南海の王女に雪が降る(18)
ホールの中は不気味な沈黙に支配されていた。
私はモリオンちゃんを抱いたまま、思わずじりじりと後じさりしてしまう。
これまでオズエンデンドの住民たちは、みんな田舎の素朴な人たちだと思っていた。
しかし、素朴と無害とでは意味が微妙に異なることを失念していた。
「ちょ、待った待った! 私が魔女? 冗談でしょ!?」
『…………』
魔女狩りだなんて冗談じゃないぞ!?
みんなの顔を改めて見回すが、その表情は本気だった。
(この村の人たちが……こんなに信心深いだなんて!)
モリオンちゃんの体を安置しよう、という先刻の神父様の声にみんなが従った時に気付くべきだった。
過酷な環境で生きてきたこの村の人たちにとって、ずっと信仰は数少ない救済だったはずだ。
そして辛い思いをしてきた年かさのいった人ほど、神様の救いに依存する傾向は強いのだ。
実際の年齢以上に顔に深くシワを刻み込んできた人たちが、警戒と疑惑の入り混じった視線をぶつけてくるのを目の当たりにして思い知らされる。
「部屋を調べるべきだ」
「隠れて怪しい呪術を行ってるかも……」
「だいたいあの歳で独身なのが怪しいんだ!」
そこかしこで物騒な声まで聞こえてくる。
……しっかり聞こえたぞ最後のやつ!
この世界基準じゃ嫁き遅れなのは認めるけど関係ないでしょ、今は!!
「な、なんてことを言うんですか!」
私が怒るより先に、マダマさまがばっと両手を広げて群衆の前に立った。
「魔女だなんて前時代的で、非科学的で、それに何より的外れです! レセディはそんな人ではありません!」
『…………』
早口でまくし立てた少年の訴えは、さほど群衆に感銘を呼び起こさなかったようだ。
ざわめきこそ表だってはしなくなったものの、男たちはいぶかしそうに視線を交わし合うようになった。
後ろ暗い感情が鬱屈と彼らの中で満ちているのがはっきりと分かってしまう。
「あなたたちまでどういうつもり!? 彼女は私の友人なのよ!」
声がした方に目をやると、スターファから来た作業員たちが前に進み出たのをモルガナが叱りつけていた。
が、王女に対して表だって反論こそしないものの引き下がるつもりはない様子だった。
オズデンドの人たちに負けず劣らず、絶海の孤島で肥料を採集する仕事をずっと続けてきた彼らの信仰心もまた強いらしい。
「ど、どういうことですか?」
「センムが悪いことしたはずないだろ!?」
「みぎにおなじ」
クォーツ三姉妹がぎゅっとしがみついてくるが、大人たちの圧力を跳ねのけるにはあまりにか弱く幼いように思えた。
こういう荒事に一番頼りになるのは私設の護衛隊をまとめるベニさんのはずなのだが、あいにく今日は非番だった。
(……み、味方がいない!)
世代や友人たちでそれぞれ固まったホールの人混みの中で一群だけ、きゃんきゃん明るい声を出している地帯があった。
刑務所から労役に出てきている囚人たちだ。
「すげーっ! うちらのボスって魔女だったんだ!」
「さすがボス! パねーッス!」
「実はオレ、前からボスのこと普通の人間じゃないって思ってた!」
ああもう。
ベニさんがいないととことん役立たずだなこいつら。
「ふ、不愉快です! 大変に不愉快です!!」
何かのきっかけで暴発しかねないホールの空気に対して、マダマさまは声を張り上げた。
激昂するのを辛うじて皮一枚で踏みとどまっているようだった。
「レセディはボクにとって恩人で、大切な……その、友人です! 魔女呼ばわりするだなんて!」
「殿下、落ち着いて!」
「彼女を疑う人は、ボクの屋敷からお引き取りください! それも今すぐに!」
モルガナが制止するのも聞かず、顔を真っ赤にしたマダマさまは玄関の方を指さした。
『…………』
流石に自分たちの領主から面と向かれてこう言われては、特に過敏に反応した一団以下疑惑の目を向けてくる連中もこたえたようだ。
気勢を削がれたように、うつむいたり視線をそらしたりし始める。
これならこの場は収まるかもしれない……と思ったところで。
「……領主様も魔女の力で操られてるんじゃないか?」
人混みの中からぽつりと余計な一言が聞こえてきた。
「い、今、聞き捨てならないことを言ったのは誰ですか!?」
マダマさまが声を張り上げてももう遅かった。
「領主様も魔女にたぶらかされてる?」
「まだお若いことだし……ありうるぞ!」
「お救いした方が良いんじゃないか?」
群集心理というのは燃料と似ていて、一度火種を投げ込まれたらもう止められないものらしい。
マダマさまを無視して群衆は好き勝手なことをささやき始めた。
《な、なんて恩知らずなやつらだ!》
一触即発の空気に、流石のタヌタヌまで気色ばんだ。
《やばいぞ、ここはいったん逃げた方が良いんじゃないか!?》
(逃げるって、どこによ!?)
