2_4 「うちのものはうちのものよ!」
子供たちが犬を連れて帰ってから、私はタヌタヌを連れて出かけることにした。
行先は教会だ。
アメシス神父様に会って協力をあおぐ必要があると思ったからだ。
彼は一年間ここで神父をやっていて私よりもこの土地に詳しいはずだし、農地を広げたり寒さに強い野菜を植えるよう指導したり実績もある。
何か地元産業発展のためのアイディアをいくつか温めているかもしれなかった。
<<でもそんなアイディアがあるんなら、神父がとっくに始めてるんじゃね?>>
「あなたはまたそうやって、水を差すようなことばっかり言う!」
とは言いつつ彼の言うことにも一理ある。
馬車に揺られながら、何か突飛なアイディアが出ないものかと頭をひねってみる。
「開き直ってオズエンデンド刑務所を名物にするのはどうかしら?」
<<まあ知名度はあるだろうな。悪い意味で>>
何せ世間じゃオズエンデンドといえば刑務所の代名詞である。
認知度の高さを生かすというのはコマーシャリズムの基本ではないか。
「例えば旅行客を呼び込むのに、サファリツアーならぬ囚人見物ツアーを企画するとか!」
<<ひでえ人権無視の見世物だ>>
「あとはオズエンデンド刑務所まんじゅうとか、オズエンデンド刑務所せんべいとか、とにかく売れるものよ!」
<<……それってさあ、作ったとしても刑務所が取るべき利益なんじゃね?>>
「だまりなさい。領地のものはうちのもの! うちのものはうちのものよ!」
<<たけしイズムは争いしか生まないぞ>>
などと言い合っているうちに教会についた。
そういえばこの教会もこの土地が開かれてからずっと残っている建物である。
なんとか観光名所になったりはしないだろうか。
建物自体はこじんまりとしてはいるがしっかりした教会なのだし。
風雪にさらされてぼろぼろと剥離した外壁や、雨洩り対策に木の板があてがわれた屋根も考えようだ。
古びた趣というか、わびさびというか、そんな雰囲気を感じさせないでもないではないか。
「例えばこう何かインチキで、教会で奇跡を捏造してさあ」
<<うん?>>
「『巡礼するとご利益がある』とかやって人集めできないかしら?」
<<やめとこうぜ。神様をカタると後が怖い>>
相変わらずがらんとした教会の中へ向かって声をかける。
「神父様、いらっしゃいます?」
返事はない。
礼拝堂の壁とステンドグラスに私の声が跳ね返るだけだ。
「神父様?」
「ああ、失礼しました。レセディ嬢。 ご機嫌よう」
おっと。
教会の外から、何やら木箱を担いで神父様が近づいてきた。
どうやら出かけていたらしい。
「ご機嫌よう。失礼しました、何かお仕事をされてたの?
