1_16 「全然嬉しくないです」
「ふんふんふーん……」
鼻歌混じりに筆を動かす。自慢ではないが書道は中学生の時に二段まで進んだこともあるのだ。
勢いをつけて古布に大きく『オズエンデンド興業』と書いた。
うむ、なかなかではないか。
床の上にお腹をつけているタヌキに向かって広げて見せる。
「どう、これが社名よ」
<<なんか怪しい会社っぽい>>
「怪しくなんかないわよ。何せ経営してるのは由緒正しいラトナラジュ王家の正統な王子様よ?」
<<そういうのを聞くと余計怪しく感じるんだけど>>
「なによ、失礼ね!」
ちょっと水を差されたが、かまわずピンを使ってリビングの壁に貼りつける。
オズエンデンド領の地図の横に並べてみた。
……うむうむ、いい感じではないか。
このリビングは結構な人数が一度に入れる広さがあるし、古テーブルも書類仕事や会議には十分だ。
ペン立てやインク壺を置くだけで立派にデスクとして役立つ。
「ここがわが社のオフィス兼会議室よ!」
<<ただのリビングじゃん>>
「環境は問題じゃないわ。スティーブ・ジョブズだって最初は自宅のガレージで創業したのよ」
<<あいつが最初作ってたのはタダで世界中にかけられる違法電話だけど>>
「へ? そうなの?」
<<それに、そういうベンチャーの真似して失敗した人だってごちゃまんといるんだぞ……>>
ええい、ネガティブなことばかり言いやがって。
このオスダヌキめ。
唇をとがらせてると、マダマさまとベリルがリビングに入ってきた。
「どう、会社名付けてみたの。それらしいでしょう?」
「い、良いと思います」
マダマさまが少しおざなりにうなずく。
「それより、村長さんが来ました」
「えっ?」
「殿下が呼ばれたのです。彼に協力を命じましょう」
「村長? そんなのいたの?」
というかここって村だったのか?
これまで代官が何から何までしていたと思っていたのだが、村民自治なんか機能しているのだろうか?
「ボクのところには前に挨拶に来ました」
「ふぅん……。村長なんかどうやって決めるのかしら?」
「たまたま他に立候補者がいなかったらしいですよ」
「良いのそんな理由で?」
まあ選出方法はどうでも良い。
村民の代表がいるのならば、味方につけた方が何かと有利だろう。
「良いわ、会いましょう」
取次のトパースが連れてきたのは、ぬぼーっとして特徴のない顔の中年男だった。
やくざ者や粗暴なやつよりはましだが、威厳がなくて村民から支持されているのか不安になるくらいだ。
「どうも。オズエンデンド村の村長、オーソクレースです」
立ったまま迎えると、村長は抑揚の乏しい声であいさつしてきた。
「始めまして。私がレセディ・ラ=ロナよ。マダマさま……もとい、公爵のお手伝いをしてるわ」
「失礼ですが、公爵さまとどういうご関係で?」
「愛人よ」
「は?」
オーソクレース村長は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「ああ、もう面倒くさいから好きに想像して。それより話があるんだけれど」
「何の御用でしょうか」
「先に一応聞いておきたいんだけれど、あなたの管轄にどれくらいの村民がいるの? そもそもどこからどこまでがオズエンデンド村なの?」
村長は壁にかかった領地の地図を、ざっくりと端から端まで指さした。
「村民は五百人くらい。領域はだいたい山が境目で、そこから海までです」
「ほぼ領地全部じゃないの……。一つの村だったのここ?」
なんという大雑把な。
これでは村長の業務とやらもたかが知れているではないか。
「ま、まあ良いわ。あなたが一括で管理しているんならかえって好都合かも。村民みんなに働いてもらうから、一度集まって欲しいのよ」
「はあ。新しく労役を増やすということですか?」
村長は嫌そうな顔をした。
「違うわよ、ちゃんとお給料はお金で払うわ。領民みんなでお金を稼いで、そのお金で食べ物やら服やらを買う生活に切り替えるの」
「できますか、そんなこと」
「できるようにするのよ!」
「……話は分かりますが、村民はどういう方法で稼ぐんです?」
「それはこれから考えるわ」
ぎょっとした顔をした村長に向かってかまわず続ける。
「とにかく発想の勝負よ。王国全土で売れて、この村ですぐ作れる商品が知りたいの!」
「はぁ……。ちょっと思いつきませんが」
「だから村民からアイディアを募るわ。明日の朝、領主館の前にみんなを集めて。少なくとも一家から一人ずつは呼ぶようにしてね」
納得したのかそうでないのか分からないが、村長は請け負って退出していた。
「よーし、明日は集まった村民に向けて説明会ね。参加者の数を把握しておかなきゃ」
「だ、大丈夫ですか? もうちょっと計画が固まってから皆に説明した方が良いんじゃ……」
マダマさまが不安そうにしているが、ここは勢いで押し切るところだ。
「善は急げよ。マダマさまにも協力してもらうからね!」
「えぇ!?」
「領主様として領民たちに事業への参加と奮起を呼び掛けてちょうだい」
「そ、そんなことしたことありません!」
少年は慌ててかぶりを振った。
つい一月前までは深窓の王子様で、人前に出ることすら稀だったから無理もないが。
「大丈夫、習うより慣れろよ!」
「そういうものですか?」
「それにマダマさまなら顔かわいいから失敗したりトチったりして逆に人気出るわ。そういうキャラクターだから心配しすぎないで大丈夫!」
「全然嬉しくないです……」
眉間にシワを寄せたマダマさまは置いておいて、とにかく明日は会社の設立の発表だ。
「ここで勢いをつけて事業に弾みをつけるわよ!」