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2_10 ダンス・ダンス・ダンス


 つかつかと、踊る者のいないダンスホールの真ん中を突っ切っていく。

そうして戸惑うマダマさまと、それを取り囲む人垣に近づいた。


 こういうことには出だしが肝心だ。

最初の一発で食らわせてやらねば。

すぅっと息を吐いて、思い切り自分の中で一番高く通る声で呼びかけた。



「マダマさま!」

 


 敬称である親王とも殿下とも呼ばず、気安く名前で呼びかけるぶしつけな伯爵家の娘。

客たちはぎょっとして、一瞬毒気を抜かれたような顔になった。

そこが付け目である。

小走りに駆け寄るとさっと手を伸ばしてマダマさまの細い腕をつかんだ。



「嫌ですわ。私を放っておいて、せっかくの舞踏会で難しいお話だなんて」

「え、えぇ?」

「向こうで踊りましょう、ね!」



 言うが早いか、腕を引っ張ってマダマさまを連れ出した。

目を白黒させるマダマさまにつくろい笑顔を向けるものの、実はドレスの下には冷たい汗が這っていた。

はっきり言って、私がやっているのはアウトマナーの極致なのだ。

どんなくだけた雰囲気の舞踏会でも、ダンスに誘うのは必ず男性の側から。それが鉄の掟だ。

例え主催者の娘であっても決して許されることではない。



 呆気に取られたのはマダマ様に名前を売ろうとしていた客たちだけではない。

ホール中の空気が騒然とするのが分かった。

顔色を変えた警護官のベリルが手を伸ばそうとするよりも早く背を向けて、足早に大広間の反対側のスペースを目指す。



「な、何をするんですか?」

「言った通りよ。ちょっと踊りましょうか」

「えぇ!?」



 ぎょっ、とマダマ様が額の真ん中にシワを刻んだ。



「ボク、社交ダンスなんて踊ったことありません!」

「だいじょーぶだいじょーぶ、社交ダンスじゃないから」



 あたふたするマダマさまを連れて楽団の前まで歩いて行く。

彼らも何事かと、楽器を演奏する手を止めて成り行きを見守っていた。

10人ほどの演奏家の中で最前列にいる、初老のバイオリンの第一奏者に声をかける。

慣習通りなら彼がコンサートマスターのはずだ。



「一曲頼めるかしら。お願いしたい曲があるんだけれど」

「……はっ。ワルツでよろしいですか?」

「ううん。そうじゃなくて」



 注文を伝えると、コンサートマスターは意外そうな顔をした。



「できる?」

「……失礼、もちろんできますが。そういったリクエストを頂くのは初めてなもので」



 (突飛な注文に気を悪くされたかも……)



と一瞬不安を感じたが、コンサートマスターの指示を受けた楽団員たちの中には意外にも笑顔が見られた。

ユーモアの一種と受け止められたようだ。

少し気分が軽くなった思いがして、マダマ様の手を引いてダンスホールの真ん中へ移動する。



「ほらマダマ様、曲が始まるわよ」

「……ええと、女の人の腰を抱くんですよね? ステップは? リズムは? どうすれば良いんです?」

「そういうの良いから。ほら。手をつないで」



 マダマさまの小さな手を取る。

冷たく縮こまっているのが手袋越しでも伝わって来て、胸の一部がずきんといたんだ。

招待客たちが何が起ころうとしているのか分からずにざわめいているが、そんなことはもうどうでもいい。


 

「み、みんな見てますよ?」

「良いじゃない、見せつけてやりましょう」

 


