04 クラーケンのゲソ煮込み
「うぅ、ん」
突き刺さるような冷たい風を肌に感じて、私は目を覚ました。寝ぼけまなこを擦りながら、身体を起こしてベッドから降りる。部屋の中は薄暗く、いつの間にか夜を迎えていた。どうやら寝る前に開けておい窓から風が入り込んでいるみたいだ。
「ちょっと寝すぎたみたいね……」
窓を閉めようとして、ふと視界に入りこんできた光景に少しだけ驚いた。頭上には満点の星空がきらきらと煌めいている。
物音を立てないように、部屋を出る。時間も相まってか、建物の中は静まり返っていた。結局、夕食を食べそびれちゃった。確実に寝坊することが無くなったと考えれば、まだましかも知れない。
「さて、やってるといいんだけど……」
宿を出て、酒場の方へと向かう。流石にこの時間じゃ普通のお店は開いてないだろうし、酒場なら一日中やってるはず。
「あら?」
酒場までの散歩がてら、夜の街並みを眺めていると桟橋の方で動く人影を見つけた。それも一人や二人どころではない。
「こんな時間から準備? ご苦労さま」
ちょっとだけ気になったので、桟橋の方へと歩いていくと見知った顔を見つけたので、背後から話しかける。
「あん? 嬢ちゃん、こんな時間に何してんだ?」
「私は散歩。ドノヴァンこそ、随分と早いじゃない」
「クラーケンが出るようになってからは、船を動かしてなかったからな。調整やらなんやらやることが一杯あんだよ」
「……バカね。船の調子が悪くて動かないって言っておけばわざわざ危険な海域に出なくてもいいのに」
「ああ、確かにその手があったか。そんなことは絶対しないけどな」
「どうして?」
自分の命が惜しいと言ったドノヴァンからしてみれば、船を出すこと自体危険の中に飛び込んでいくようなものだ。
「ヴァンメルゼの奴から聞いたぜ。嬢ちゃん、俺たちのために海に出ようとしてるんだろう? 余所者のあんたらがどうにかしようと動いてくれてるってのに、俺たちが何もしないわけにはいかねえだろ」
「これで全裸になってなかったら格好良かったのになあ」
「それはどう考えても嬢ちゃんのせいだろうが」
私たちが治めている領地での問題なのだから、決して余所者ではない。と言いたい所だけど、そのまま伝えるわけにもいかないから、適当に茶化して誤魔化しておく。
「でも安心して、貴方たちを危険に晒すことは絶対にしないわ」
国を治める者として、民を犠牲にするわけにはいかない。人の上に立つものは、常に一番前を走り続けろとお父様やお爺様から言われ続けている。
いくら全裸で街を走り回る変態とはいえ、それでも民の一人であることには変わりない。
「なあ、嬢ちゃんよ。今、物凄く失礼なことを考えたりしてねえか?」
「あら、そんなに顔に出てた?」
「そこは嘘でも否定しとけよ!」
残念ながら事実なのだから仕方がない。
「あ、そうだ。ねぇ、船の中に斧とかあったりする?」
昨日、レルヴァンさんの店の中を見回った時に置いてなかったから諦めてたんだけど、クラーケンと戦闘になる可能性があるから、近接特化の爆発杖だけでは少し心許ない。
「斧? あー、確か船室の中に飾ってた奴があったと思うが」
「悪いんだけど、少し見せて貰えないかしら」
「そりゃ別に構わんが、斧なんて何に使うんだ?」
「何って、斧の使い道なんて一つしかないでしょう?」
握った時のずしんと手にかかる重さが個人的には好きなんだけど、持ち運びしにくいのが難点ね。長旅には全く向いてないし。
「んー、中々しっくりくるわね」
案内された先で見つけたのは、壁に飾られていた私の身長よりも少し大きな両手斧。愛用している斧よりも少しだけ軽いけれど、使いづらさは感じない。
「まじか……」
「あれを一人で持ち上げるなんて、信じられねえ」
「ドノヴァンが吹き飛ばされただけはあるな」
船内で作業していた人たちがいつの間にか集まって来ていた。言う程重くはないと思うんだけどなあ。
「てめぇら! サボってねぇで手動かせ!」
「船長さんは大変そうね」
「嬢ちゃんを相手するより楽だけどな」
「また吹っ飛びたいの?」
「それはもう勘弁してくれ。悪いが、まだ作業が残ってるからこの辺で俺は戻らせてもらうぜ。日が昇る頃には出発の準備が整うから、また出直してくれ」
「私、ここで見学していてもいいかしら? 作業の邪魔はしないから」
「好きにしてくれ。嬢ちゃんが居た方が奴らの士気もあがるだろうしな。サボってる奴がいたら灸をすえてやってくれ」
「わかったわ、ありがとう」
ドノヴァンと別れて甲板へと出る。なるべく邪魔にならないような場所を見つけ、腰を下ろす。視界の先では船員たちが慌ただしく作業をしていた。朝早くから大変な仕事だろうに、船員たちの表情は何処か楽しげにも見えた。
それからしばらくサボっている船員にお仕置きをしようかと、目を凝らして見張っていたが誰一人として手を休めることなく日が昇り始めた。
