1_17 「おかわりも良いわ!」
翌朝。
「おー、結構集まって来てるじゃなーい?」
こっそり部屋のカーテンの隙間から開くと、領主館前には既に人だかりできているのが見えた。
公共の集会場の役割も兼ねる領主館の前は広場にもなっている。
そこにざっと200を超える数の人が既に集まって来ていた。
中には老人・主婦・子供も混じっているが、労働力として期待できそうな生産世代の男の人も思っていたよりは多そうだ。
「あれが全員わが社の社員よ! これは期待できるわ」
<<ねえアンタ、昨日から妙にはしゃいでない?>>
寝床から起き出してきたタヌキが前足で顔をかいていた。夜行性とは不便なやつめ。
「はしゃがずにいられる? 日本じゃブラック企業で使いつぶされた私が今度は経営者の側なのよ、こんな愉快なことはないわ」
<<なんか私怨を感じるなぁ……>>
ぶつくさ言ってるタヌキを連れて、領主館の玄関ホールに出た。
「れ、レセディ、もう人がたくさん……!」
正装に着替えて待っているマダマさまが、ホールでおろおろとしていた。
単純な人数だけなら我が家で催した誕生パーティーの参加者の方が多かったのだが、注目が自分ひとりに集まると思うと緊張が段違いなのだろう。
「殿下、しっかりなさってください! 王族として公爵として、どうか領民に威厳をお示しください!」
付き従うベリルが懸命に鼓舞している。
ほとんど学芸会か運動会の本番についてきた保護者状態だ。
「大丈夫、落ち着いて。具体的な話は私がするから、マダマさまは威厳を保って紹介してくれるだけで良いの」
「そ、そうですか。それならできるかも……」
マダマさまが安堵に少し肩の力を抜いたところで、オーソクレース村長がドアを開いて入ってきた。
「そろそろよろしいですか?」
「そ、そうですね。行きましょう」
「では公爵さま、どうぞ」
村長に先導されて、マダマさまがドアの向こうに出る。私たち全員もそれに続いた。
「公爵さま!」
「領主さま!」
人だかりから黄色い歓声が湧くと、少年はびくりと肩を震わせた。
「せんせーい!」
その中に鈴の音のような声が混じっているのが聞こえた。
例の学校に通う三姉妹が、人だかりの最前列からぶんぶんと手を振っていた。
見たことのない年上の女の子が更にふたりとなりにいるのは、もしかして姉たちだろうか。
「……」
マダマさまはちょっと緊張がほぐれた様子で、姉妹に向けて小さく手を振って返した。
群衆から更に歓声があがる。
「みなさん、おはようございまーす」
オーソクレース村長は、どこから用意してきたのか大きな木箱に乗って村民たちに呼びかけた。
まるで小学校の校長先生の朝礼のようだ。
ぽつりぽつりとあいさつを返す声が群衆から聞こえてくる。
「えー、お集まりいただきありがとうございます。本日は我がオズエンデンドの領主であられるマダマ=ラトナラジュ殿下から、重大なお知らせがあるとのことです」
一体何のために集められたのか不思議そうにしていた村民たちの間から驚きの声が漏れた。
それを見て取った村長は、さっと木箱を降りてマダマさまに譲った。
「さ、どうぞ」
うながされてゆっくりと檀上に上がったマダマさまは、品よく小さく一礼してから挨拶した。
「み、みなさん。おはようございます」
『おはようございます!!!!』
村長とは比較にならない声量で挨拶が返って来て、木箱の上の少年はたじろいだ。
村人たちにとってはおそらく生まれて初めて見る王族である。
それも自分たちの領主としてわざわざ僻地まで赴任してきたのだ。
実は私やマダマさま本人が思っていたよりずっと支持を受けていたらしい。
「あ、あの! 今日は皆さんの暮らしにかかわる、大事な話をするためにお呼びしました!」
熱っぽく視線を送ってくる村民たちに向けて、つっかえつっかえだがマダマさまは語り始めた。
「ここオズエンデンドは厳しい土地です。気候も土地も良くないし、家畜もたくさんは育てられません」
村民の誰もが分かり切っていることを改めて確認のために説明していくうちに、徐々にペースをつかんできたようだ。
「でも環境のせいにしていては何も変わりません。みんなで何か行動を起こして、少しでもここを良い土地にしましょう!」
群衆の中からぽつぽつと拍手が沸いた。
「……えっと。偉そうなことを言いましたが、残念ながらボクは具体的にどうすれば良いのかまだはっきりわかっていません」
思わぬ弱気な言葉に、村人たちは顔を見合わせた。
それを見て慌ててマダマさまは付け加える。
「ですから、新しいアイディアを思いついた本人に説明してもらうことにします! ボクのその……大切な友人! レセディ・ラ=ロナ嬢です!」
