌からビタミンDが作れず、そのせいでカルシウムを吸収できないモルガナのために考えたメニューがこれだった。
シチューにはたっぷりバターとチーズと牛乳を使ってもらったし、サケとマッシュルームにはビタミンDがふんだんに入っている。
一食でカルシウムとビタミンDをまとめて取れる合理的な食事なのだ。
……なのだが、王女様は嫌いな魚を出されてご不満のようだった。
「スターファにいたときはサケなんか食べなくても平気だったわ!」
「ここは冬の間は日の差さないオズエンデンドよ。魚とかキノコとかから栄養を取らないと、骨がどんどん弱くなるの。特に南国産まれのあなたはね」
「そんな話聞いたこともないわ! それにキノコって……カビでしょう!?」
「まあ同じ菌類だけれど」
サケだけではなくキノコにもモルガナは抵抗を示した。
そういや南国料理でキノコってほとんど使わないな。サケ以上になじみが薄い食材のようだ。
「しかもマッシュルームって……! たしか馬のフンに生えてくるキノコでしょ!?」
「え、そうなの?」
「そうよ!」
「大丈夫大丈夫。これはちゃんと人工栽培で育てたやつだし、もちろん綺麗に洗ってあるから」
「イヤよ、病気になりそう!」
青い顔をしたモルガナは、スプーンを放り捨てて拒絶を示した。
「……でもみんな美味しそうに食べてるわよ」
「うっ」
文句を言っているのはモルガナだけで、クォーツ三姉妹は全く気にせずシチューに舌鼓を打っている。
そのせいでモルガナだけがワガママを言っているような形になった。
流石に気が引けたらしく、王女様はテーブルを囲む三姉妹にぐるぐると目をやった。
「キノコが食べられない人、誰かなー?」
「うぅ……!」
三姉妹がスプーンを動かす手を止めて、モルガナに視線を集中させる。
このためにわざわざ三姉妹分の食事も用意したのだ。
「ず、ズルいわよ! 子供まで使って!」
耐えきれずにモルガナは叫んだ。
食わず嫌いなものを食べさせるのって、どうしてこんなに楽しいんだろう?
「後でお腹が空かないようにちゃんと食べといた方が良いわよ。あなたの部屋の中のお菓子は全部片づけさせるから」
「はぁ!? 何よいきなり、まさか焼き栗まで!?」
「そうよ。食べ過ぎてそのせいで栄養が偏っての。しばらく間食は禁止ね」
「ちょ、ちょっと! いくらレセディでもやり過ぎよ!」
モルガナの抗議を受け流して、食堂の窓から見える外に目をやる。
わざとらしくたっぷり余裕を持って明るい声を出した。
「あららー、今日も外はひどい雲ね。そろそろ寒くなってきたし、雪も降りだすでしょうね」
「……雪?」
「雪が積もったらみんなで外で遊びましょうね!」
『楽しみー!!』
クォーツ三姉妹が一斉にスプーンをかかげる。
「……でもその時に体の調子の悪い子は、当然ベッドの上で大人しくしてないとダメよね?」
「うっ」
「ひとりだけ枕を涙でぬらして、寂しい思いをすることになるわよねぇ」
「う、うぅ……!」
「その時までに治しといた方が良いんじゃないの?」
人を更生させる悪魔になったつもりで、モルガナの耳元でささやきかける。
それがとどめだった。
「……分かった、分かったわよ! 食べれば良いんでしょ!」
しばしの葛藤の末、モルガナはスプーンを手に取った。
全面降伏の合図だ。
ぷるぷると手を震えさせながらシチューを救うと、まるで服毒自殺をする時のような顔つきで一口飲み下した。
「ちゃんと全部きれいに食べるのよ」
「うへぇ……。サケの皮がブヨブヨして気持ち悪い……。マッシュルームがボソボソして……! 魚の脂とキノコの臭いが……もう最悪!」
「こらこら。マダマさまが折角作ってくださったのよ。美味しくいただきなさい」
私から見れば食材がとろけるようで美味しそうなシチューなのだが、モルガナにとっては違うらしい。
慣れない食材の食感や匂いがどうしても抵抗があるようだ。
意外と味の文句が出ないところを見るに、味覚というものは万国共通なのだろうか?
好き嫌いの原因というのは意外に、口当たりや臭いといった食材の要素に慣れ親しんでいるかによるのかもしれない。
「なんならお代わりもあるわよ」
「……本当にこんなことで治るんでしょうね!?」
「モチのロンよ」
涙目になりながら、時間はかかったもののモルガナは結局シチューを綺麗に平らげた。