「珍しいこともあるのですね。お嬢様が一番乗りとは」
「たまにはこんな日があってもいいでしょ?」
完全に太陽が昇り切ったあたりで、シュレリアがやってきた。既に私が居ることに若干驚いたようだ。一番乗りというにはちょっと早すぎた気もするけどね。
それから十分程して、ロゼが甲板へと上がってきた。
「あれ、二人とも早いね」
「ロゼ、聞いて。今日は私が一番だったのよ」
「随分と早い時間から来てたみたいだね? ノックをしても返事がないから、また熟睡してるのかと思ったよ」
「もう、起こしに来なくても大丈夫って言ったじゃない」
仮眠をとったせいで、変な時間に目が覚めてしまったとは言わないでおこう。睡眠時間的にもあれを仮眠と呼ぶのは憚られるし。
「おう、全員揃ったみてえだな。もう船を出すか?」
作業をしていたはずのドノヴァンがいつの間にか甲板へと上がって来ていた。
「もう出せるの?」
「問題ねえ。作業は全部終わってるよ」
「じゃあ出して貰えるかしら」
「任せな。お前ら! 出航の時間だ!」
「「「オウ!!!」」」
ドノヴァンの声に反応した船員たちが声を上げ、船が動き出す。
「クラーケンが出る海域までは少しだけ時間がかかるから、それまでくつろいでてくれ」
「そうさせてもらうわ」
とは、言ったものの。
出航から少し時間が立った所で、ロゼが船酔いにかかってしまった。こうなってしまうとくつろいでる場合じゃない。
「大丈夫?」
「うっ……ぷ。ごめん、ウィルベル……」
ロゼの背中を、優しく擦る。既に、何度か海へと吐瀉物をぶちまけたロゼは、いくらかましな表情になっていた。思わずつられそうになってしまったけど、王女たるものそういうわけにはいかない。
「おい、ベッドを空けてやったから寝かせてやりな。それと、戻って来てからでいい。話があるから船首の方まで来てくれ」
「ありがとう、ドノヴァン。ほら、ロゼ歩ける?」
「う、うん……」
ふらふらとした足取りのロゼを支えながら、やっとのことでベッドに寝かせる。
「ここでじっとしてなさい。出来るだけ早く港に戻るように頑張るから」
「気を付けてね、ウィルベル」
「わかってる」
短く返事をしてから甲板へと戻る。クラーケンと出会うまでにこんなに疲れるとは思わなかった。
「ロゼルティア様は大丈夫でしたか?」
「今ベッドに寝かせてきたところ」
甲板に戻ってくるとシュレリアもロゼが心配だったのか、こちらへと話しかけていた。私に聞くくらいならお世話してあげればいいのに。メイドだからそのくらいお手の物だろうし。
「ドノヴァンと話をしてくるから、手が空いてるんだったらロゼの看病でもして頂戴」
「いえ、私はお嬢様について行きます」
「別に一人で大丈夫なんだけど」
「一人だと無茶しかねないでしょう? ロゼ様の容態も良くないですし」
「ただの船酔いなんだから、無茶なんかしないわ。ついてくるなら勝手にすれば?」
シュレリアとの会話を切り上げて、ドノヴァンの待つ船首へと向かう。
「遅くなって悪かったわね。それで、話って?」
「そろそろ奴が出る海域に差し掛かる。あの岩が見えるか?」
ドノヴァンが指した方向には、海中から突き出た二つの岩が。岩と岩の間は大体二十メートルくらいだろうか。結構な距離が離れているのに、しっかりと視認出来る程の高さがある。
「あの岩がどうしたの?」
「あの岩は双子岩っつってな。この辺りは海流の関係であの岩の間を通らねえといけねえんだが……クラーケンが出現するのは、丁度あの岩に差し掛かった辺りだ」
「そう、ありがとう。ここから先は私とシュレリアだけで行くから、ここで待ってて頂戴。悪いけど、手漕ぎの船を一隻貸してもらえるかしら。返せる保証は出来ないけど」
「それは構わねえが……今ならまだ引き返せるぞ?」
せっかくここまで来たというのに、どうしてわざわざ引き返さないといけないのだろうか。まさか、私が怖気づいているとでも思っているのかしら。
「ここから先は私の仕事よ。行きましょう、シュレリア」
「ええ、承知致しました」
「無事に帰って来いよ。帰ってきたら、好きなだけ酒を奢ってやる」
「楽しみにしてるわ」
飾られていた斧を拝借し、小さな手漕ぎ船へと乗り込んで海へと降り立つ。勿論、漕ぐのはシュレリアだ。船を漕いだ経験なんて一度もないからね。
普通のメイドでも船を漕ぐことなんて、滅多にないと思うんだけど。シュレリアの姿は物凄く様になっていた。みるみるうちに双子岩の方へと近づいていく。
「そろそろかしら?」
「この辺りまで来ると、潮流の関係で勝手に進むようですね」
双子岩の近くに到着しても、クラーケンが出てくる様子はない。シュレリアも既に櫂から手を放し、腰に携えた刀に手を伸ばしている。私も斧をしっかりと握り直し、最大限注意を払う。