最後は何故か変なところで口ごもったが、人だかりの端まで良く通る声でマダマさまは演説を終えた。
初めてにしては頑張った方だろう。
耳の先を赤くしながら木の箱を降りる少年に、再び村民たちから拍手が送られる。
「ご立派よ」
笑顔で迎えると、はにかみ顔が返ってきた。
その横でオーソクレース村長がささっと進み出る。
さて、いよいよ私の出番だ。
「公爵さま、ありがとうございました。次は、公爵さまよりご紹介がありましたレセディ・ラ=ロナ嬢のお話です」
村人の中で物珍しそうな顔と、訳知り顔が3対1くらいの比率になった。
ここに来てひと月あまりだが、私のことを知らない村民はまだまだ結構いたようだ。
「あのですね、レセディ嬢は公爵様とその……」
村長は少し言葉に詰まった。
「仲良しだそうです!」
他に言いようがあるだろ……。
思わず木の箱で足を滑らせそうになったが、ここでつまずくわけにはいかない。
なんとか檀上に立ち上がると、トパースに持ってもらっていた秘密兵器を受け取る。
逆三角形をした大きな筒状の物珍しい道具に、村民たちは不思議そうな声を上げた。
なんとなく誇らしくなって、芝居がかった動作で口の前までかかげてしまう。
「皆さん、ご機嫌よう!」
声は聴衆の思った以上のトーンで響いた。
トパースに頼んでフェルトと紐で作ってもらった即製演説用のメガホンだ。
両手で支えないといけないのが不便だが、これでも割とよく遠くまで声が通るのである。
「良く聞いて! これからオズエンデンド領地全体で取り組むべき新事業を発表するわ!」
「事業?」
「私たちは会社を設立します! つまりはオズエンデンド全体でひとつになって商売をするんです!」
聴衆はざわめいた。
「商売なんて一度もしたことないべ!」
「畑はどうするんだ!?」
「食い物が作れなくなっちまう!」
悲痛な声は想定の範囲内だ。余裕を持って答える。
「直接売る必要はありません! もう販売ルートを持ってるギルドに委託した方がはるかに効率が良いわ。 みんなは商品を作ってくれるだけで良いの!」
「食いものはどうするんだ? 冬が越せなくなる!」
「考えてあるわ。商品を売って稼いだお金で、もっと暖かい南部平原地方で獲れた穀物をまとめて購入します!」
「購入?」
「そうすれば皆余裕を持って冬を越せるし、余った土地で飼料を作れるから家畜を処分しなくても良いわ。つまり単純に財産が増えるの!」
群衆の間で、不安そうに議論が広がった。
「食い物を買う?」
「そんなことできるのか? 家畜を殖やせるのは良いけんども」
「運ぶ途中で腐っちまうんじゃねえのか?」
「穀物なら大丈夫だべ。でも南部の麦なんか、オラ産まれて一度も食ったことねえな……」
初めて聞く発想が心配なようだ。
無理もない。
あまりにも流通が未発達なこの世界では都市部でもない限り、食糧は自分で作るものというのがごく当たり前の考えなのである。
高速道路の血管をトラックという血液が駆け巡っている交通事情に恵まれた現代世界とは違って、馬車で細々と運ぶこの世界では長距離輸送の方がコストがかかって仕方がないのだ。
こんな北の果ての僻地では尚更だろう。
(現地で安く買って、もっと価格の高い場所で売るっていう考えすらないでしょうね……)
口に入るものの半分が外国産の現代日本の発想でついつい考えてしまうが、私の方がこの世界でははるかに異端なのだ。
「オズエンデンドには港はないけれど、近くの領邦には大型船も入れる港がある場所もあるわ。 そこから陸路で馬車で一日ちょっとと考えれば、まとめて買えば十分な穀物が手に入ります!」
「本当け?」
「本当よ、計算したもの。だいたい村全体でひと冬に食べる麦が、大目に見繕って45トンくらいでしょ」
「まあそんなもんだべ」
「これ王都の新聞だけど、今の市場の小麦相場がどれくらいか知ってる?」
かたわらのベリルに、手に入る中で最新の王都の新聞の経済面をかかげてもらう。といっても日付は一週間前だが。
「だいたい1キロあたり2ディナールが相場なの」
「それって安いのけ?」
「安いわよ。9万ディナールあれば村民全員が冬に食べる分全部の量が買えちゃうんだから。あ、輸送費は別ね」
どよめきが起きた。
1ディナールが100円として現代日本の感覚で換算すると、900万円で冬の間は村民全員が腹いっぱい食べられるのだ。
負担を一人当たりで割ると18,000円ということになる。
「今がちょうど収穫期で、もう少しすれば今年獲れた麦が大量に出回るわ!」
「つまり?
