1_2 最後にモノを言うのは現金とコネ
いたたまれない空気の中でしめやかに誕生日パーティーが終わって。
侍女の手によってドレスとコルセットから解放され、化粧を落とし、寝巻に着替えて自室に戻る。
部屋の近くに誰もいないことを確認してから、分厚いドアを後ろ手に閉める。
そして部屋の真ん中に立って、ぐっと両の拳を握りしめた。
「やった――――――!」
解放感からついつい叫んでしまった。
「これで無事に婚約はお流れ! 5年がかりの計画が大成功! やっぱり私はやればできる子なのよ!!」
万歳をして、そのままのポーズで後ろに倒れ込む。
伯爵家の令嬢にふさわしい天蓋付きのふかふかベッドはしっかりと体を受け止めてくれた。
「ふふふ……原作漫画じゃ失意のどん底で、着のみ着のままで家から追い出されたけど、今度はそうはいかないわよ」
シミ一つないシーツに片頬をすり寄せながら、努力が実を結んだ喜びをかみしめる。
「やっぱり傾向と対策が人生の成功のカギよねー……。 日本で生まれた前の人生だって、これくらい要領よくできてたらなぁ」
心が軽くなった気がして、絶対に他人に聞かれてはならない愚痴もこぼしてしまう。
「そうすりゃ判断ミスでブラック企業に就職して毎日午前様で使いつぶされて過労死することもなかったのに」
しみじみとつぶやくと、今までの人生に思いをはせた。
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『自分は悪役令嬢だ』
そう私が悟ったのは13歳の朝だった。
ある朝、目が覚めるとそのことにふっと気づいたのだ。
本当に何の前触れもなく。もういきなり。
走馬燈のように24年間の過労死したOLとしての記憶がよみがえってきた。
あまりの情報量と伯爵家の令嬢として『蝶よ花よ』と育てられた今までとのギャップに混乱しまくったが、ともかく私は悟った。
この世界は『私が産まれる前に』愛読していた大人気の漫画【ダイヤモンド・ホープ】と全く同一の存在。
世界観も設定もキャラクターも、コピペしたようそのまんま。
自分自身までもが漫画に登場するキャラクターの人生と同じ道を正確に歩いていることを。
別に漫画の世界に転生したことは何とも思わなかった。
私は原作の大ファンで、既刊は全巻本棚に揃えていたし、アニメ化発表の時は思わず声を上げて喜んだ。
お気に入りの声優を出演者の欄に見つけては狂喜したし、バカ高い初回特典版を鑑賞用と保存用のふたつずつ予約したくらいである。
むしろ本懐と言ってさえいい。
最悪なのはその転生先のキャラクターというのが。
【ダイヤモンド・ホープ】劇中の主人公に辛く当たりいじめた挙句、婚約者に婚約を破棄され追放されてみじめにうちひしがれるライバルキャラだったことだ。
いわゆる悪役令嬢に生まれ付いてしまった。
「…………」
呆然としながら、13歳の私は豪華なベッドの上で体を起こした。
当たり前のように使っていた寝台が、突然急に身分不相応な居心地の悪いものに感じられて気味が悪くなった。
「『レセディ・ラ・ロナ』ってどこかで聞いた名前だと思ったんだよなぁ……」
色んな意味で目覚めてから口に出した第一声がそれだった。
産まれる前から知っていたとなれば、その名前で呼ばれるたびデジャブを感じていたとしても無理はあるまい。
理屈ではなく感覚で、自分が転生して漫画世界に産まれてきたことをすんなり理解する。
そう考えるといろんなことが腑に落ちるというか、納得して受け止められた。
伯爵家の娘に生まれてからこれまで日常の端々でなんとなく小器用に立ち回れたり、あらかじめ知っていたかのように危険を避けたりしてきた。
それを自分の才覚だと自慢げにしていたのが馬鹿みたいだった。
あらかじめ漫画の中としてだが体験していただけではないか。
「あー、やんなるわ。気づかなきゃ良かった……」
ともかくその日から、私の新しい人生が始まった。
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まず私がしなければならないのは将来に備えることだった。
