2_7 タヌキの名は
プレゼントを両手で持ったまま、しゅんとマダマさまは落ち込んだ。
ただでさえ華奢な体が一回り小さくなったようだった。
「……思ってたのと違います」
「なんだかごめんなさい」
「じゃ、じゃあ、もしかしてボクはご迷惑だったんじゃ? だってあなたの結婚相手を探すパーティーなんでしょう?」
突然招待されたのにこんな気が使えるなんて、なんて良い子だろう。
「ボクがいたらお邪魔になってしまいます」
「それがマダマさまももう無関係じゃないのよね」
「え?」
「あの親父、完全にあなたにロックオンしてたわよ?」
「ロックオン?」
「……狙い撃ちにされるってこと。私をあなたに嫁がせる気で満々みたい。バカみたいだけど」
「ええ、そんな!」
マダマさまは仰天した。
「結婚なんて考えたこともありません!」
「でしょうね」
「だってボクまだ12歳ですよ!?」
「そうよね、その通り」
「それに……」
「それに?」
「ロナ嬢みたいな大人で綺麗な人とボクみたいな子供が……つ、釣り合ってるとは思えません!」
ポッとマダマ様はうつむきながら、頬を染めて言った。
女の子と見間違うほどの美少年にそんな顔をされてしまっては、私の胸中にぽっと熱いものがこみ上げてくるのは避けられない。
(なにこのかわいい生き物――――――っ)
……っと、思わずときめいてしまったがそんな場合ではなかった。
「でもマダマさまに振られると、私が父親からどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないのよね」
「そ、そうなんですか?」
「だからパーティーの間だけでも話を合わせてくれない? 付き添っててくれるだけで良いから」
私の申し出にマダマさまは少し驚いたようだが、迷いながらもうなずいてくれた。
「分かりました、ボクも男です!」
そういって自らの薄い胸を叩いてみせる。
「女性をエスコートなんてしたことありませんけど……。頼りにされてる以上は、が、頑張ります!」
「か、肩の力抜いて良いのよ?」
「はい!」
そう言いつつマダマさまは鼻の穴を広げて息を荒くした。
<<けっ、良いところのぼっちゃんかよ>>
いつの間にかソファの上で、手足を投げ出して寝そべっていたタヌキが吐き捨てる。
<<俺嫌いなんだよな、こういうお上品な高い声で喋る甘ったれたガキって>>
「そういえばさっきから気になってたんですが、その生き物は何ですか?」
何が気に入らないのか悪態をつくタヌキと、興味を持ったのか目を輝かせる王子様と、どっちに反応したものか一瞬迷ってしまった。
「シッ、黙りなさい!」
「えっ?」
「ああ、なんでもないのよマダマさま。この子は私が世話してるの。見世物にされてケガしてたのよ」
「それはかわいそうに……。ちょっと抱かせてもらっても良いですか?」
しまった。同情を引くつもりが興味を持たせてしまった。
<<げっ、俺やだよ!>>
「ほ、ほーら。マダマさまが抱っこしてくだるんですって。良かったわねー?」
逃げようとするタヌキの尻尾をつかんで引きずり寄せた。
(気に入らないからって指に噛みついたりしたら、タヌキ汁にされちゃうわよ!?)
