南海の王女に雪が降る(6)
《どういうことだよ、どういうことだよ一体!》
私の部屋の中に、いらいらした呟きがずっと響き続けている。
モルガナのところを辞してからずっとこんな調子だ。
自分の尻尾を追いかけるばか犬のごとく、タヌタヌは部屋の中をうろつき回りだした。
《いきなり患部が増えた……? 安静にしてても痛みだす? 何がある? 考えろ、考えるんだ……》
『腎臓疾患』という自分の推理が間違っていたことによほどプライドを傷つけられたらしい。
ぶつぶつと自問自答を続けている。
見ていられなくて、私は思い切って口を挟んでみることにした。
「本当に深刻な病気じゃない? 例えばガンとか」
《はぁ? ガン?》
「ドラマか何かで見たことがあるわよ。骨にガンができて切断しなくちゃならなくなったとか……」
《骨肉腫のことか。でも骨肉腫? でもアレ発生するのは相当レアケースだぞ》
タヌタヌは軽く鼻を鳴らした。
《場所は膝でも肩でもなく腰回りからだったし、複数の場所に同時発生するのも考えにくい》
「転移したとか?」
《骨肉腫でも他のガンでも転移してるんなら患者はもっとガリガリにやつれてるはずだし、そんな転移まで症状が進んでるんならもう手の施しようがない!》
バッサリと否定された。
《発熱してないってことは炎症でもない……。骨密度検査とかCTスキャンができれば骨の状態が分かるのに!》
「そんなものこの世界のどこにもないわよ。何か悪いものでも食べたとかない?」
《悪いもの? ……まさか放射線障害?》
声を低くしたタヌタヌが立ち止まった。
《この村には実は天然のウラン鉱脈か何かが露出していて、放射線被爆の結果ダメージを受けていたとか……》
何か恐ろしいことを言い出したぞ。
《いや、ないな。だったら他にいくらでも患者が出てるはずだし、何より人間より先にタヌキの俺が死んでる》
一人で納得してしまった。
タヌタヌの思考もだいぶ行き詰っているようだ。ふらふらとかぶりを振っている。
「……もしかして環境の変化とか?」
素人考えながら、私は思いつきを口にしてみた。
「モルガナって、ずっと南の国の温かい空気で過ごしてきたんじゃない。それがいきなり寒い地方にやってきて、気候の変化で体調がおかしくなったんじゃ……」
《100%ないとは言わないけどな》
《でもそれなら他のスターファから来た連中にも同じ症状が出てるはずだろ。連中は元気に働いてるぞ》
「ああ……。そっか」
《何かあの王女様だけ、違う原因があって症状を引き起こしてるはずなんだ》
「それは何?」
《それを今考えてるの!》
タヌタヌは苛立たし気に言うと、ごろりとじゅうたんの上に転がった。
「……温かいところで療養したらよくなるかもよ?」
《かもしれないけれど、そんな不確実な方法を取りたくない》
諦めずに自分の意見を口にしてみたが、タヌタヌは興味なさげに返してくる。
モルガナの体を心配しているより、単に原因を突き止めないと気が済まないという口ぶりだった。
(本人の体が良くなるのが一番の目的でしょうに)
ちょっとムッとしてしまう。
「じゃあ私は本人と相談してみることにするわ」
《別に止めはしないけどさ》
「これからモルガナの部屋に行くけれど、どうする?」
《俺は行かない。しばらくここで考えてる》
カドのある言い方で言葉をぶつけあってから、私は再びモルガナの部屋に戻った。
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「モルガナ。ちょっと良いかしら?」
「どうぞ」
ドアを開けて部屋に入ると、ベッドサイドの椅子に座った少年がこちらを振り返った。
「あらマダマさま。お話中だった?」
「ボクもお見舞いです」
マダマさまはそう言ってぺこりと会釈した。
まあ良くできたお子さんだこと。
「……うぅん」
マダマさまの様子を見て、大きな枕に体を預けたままのモルガナが甘やかにうめいた。
「ちょっとまた腰が痛くなってきたみたい」
「ええ、それは大変です!」
「殿下ぁ。申し訳ないんだけれど、腰をさすってくださる?」
体の不調を感じさせない動きでさっとモルガナは毛布から抜け出ると、いそいそとマダマさまの前でうつぶせになった。
「こ、ここですか?」
「もっと下!」
「この辺りですか?」
「もっと下よ」
「これより下って……」
背中から順調に滑っていったマダマさまの白い小さな手が止まる。
その先にはもう、小憎らしく上を向いた小さめのお尻しか残っていない。
「殿下ぁ。早くさすってぇ」
「えっ、でもっ、そのっ」
「いたぁい、もうがまんできなぁい」
「え、えぇぇぇ……!?」
「…………」
甘えた声で身を揺するモルガナと、完全に固まってしまった王子様。
二人のそばまでつかつかと歩み寄ると、
「だからセクハラはやめなさいっつーの」
「きゃあっ!?」
思い切りその尻たぶを握りしめてやった。
突然の刺激に、モルガナはベッドの上でごろごろと転がる。
「邪魔しないでよ、レセディ!」
「ずいぶん元気そうじゃないの。えぇ?」
「やっぱり女の人って怖ぁぁぁい……!」
半べそになったマダマさまの横でしばらく視線をぶつけあっていると。
鼻先に妙にかぐわしい匂いが漂ってきた。
「……何か良い匂いがするわね?」
「ああ、あれのこと? 迎賓館に届いたんで、持ってきてもらってるのよ」
モルガナがあっさり視線をひるがえした先では、平皿の上に見覚えのある木の実が山盛りになっていた。