悪役令嬢レセディ・ラ=ロナは、原作(?)漫画の主人公フランシス=ホープにひたすら嫌がらせを続けて、最後には破滅する典型的な小悪党なキャラクターだ。
主人公の恋人役の侯爵家子息カリナンの元婚約者だったのが、傲慢さの報いと身から出たサビがつもりにつもって伯爵家からも追放されてしまうのである。
伯爵家から追い出されて裸足のまま幽鬼のような顔でどこかへ消えていく、原作漫画のくらーいページが脳裏に浮かんだ。
あれが自分の身に降りかかるだなんて想像したくもない。
「なんとかしなきゃ……なんとかするのよ!」
まず最初に考えたのはカリナンとの婚約をなかったことにすることだった。
原作漫画では婚約者カリナンに優しくされる主人公フランシスに嫉妬で嫌がらせをするのが悪役レセディの役どころなので、婚約自体なかったことにすれば不幸な衝突が起きる心配はなくなる。
「―――ダメじゃん。もう婚約してるじゃん私ら」
頭を抱える。そういえばレセディとカリナンは幼馴染で、7歳の時に両家で許嫁の約束が交わされていたのだった。
どうも自分が転生したことを自覚してから主人格が日本人だったころのままになっているというか、悪役令嬢レセディの記憶が頭の中でつっかえたように出てこなくなることがあって困ってしまう。
「よし! じゃあ嫌われましょう! カリナンの方が嫌がって婚約をなかったことにするよう仕向けるのよ!」
次の策として考えたのは円満に軌道修正を図ることだ。
なんとなく侯爵家のカリナンと疎遠になり、将来の婚約の話自体なかったことにしてしまおうという誰も傷つかない優しい計画である。
――――――結論から言うとこれも失敗した。
露骨に避けたり、無視したり、そんなつれない態度は何の役にも立たなかった。
共通の友人や使用人を通じて、誠実な手紙を私のところまで何通も送り届けてくるのだ。
『僕の何かが君を傷つけたり、不快にさせたりしているのなら許して欲しい』
「うわー、良いやつじゃんカリナン……」
うんざりした気持ちで手紙を読んでみると、はっきりと自分が嫌な奴だと自覚できていたたまれなかった。
『そして僕のどこが至らないのかをはっきり言葉にしてくれると嬉しい。君に相応しい立派な紳士になれるよう努力する』
「うへえ、良心にズキズキくるわ」
ローティーンの男の子にここまで書かれてはやむをえない。
次々と送られてくる手紙が机の中で厚みを増していくのに耐えきれず、私はカリナンへの態度を改めざるをえなかった。
原作漫画ではあっさり捨てたくせに!
こんなに私に優しくするとは!
なんて自分勝手なやつだ!全く!
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無視をする作戦を断念した私は、続いて積極的に嫌われる手に出た。
自分に好意を向けてくる純真な少年に辛く当たるのは良心が痛むが、仕方あるまい。
手をこまねいていたら私を破滅させてくるのも目の前の未来の婚約者なのだし。
「カリナン、その服のセンスって最低だわ!」
「カリナン、どうしてそんなつまらないことばかり喋るの?」
「カリナン、あなたって全然男らしくないし気が利かない人ね!」
何かにつけては些細なことでもあげつらい、糾弾し、徹底的に批判する。
こういう人に嫌われるようなことは不思議とすらすらと思いつけた。
そりゃそうだ。何たって私は生まれ付いての悪役令嬢なのだから。
人に嫌われるような底意地の悪いやり口はむしろ天職と言って良いだろう。
が、当のカリナンは全く気にするそぶりもなかったようだ。
ある日のパーティーの席。
私はダンスのパートナーを務めたカリナンを、何から何まで徹底的に悪く言った。
良くそんなところまで見ているなと、それこそ自分でも感心してしまうくらいに。
が、カリナンの顔からは全く怒りや嫌悪感というものはうかがえなかった。
むしろ私に叱られるたび何かの喜びすら感じているように見える。
思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、カリナン。あなた私にこれだけこっぴどく言われて何とも思わないの?」
