2_3 綿あめの少年
ずい、と出店の前に進み出る。
「ねえ、この子の分は私が払うわ。もちろん銅貨で」
「よろしいんで?」
「見捨てるのもかわいそうだもの。おいくら?」
「へい、毎度! おひとつ4ディナールです」
差し出された分厚い手のひらの上に銅貨を四枚置いた。
店主のおじさんは猛烈な勢いで重そうなハンドルを片手で回しながら、鉄鍋の中に溶けて舞うアメをくるくると棒でかき集め始めた。
なるほどマッチョで器用でなければできない名人芸である。
「お待ち!」
「ありがと」
受け取った綿菓子をずいと女の子の方に差し出す。
「はい、どうぞ」
「……」
「? どったの?」
が、受け取ろうとしない。
「それは貴女のものです!」
「え?」
「ほ、施しは受けません! 恵んでもらうくらいなら我慢します!」
口では立派なことを言いながらも視線は綿菓子に釘付けだった。
虚勢を張っているのが丸分かりだ。
「ちょっとちょっと。じゃあこの綿菓子どうすんのよ」
「貴女がどうぞお召し上がりください。ぼ、ボクは人の買い物をうらやんだりはしません」
「弱ったわね」
どうやら私のしたことは子供なりのプライドを傷つける行為だったらしい。
しかしこのままではただの無駄で嫌味な買い物である。
うまい落としどころを見つけなくては。
「分かったわよ。そこまで言うなら……」
思い切り綿菓子をかじりつく。
人前で若い女が大口を開けてものを食べるのは見たことがないらしく、女の子は思わず目を丸くした。
そんなことはかまわずむしゃむしゃと咀嚼する。
うーむ。子供の頃は喜んで食べていたはずなのだが、今味わってみると触感が面白いだけだ。
ただただ熱した砂糖の味しかしない。
「はい」
「えっ」
一口だけかじってから綿あめを再び差し出す。
「今ダイエット中で全部食べ切れないの。でも捨てるのももったいないでしょ? 残りを片づけてくれない?」
私の申し出に女の子は目をぱちくりとさせたが、結局は甘いものへの欲求に抵抗できなかったようだ。
おずおずと綿あめを受け取ると、猛烈な勢いでかじりついた。
「あ、ダメダメ。そんなに勢いつけたら……」
注意は遅すぎた。
食べることに夢中になって顔ごと綿菓子に埋めてしまった女の子の肌と髪に、溶けた砂糖菓子はべっとりと貼り付いていた。
「――――――ッ!」
凶悪な増殖する人食い粘菌が顔に貼りついたかのように、女の子はぶんぶんと顔を振って綿菓子を振りほどいた。
「プハッ!?」
「慌てるからよ」
「思ってたのと違います! もっとフワフワで……フカフカに見えたのに!」
「バカねぇ」
前髪に貼りついた糸状の綿菓子を取ってやりながら、ついくすくす笑ってしまう。
「でも、すごくおいしいです! ……あ、ありがとうございます!」
「そりゃよかった。ほら、こっちおいで。座って取ってあげるわ」
屋台の列の中央に開けたスペース、食事兼休憩用のベンチに連れていく。
隣に腰かけると、顔中に貼りついたべとべとした砂糖菓子を指で取ってやった。
うらやましいくらいに柔らかく、透き通るような銀色の髪の毛をしている。
少女漫画の舞台であるこの世界でもなかなか見ない髪の色だった。
「あなたの髪すごく綺麗ね」
「え? あ、ありがとうございます」
綿菓子を持っていない方の手で自分も頬や口回りについた汚れを拭っていた女の子は、指先についていた溶けた砂糖の欠片すら物惜し気に見ていた。
よほど甘味に飢えていたらしい。
「そんなに食べたかったの? 綿菓子なんてお祭りならどこでも売ってるじゃない?」
「え? おととしの王国博覧会で初めて出品されたって聞きましたけど……。さっきの屋台の店主さんがそれで大賞取ったって」
「あ、そうね。そうだったわね」
おっといけない。
そういえばここは少女漫画原作のファンタジー世界だった。
21世紀の日本のように電動の器具がおもちゃ感覚で普通に買えて、その辺のバイキングで誰でも自作できるのとは訳が違うのだ。