「もっと価格は安くなるの! その安い時に大量に購入しておけばたくさん蓄えが作れるわ! 今がチャンスなのよ!」
「そ、そうなのか?」
「しかも働きに応じてお給料を払うわ! そのお金で自分で商売を始めるもよし、好きなものを買うのよし! いいことづくめでしょ!?」
ここが肝心だ。一挙に熱弁を振るう。
『…………』
……が、村人たちからの反応がイマイチ薄い。
(あ、あれ……?)
肩透かしを食らった気分だ。
何事かと耳を傾けてみると、ひそひそと小声で何やら話し合っているようだ。
「聞いていると理屈は正しそうなんだけんども」
「……カイシャってのが正直良く分からん」
「村民全員で一つの仕事したことなんかあるか?」
「そもそもどうやって金を稼ぐんだ?」
やはり目新し過ぎて不安を覚えてしまうようだ。
ここはひとつひとつ疑問を解きほぐしていくしかあるまい。
「し、質問があるなら大きな声でお願い! 誰か代表して聞きたい人はいる!?」
村人たちが一斉に手を挙げた。
その中で、人だかりの先頭にいる少女たちが目についた。
マダマさまの教え子三人と、その姉らしい二人だ。
「じゃあそこのお嬢ちゃん……名前なんだっけ?」
「『クォーツ』です」
マダマさまに小声で尋ねる。耳打ちが返ってきた。
「はい、クォーツちゃん!」
メガホンで指した瞬間。
「「「「「●×△■!”#$%&’()=!!」」」」」
「ちょ、落ちついて! 一人ずつ喋って!」
姉妹たちは5人全員が全く同じタイミングで喋り出し、一つのノイズを作り出した。
打ち合わせたように完璧なタイミングである。
音が混ざって全く聞き取れない。
「どういうこと!?」
「それが、五人姉妹でみんな名前が『クォーツ』なんです……」
自分だって困っているのだ、と言いたげにマダマさまは答えた。
「はあ!? 名字じゃなくて!?」
「この村の人はほとんど名字持ってません……」
「どうやって互いを呼び分けてるの、あの家族は!」
「分かりません……」
娘全員に同じネーミングをするとはなんとも恐ろしい習慣だ。
持ち物の管理なんかどうしているのだろう?
疑問点はいくつもあるが、とりあえず話を前に進めなくては。
「えーと、改めてそこのクォーツちゃん×5。質問は順番にして。じゃあそうね、年齢順にお姉さんの方から一人ずつね」
控えめそうな目つきで、長く髪を伸ばした長女らしいクォーツA(仮称)が、おそるおそる手を挙げた。
「村民全員がその、なんでしたっけ? カイシャで働いてお金をもらうんですか?」
「可能な限りみんなでね! 一緒に豊かになりましょう!」
次は賢そうな鋭い目つきのクォーツB(仮称)の番だ。
「私たちも働くんですか?」
「なるべく未成年には学校に通ってもらいたいと思ってます!」
学校に妹たちを連れてきている、おさげ髪を頭の後ろから伸ばしたクォーツC(仮称)が慌てたように聞いてくる。
「お、お姉さんと先生ってどういう関係なんですか?」
「無関係な質問には答えられません!」
諦めずに小麦色の肌をした快活そうなクォーツD(仮称)が食い下がってくる。
「恋人ですか、夫婦ですか!? チューはもうしましたか!」
「はい次の人!」
メガホンで差された末っ子のクォーツE(仮称)は、ぽやーっとした目つきで尋ねた。
「カイシャってつよい?」
「――――――強い強い、超強いわ! 装甲は超耐熱合金NT1と人工ダイヤモンドミラーコーティング主砲は10万ボルト殺獣メーサー光線しかも艦首には次元波動爆縮放射器までついてるわよ!」
後半はもうヤケクソである。
「……いまいち良く分からねえな」
「金もらってもどうやって使う? どこでモノ買うんだべ?」
「でも次元波動爆縮放射器って意味は良く分からんがとにかく強そうだぞ?」
駄目だ、これでは彼らの心に響かない。
もっとわかりやすい、即物的で、しかも明るい未来を想像させなくては。
何かないか……!
