オズエンデンドより愛をこめて(6)
オズエンデンドに夜が訪れた。
北の果ての僻地であるこの地には、街灯なんかあるはずもなく夜間は家々の照明の他はほぼ完全な闇が広がることになる。
常にエネルギーを持て余した王女様も、流石に夜遊びには出かけようとはしない。何せ遊ぶ場所自体がない。
そろそろ頃合いだろう。
洗濯カゴのベッドでもう寝息を立てているタヌタヌに背中を向けて、私は自分の部屋を出た。
王女と面と向かって話をすることに決めていた。
今までは不興を買うかもしれないのが怖くて後回しにしてきたのだが、ここまで来たらもう放ってはおけない。
今のままで何もしなかったら、おそらくマダマさまの神経はさらにすり減り、近いうちに『ぷっつん』してしまうだろう。
そうなったらロバを助けるためにヒステリーを起こしたどころではない騒動が起きてしまいかねない。
それで王女に何かあったら、事業に影響が出るどころか下手をしたら国際問題に発展してしまう。
「そうなる前に王女様に釘を差しとかないと……」
この時間まで待ったのは一対一で話をするのに都合が良いからだ。
昼間の王女の周囲は、スターファから連れてきた使用人やドム・ペドロ始め外交員が常に取り巻いているが、この時間は一人で自室にいるのが常だった。
夜間、領主館にいる使用人は私の侍女であるトパースだけである。
これは単純な理由で、何人も使用人が寝泊まりするための部屋がないのだ。
何せド田舎の代官所として造られた建物なので、王宮のように常に多数の使用人が待機することなど考えていない。
後回しになっている領主館の増築工事に合わせて拡張する予定ではあるが、今すぐどうこうできるものでもない。
というわけでスターファから王女が連れてきた人間は、日が暮れたら例の宿舎にまとめて引き上げることになっていた。
『殿方付きのメイドは24時間ご主人様のお側にいるのが義務ですわ! お部屋がないというのなら馬小屋で寝泊まりだって平気です!」
そう言って最後まで抵抗したのは案の定ルチルだったが、そんなことをしたら馬たちがかわいそうではないか。
何よりあの性根の腐ったメイドに住みこみ勤務などさせたらどんな事件を起こすか知れたものではない。
なので毎日引きずってでも連れ返させている……って、話がそれた。
王女が自室にしている客部屋の前まで来た。
すうっと深く呼吸を整える。
「モルガナ王女様」
意を決して部屋のドアをノックする。
返事はなかった。
「王女様?」
無視されているのだろうか、と一瞬思ってしまう。
いや、王女が私を良い目で見ていないのは確かだがそこまで露骨に態度で示されるほど関係が悪いわけでもないはずだ。
「失礼しますよ」
そうっとドアノブを回す。カギはかかってはいなかった。
王女は中にいた。
ドアに背を向けて、学習机に突っ伏したままでいる。
(……寝てるの?)
明日また出直そうか、とも思ったが王女の肩や脇が剥き出しの民族衣装がいかにも寒そうに見えた。
最近夜が冷え込み始めたことだし、何かかけておかなくては風邪を引いてしまいそうだ。
迷ったが、見ないふりをするのも気が引けた。
「し、失礼しまーす……」
小声で断ってから部屋に入る。
そういえばモルガナ王女の部屋に入るのは初めてだった。
中はスターファの様式らしい、編み込まれたカゴ製のゆったりした家具や大きなクッションでいっぱいだった。
備えつけの学習机とベッド以外は床の上に直接モノが置かれていて、なんでもかんでもきっちり家具の中に収めたがるファセット王国のやり方に慣れ切った私にはちょっとしたカルチャーショックだった。
「……って、本ばっかり」
そこかしこにハードカバーの書籍が積まれていて、腕を枕にしている王女のそばにも数冊が転がっている。
どれもファセット王国で発行された書籍だ。意外と読書家なのだろうか。
ちょっと興味が湧いて覗き込む。
「げっ、小難しい本だらけ」
伯爵家の娘にふさわしい立ち居振る舞いを叩き込まれた昔を思い出して、思わず眉をしかめてしまう。
王女が取り揃えていた本は、基本的な礼儀作法の指南者から始まって、テーブルマナーや王室の歴史の解説本に至るまで全て教養書か実用向きのものばかりだった。
どれも読み込まれた様子でページはくたびれ、付箋が何枚も飛び出ている。
まさかこれを全部頭の中に詰め込むつもりなのだろうか。
「私なんかよりよっぽど勉強してるじゃない……」
感心はしたものの、退屈で押しつけがましかった貴婦人修行のトラウマが脳裏によみがえって鳥肌が立ちそうになる。
さっさとこんな場所はお暇いたそう、と寝息を立てる王女の後ろを通ってベッドに近づこうとしたところで。
「………ん?」
寝乱れて机の天板の上に落ちた髪の向こう側、天板の上に便箋が散らばっているのが見えた。
手紙を書いている途中で居眠りをしてしまったらしい。
駄目だ、いけないと思いつつも……ついつい人のサガで覗き込んでしまった。
外国語だった。
普段私たちが使っているファセット王国の公用語ではなく、スターファを始めとする南方諸国家の言語がびっしりと書き込まれていた。
「……あれ、読めるわ?」
どういう理屈なのだろう。
見た目の印象ではミミズがのたくっているようにしか思えないのに、意味が分かる。
【ダイヤモンド・ホープ】に登場する悪役令嬢のレセディ・ラ=ロナが、子供の頃に受けた教育の賜物だろうか。
私は全然その教育の中身を覚えていないのだが、記憶になくても頭の中でぱっと意味が伝わってくる。
自転車に乗る練習をした記憶を忘れてしまっても体が乗り方を覚えているように、しみついた学習内容が勝手に再生されてきた。
脳内に自分のものではない知識が流れ込んでくるようで、正直気持ちが悪い。
(ひょっとしたら私って、転生したんじゃなくて現代人の意識だけが物語のキャラクターに憑りついているようなもんなのかしら……?)