「え、思うよ?」
「それならどうして態度に出さないの? 嫌でしょ、辛いでしょ? 私と婚約なんてまっぴらだと思うでしょ?」
「全然。だってこの世に本当に性格の悪い人なんているはずがないもの。君もそうだって信じてる」
こいつはひょっとして聖人か、あるいは病的なマゾヒストなのではないか。
ファンブックの設定資料集の作者コメントにそんな裏設定が書いてあったか私は真剣に悩み始めた。
「じゃあ私にけなされた時、一体どう思ってるの!?」
「そうだな、すこし辛くなるよ」
「じゃあなんで怒ったり言い返したりしないの!」
「いつか君も自分の尖ったところに気付いてくれると信じてるからだよ。その時まで僕は待つさ」
「……ごめん、頭痛くなってきた。帰るわ」
流石少女漫画の恋人役。
善人過ぎてやればやるほどこっちがみじめだ。
これで主人公フランシスが目の前に現れるや否や私ことレセディをあっさり捨てるような男でなければ可愛げもあるのだが。
悲惨な未来を知っている悲しさで、私はため息をついた。
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2年ほどの不断の努力の結果、私は悟った。
このやり方ではダメだ。
私がどれほど情熱と決意をもって嫌われようとしても、カリナンはその全てを肯定し受け入れてくる。
漫画読んでるときは主人公フランシスの視点から見ていたから特に気にならなかったが、見方を変えると一体どういう心理の動きで婚約者を捨てたのか不思議になる男だ。
「ある意味カリナンも主人公補正と話の都合に振り回される被害者なのかも……」
思わず達観したようなことを口にしてしまう。
そうしている間に着々と破滅へのレールは敷かれていく。
つまり原作再現である。
どんなに辞退しようとしても親が方々に手を回し、貴族の子弟が通う王立の聖ブリギッド学園に進学が決まってしまった。
言うまでもなくかの忌まわしき少女漫画の舞台である。
麗しき花と緑に彩られた学舎だが、私にとっては処刑場の建物にしか見えなかった。
「――ー―――もう仕方ないわ。破滅するしかない」
私は諦めた。
これはもう何か巨大な力が働いているとしか思えない。
避けられない運命とか世界の悪意とか神の意志とかそういった類の。
悩んだ挙句、一つの結論に達した。
どうしても婚約しなければならず、しかもそれが破棄されるなら、いっそ破棄されてしまえばいい。
悪役令嬢レセディ・ラ・ロナの末路は、『主人公キャラに犯罪スレスレのいじめ・いやがらせを1年続けた挙句、婚約者に捨てられ学園を退学になり家からも追い出される』だ。
別に『処刑される』とも、『全財産を没収される』とも、『国外追放される』とも断言されてはいない。
「つまり婚約破棄されてそれで人生おしまいじゃないんだから、今のうちに備えておけばなんとかやっていけるわけじゃない!」
その発想に至った時、全身を衝撃が貫いた。あたかも天啓のように。
考えてみれば24歳の過労死で使いつぶされたOLだった前世より、よっぽど豊かでチャンスに恵まれた人生を悪役令嬢として送れているではないか。
外見は少女お漫画のライバルキャラらしく多少は尖ってはいるものの充分美人の範囲だし、自分のことながらスタイルも良い。
親や家とは関係のない人脈作りや蓄財だってちょっと頭を使えば難しくない。
何せ悪役と頭についてても私は有力貴族の令嬢なのである。繋がりを持ちたい人はいくらでもその辺に転がっている。
「よっしゃー! やるぞー! 所詮最後にモノ言うのは現金とコネなのよ!」
親に知られないように隠し財産を作る方法を必死に考えながら、一人自室で私は気合を入れた。
原作者の人!
あなたが悪役令嬢は破滅した後『絶望して自殺する』とか、『みじめに病死する』とか、『とても口には出せない職業にまで落ちぶれる』なんて描写を入れなかったことに感謝します!
どうもありがとう!!
続き『1_3やっちまったよ婚約破棄』は10時ごろ投稿します。