潮の流れに乗って、船は先へ先へと進んでいく。そして、双子岩の間へと船が差し掛かったその瞬間。それは突如として現れた。
「シュレリア!」
船の左右に一本ずつ飛び出してきた何かを私とシュレリアで薙ぎ払う。特に合図をしたわけでも、対応する方向を予め決めていたわけでもない。咄嗟に反応してしまった私の動きを見て、シュレリアがもう一方へ対象を定めただけだ。
この辺りが、私の未熟な点だ。しかし、悠長に反省をしている暇はない。
「かなり大物のようですね」
海面を見てシュレリアが呟く。船の周りには、切り落されたクラーケンの触手が浮かんでいた。この触手に掴まれてしまった場合、こんな船なんかすぐに壊されてしまうだろう。
「ふっ!」
前方に飛び出した触手を切り落とす。これで三本目。このまま同じように触手が飛び出してくるだけなら、全部切り落とせばいいだけのことなんだけど。そんなに上手くことが運んだ試しがない。
四本目の触手はまだ出てこない。船は潮に流されてゆっくりと進んでいる。
「下!?」
学習したのだろうか、それとも本能なのか。クラーケンは私たちが乗っていた船の底から触手を突き立ててきた。私もシュレリアも、流石に見えない場所からの攻撃には対応することが出来ずに、船の底には大きな穴が開き、隙間からは水が浸入してきている。
これでは、船が沈んでしまうのも時間の問題だ。私は迷うことなく、船の縁を蹴って双子岩の方へと飛んだ。握っていた斧の柄を岩へと突き刺して、ぶら下がる。
「くっ」
先程まで私たちが居た場所に視線を戻すと、乗っていた船が海中に引きずり込まれていくのが見えた。しかし、シュレリアの姿が見えない。
「シュレリア!」
シュレリアに限って、船と一緒に沈んだとは考えられない。私と同じように逃げているのを確信していたので、辺りを見回すと私がぶら下がっている岩の下の辺りに立っていた。
「いや、なんで立ってんのよ!」
平然と海の上に立っているシュレリア。私の記憶だと、シュレリアは水上歩行の魔法なんて使えないはずなんだけど。
「お嬢様、右足が沈む前に左足を出して、左足が沈む前に右足を出せば海なんて歩けますよ」
「そんなことが出来るのはアンタくらいでしょうが!」
力技にも程がある。その方法を参考に出来るのは、限られた極一部の人間だけでしょ。
さて、ここからどうしたものか。頼みの船は沈没しちゃったし、クラーケン討伐の難易度が跳ね上がってしまった。
「シュレリア、どうにか海上に引きずり出せない?」
「少しだけ試してみます」
彼女はそういうと、腰に携えた刀に手をかけ何か呪文のようなものを唱え始めた。詠唱が進んでいく毎に、彼女の周りにさざ波が立ち始める。
詠唱が完了し、彼女が刀を鞘から抜くと薄紅色に光る刀身が露わになった。そして、天高く刀を掲げ、振り下ろしたその瞬間。刀の軌道に合わせて海が縦に割れ、クラーケンの姿が現れた。
「嘘でしょ!?」
そんなの人間がやっていい技じゃないから! 少し目を離した隙に、シュレリアは割れた海の中へと物凄い勢いで突っ込んでいった。縦横無尽に動き回る触手を空中で潜り抜けながら、クラーケンへと接近していくシュレリア。
そのまま切りかかるのかと思いきや、武器を仕舞ってクラーケンへと触れると、身体を蹴り上げて飛んだかと思うと、私がぶら下がっている斧の上に華麗に着地した。
「お嬢様、私の仕事は終わりましたので後は任せましたよ」
「終わったって……え?」
一体どんな手段を使ったのか、海中に引きこもっていたはずのクラーケンが海の上に浮かんでいる。
「ついでに、お嬢様にも魔法をかけて差し上げましょう」
シュレリアがそんなことを言いながら私の手に触れた。
「これでお嬢様も水の上を歩けるようになりました」
「シュレリア、水上歩行使えたの!?」
「ええ、自分自身には使えませんが、他人に付与することなら問題なく出来ますよ」
そういう大事なことは先に言ってよ! 聞かなかった私も悪いけど! けど、これで何も問題は無くなった。
岩に突き刺した斧を引っこ抜こうとして、思いとどまる。
「シュレリア、斧抜いても大丈夫?」
「私のことはお気になさらずに。お先に船へ戻らせて頂きますので。それと、十分ほどで魔法の効果が無くなりますので、早めに決着をつけた方がよろしいかと」
「そう、わかったわ」
シュレリアの言葉を聞いてから改めて斧を引っこ抜き、海上へと着地する。いや、この場合は着水するが正しいかも知れない。
海の上に立つのは初めてのことだけど、なんというか不思議な感覚ね。
背後を振り返ってみると、既にシュレリアは船の方へと戻り始めている。本当に海の上を走れるのかと足元を見ると、白い物体に乗っているように見える。
「嘘じゃないの!」
シュレリアの奴、しれっと真顔でいうからちょっと本気にしてたのに、水上歩行を触手の切れ端に付与して浮かんでるだけじゃない!