さっと近づいて警告してきたタヌタヌを、今度は群衆の何人かが指さして叫んだ。
「とすると、あのいつも連れてるペットも怪しいぞ!」
「ああ、あんなブサイクな生き物、他で見たことねーもんな!」
「悪魔の変身した姿か、あるいは使い魔かもしれん!」
《ヒィッ! 俺にまでとばっちりが!?》
猫やネズミやフクロウならともかく、タヌキが魔女の使い魔だなんて話はついぞ聞いたことはないが、興奮しかけている彼らにはお構いなしのようだ。
(どどど、どうしたらいいと思う!?)
《お、俺にそんなこと言われたって!》
(魔女狩りで火あぶりなんか冗談じゃないわよ!)
《俺だってカチカチ山はイヤだよ!》
ひしっ、とすがり付いて青くなる私たちの前に。
「し、神父様……!」
群衆を二つに分けるようにして、長髪をした僧服の男が前に進み出てきた。
アメシス神父だ。
今までに見たことがないほど真剣な顔をしていた。
「ヒッ……!」
思わず短い悲鳴が漏れ出た。
このオズエンデンドで唯一の聖職者であるアメシス神父だが、普段はさびれた教会を一人で切り盛りするといううだつの上がらない仕事をしている。
しかし彼には、自分の担当する教区の中にいる異端者と魔女を告発する権限があるはずだ。
これは教会が正式に神父に認めた権利だ。
例え領主であるマダマさまであろうと、世俗の人間である以上は宗教界の決定をくつがえすことはできないのだ。
「主よ……。私は御心に従って使命を果たします」
「ちょ、神父様! 冗談でしょ!?」
宗教的情熱に
まさかこの手の疑惑に対する専門家を呼ぶと言い出すんじゃないだろうな!?
異端審問官とか、ウィッチハンターとか、エクソシストとか!
「みなさん!」
「ちょ、神父様、私の話を……!」
「落ち着いてください!」
弁解の言葉を並びたてようとする私を無視して。
神父はばっと振り返ると、居並ぶ群衆を手で制した。
「へっ?」
「レセディ嬢は魔女などでは決してありません!」
普段から説法に慣れているだけに、力強く良く通る声がホールを満たす。
目を血走らせていた人たちも、いつのまにかその声に聞き入っていた。
「よく考えてみなさい、いつ彼女が悪魔の力を使って皆さんの心を惑わしたというのですか!」
『……そういえば』
「何もなかったこの寒村に産業を興し、冬を越すための食べ物を買い付け、生活の不安を取り去ったのはどなたですか!」
『…………レセディ嬢です』
「彼女がこのオズエンデンドにどれだけ貢献してきたか、よくご存じでしょう!」
『………………はい』
まるで学校の先生がホームルームで生徒たちを叱りつけるかのような明晰な口調だった。
神父の問いかけに、おずおずと群衆が後ろめたそうに返事をしていく。
すし詰めになった群衆を相手どって、神父様はみじろぎ一つしない堂々とした態度を取った。
(これは……チャンスよ!)
まさかこの神父がここまでリーダーシップを発揮してくれると思わなかった。
ここは尻馬に乗る一手しかあるまい!
