【第三章】第九部分
兄妹のやり取りを見ていたH前もさすがに無言のまま、帰宅した。一連の流れは吉宗にも伝達され、吉宗は沈痛な面持ちにならざるを得なかった。
「アタシ、余計なことをしちゃったのかしら。」
吉宗は生徒会会長室で思い悩んでいた。机にはシャープペンシルで無数の穴が規則的に空いていた。『ヌノキレ』という点字が判読可能レベルでデザインされていた。
「いや上様、世の中に余計なことなんて、意外にないものだよ~。余ることはエコには反するけど、心に余裕を与えるからプラスになるものだよ~。」
「でも倹約精神に真っ向からケンカすることになるじゃない。ああ、とんでもないことをしたかも。ず~ん。」
吉宗は口をへの字にして、整った顔を歪めて、軍配型髪留めを握り締めていた。髪留めに生命があれば絶叫していただろう。
場所は戻って御台妹の部屋。ひとりしかいないという空気は、必ずしも綺麗とは限らない。
「お兄ちゃんのバカ、でもありがとう。お兄ちゃんの支えがあるから、お市は耐えてきたんだよ。でもそれは頑張りにはつながらなかった。そのまま沈むだけのお市だった。しかし今日、お市は生きる道しるべをもらったよ。お市に希望を考えることを教えてくれたのは将軍様。ああ、ステキ、愛しの将軍様!」
ベッドで枕を抱きしめていた御台妹の顔に、三ツ葉クローバーがくっついていた。
数日後、御台妹は幕附高中等部の教室で、ストーリー構想が好調な小説家のように、快活にシャープペンシルを走らせていた。
さらに場面は変わって、特進クラスの御簾の間。
御台と宗春が御簾を境にして向い合っている、いや睨み合っているという方が正確な表現である。今日はヘッドホンや水晶を使わず、直に会話をしている。周囲の空気では、緊張感を恐れて塵が舞うのを回避していた。
「これでそちらの言うことを聞く必要がなくなったので、ボクは副将軍の職務に集中するよ。」
「仕方ありませんわ。でもワタクシの側に付かないことを後悔する風景画を贈る用意は整いましたわ。」
「絵画は自由な世界だからね。ボクは自分の目で見える写実画が好きだな。」
「そうなんですの。でも趣向は変わるもの。渡心御台さんの好きな絵が、やがて混沌とした朱色に染まった現代抽象画になるかもしれませんわ。ホーホホホッ。」