「ええ、監獄から荷物を運んできました」
「荷物?」
「例の、一昨日突然亡くなった囚人の私物です」
神父様の声が一段暗くなった。
「そんな片づけまで神父様がされるの?」
「独房は他の囚人を入れるのに開けなければなりませんから。荷物は捨ててしまうんです。しのびなくて私が預かってきました」
神父様は木箱の紐がかかった肩をすくめてみせた。
「といって大したものはありませんが……」
木箱を床に下ろした神父様が、フタを開けて中を見せてくれた。
古着やら生活道具やら、日常生活に使うものばかりだった。
「でも送り先が分からないんです。逮捕されて収監される前から、ずっと住所不定だったようで」
「ご家族の方は?」
神父様は諦めにうなだれながら首を振った。
「一応何か縁のある方が来られた時のために、教会にしばらくは置いておきますが……。いつか処分しなければならないでしょう」
やるせなさに少し眉間をひきつらせたアメシス神父は、孤独な死者のために目をつむった。
「ご本人の葬儀は明日行います。村人に手を借りて墓を掘らなければなりませんから」
埋葬費用などは誰が出すのだろうか、と疑問に思ったが口に出すのはやめた。
そういう問題ではないことくらい流石に私にも分かる。
「これ本当は言っちゃダメかもしれないんですけれど」
「何か?」
「ご親族が誰も出席しない葬儀って、やる方もものすごく辛いんです……」
そうだろうなあ。
私は心から神父に同情した。
「それに職業柄仕方ありませんが、こういうものを確認すると亡くなった方の心の中をのぞいてしまうようで辛いです」
「ノート?」
「ご覧になりますか? いえ、猟奇的なものではありませんからご安心を」
神父は木箱の中から数冊のノートを引っ張り出した。
奥歯にものが挟まったような言い方が気になって、ついつい渡されるまま手に取ってしまう。
「うわぁ……」
思わず声が出た。
ノートにびっしりと描かれていたのは、精細なスケッチだった。
少女の顔ばかりが繊細なタッチと深い陰影で紙面の端から端まで描かれている。
あらゆる角度から、さまざまな表情で。
モチーフになったのは、何人か少女たちのようだ。
ノートに描いたスケッチと呼ぶのがはばかられる出来栄えである。
有名な画家が大作を仕上げるために描いた習作と言っても通用しそうな見事なものだった。
「すごい……」
「絵心のある囚人だったようで……。木炭を手に入れて、差し入れのノートに書いていたようです。こんなものがあと十何冊もあります」
どこにも才能のある人間というのはいるものだ、と私は改めて思った。
どうしてこんな技術の持ち主が刑務所の中で一人孤独に死ぬことになったのだろう。
「あの人、何をして刑務所に入ったの?」
「連続傷害事件です」
「傷害事件?」
「ええ。なんでも少女4人を顔を次々とナイフで切りつけたとか」
息を飲んだ。
そこでようやく私は、ノートに描かれているのが幾人かの少女たちであることに気付いた。
確証はないが、確信はあった。
彼女たちはみんな、死んだ囚人が起こした傷害事件の被害者たちなのだ。
だが現実の顔と心に一生残る深手を抱えた被害者たちとは違い、ノートの顔たちは無傷のままだった。
同じ少女の特徴を持った顔でも、ページをめくると微妙に目鼻立ちや輪郭の特徴が書き換えられている。
記憶を頼りに少しでも本物に近づけようとする、血のにじむような努力がそこには感じられた。
「…………」
体の深層からぶるっと震えが来た。
おぞましさか、感嘆の念か、どちらを覚えたのかは自分でもはっきりとしない。
このノートにキズのない少女たちの顔を描きながら、彼は何を考えていたのだろう。
罪の意識にかられて、懺悔のために自分が傷つけた少女の面影を必死に再現しようとしたのか。
それとも手にかけた獲物への、犯罪者独特の妄執だろうか。
真相はもう誰にも分からなくなってしまった。
私が彼について知っていることは一つ。
死ぬ間際に必死に訴えて、次々と囚人が死んでいく監獄から他に移りたいと言っていたことだけだ。
つまりは生きようとしていた。
「やっぱり間違ってるわよ」
ぽつりとつぶやいた。
これが罪のつぐないになるとは思わないし、被害者がこれを見てどう感じるか軽々しく決めつけることも私にはできない。
ただ。
残った刑期を独房の中で過ごすことも、このノートの続きを描き続けることも、彼は続けるべきだった。
どこにいるかはしれないが4人の被害者たちのためにも彼は続けるべきだった。
そう私は思った。
その機会はもう永遠に失われた。
故意なのか偶然なのかは分からないが、現実の残酷さの前に生命は奪われてしまった。
彼ひとりのことではない。
残り39人の受刑者たちにも、大なり小なり同じことが言えるはずだ。
「この人で最後にしましょう」
ようやく腹が座って、私はもう一つ荷物を抱えることを心に決めた。
アメシス神父が確認するように尋ねてくる。
「な、何を?」
「呪いで死ぬ人は、よ」