(…………そういえば、この人たちが普段食べてるものって)
マダマさまが王都でしていた話を思い出す。
少年が一番心を痛めていた話題があったはずだ。確か……
「……毎食白いパンが食べられるわよ!」
疑い深そうな顔で互いに議論をしていた村民たちが、私の声にぱっと顔を上げる。
思った通りの反応だ。
「この新聞に書いてあるのはね、小麦の相場なの! 柔らかい白パンを好きなだけ焼けるわよ!」
村民たちの窮状でマダマさまが一番に取り上げていたのは、酸っぱくて硬い美味しくない黒パンしか食べられないということだった。
人間だって生き物だ、やはり食事情が何よりも優先される。
村民たち全員の目の色が変わった。
『えっ、全員白いパン食って良いのか!』
「おかわりも良いわ!」
『本当か!?』
「毎日じゃないわよ、毎食! 朝昼晩におやつに夜食に、好きなだけ白いパンを食べなさい!」
ウォォ―――ッ、と聴衆から歓声が上がった。
(なんというか……ひもじすぎるわ!)
……自分で言ってて悲しくなってきた。
王都では下層階級でも白パンくらい食べているのに、ここの村民たちにはぜいたく品だと言うのだ。
地方格差というのも生ぬるい、もうこれは是正しなければならない社会悪ではないか。
「す、すげえ! 祭りでもないのに!」
「歯が悪いうちのババアが聞いたら腰抜かすべ!」
「ば、バターも塗って良いのか!? ジャムも塗って良いのか!?」
村人たちのざわめきは今までとは比にならなかった。
もう一押しだ。
「みんなー!」
メガホンを左手に、右腕を高々と天に向かって突き上げる。
「白いパンが食べたいかぁ――――!」
「……?」
どういうことか分からず村人たちの頭の上に疑問符が浮かぶが、こんなことでひるんではいられない。
空いた手の平を上に向けて煽って、もっと声を出せと身振りで示す。
「白いパンが食べたいかぁ――――!」
「お、おう……!」
「声が小さァい! あと手も上げて!」
何をさせられようとしているのか良く分かっていない村民たちは置いておいて、となりのマダマさまたちにも真似するようにうながした。
「毎食白いパンが食べたいか――――――ッ!?」
『おぉ――――――ッ!』
男たちは叫んだ。
「毎年新しい服が作りたいか――――――ッ!?」
『おぉ――――――ッ!!』
女たちは歯を見せた。
「毎日お菓子が食べたいか――――――ッ!?」
『おぉ――――――ッ!!!』
子供たちは飛び上がった。
「会社が上手く行けばその夢が全部かなうわ!」
「ほ、本当に!?」
「本当よ! 悪役令嬢に二言はないわ!!」
ノリと勢いで断言する。
「でも実は、会社を作って何を売れば良いか全然決まってないの!」
『えっ!?』
「そんなのは大した問題じゃないわ!」
『そうなの!?』
「それはみんな次第よ! この村ですぐ作れて、王国全土で売れるものを探してきて! オズエンデンドの未来はあなたたちにかかってるわ!」
『はーいっ!』
村人たちは異口同音に叫んだ。
かつてこの北の果ての寒村で、人々の心がこれほど一つにまとまったことがあっただろうか。いやない(反語表現)。
「今日から領主館は一般開放します! 商品のアイディアを思いついた人はいつでもたずねて来て! では、解散!!」
私が号令をかけると、村人たちはこのニュースを家に持ち帰るために一斉に背を向けて走り出した。
小麦価格は古代ローマを参考にしました。
6キロの小麦が12アス(1000円くらい?) で買えたそうなので大目に見積もってこれくらいかと