いや、突っ込んで時間を無駄にしている場合じゃない。ただでさえ、時間が少ないのだ。真面目にやらないと、海の中に沈むことになってしまう。
「えーっと、確か水上歩行のコツは滑るように、だっけ」
昔、何かで聞いたような気がする。氷の上を滑るように、足を交互に滑らせてクラーケンの方へと向かって行く。
「わ、わわ。思ったより動きづらいわね」
慣れないせいか、上手く真っすぐ進むことが出来ない。そのせいで、襲い掛かってくる触手を避けるのも難しい。切り伏せればいいだけだから、何も問題はないけど。
しかし、この触手。切っても切っても再生してきて埒が明かない。
「こうなったら……えいっ!」
次々と伸びてくる触手を飛んで回避し、触手の上に飛び乗って滑りながら本体へと近づいていく。
お、思ったよりもいけそうじゃない? 根本付近まで近づいて触手を蹴り上げて空高く飛び上がり、斧の遠心力を使って回転しながらクラーケンの上部へと斧を振り下ろした。
「かっったっ!?」
骨が通っているか、腕に伝わってくる衝撃はまるで固い金属を叩いた時と同じものだった。斧はクラーケンに刺さっているものの、表面がぬめぬめしていたせいか衝撃を逃がしてしまったようだ。
「あ、そういえば……」
ふと、ロゼが料理をしていた時にした会話を思い出した。
「ねぇ、ウィルベル。イカの頭ってどこか知ってる?」
「筒みたいになってる上の部分じゃないの?」
「結構勘違いされがちなんだけど、実は違うんだよ。イカの頭はこの目と口がある部分なんだ。ウィルベルが頭だと思ってる場所は、胴体なんだよ」
「へぇ、知らなかったわ。え、っていうことはこいつら頭から足生やしてるの?」
確か、こんな風なことを言っていたはず。
クラーケンの生態も確かイカと似ていたはずだし、同じように目がある所が頭だとしたら……。
「試してみる価値はあるわね」
中途半端に刺さった斧を抜いて、クラーケンのお腹を蹴り上げ私は宙を舞う。
ぎょろりとしたクラーケンの目玉が宙に浮かぶ私を追って動いているのを確認してから、目と目の間を狙って握っていた斧を回転しながらぶん投げた。
私の手を離れた斧はくるくると回転しながら勢いを増し、狙った場所へと深く深く突き刺さる。すると、空中に投げ出された私に向かって伸びてきていた触手が急に動かなくなり、そのまま落下を始めた。
綺麗に着水してから、動かなくなったクラーケンの様子を伺う。
「倒せたかしら……?」
近寄って見ても、動く気配は全くない。やっぱり、弱点は頭で正解だったみたい。でも、あそこで斧を投げるのは少し軽率だったかも。触手で弾かれてたかもしれないし、もしあれでも倒せなかった場合は次の一手を考えないといけない所だった。
「まあ、倒せたし良しとしましょう」
後は船に戻るだけ、と足を踏み出した矢先。先程まではなかった違和感を覚えた。まるで、足首まで海に浸かっているような、そんな感覚。
「って、魔法の効果切れかけてるし!」
足元を確認してみると、既に膝の辺りまで海の中に沈みかけていた。慌ててクラーケンの上へとよじ登る。
「おーい!」
このタイミングで魔法が切れてしまったみたいで、船に戻ることが出来なくなった。もう少しだけでも持ってくれればいいのに。
船に向かって大きく手を振って、迎えに来て欲しいとアピールする。
船首で様子を伺っていたはずのドノヴァンが気づいてくれたのか、ゆっくりと船がこっちに向かって来てくれていた。
「嬢ちゃん、無事だったか」
船の上から垂らしてもらったロープを伝って、甲板へと這い上がる。
「それにしても本当にクラーケンを倒しちまうなんてなあ。嬢ちゃんたちが乗ってったボートが沈んだ時は、ダメかと思ったぜ」
正直、あの瞬間は私もどうなることかと思った。
「あ、ドノヴァン。このクラーケン、港まで持ち帰りたいんだけど出来るかしら?」
「ロープで括れば引っ張って帰れねえことはねぇと思うが」
「だったらお願い」
「おうお前ら! 急いでクラーケンを固定しろ!」
運が良ければ、わざわざ神護石が到着するのを待たなくても良くなるかもしれないし。
「嬢ちゃん、後は俺たちに任せて休憩してな」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわ」
船が港に到着するまでの間。空いているスペースで入念にストレッチをする。久しぶりに重い武器を振り回したせいか、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。
港に戻ると、ロゼがクラーケンの解体を始める。大きすぎて港に揚げられる場所がないので、海に浮かべたままだ。
手伝おうかとも思ったが、断固拒否されてしまったので船の上から近くでロゼの作業を眺める。にぎっている包丁はいつもより刃渡りが長いものだ。
ロゼはクラーケンの上によじ登り、胴体と頭の境目、真ん中の部分に包丁を入れて先端の方まで切っていく。
「おぉ……すごいわね」
クラーケンの胴体が本のように開く。
「ロゼ? その半透明の奴ってなにー?」
開かれたクラーケンの中央には、半透明な何かが内臓を守るかのように通っている。
「これー? 骨だよー」
え? イカって骨あるの?