確かめようもないことだが、だとするとやだなあ。
ほとんど悪霊か何かではないか。
まあそんなことを考えても仕方ない。
こっそり王女の肩越しに、便箋に書かれた手紙の内容を盗み読みする。
女の子らしい丸文字かと思いきや、意外と流麗でかつ力強い達筆でしたためられていた。
【……今日は公爵殿下にロバをプレゼントして差し上げたわ!】
どうも母国の誰かに近況を報告する内容らしい。
まるで日記のようなつづり方だ。
【私はごちそうのつもりでお贈りしたんだけれど、ファセット王国ではロバ肉を食べる習慣がないみたい。信じられないでしょう? 誰も知らないのよ、ロバ肉がどんなに美味しいか】
王女の手紙にしてはかなりくだけた内容だ。送る相手は家族か、でなければ相当親しい友人なのだろう。
【殿下は情が移ってしまわれたのか、食べるなんてかわいそうだって泣いちゃったの】
微妙に事実とは異なる内容が記された手紙を読み進める。
【それで結局、食べるのはやめてペットとして飼うことになったわ。ロバ肉をごちそうする機会がなくなったのは残念だけれど、公爵殿下ってそういうとてもお優しくてかわいいお方なのよ】
流石にプレゼントが原因で角材を持って暴れ出すくらい怒らせてしまった、とは手紙に書けなかったらしい。
苦心の跡がうかがえた。
【こっちの人たちはみんなものすごく親切にしてくれるわ。素朴でとても良い人たちよ】
私のことも書いていやしないかと不安になって読み進めたが、特に触れていなかった。
別に期待していなかったが、ちょっとだけ残念。
【オズエンデンドは冬が来るのが早くて、もう夜中は薄い毛布がないと寒くて眠れないくらい。でもスターファはまだまだ暑いでしょうね】
やはり故郷の誰かに送るために手紙らしい。
誰への手紙だろうと思ったら、答えは次の行に書いてあった。
【お姉さまも体には気を付けてね! 蚊帳と虫よけのお香をちゃんと使って蚊に刺され】
手紙はそこで終わっていた。
最後の行の後半は上から何度も取り消し線が引かれ、もう少しで読めなくなるところだった。
書き損じとしなければならない理由があったらしい。
「うぅん……」
ちいさなうめきが聞こえてきて、ぎょっと体を硬くする。
椅子に座って机に突っ伏したままのモルガナ王女がもぞもぞと身をよじった。
起こしてしまったかと一瞬焦ったが、どうやら夢を見ているようだ。
「小姉さま……」
普段の王女様の底抜けに明るい様子とはかけ離れた、かぼそく弱弱しい声が聞こえてきた。
それが意外で自分の腕を枕にしている顔をのぞきこむと、ぴったりと閉じたまぶたのまつ毛に涙の滴が残っていた。
泣きながら寝入ってしまったらしい。
「…………」
私は自分の思い違いに気付いた。
彼女がこのオズエンデンドに来てからというもの、まるで自分の領土か何かのように好き放題に振る舞っていたのは、生来の気性によるものだと思い込んでいた。
破天荒な行動は王族らしいワガママを自分に許す性根に由来するものだと安直に思っていたが、この勉強家の部屋と何枚も書き直された便箋は違う側面を私に見せてきた。
15歳の娘が親元を離れて、異国の地にひとりぼっちで放り込まれて、何も感じない訳がなかった。
私がその歳で日本にいたころは定期テストのことと携帯電話のメールの返事のことくらいしか考えていなかった気がするが、モルガナ王女の場合は自分の人生がかかっていたのだ。
もちろん私は彼女のせいで少なからず迷惑と心労をかけられた側だし、そのことを忘れるつもりもないが、王女が自己演出して隠そうとしている必死な何かを垣間見てしまった気がした。
見てしまった以上、なかったことにはできないだろう。
思考と感情のバランスが取れないまま私は立ち尽くしていたが、すぐに居眠りしている王女の部屋に無断侵入してぼうっと居座っていることの危険性を思いだした。
とりあえずこの場で必要なことをさっさと済ませてしまわなければ。
足音を立てないように細心の注意を払いながらベッドの毛布を手に取ると、可能な限り重さを感じさせないように王女の両肩にそっとかけた。
モルガナ王女は眠りをむさぼることに集中しきっていて、起きる気配は全くなかった。
(どうしてこう……私ばっかりに気苦労が回ってくるのかしら?)
心の中で嘆きつつそのまま音を立てないようにして部屋を出た。
ドアをそっと締め直して、ようやく大きく息をつける。
折角覚悟を決めてきたのに、状況は何も良くなっていないどころか、その覚悟も少なからず揺れ動いてしまった。
いったい私はこの少女をどう扱えば良いのだろう。
今のところ、答えは見えてきそうにもなかった。
前回の投稿から間が空いてしまいました。申し訳ありません。
ちょっと方法見直して間隔開けずに投稿できるように改善します。
誤字脱字報告送ってくださる方ありがとうございます。
数が多くてなかなか直しきれないというか『これもう全部書き直した方が良いんじゃないか?』って気になってきますが、続きを書くのが優先なので『直ってねーじゃねえか!』というお怒りはしばらくこらえて頂けると幸いです




