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南海の王女に雪が降る(5)

 とにかくモルガナが本当に腎臓を悪くしているのか確かめないことにはどうしようもない。

ちょっとした小道具を用意してから、私は再び彼女の部屋を訪れた。



「モルガナ。調子はどう?」



 ベッドの上で小難しそうな本を読んでいたモルガナが顔を上げる。



「今はお話しても平気よ」



 モルガナの視線が、私が小脇に抱えた小道具へと刺さるのが分かった。



「何それ?」

「大人用のおまるよ」

「おまる!?」

「大丈夫、綺麗に洗ってあるから」



 大昔にこの領主館で使われていた代物で、倉庫にあって処分するのも面倒で困っていた品だ。

実はファセット王国の古い風習で、『高貴な身分の人間がわざわざ夜中にトイレに行くのはみっともない』とされていた時代があったのだ。

とっくに使われなくなってホコリを被っていたのを綺麗に掃除しなおしたのだ。嫌だったけれど。



「冗談じゃないわ! 赤ちゃんでもあるまいし!」



 そんな古い伝統は知ったこっちゃないとばかりに、モルガナはかぶりを振って拒絶してきた。



「腰が痛いとトイレに行くのも一苦労だと思って……」

「使わないわよそんなの! 多少痛くたってトイレに行くわ!」



 顔を真っ赤にする彼女の言うことももっともだ。



「大丈夫、汚れ物は私がちゃんと処理するから」

「余計嫌よ!」

「一晩だけ試しに使ってみるとか……」

「冗談じゃないわ! 片付けてよ、そんなもの!」



 うまいいこと言っておまるを使わせて片付けるときに残った尿を調べれば良いと思ったのだが、どうも部屋に置くことも許してもらえそうにない。



「分かった、これは持って帰るわ。でもモルガナ、教えて欲しいことがあるの」



 おまるを床に置いて、真面目な調子で語りかける。

本当に内臓に疾患があるとなれば一大事だ。場合に言っては無理を言ってでも尿を調べなければならない。

そのためには彼女が自発的に協力してくれるのが一番なのだが……。



「何よ?」

「調べてみたんだけれどね……。あなたの症状に合致するのは腎臓の病気なの。あ、腎臓ってどこか分かる?」

「人間の背中側にふたつある臓器のことでしょう? 知ってるでわよそれくらい」



 流石隠れた読書家だけある。解剖学というものが半ば禁忌にされているこの世界で、内臓の位置について断言できるだけでも結構な知識と言えた。



「でも痛むのは骨よ? どうして腎臓なの?」

「その腎臓が病気になると栄養が上手く取り込めなくて、骨や筋肉が痛んだり弱くなったりすることがあるの」

「そんなこと初めて聞いたわ……」

「腎臓の機能が弱ってないかを確かめたいんだけれど……」

「ちょ、ちょっと待って!」



 モルガナは手を挙げて私を制止すると、慌ててベッドサイドのペンとノートを取り出した。



「本当に腎臓にそんな機能があるの? だとしたら大発見よ! お姉さまに手紙を送って、検証して確かめてもらわなくっちゃ!」



 どうも彼女の知的好奇心を刺激してしまったらしく、慌ててメモを取り出す。

しかしこっちはそれどころではない。研究活動の方は、まずは健康になってからしてもらわなくては。



「聞いてモルガナ。腎臓の機能は何があるか知ってる?」

「尿を作ることでしょ。医学書にも書いてあるわ、それくらい」

「オシッコちゃんとできてる?」

「できてるわよ。 おしめを外してから毎日してるんだから」



 私の言い方は誤解を招いたらしい。ペンを片手にモルガナは不機嫌そうに眉をしかめた。



「どんなオシッコ?」

「どんなって……。普通よ」

「妙に多かったり或いは全然出なかったりしない?」

「そんなことないわ」

「血が混じってたりは? 色は? 臭いは? ちょっと確かめさせてくれない?」

「あなたいつからそんなに疑い深くなったの!? ちょっと、ぐいぐい近づいてこないでよ!」 



 ついつい力が入る、ベッドににじり寄ってしまう。



「レセディ、今日のあなたちょっと……いいえ、大分変よ!?」



 わざわざ言わないでくれ。私だってそう思う。



「腎臓の病気はオシッコに症状が出ることは知ってるわよね」

「そうよ、医学書にも書いてあるわよ。でも本当に、私から見ても普段と変わりないから心配ないって!」

「見ただけじゃ分からないこともあるのよ!」

「どういうこと?」

「腎臓の機能が弱ったせいで、尿にタンパク質っていう見えないものが含まれてることがあるの。それを確かめたいのよ」

「それはどうやって確かめるの?」

「あなたのオシッコを鍋で煮て白く固まったらタンパク質が入ってる証拠よ!」 

「…………」

