2_2 かしこいお金の使い方
侍女も馬車も振り切って、お祭りにの中で一人歩く。
「あー……。みんな何がそんなに幸せなんだろう」
しばらく歩いたところで、私は自分の失敗に気付いた。
祝祭でにぎわう空気を感じれば少しでも気がまぎれるかと思ったのだが、道行く人はみんな心から祭りを楽しんでいる。
困難から逃げてきた私はとてもそんな気にはなれなかった。
「折角大好きな漫画の世界に生まれてこれたのに、こうもしがらみばっかじゃね」
今夜の婚活パーティーで成果が上げられなければ、いよいよ修道院に入れられる可能性が濃厚になってくる。
私が元いた日本とは違って、この世界では男権主義の家長制度がごく当たり前だ。
娘の人生がどうなるかは父親にかかっていると言っても決して言い過ぎではない。
その父親の意向を無視して修道院入りを拒んだとなれば、これはもう反社会的な行為とみなされても仕方ないほどのルール違反である。
「そうなったらいよいよ国外逃亡しかないかもね……」
最悪の場合はため込んだ私財を持ってタヌキと逃げ出すことになるが、それは本当に最後の手段だ。
私だって人でなしではない。
あんなでも20年間顔を合わせてきた両親だ。最低限の情はある。
娘に家出なんてされたら面目丸つぶれでもうまともに世間に顔向けできなくなるではないか。
「でも冴えない男と無理矢理結婚するってのも気が重いわ……。ああ、憂鬱……」
とりあえず適当な男と結婚して、数年間かけてわざと夫婦関係を冷却化させてから上手いこと別居を認めさせ、その後は一人で好きなようにする。
これが私が自由にこの世界を生きるために脳内に描いた一番無難なプランだ。
気の毒な夫は『嫁に逃げられた』と笑いものにされることになるが、ずっと家に閉じ込められて上流階級の妻としての仕事と子育てに追われるだなんて冗談ではない。
「私がしたいようにしたら、結局誰かが不幸になるのかしら」
自由を望む自分が悪いとは思わないが、少し気が滅入りそうになった。
でも悪役令嬢に生まれ付いたのは私の責任じゃないし、少女漫画の悪役としての破滅を回避したのだって結局は父親やトパースたちのためにもなったはずだ。
今までしてきたことは間違いではなかった。
それは疑っていない。
自分の人生の山場のイベントだと思っていたら、クリア後に更なるハードモードの追加シナリオが待っていたというだけで。
「はぁ……」
ため息をついたとき、いつの間にか通りで一際にぎわう広場までとぼとぼと歩いてきたことに気付いた。
周りは食べ物や遊戯の屋台が所狭しと立ち並んでいる。
お祭りの集まるメイン会場の一つ、といったところだろうか。
「そういえばこういう屋台とか出店って久しぶりね」
日本の普通家庭の女子としてはそれなりに祭りや縁日には連れていってもらったが、悪役令嬢として転生してからは腐っても伯爵家の娘。
こんな庶民の娯楽に小銭を持って駆け回ることなぞ許されるはずもなかった。
(この世界の縁日ってどんなものかしら……?)