っていうか、あの位置って私が最初に斧を振り下ろした所じゃ?
「あ、ロゼ! イカの胃袋ってどれ?」
内臓を見てあることを思い出す。
「胃袋? これだけど」
「ドノヴァン! あれ、ここに揚げてもらえるかしら?」
「え、まっ――」
「ほら、急いで引き揚げて! 早く早く!」
船から降りていたドノヴァンの返事がくる前に、船員たちに指示を出す。ドノヴァンが船に登ってくる頃には甲板に巨大な胃袋が引き上げられる。
「お、ま……誰が掃除すると思って……」
「安心なさい。彼らがやってくれるわ」
狼狽えるドノヴァンをよそに、細長い胃袋を縦に割いていく
「うっ……」
胃袋を開くと、中から茶色く濁った何かが溢れ出ると、辺りに腐臭のようなものが充満して思わず顔をしかめる。胃袋から出てきたものの正体は溶けかけの魚や骨、中には小さな岩などもあった。
「最悪だ! 俺の船が臭くなっちまう!」
「大丈夫よ。元から結構臭かったから、あまり変わらないわ」
「嘘だろ!?」
臭いは凄いけど、我慢できない程じゃない。これよりも酷い臭いがする場所に何日間もいたことあるし。
服が汚れることなんて気にせずに、辺りに散らばった内容物を調べていく。
「やっぱり、あんまり原型を留めてないわね」
探しても探しても、見つかるのは既に原型を留めていないものばかり。
胃袋の中で消化されてたのだから、当然と言えば当然なんだけど。
「やっぱり溶けちゃってるのかなあ」
半ば諦めつつも、まだ探していない胃袋の内部を探してみる。胃袋の中は比較的形を保っているものが多い。溶けかけた武具や、餌として捕食された生物の死骸、私たちが乗っていたと思われる船の残骸など、邪魔になりそうなものを外側に放り投げていく。
「あ」
綺麗になった胃袋を探していると、気になるものを見つけた。それは、私の両手に収まりそうなほどの石の塊。神護石の見た目を聞かなかったのは失敗だったかも。これが神護石なのか違うのか判断が出来ないけど、他に鉱石類は見当たらないし……。
「これ以上は無駄かなあ」
胃袋漁りをやめ、ロゼの進み具合を船上から確認する。あれだけ巨大だったクラーケンの解体はほとんど終わっていて、今はゲソを捌いている途中だった。
あの調子だと、解体が終わるまでにそこまで時間はかからないはず。
出来れば、早くメルの所にこの石を持って行って確認したい所だけど……。
「この状態で人に会うわけには行かないわよねぇ……?」
身体からは自分で嗅いでも分かるほどに悪臭を放っている。流石の私も、悪臭を振りまきながら人に会う度胸はない。
「宿屋でシャワーでも浴びるしかないか」
神護石(?)をポーチの中に入れ、船員たちに胃袋の片づけを頼んでから宿屋に戻る。途中、すれ違った私を見てシュレリアが物凄い顔をしていた。
え? 今の私、そんなに臭ってる?