「私は悲しいくらいです! ここに悪魔がいるとすれば、それはレセディ嬢ではなく皆さんの心の中にいるのです!」
「さすが神父様、良いこと言うわ!」
「モリオンがよみがえったのは、断じて怪しげな魔術の力によるものなどではありません!」
「そうよ、その通り!」
「これは奇跡です!!」
「…………は?」
調子に乗って追従していると。
神父は熱に浮かされたような顔で、思わぬことを口走り始めた。
『奇跡?』
「そうです! 主のお導きによって、レセディ嬢はその御業を代行されたのです!」
「ちょっとちょっと。待って。何言ってんのよアンタ」
いきなり冷や水をぶっかけられたような気分だった。
つい自分の立場も忘れて、素のままツッコミを入れてしまう。
「死者の復活は、主と御子の権能です! 聖典にそりゃもうはっきりそう明記されているのですから!」
「どういうことよ……?」
「絶対に人間ができることではありません! ましてや魔女の怪しげな技などとは認められません!」
「じゃあ私はなんだってのよ!?」
突然線路から車輪が外れた列車が、気にすることなくそのままレールの外を爆走しているのを見ている気分だった。
依然暴走する神父は説法をしているんだか演説をしているんだか分からない口調で、更に口角にツバを飛ばしながら群衆に向かって訴え始めた。
「主がモリオンを救うために天使を遣わし、レセディ嬢に奇跡を体現させたのです!」
「…………」
言葉の意味が分かるのに、言っている意味が分からないというのは奇妙な感覚だった。
この神父は一体何を言ってるんだ?
「……奇跡?」
「言われてみれば、死んだ人間をよみがえらせるなんて他に聞いたことがない」
「神父様が言うなら間違いないしな」
私から見れば完全に狂信者のアジテーションとしか思えないのだが、素朴な村人たちは唯一の聖職者の言葉をうのみにしてしまった。
口々に好き勝手なことを言って感心し始める。
「レセディ嬢が奇跡を起こしたぞ」
「ってことはレセディ嬢は」
「聖人か」
「――――――いや、聖女だ!!」
人混みの中でいきなり快哉が叫ばれ始めた。
(……集団催眠術でもかかってるんじゃないの、この人たち?)
《なあ? これって悪夢じゃないよな?》
思わずタヌタヌと視線を交わしてしまった。
私が聖女?
悪い冗談かそれとも粗悪なドッキリ番組か何かか、これは?
「ちょっと待った! いや、待って! 冷静になってよ、神父様!」
とても黙っていられない。私はほとんどつかみかかるようにしてアメシス神父の腕を引いた。
「奇跡なんかじゃないってば!」
「またまたご謙遜を。この場にいる全員が、あなたの起こした奇跡の目撃者なのですよ」
「いや、風呂に入れただけよ!?」
「何を言っているんですか、それだけで死人が生き返るわけないでしょう」
「まあそれはそうなんだけれど……。今回は特殊例だったの!」
「そうです! 幼いモリオンをあわれに思われた主が、その命を救うためにあなたを通して奇跡を起こされたのです!」
あーもう、話してて頭が痛くなってきたぞ。
「おお……。主はこの奇跡を見届けさせるために、私をこの最果ての地に遣わされたとしか思えません!」
うっすらと涙すら浮かべて、アメシス神父は恍惚とした表情を浮かべた。
ダメだこいつ。完全に観念の世界に生きている。
「聖女様だ」
「聖女の奇跡だ」
「オズエンデンドの聖女!」
もはやホールに詰めかけた群衆は熱狂の渦の中にあった。
自分たちの住んでいる最果ての地から聖女が出るなんて想像すらしなかったのだろう。
神父が煽るまま、そこかしこで万歳三唱まで起こり始めている。
おじいちゃんとおばあちゃんたちなんか、とうとうひざまずいてこっちを拝み始めたではないか。
(…………うへぇ)
私にとってはまるで他人事のようにしか思えなかった。
大相撲の優勝決定の瞬間の、関取の地元の後援会が喜ぶ姿をテレビの中継で映しているようで、全く現実感がない歓喜の瞬間だった。
(どうしよう、これ)
《いや、俺に言われても困るんだけど》
私たちを完全に置いてきぼりにしたまま、ホールに反響する喜びの声はいつ終わるともなく続いた。