呑気に遊ぶ気にはなれないが、少し興味がわいた。
ちょっと見て回ることにする。
「ふーん……。なかなかいい雰囲気じゃない」
売りものにしている商品は私が知っているものたちとは比較にならないほど素朴だが、客の興味を引こうと工夫をしているのは分かる。
射的やら輪投げやらの的の形を面白おかしくしたり。
食事でもデコレーションや素材を突飛なものにしたり、手を変え品を変えといった具合だ。
一軒一軒ぶらぶらと覗いていると。
「お客さん、それじゃ売れませんぜ!」
野太い男の声が聞こえてくる。
呆れ半分怒り半分といった、いかにももめごとの種といった響きだ。
「ううん?」
気分に水を差されて、思わずそっちに向き直った。
屋台の一つ、綿菓子を売っている出店の方だ。
体格の良いおじさんが眉をハの字に曲げていた。
「そんな! このお金は国営銀行から下ろしてきたんですよ、ニセ金だってお疑いですか?」
「本物だから困るんでさ!」
どうやら支払いのトラブルらしい。
屋台のおじさんの反対側には、所在なさげに硬貨を握った小柄な女の子が縮こまっていた。
地味なデザインの上着を華奢な肩にひっかけているが、着ているものの質は悪くない。
良く通る高い声といい、上流階級の良いところのお子さんのようだ。
(それにしては屋台で一人で買い物だなんて妙ね……)
買い物なら普通は従者がついているし、そもそもハイソサイエティの人間は庶民に混じって縁日で遊んだりしないのがこの国では常識だ。
気になって近づいてみる。
「うちじゃとてもそんな高い額のコインは崩せねえんです!」
「そ、そうなんですか!?」
「綿菓子が食べたいなら、おうちの人を呼んできて払ってもらってくだせえ」
「! ……それはできません!」
「弱ったなぁ……」
屋台は綿菓子屋だった。
もちろん日本で見たような電気式の自動回転の綿あめ製造機などはこの世界には存在しないから、炭火で砂糖を溶かして手回し式だ。
旋盤のようにハンドルでぐるぐる回しながら細く浮かぶ飴を手早く棒にからめて綿状にして売り出す方式である。
必然体力と技術に長けた体格の良い男性の仕事となるわけだ。
<<電熱器具が発明されてないのに綿あめを売るなんておかしいだろ!>>
ここにタヌキがいたらそんな余計な口を挟むかもしれないが、ここは少女漫画の世界である。理屈なんて知ったこっちゃない。
(どうしようかしら……)
どうして良いか分からずにもじもじとしている女の子を見て、私は迷った。
正直自分からトラブルに手を出すほど気持ちの余裕は持ち合わせてはいないが、見て見ぬふりをするのもかわいそうな気がする。
「……ま、いっか」
自分が追い詰められかけていても、人を手助けしなくて良いというのは狭量な考え方だろう。
助け船を出してやることにする。
「ちょっと良いかしら」
いきなり声をかけられて、女の子は面喰ったようだったが無視して続けた。
「そのお金見せてくれる? 安心なさい、盗んだりなんかしないから」
「……?」
ちょっと迷ってから、女の子は手の中のコインを差し出してきた。
思わずぎょっとする。
それはこの国で流通する中では最高額の貨幣だったからだ。
金色の輝きを放つ表面に刻まれた額面は、日雇い労働者の一か月の稼ぎに匹敵する。
(あー、やらかしたか……)
なんとなく合点が要った。
余計なおせっかいだが、後学のために教えてやることにする。
「10万ディナール金貨? こんなところで使える訳ないでしょ?」
「そうなんですか? 知りませんでした……」
「そもそもこんなところで金貨なんか見せるんじゃないわよ。どこにスリやひったくりがいるか分かったもんじゃないわよ」
金貨を戻して、女の子の手の中に握らせる。
ぽんと肩を叩いてすぐに大事にしまうようにうながした。
「あなた貴族の子?」
「……ええ、まあ、そんなところです」
「随分世間知らずね。出入りの商人相手ならともかく、市場で買い物するなら銅貨かせめて銀貨を使いなさい」
市井の商店では『防犯上の理由』とか『おつりが出せない』とかいろいろ理由をつけては高額貨幣を嫌がる。
実のところ偽物をつかませられた時大損をするのを避けたいというのが正直なところだ。
この王国の鋳造技術は残念ながら、ニセ金を駆逐するには到底程遠いレベルなのである。
私の忠告に、女の子は悲しそうな視線を返してきた。
「……これしか持っていません」
はぁ、とため息をついた。
そこまでする義理はないが、もう乗りかかった船だ。仕方あるまい。
「なら私がおごったげるわよ」
次回は夜八時ごろ追加します。