「タンパク質は熱で固まる性質があるの。これが一番簡単で今ここでもできる判別法らしいわ!」

「ねえレセディ! あなたが何を言っているのか本気で分からないわ!」



 モルガナは耐えきれずに叫んだ。



「いきなりオシッコを出せとか、鍋で煮るとか、どうしたの!? わるふざけでもしてるの!?」

「真面目に言ってるのよ!」

「なおさら心配になってくるわ! 大丈夫、疲れておかしくなってない?」

《……何やってるんだお前ら》



 ベッド再度で言い争いをしていると、開け放していたドアからタヌタヌがのこのこと入ってきた。

首尾を確かめに来たらしい。



(邪魔しないで、今オシッコを出させようとしているところよ!)

《尿検査が一番だが、腎疾患を確かめる方法は他にもあるぞ》

(それを先に言いなさいよ!)



 ひょうひょうと言い切るタヌキをにらみつけた。



《まずは手足のむくみの確認》

(むくみ?)

《体内の水分量を調節するのも腎臓の機能だからな》

「モルガナ。ちょっと手と足を見せてくれる?」



 急に話が変わってモルガナは戸惑ったようだが、黙って服をくつろげて見せた。

見た目にはいつもと変わりないスレンダーな引き締まった手足だ。



《指で押して、すぐに戻らなかったらむくんでるぞ》



 ちょっと失礼して、腕を軽く指で押してみる。

指を離すと瞬時に元の形に戻った。むくんではいない。



《あとは打突法》

(打突法?)

《腎盂炎や結石の診断法でな、背中を叩いてみるんだ》



 診断法らしからぬ物騒な語感だが、試してみるほかあるまい。



「ちょっとモルガナ、悪いんだけれどベッドの上に座って背中を向けてくれる?」

「こう?」

《軽く叩かれてもバットで叩かれたみたいな痛みが走るのが特徴》

「ふんっ」



 建付けの悪い家具の扉を閉める時くらいのつもりの力加減で、華奢な王女様の右腰から背中にかけてを叩いた。



「痛っ……!!」



 大げさに思えるくらい声を上げて、瞬時にモルガナは背中を丸めて痛みをこらえた。

歯を食いしばりまでして、ベッドの上で痛みをやりすごそうとしている。



《やっぱり》

「ああ……。なんてこと!」



 軽く叩いたくらいで身もだえするほど激痛が走るだなんて、本当に腎臓が悪いのだ。

さっと血の気が引くのと同時に、ある可能性に思い至った。

確か腎臓は左右に二つあるはずだ。右はさっき叩いたから、次は左を確かめてみなければ。



「こっちはどう?」

「そっちも痛い!」



 左の方も軽く叩いてみたところ、モルガナはまるで電気を流されたようにびくんと体を跳ねさせた。

検査結果はクロと言わざるをえない。

これは重症だ……!



《ちょっと待てよ?》



 青ざめる私の耳に、タヌタヌのいぶかしげな声が聞こえてきた。



(何よ、早く治療してあげてよ!)

《……両方?》



 何か引っかかるものがあったらしい。ベッドサイドに取りついて、様子を確かめようとじたじたと短い手足で頑張り始めた。



(何かおかしいの?)

《両方の腎臓が一度に炎症を起こしたり結石になる? そんな偶然があってたまるか!》



 頭だけベッドの上に乗せることに成功したタヌタヌは歯を剥き出しにした。



(でも現実にそうじゃない!)

《ゼロとは言えないが天文学的な確率だぞ!》

「ねぇレセディ……。これって本当に検査なの?」



 痛みがようやく引いたらしいモルガナが、不審そうな目でこちらを見てきた。

患者に信用されないわけにはいかない。

私は慌てて彼女に毛布をかけて寝かしつけようとした。



「そ、そうね。やっぱり腎臓がちょっとだけ弱ってるみたい。横になって休んだ方が良いわ」



 優しく声をかけて誤魔化しながら、モルガナが自分の体を横たえるのを待っていると。



「いたた……」



 再びモルガナが顔をしかめた。



「何、まだ腰が痛いの?」

「ち、ちが……。そっちじゃなくて……!」



 モルガナは横になって崩れ落ちると、自分の体重を支えていた右肩を左手で押さえだした。



「今度は肩が痛いの!」

「肩ぁ?」

《肩だと!?》



 呆気に取られる私たちの前で、王女は長いまつ毛を痛々しく伏せながら病状をとぎれとぎれに口にした。



「今、『ズキッ!』って……。骨の中に針を刺されたみたい……!」


 

 筋肉痛ではなく、骨だという。

これはもう、腎臓の痛みを勘違いしたとかそんなものではないだろう。



(ど、どういうことなの……?)

《……さっぱり分からん》



 さらに増えた症状を前に、タヌキは途方に暮れたような顔になった。

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