急いで宿屋へと戻って、念入りに身体を洗う。服はどうしようもなかったので、宿屋の人に頼んで貸し出して貰った。替えの服もどこかで調達しないとなあ。
「あ、ウィルベル。こんな所に居たんだ」
宿屋を出ようとすると、背後から聞きなれた声がした。
「ロ……ゼ……?」
声に釣られて振り返ってみると、私の目の前に黒い人影がいた。
「あはは、解体途中で墨袋が破れちゃって……」
「ああ、だからそんなに黒くなってるわけね」
持っていたハンカチで顔の辺りを拭うと、中から見慣れた顔が現れる。それでも、まだ少し完全に汚れが落ちたわけじゃない。
「解体はもう終わったの?」
「うん。本当はそのまま調理に入るつもりだったんだけど、この状態だと衛生的にも問題があるかなって思って」
「確かにそれはねえ……」
「ウィルベルは……お風呂上り?」
「私は……」
うーん、どうしよう。別に隠すようなことでもないんだけど、ロゼには臭い女って思われたくないし……。
「潮風で髪の毛がベタベタしちゃって」
「僕はほとんど船室に籠ってたから気にならないけど、ウィルベルはずっと外にいたもんね」
嘘はついてない。実際髪のべたつきも気になってはいたし。
「それより、お風呂に向かう途中だったんじゃないの?」
「あ、そうだった」
「ほら、早く行ったほうがいいわよ」
ロゼとのお話は楽しいけど、顔以外真っ黒になった状態のロゼを引き留めておくのも悪い。ロゼと別れて、そのまま工房の方へと向かう。
道順を覚えているか怪しかったけど、どうにか辿り着くことが出来た。
「お邪魔しまーす」
「ウィルベルさん、お疲れさまです。怪我などはありませんか?」
「大丈夫よ。何の問題もないわ」
中に入ると、カウンターで座っていたメルが慌てて駆け寄ってきた。
「ふぅ、良かった」
どうやら本気で心配してくれていたらしい。メルは大きく息を吐くと、肩を撫でおろした。
「あ、そうだ。ねぇ、これって何の石か分かる?」
ポーチの中から、胃袋の中で見つけた石を取り出してメルへと差し出す。お風呂に入った時、ついでに洗ったので臭いはついていないはず。
メルは石を受け取り、まじまじと眺める。
「ウィルベルさん。これをどこで?」
「ん? クラーケンの胃袋から出てきたんだけど。もしかしたらメルが言ってた神護石だったりしないかなーって思ったんだけど……」
「結論から言いますと、これは神護石ではありません」
「……そう」
そんなに上手くいくわけない、か。実際、あったらいいな、くらいの感覚だったし落胆もしてられないけど。ということは、次の素材が来るまではこの街に滞在することになるのかなあ。……あれ? っていうか、別に注文はしたわけだし。別に待たなくてもいいんじゃ?
「あ? 坊主は一緒じゃねぇのか?」
「爺ちゃん? どうしたの?」
いつの間にか階段を上って来ていたレルヴァンさんの声が部屋の中に響く。
「リーゼルブルクの所の坊主に用事があったんだが、まあ別にいいか。ヴァンメルゼ、悪いが少しだけ席を外してくれるか?」
「うん? わかった。あ、ウィルベルさんこれは返しておきますね」
「んで、お前さんはこっち」
メルを地下室へと追いやった後、私はレルヴァンさんに別室へと案内される。
この前、メルと話した時にも使った部屋だ。
「それで、用ってなんですか?」
「これだよ」
そういってレルヴァンさんがテーブルの上に乗せたのは、一本の包丁。その仕上がりは一目で見て分かるほど美しいものだった。
「それをあの坊主に渡しておいてくれ」
「え?」
どういうこと? レルヴァンさんは確かにあの時、ロゼの依頼は受けてない。
「材料が無いと作れないんじゃ?」
「おう、作れねえな。前も行ったが、俺は錬金術師じゃねえ。既にある材料から、一本の刃を作り出すのが仕事だ」
「だったらどうして……」
レルヴァンさんの言うことが本当なら、包丁は作れないはず。だけど、目の前に置かれた包丁は確かな輝きを放っている。
「どうもこうもねぇよ。俺は坊主の依頼を受けてねえ。その包丁はリーゼルブルク本人から頼まれたもンだからな」
「リーゼルブルク様が?」
「大方、旅に出る孫のお祝いって所じゃねぇか? あいつも心配性だからなあ。ま、つーわけで、その包丁は坊主に渡しておいてくれ」
「わかったわ」
なるほど、そういうことか。リーゼルブルク様がわざわざロゼに包丁を頼んだ意味が分からなかったけど、自分が頼んだ包丁を受け取らせるためにここに寄らせたってわけね。
あれ? でも、そうなるとあの時に依頼を断った理由がわからない。そのまま出来上がった包丁をロゼに渡せば解決良かったんじゃ。
「それと、嬢ちゃん」
「……何かしら」
「お前さんにも褒美をやろう」
「え?」
そう言って取り出したのは、両刃の剣。お城で目にするような、煌びやかな装飾が施された芸術品としての剣ではない。生物を殺すことに特化した、それでいて美しさを保っている剣だった。
「それは今朝完成したものだ。今まで打ってきた中でもそれなりの完成度を誇っている、と自負している」
そこは嘘でも一番って言うべきなのでは?