「でも金貨握りしめてこっそり買いにこなくたって。お付きの人に頼んで買ってきてもらえば良かったんじゃないの?」
棒に残った分まで舐めとるようにして食べ終わった女の子は、少し悲しそうな顔をした。
「頼んだらダメだって言われました。それでこっそり抜け出してきたんです」
「あら、厳しいのね」
「おう……じゃなくって、『貴族の男子が甘いものを買って食べるなんてけしからん』なんて言うんですよ」
「え?」
「前時代的です!」
「そうだったの?」
「『そうだったの?』って……。貴女もその意見に賛成なんですか?」
「そっちじゃなくて。あなた男の子だったの?」
「……」
言われてみれば確かにスカートではなくパンツスタイルだし、首筋までかかる髪も貴族の娘にしては短すぎる。
つまりは女の子と見間違えてしまうほどかわいらしい美少年という訳だった。
「あはは……ごめんごめん」
思わず口にしてしまった私の勘違いに、男の子はじろりとこちらを見上げてきたが何も言いはしなかった。
「そ、そうだ。このお礼は必ずしますから」
「お金なんか良いのよ。食べかけなんだし」
「そういう訳にはいきません! 受けた恩には必ず報いるのが我が家のしきたりです!」
かわいらしい見た目とは裏腹に、随分と意識の高いお子さんだこと。
「何かボクにできるお礼があれば言ってください」
「お礼って言われてもね……」
別に見返りを求めてしたことではないし、この子に何かしてもらおうとも思わないのだが。
「あ、そうだ」
ぱっと、気の利いたアイディアが頭にひらめいた。
「今日、私の誕生日なの」
「え、そうですか。おめでとうございます」
「それでね。親が無理矢理開く舞踏会に出なきゃならないんだけど、まあはっきり言って集まるのは退屈な人ばっかりなのよね」
「はぁ」
手帳を開いて、さらさらと屋敷の住所と名前を書き込んでからそのページを破いた。
「話相手が欲しいの。いらしてくださる?」
『レセディ=ラ・ロナ』と署名の入った即席の招待状を差し出す。
男の子は目を丸くした。
が、何か彼の心の中の矜持に響くものがあったのだろう。
ベンチから立ち上がると、背筋をピンと伸ばして紙片を受け取った。
「お、お招きにあずかります!」
上ずった声に思わず微笑んでしまう。
親が必死にかき集めた招待客に混じって作り笑顔を浮かべて地蔵となっているよりは、この子に付き合うことの方がずっとマシに思えた。
「よろしくね。アイスクリームもサイダーもケーキもたくさん用意させとくわ」
私が甘味の名前を上げるたびに男の子は目を輝かせたが、ふと思い出したようにうなずいた。
「代金もその時お返ししますから!」
「だからそっちは良いって」
その時、行き交う人波の並んだ頭の向こうで、何やら背の高い帽子が動くのが見えた。
(随分背が高い人だな)
となんとなしに思っていたら、屋台を一軒一軒回って何事か尋ねている様子だ。
「失敬! この辺りで男の子を見ませんでしたか!? 銀色の髪の毛で、きゃしゃで、背の低い……」
良く通る声まで聞こえてくる。意外なことに甲高い女性のものだった。
軽く驚いていると、隣でびくりと少年が肩を震わせるのが分かった。
(あらら)
なんとなく事情が察せられた。
彼女こそが少年が口にしていた厳しいお付きの人なのだろう。どうやらお迎えが来てしまったらしい。
「あの、ボク、もう行かなくちゃいけないみたいです」
「はいはい。ちゃんと家の人には謝っとくのよ」
「そうします。 ……あの、約束は守りますから! パーティーには必ず出席します!」
ひらひらと手を振ってやると、何度もぺこぺこと頭を下げながら少年は人混みの中に消えていった。
「あ、いっけない」
大事なことを忘れていた。
「……名前聞いてなかったわ」
また遅れてしまいました、申し訳ありません。
次回は明日朝8時ごろ追加します。