2_6 メソメソパーティー
そうこうしているうちに応接室の前まで来てしまった。
むんずとタヌキの腹に手を回して抱え上げる。
<<おい、俺を連れていく気か?>>
「だって不安なのよ、一緒に来てよ!」
<<この状況で何か役に立てるとは思えないけど>>
「漫画で出てこない人と何話したら良いか分かんないのよ!」
<<いや、良い大人としてそれはどうなんだ?>>
むずがるタヌキを小脇に抱え、空いた方の手でドアをノックをしてから。
「し、失礼します……」
おずおずと応接室に入る。
中ではちょうど、トパースがお茶を出しているところだった。
来客用の大きなソファの真ん中に男の子がちょこんと居心地悪そうに座り、その後ろでは例の大女が直立不動で鋭く眼を光らせている。
ソファや椅子に腰かけてくつろごうというつもりは全くないらしい。
鉄杭が打ち込まれたように背筋をぴんと伸ばした姿は長身とあいまって、その場にいるだけで周りを圧倒する迫力があった。
「何か?」
その鋭い目が光って私の方をとらえた。
「えっと、その、親王殿下にご挨拶を……。一応パーティーのホストなので」
ついつい卑屈に口元をゆるませてしまう。
自分の家なのにまるで尋問室のようだ。
お茶出しを終えたトパースが隣を通り抜けて、そそくさと部屋から出て行くのがちょっと恨めしい。
「ちょうど良かった。僭越ながらロナ嬢に申し上げたい」
「え、何か?」
個人名に敬称を付けられるのは伯爵家の子女の特権だが、大女の口ぶりはとても敬意がこもっているとは言い難かった。
「仮にも殿下はラトナラジュ王家の直系のやんごとなき血筋のお方。ご招待されるのならばなるべく正式な手順を守って頂きたい」
「は、はぁ。すみません……」
「本来ならば殿下が初めて出られる社交界の催しは、国王陛下の御名で行われる公式なものがふさわしいはず。それを個人的な知遇を得たからといって誕生日パーティーとは……」
「やめなさい、ベリル」
良く通る声で苦言を呈してくる女軍人を、小さく王子様がたしなめた。
直立不動の姿勢のままベリルと呼ばれた大女が口を閉ざす。
見ているこっちが驚くくらいの従順な態度だった。
「ボクが好きでしたことです。……どうぞ、ロナ嬢。おかけください」
「はぁ、どうも。失礼します」
小さな王子殿下に勧められて、私はテーブルを挟んで向かい合ったソファに腰を下ろした。
隣の座面にそっとタヌキを座らせる。
女軍人の眉がかすかに引きつるのが分かった。
『殿下にご挨拶するのにペット同伴とは無礼でありましょう』などと文句を言いたいのをぐっとこらえている感じだ。
(連れてくるんじゃなかったかしら……?)
と思いながら、私はちらりと王子様の方に目を向けた。
「……あの、そちらはお供の方ですか?」
「ボクの警護についてくれている者です。ベリル。ご挨拶を」
「はっ、失礼しました! 自分はベリル・スクラマクト。三等王宮衛士であります」
仁王立ちの姿勢からきびきびとした動作で女軍人は立礼をしてきた。
「王宮衛士?」
<<何? そんなにすごい仕事なのか?>>
これには驚いた。
世事にうとい私でも、王宮衛士といえば国王もしくは王族を直接警護する役目なことくらい知っている。
【ダイヤモンド・ホープ】原作でも何人かその肩書を持っているキャラクターが登場していたはずだ。
パレードや式典でも正装で常に国王の周囲に付き従うから、優秀な兵士の中から選抜される近衛兵たちの中でもさらに花形の部署と言っていい。
「えっと、椅子におかけになられたら?」
「自分は殿下と同席する立場にはありません。このままで結構です」
「じゃ、じゃあ、せめてお茶をどうぞ」
「自分は任務中であります。どうぞお気遣いなく」
ぴしゃりと会話を打ち切ると、ベリルと名乗った衛士は唇を固く結んで押し黙った。
うーむ。取りつくシマもないとはこのことか。
ドレスの下で嫌な汗が背中を伝っていくのが分かる。
「……ボクはいただきます」
いたたまれない空気を察したのか、小さな殿下はティーカップに手を伸ばした。
取っ手をつまんで持ち上げると、顎を上げることなく全く無音のままで琥珀色の液体を飲み下す。
流石というべきか、マナーの教科書を見ているような堂に入った作法だった。
彼よりも上手に飲む自信がなかったので、私は自分の分のお茶には手をつけられなかった。
「ベリル。ちょっとの間、ロナ嬢と二人で話させてもらえますか?」
一呼吸置いてから、王子は上目遣いに警護官の方を見上げて言った。
「はっ。では殿下。自分は部屋の前に控えております」
大型の猫科の動物のように俊敏な動きで敬礼する。
そのまま大股に部屋を横切って、ベリル警護官はドアから出て行った。
「………はぁ」
ドアが閉まるのを確認してから、思わず行儀悪く背もたれに体重を預けてしまう。
お見合いの時よりよほど緊張する。
「なんていうか……迫力のある人ね」
「ごめんなさい。今日は機嫌が悪いみたいなんです。普段はあんな風に人を威圧したりしないんですけど」
「機嫌が悪い?」
「昼間ボクが勝手に抜け出してお祭りに行ったのと、パーティーに出席する約束をしてきたのが気に入らないみたいで」
ティーカップをソーサーに戻した男の子は、少し気まずそうに眉をへの字に曲げた。
この子にもいろいろ事情があるらしい。
王子様というからには何もかも自分の意を通せるのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、そういう訳ではないようだ。