「どうして、私に?」
「アーカシャからの贈り物だよ」
「お爺様……」
「無事に嬢ちゃんがクラーケンを倒せば、俺の剣をくれてやれってな。ったく、久しぶりに連絡を寄越したかと思えば、アイツも無茶なことを言いやがる」
それって、私の働きに対する正当な報酬じゃない?
「本当に、これ、私が貰っていいの?」
「構わん。貰ってくれないなら廃棄することになるしな」
「じゃあ、有難く貰っていくわ」
「なあ、もし良かったらでいいんだが、嬢ちゃんが持ってるそれを譲っちゃくれねえか?」
「これのこと?」
レルヴァンさんが指しているのは、クラーケンの胃袋から出てきた謎の石。私が持ってても意味がないし、欲しがっている人の手に渡った方が良いだろう。
「別にいいわよ。剣のお礼ってことで」
「恩に着るぜ」
「いいえ、こちらこそよ」
テーブルの上に置かれた剣を手に取る。想像以上に軽い。流石に部屋の中で振り回すわけにも行かないし、一緒に渡された鞘の中に納めて背負う。
「ありがとう! レルヴァンさん!」
「ああ、気を付けてな」
ロゼの包丁はポーチの中に入れ、工房を後にする。
広場へ戻ると、鍋の前に立つロゼの姿を見つけた。
「ロゼ、もう戻ってたの?」
「うん、出来るだけ早く調理しないと腐っちゃうからね」
鍋の中では小さく切られたクラーケンの足がかき混ぜられていた。
あれだけ、巨大だったクラーケンも、ここまで小さくなったらイカと変わらないわね。と、クラーケンの方に目をやると、さっき見た時と違う所があった。
「ロゼ、黒くなってるけど大丈夫なの? アレ」
既に胴体部分が黒ずんできてしまっている。海から戻ってくるのにも結構時間がかかったし、もう腐敗が始まっちゃったのかも知れない。
そんな私の心配をよそに、ロゼはばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「あはは、気にしないで。腐ってるわけじゃないよ?」
「じゃあ、あれは……」
「えーっと、さっき会った時のことを思い出して欲しいんだけど」
さっき……と言えば、宿屋であった時かな? あの時は確かロゼの全身が黒く染まってて……。
「あ! 墨袋!?」
「う、うん」
そういえば、墨袋が破れたんだっけ。つまり、あの黒く染まっているのは、墨が身に染み込んだ結果というわけだ。
「ちゃんと墨袋を外せてたら素材として高く売れたんだけど……それどころか、身に墨を染み込ませちゃって……お爺ちゃんならこんな失敗はしないのに」
「はいはい、くよくよしないで切り替える。失敗ばっか気にしても何にも変わらないわよ」
「そうだよね……」
失敗が続くと、メンタルが少しだけ弱くなるのがロゼの弱点だ。ただでさえ、クラーケンとの戦闘中に船酔いで気分が悪くなっていることを気にしていたはずなのに、続けざまにこんな失敗を起こしてしまったのだ。
「それで、あの海中に浮かんでるのはどうするの? 調理する?」
話題を切り替えて、少しでもロゼの気を失敗から遠ざけようとする。
「いや、あれはすぐには食べられないから」
「そうなの?」
てっきり、足の方が調理しやすいからだと思ってたけど。
「うん。臭みが強くて食べられそうにないから、ちょっと処理に困ってて。樽の中に身を詰めた後、白ワインと水を1:1で注いで放置するだけで臭いの成分が分解されるから臭いがなくなるんだけど」
「これだけ大きいとなるとねえ……」
樽自体を用意するのも大変だし、置き場もない。
「でも、このまま腐らせちゃうのも勿体ないから、迷ってて」
「それなら、俺たちに売ってくれねえか?」
「マスター?」
私たちの話を聞いていたのか、横から酒場のマスターが話しかけてきた。
「俺の店なら樽も白ワインも、何より置き場もある。勿論、クラーケンを倒したのはお前らだし、無理にとは言わねぇからよ」
「いえ、僕からもお願いします。もともと、僕たちだけじゃ処理しきれない量だったので、助かります」
「値段交渉は……」
「私が致しますわ。お嬢様も、ロゼさんも構いませんか?」
「うおっ」
どこからともなく現れたシュレリアにマスターが驚いていた。いや、私も驚いたけど。こういうのは今まで何度もあったし、少しだけ慣れてしまった。
「僕は構いません」
「私もいいわ」
こういう時は、シュレリアに任せておいた方がいい。私はもちろんクラーケンの相場なんて知らないし、ロゼも仕入れの経験はあっても魔物の売買経験なんてないだろうし。
「では失礼します」
一言断ってから、マスターと一緒に酒場の方へと消えていくシュレリア。
「ねぇ、ロゼ? それってもう食べられるの?」
私の興味は既に鍋の方へと移ってしまっている。