<<そうか、気付かなかった。ご忠告どうもありがとよ>>
一応耳元で釘を刺しておいてから、テーブル越しにマダマ様に手渡した。
「わぁ、モコモコだぁ」
「そ、そうね。毛をつまんだだけで捕まえられそうなくらいモコモコよね」
「とても賢い子ですね! こんなに大人しくて人に慣れてるペットは初めて見ました!」
両手で抱えられたタヌキは死ぬほど嫌そうな顔をしているように見えたが、元から動物好きなのかマダマ様は気にせずにぎゅっと抱きしめた。
<<げぇ! 男に抱かれても嬉しくねーよ! さっさと離せよこのハナタレ!>>
「顔もとても思慮深そうに見えます。なんていうか知性というか、教養みたいなものまで感じますね。きっと頭もとても良いんでしょう」
<<……よく見るとなかなか利発そうなお子さんじゃないか>>
「あなたもたいがい調子良いわね」
タヌキあまりにも鮮やかな手のひら返しについつい突っ込んでしまった。
つぶやきが耳に入ったマダマ様が目を丸くする。
「えっ?」
「あっ、いえ。『抱っこしてもらってご機嫌ね』って。そのタヌキに言ったんです」
「タヌキって言うんですか? 聞いたことのない動物ですね」
顎の下あたりの毛をさすってから、マダマさまは再度聞き直してきた。
「この子の名前は何て言うんですか?」
「な、名前!?」
考えたこともなかった。
言われてみればペットに名前を付けずに種族名で呼んでいるのも不自然といえば不自然だ。ポ●ットモ●スターじゃあるまいし。
<<下手な答えをするなよ>>
とタヌキがジト目を送ってくるが、いきなり振られたって気の利いた名前が出てくるはずもない。
「タヌ…、タヌ……?」
『タヌ吉』? 『タヌ太郎』? 『タヌキン・パーク』? 『タヌシュタイン』? 『フーバスタヌキ』?
頭の中で必死に名前を考えるが、良いのが思いつかずに口ごもってしまった。
「タヌタヌ?」
「そうよ、名前は『タヌえも…………えっ?」
「タヌタヌかぁ。よろしく、タヌタヌ」
王子様は一人で納得してしまったらしい。
タヌキのお腹をさすりながら、マダマさまは愉快そうに笑った。
「ちょっと意外です。ロナ嬢ってそういうかわいい名前をつけられるんですね」
「あはは……お恥ずかしい」
笑ってごまかしたが、名前を付けられたタヌキの方はそれでは収まらなかった。
私の方に向けて白い歯をむき出しにしてくる。
<<おい! なんだよ、タヌタヌって!?>>
(知らないわよ!)
<<俺は嫌だぞ、そんな名前!>>
(分かったわよ、今だけ我慢してよ! 王子様が気に入っちゃったみたいなんだから!)
テーブルを挟んで問答していると、ドアの向こうからノックする音が聞こえてきた。
「殿下。そろそろ開場のようです。ご支度を」
ベリルとかいう女軍人の声だ。
それを聞いて、そっとマダマ様はタヌキを絨毯の上に下ろした。
動物好きなのが分かる優しい手つきだ。
「で、ではよろしくお願いします、ロナ嬢!」
「レセディで良いわよ」
「れ、レセディ?」
マダマさまの短い舌がもつれそうになった。
「レセディ、で。王子様にレディなんてつけて呼ばれたら恐縮しちゃうわ」
つい口元が緩んでしまいそうなのをこらえながら、私は立ち上がる。
釣られてソファから腰を浮かしたマダマさまの方へ、そっと腕を差し出した。
「じゃあ、よろしくね」
「?」
「……あの、腕を取ってくださる?」
「あ。はい」
意図を汲み取ってくれたマダマ様がちょっと慌てて肘を絡めてくる。
やはり身長差があるせいでちょっと無理があるというか、私がマダマ様の肘を軽く引っ張り上げられるような恰好になった。
捕獲された宇宙人の片側といった感じだ。
「い、行きましょうか」
違和感を誤魔化すように言うと、マダマさまはそろそろと歩幅を確かめるようにドアを手繰り寄せた。
男性にリードされているというより、なんというか弟に手を引かれているみたいだ。弟なんて今までの人生で持ったことないけど。
「――――――っ」
ドアの向こうで直立不動で待っていた女警護官……ベリルと言っていた女軍人が、私たちを見て目を見開いた。
謹直な警護官が鉄面皮を崩すくらい珍妙な組み合わせに見えたらしい。
……うーむ。正直言って先行き不安だ。
次回は明日朝8時ごろ追加します。