「――――――ッ!」
そこで私ははっとなった。
ついつい昼間と同じつもりで気安い口を聞いてしまったが、目の前にいるのはれっきとした一国の王族だ。
「し、失礼しました、親王殿下! 昼間は知らなかったとはいえ気安い口を……」
あたふたとする私の困惑を察したのか、王子様はおずおずと口を開いた。
「ごめんなさい、驚きましたよね?」
「ええ、それは、まぁ……」
綿あめをおごってあげた男の子が王子様だと分かったら誰だってびっくりするだろう。
「黙ってたボクが悪いんです。隠すつもりはなかったんですけど、自分から言ったら逆に気をつかわせるかと思って」
幼い見た目の割には随分気を回す子だ、と私は思った。
王族の普段の生活がどんなものか知らないが、実は常に周りの人間の顔をうかがって過ごさないといけないくらい厳しいしつけをされているのかもしれない。
……そう考えると相手の事情も聴かずに招待状を渡したことが、急にひとりよがりで自分勝手なことに思えてきた。
「もしかして、誕生パーティーに招待したりして迷惑でしたか?」
「いえ、全然! 迷惑だなんてことは!」
小さな殿下は慌てて手を振って打ち消してきた。
「嬉しかったのは本当です。ボク、誕生パーティーに呼ばれるなんて初めてなので」
「初めて?」
「知り合いはいても、みんな遠慮してなかなか誘ってくれないんです」
そう言って少し寂しそうにする顔は、私には年相応のただの男の子にしか見えなかった。
親王だの、殿下だの、先の皇太子の息子だの。
男の子について回るご立派な肩書と、実際相対して受ける印象との間に大きな隔たりを感じて、私は弱ってしまう。
一体どんな態度を取ればいいのだろう。
「だから今日はすっごく楽しみなんです!」
「そ、そうなの? 違った、そうなのですか?」
「はい! みんなで誕生日の歌を歌ったり、プレゼントを渡したりするんですよね!?」
「……」
「急なことだったので気の利いたものは用意できなかったんですけど……。いちおう用意してきました! きっと喜んでもらえると思います!」
両目を輝かせながら、王子様はプレゼントが入っているのであろうラッピングされた小箱を取り出してみせた。
「…………」
初めて呼ばれた誕生パーティーにはしゃぐその純真さがいたたまれなくなってきた。
行き遅れの娘のために父親が開催した、ただれた婚活パーティーだと知ったらどんな顔をするだろう。
「あの、ちょっと良い? ……あ、失礼しました。少しよろしいでしょうか、親王殿下?」
うっかり馴れ馴れしい口を聞きそうになってしまうのを、慌てて訂正する。
するとプレゼントを両手で持った少年は、少し悲しそうな顔をした。
「その、親王殿下ってやめてもらえますか?」
「はい?」
「話をするときは昼間みたいにしていただけると助かります」
「えっと、どういうこと?」
「その、ボク、そういう喋られ方をするのって慣れてなくて苦手で……。普段は『親王殿下』なんて呼ばないんです、みんな」
照れているのか、困っているのか、少年のすべすべした頬に赤みがさした。
その様子を見ていると、キュンと胸の奥でうずくものがあった。
母性というか、庇護欲というか、とにかく心のひだの弱い部分をくすぐられてしまう。
望みを叶えてやりたい気持ちが急に強くなってきて、ちょっと勇気が必要だったが口調を改めることにしてみた。
「それではなんと呼べばよろしいので……違った。なんて呼べばいいの?」
「『マダマ』と呼んでください。家族はそう呼びます」
改めて聞かされると珍しい響きの名前だった。
【ダイヤモンド・ホープ】の文化圏ではなかなか聞かない音の並びだ。
「えーとじゃあ、マダマ殿下?」
「殿下もちょっと……」
「マダマ王子?」
「なんだか堅苦しいです」
「じゃあ……マダマさま?」
「それなら何とか」
奇妙な妥協が成立して、私たちは何度かうなずきあった。
「あのねマダマさま。多分想像してるような誕生パーティーとはちょっと違うわよ?」
「えっ」
「今日は私の婚活パーティーなの」
「婚活パーティー?」
王子様は小首をかしげた。
「マダマさまっておいくつ?」
「今年で12歳です」
初心な12歳にこんなことの説明をするのは気が重いのだが、やむをえず続ける。
「じゃあまだ分からないかもしれないけど……この世界って結婚年齢には妙に厳しいのよ。私くらいの年になると行き遅れって言われるくらいに」
「えっと、どういうことです?」
「つまり結婚適齢期としてはギリギリなの。私は。今日で二十歳だから」
「えぇ? まだ全然お若いと思いますけど」
「ねー。私もそう思うんだけどね」
話がそれた。
「ともかく、この誕生パーティーは結婚相手を探すために父親が開いたの。ここまでは分かった?」
「はぁ」
「だから今来てる客の中で、私の誕生日を素直に祝ってくれるのはあなただけなの。親父に半ば無理矢理呼ばれてイヤイヤ来てる男ばっかりだから当然誕生パーティーらしいこともなし」
自分で言ってて悲しくなるが事実だ。
「じゃあプレゼント交換は?」
「ないわ」
「みんなでバースデーソングを歌うのは?」
「しません」
「……年と同じ数のロウソクをケーキに並べて火をつけて、吹き消すのはやりますよね!?」
「ないないありません」
みるみるマダマさまの顔が凍り付いていった。
男の子のささやかな期待を打ち砕くのは胸が痛んだ。
続きは夜8時ごろ追加します。