「うん、食べられるよ」
「じゃあ、先に食べてもいいかしら? 実はお腹が空いてて……」
昨日の夜から何も食べてない挙句、運動もしたせいか先程から鍋から漂っている匂いで食欲が刺激されている。
「ちょっと待ってね……はい、どうぞ」
ロゼがよそってくれた鍋からは、まだ湯気が上がっていた。せっかくだし、温かいうちに食べてしまおう。
「いただきます」
声を出してから、まず鍋の汁を口の中に流し込む。口の中には魚介の香りが充満しながらも、舌にピリッとした刺激が伝わる。
「……唐辛子?」
「よくわかったね、ちょっとしか入れてないのに」
はっきりと確信したわけじゃなかったけど、合ってたみたい。
続いて、ぶつ切りにされたクラーケンの足を口の中へと放り込んだ。
「…………んん?」
もう一度、クラーケンを口の中へと放り込んで、良く噛んで味わう。
「んー……ねぇ、ロゼ」
「やっぱり、ちょっと臭い?」
私が言おうと思ってた言葉をロゼから先取りされる。やっぱり、私の間違いじゃなかったみたい。普通に食べていればあんまり気にならないんだけど、何度も何度も噛んでいると、じんわりと悪臭が滲み出てきていた。
「うん、ちょっとだけね。不味いってわけじゃないんだけど」
別に、食べられないわけではない。少し臭いがするだけだし、それも何度も咀嚼して初めてうっすらと出てくる程だ。もしかすると、鍋の出汁が少し濃いめの味になっているのは、この臭みを隠すためなのかも知れない。
「やっぱり、ダメか……。どうにか臭みを消して調理出来ないか試してみたんだけど、ウィルベルは気づいちゃったみたいだし」
「本当に少しだけよ?」
「それでも、食べる人が気になっちゃうんなら、まだまだ僕の腕が未熟ってことだよ。要らないならそれも下げるけど」
「要らないなんて言ってないでしょうが。ロゼの最初の卵焼きを食べたのは誰だと思ってんのよ」
料理を始めたての頃、一番最初に作った卵焼きは真っ黒こげで料理とは到底呼べるものではなかった。それに比べれば、断然美味しい。
「今回ダメだったなら、次を頑張ればいいだけでしょうが」
「次……」
「ほら、くよくよしてないでさっさと作りなさいな。腹を空かせた船員たちも待ってるわよ」
見れば、鍋の匂いに釣られてかドノヴァンをはじめとする船員たちがいつの間にか周りを取り囲んでいた。
「良い匂いがすると思ったら嬢ちゃんたちだったのか」
「船を出してくれたドノヴァンたちに、ロゼが手料理を振舞ってくれるって」
「ちょ、ちょっと!」
「おう! お前ら聞いたか! 嬢ちゃんたちが手料理をご馳走してくれんだとよ!」
「「「おぉー!!!」」」
ドノヴァンの声を聞いた船員たちが広場で大声を上げる。その声につられてか、それまで姿を見せなかった街の住民たちも徐々に顔を出して、いつの間にか鍋の前には大行列が出来ていた。
ロゼは休む暇もなく料理を作り続けて、私はお皿に盛られた料理を手あたり次第に配っていく。
「終わったわね……」
「終わったね……」
行列がはけ、あたりが落ち着いた頃には既に日も暮れかけていた。想像以上に人がきたせいで、途中からシュレリアにも配膳を手伝って貰っていた。シュレリアは工房に用事があるとかで既にこの場には私とロゼの二人しかいない。
「ごめんね。手伝わせちゃって」
「いいのよ。私が好きでやってたんだし。それより、はい、これ」
「ん……?」
私はポーチから包丁を取り出して、ロゼに渡す。
覚えているうちに渡しておかないと、忘れちゃいそうだし。
「これ、は……?」
受け取った包丁を長めながら、ロゼは困惑している様子。
「リーゼルブルク様からロゼに餞別だってさ」
「お爺ちゃんが?」
「うん。ロゼも、自信持ちなさいよね。さっきだって、皆美味しいって食べてくれてたじゃない」
ロゼの料理を食べた人は、皆笑顔だった。それだけ、ロゼの料理には魅力があるということだ。
リーゼルブルク様っていう目標が大きすぎるせいか、ロゼは自分の作る料理に対して厳しくなりすぎるきらいがある。
「リーゼルブルク様にはまだまだ叶わないのかもしれないけど、ロゼだって頑張ってるんだから胸を張りなさい」
「ウィルベル……」
「それでも、自分は駄目だって思うんなら。その時は、私にまた卵焼きでも食べさせて頂戴」
「……ありがとう」
「今日は疲れたでしょ? ロゼもゆっくり身体を休めることね。おやすみ、ロゼ」
「うん、おやすみ。ウィルベル」
照れ隠しをするように、夕焼けに染まる海に背を向けて宿屋の方へと向かう。
我ながら恥ずかしいことを言ったな、って思うけれど後悔はしてない。
ただ、その日の夜は恥ずかしくて全然眠れなかった。