 曲が始まった。

三拍子のワルツでも、二拍子のタンゴでもないそのイントロに、『壁のシミ』と化した居並ぶ客たちはどよめた。

およそ王族の方を誘ったダンスにはふさわしくない……。

というより貴族の邸で演奏されること自体考えられない曲だったからだ。



 私がリクエストしたのはとにかく明るくて、単純なリズムで、ノリのいい曲。

農村の収穫祭で流れるのがお決まりの、四拍子の民族調の舞踏曲。

……21世紀の日本でいういわゆる『フォークダンス』の曲だった。



「ほらマダマ様、照れちゃダメよ!」

「あ、足の型は?」

「良いのよそんなの! ほら1、2! 1、2!」



 両手をつないで、足音高く。

ダン、ダン、ダン。

とにかく陽気にステップを踏む。

リズムに合わせて2歩進み、2歩下がる。その繰り返し。


 おぼつかない足取りのマダマ様と呼吸が合わずに爪先がぶつかりそうになったり、踏んづけそうになったが、徐々に慣れていった。


 四拍子を四小節繰り返してから。



「はい、次は手!」

「はっ、はい!」



『アルプス一万尺』の要領で、自分と相手の手を交互に叩き合う。


 次の四拍子。

むんぞと少年の腕に自分のそれを差し入れる。



「ほら、ぐるぐる回って!」

「はっ、はっ、はい!?」

「恥ずかしがっちゃダメよ、笑顔で!」



 前の人生の文化祭のフォークダンスを思い出しながら一連の動きを再現する。

その時と違うのは、学生時代の相手は異常にやる気のないにきび面の男子だったが、マダマさまは必死に動きに追い付こうとしてきたことだ。

だんだん楽しさを感じてきたようだ。


 交互に体を入れ替えながら回っている途中で、呆れる客たちの中で父親が真っ赤な顔をしているのが見えた。

およそ貴族の娘にはありえない光景に怒り心頭といったところだろうが、今の私にとってはどうでも良いことだった。


 目の前の少年の頬がだんだん上気して、目が輝きを帯びてくる。

熱が入ってきたのが触れる腕からも伝わってくる。

同じ曲を繰り返し、2周目は互いのぎこちなさがなくなってきた。

3セット目には、ついに少年の口元がほころんで笑いが見えてくる。



「ね、楽しくなってきたでしょ?」

「はい!」

「ほら、もっと陽気に!」

「……あはっ、ははは!」



 ついにマダマさまの満面の笑みがこぼれた。



 そして曲の最後のパートの16拍子。

私たちは完璧にステップを踏み、全く同じタイミングで手を打ちあった。

そして曲に合わせて正確に床の上に真円を刻んで。

最後の小節が終わると同時に手を離す。



「「――――――ッ」」



 お互いにやり切った達成感を抱いて、向かい合って締めの一礼。

王族らしい完璧な角度でされた優雅な会釈に、ドレスの裾を持ち上げて応じる。



「…………っ」



 心地よい汗と疲労感、熱さが体中に満ちていた。

さまざまな感情がない交ぜになって、複雑な色を浮かべている少年の瞳に対して小さくうなずく。



 曲が完全に終わっても、ホールは静まり返っていた。



(やらかしたかしら……)



 こっそり目だけを動かして周囲の様子を探る。

壁沿いに居並ぶ客たちの反応は冷ややかだった。

つられて笑ったりしているのはまだ良い方で、たいていは呆れ顔だった。

中には『信じられない』と露骨にさげすんだ目を向けてくるものもいる。



 ちらり、と目線を動かして父親を探す。

因業親父は怒り心頭を通りこして、青い顔をしていた。

王子様相手に村の祭りでするようなフォークダンスを誘って本当に踊るなんて貴族は、おそらく今まで誰一人いなかったに違いない。

自分の娘がその当事者だなんてことが信じられないようだ。



(流石に平謝りじゃ済まないかもねぇ、これは……)



 巨額をかけて開催した舞踏会の始末がこれでは、父親の腹の虫もそう簡単には収まるまい。

流石に背筋にうすら寒いものを感じ始めたとき。



 パチパチパチ……!



 ひとつだけ優雅な拍手の音が聞こえてきた。



「?」

「……素晴らしい!」



 気まずい空気を振り払うかのように称賛の声が響いた。

気の抜けた客たちの中から、ただ一人好意的な笑みを浮かべたカリナンが歩み寄ってくる。



「こんなに楽しいダンスを見たのは久しぶりだ!」

「え、カリナン様?」



 近づきながらカリナンが、私にだけ分かるように目くばせをしてくる。



「王族の方をおもてなしするのに、国を支える農民が大地の恵みに感謝を捧げる踊りにお誘いするとは!」

「えっ?」

「見事な趣向です、ロナ伯爵!」


 

 芝居かかった声と大仰な仕草で称賛しながら、カリナンは突然私の父親の方へ話を向けた。

そのまま練習無しで舞台に立てそうなくらい見事な役者っぷりだった。

名門中の名門、トランヴァール侯爵家の跡継ぎに突然話を振られた因業親父は思わず首をすくめた。



「は、は……。恐縮です、カリナン卿……」


 集めに集めた客たちの前で、カリナンの言うことに真っ向から口答えする度胸が親父にあるはずもなかった。

内心で感じているはずの苦渋をひた隠しにしながら頭を垂れる。



「皆様もそうは思われませぬか!?」



 カリナンが一同へ向き直った。

慌てて空気を読んだのか、客たちの間から遅れて手を打つが鳴り始める。

割れんばかりの拍手でホール中が微振動する。

もちろんこれはカリナンへの追従とおべんちゃらで、私に向けられたものではないことくらい分かっている。

が、どうやらこの場は収まってしまったらしい。



「あ、あの、カリナン様……?」


 

 呆気に取られてしまう。



「……これで少しは罪滅ぼしになったかな?」

「えぇ?」

「えっと、あの……」



 悪戯っぽい笑みを浮かべるカリナンと戸惑う私を見て、また所在なさげにしていたマダマ様が声をかけてきた。



「失礼、トランヴァール侯爵家のカリナンと申します。お初にお目にかかります、親王殿下」

「侯爵家の? すみません、恥ずかしいところを……」



 下唇を噛んで身を縮こまらせようとしたマダマさまを制して、カリナンはうやうやしく腰を折った。 



「感服いたしました、実にお見事なエスコートでしたよ。殿下」

「そ、そうですか……?」



 配慮に満ちた言葉の優しさに思わず感心してしまう。



(良い人だなぁ……)



 元婚約者だということも忘れて、私は他人事のようにそう思ってしまった。

マダマさまは再び目を輝かせて、興奮冷めやらぬといった風に私の方を見上げてくる。



「ボク、パーティーでこんなに楽しいの初めてです!」

「私もですよ」



 肩をすくめて、繊細な王子様は初めて少年らしいはにかみ混じりの笑みを浮かべた。

この笑顔のためなら不毛なお見合いパーティーの一回や二回犠牲にするくらい、なんてことはない。

そう思えるくらい良い顔だった。


続きは今夜8時ごろ追加します。

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