「これってまさか、栗?」
日本で木に実っていたものよりも小ぶりで色が濃いが、見た目といい匂いといい間違いなく栗だ。
どちらかというと縁日やスーパーの店先で温められていた天津甘栗に近い。
「この世界にも栗なんかあるの?」
「……この世界?」
「えっと、言い間違い。この国にも栗なんかあるの?」
「ファセット王国では珍しいですね」
「スターファじゃごくありふれた食材よ。キロでまとめて送ってもらったのを、炒って焼き栗にしてもらったの」
言いながらモルガナは栗を一つ手に取ると、簡単に手の中で皮を剥いてみせた。
苦い渋皮も割ったとたんにまとめて剥がれるところなんて、まさしく天津甘栗そっくりだ。
「私、これが大好物でね。実は前からこっそり一人で食べてたのよ」
「あ、ずるい。私にもちょうだい」
毎晩のように人の部屋にお菓子を持ち込んでおいて、本当に美味しいものは隠していたとは抜け目のないやつめ。
言いながら私も一つ頂いた。
ほくほくとした触感に濃厚な甘さ。火を通しただけでこんなに甘くなるのだから栗はえらい。
「殿下もどうぞ。栗はとっても栄養があるのよ」
「そ、そうなんですか?」
確かに滋味が溢れるというか、体に良さそうな自然な甘味だ。
見よう見まねのおぼつかない手つきで栗を割ったマダマさまも、一口で顔をほころばせた。
「けっこう美味しいですね、これ」
「でしょう?」
「マロングラッセにしても良さそうだわ」
「何ですか、それ?」
「栗の砂糖漬けよ。甘くて美味しいわよ。今度まとめて作ってあげるわ」
「ああ……良いですね!」
「何それ、すごくおいしそうじゃない!」
甘党のマダマさまとモルガナは揃って表情を輝かせる。
「あと、栗のジャムなんかも美味しいわよ」
「へー、珍しいわね」
「私の国じゃ普通に売ってるわ。パンに塗ってもいいし、ヨーグルトにかけても美味しいのよ」
栗と乳製品というのは日本人感覚の私にはいささか珍奇に思えたが、コクがあって美味しいかもしれない。
『姫様ー!』
「んん?」
突然、何やら窓の外から黄色い声が聞こえてきた。
何事かと窓辺に近づいてみると。
「あら、シトリンちゃんたちじゃない」
『こんにちはー!』
窓を小さく開けると、冷たい空気と一緒にひときわ高い声が部屋の中まで飛び込んできた。
シトリンちゃん、フューメちゃん、モリオンちゃんのクォーツ三姉妹だった。
モルガナの見舞いに来たのだろうか。
しかし窓の外から呼びかけるとは、とても一国の王女に対するとは思えない気安さだ。
「ちょうど栗があるわよ。あなたたちも食べる?」
『食べるー!』
「……玄関から入って、手を洗ってらっしゃいな」
『分かりました!』
こういうときだけはものすごく聞き分けが良い三姉妹が走って玄関の方まで回っていく。
廊下をバタバタと走り、手を拭くのもそこそこに部屋に入ってきた三姉妹はベッドサイドにものすごい勢いで突っ込んでくると、平積みになった栗に手を伸ばした。
「皮とゴミはじゅうたんの上に散らかしちゃダメよ」
「余った皿の上に置いときなさい」
『うまうま……!』
しばらくみんなで栗の皮を剥いては、ポリポリと無言で食べていた。
「……で、あなたたち何しに来たの?」
『あ、そうだった!』
殻の皿が剥いた栗の皮で埋まったころ、クォーツ三姉妹は当初の目的を思い出してはっとした顔になった。
『姫様、すぐに来て!』
「えぇ……? 私調子が悪くて休んでるんだけど」
姉妹たちに急かされて、流石のモルガナも困り顔になった。
そんな様子などおかまいなしに、興奮しきった様子でシトリンちゃんたちは口々にまくしたてた。
「すごいもの見つけたんです!」
「海に浮かんでるんだよ!」
「でかい! まるい! はじめてみた!」
気が逸り過ぎていて何を言いたいのか良く分からない。
「いったい何を見つけたの?」
「良く分からないけれど、生き物みたいなんです!」
「丸くてでかいんやつ!」
「このよのものとはおもえない!」
説明ではさっぱり見当がつかない。
私とモルガナ、それからマダマさまは顔を見合わせた。
「どうも要領を得ないわね……」
「……実際行ってみるしかなさそうですね」
「仕方ない、私が一緒に行って見てくるわ」
流石に今のモルガナを出歩かせるわけにはいかない。
私が代わりを買って出ることにした。
「ボクも行きましょう」
「じゃあ馬車出してもらうわ」
『とにかく早く!』
この姉妹は何をこんなに急いているのだろう、と思いながら私は御者のシリマールに馬車を出してもらうように頼みに行った。
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「うぅ、さぶい。こんなところに何があるっていうの?」
同乗した三姉妹たちの案内に従って、私とマダマさま作業現場近くの海岸線まで来ていた。
空は相変わらず灰色で、吹き付ける風は一段と冷たく感じられた。
ますます冬の足音が近づいているらしい。
『ほら、あれあれ!』
先に馬車を飛び降りて行った姉妹たちがぴょんぴょん飛び跳ねていった、石くれだらけの海岸をおっかなびっくり歩いていると。
急に立ち止まった三姉妹がこぞって、暗い色をした海面のある一点を指さしていた。
白い波か漂流物くらいしか海には見えないだろうに……。
と思いながらその方向に顔を上げる。
「何ですか、あれ……?」
「なんじゃ、ありゃあ?」
私とマダマさまは同時に息を飲んだ。
それは確かにこの世のものとは思えない光景だった。




