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第二王女の食道楽紀行  作者: 虹色橋
3/6

03 港町レーヴァ

 翌日。

 太陽が真上に登りきる前に、目的のレーヴァ港へと辿り着くことが出来た。


「話には聞いてたけど、想像以上に閑散としてるわね……」

「流通の要が死んでいますからね。商船が大量に出入りしていた時はもっと活気があったのですが」

「へー。シュレリアって此処に来たことあるの?」

「ええ、随分昔の話になりますが」


 日中にも関わらず、人の気配が全くと言っていい程ない。今回の目的はレルヴァンって人みたいだけど、ここまで寂れた街で営業なんてしてるのかな。


「とりあえず、レルヴァンとかいう人に会いに行くんだよね? 場所はわかるの?」

「うん、一応お爺ちゃんに地図を貰ってるから大丈夫だと思う」

「じゃあ、ロゼのお使いをまずは済ませてしまいましょうか」

「私は情報収集と今日の宿を取っておきますね。集合は……そこまで大きくない街ですので困らないとは思いますが、ここを真っすぐ進んだ所に酒場がありますので、そこにしましょう」

「ん、了解。じゃ、また後でね」

「僕たちも行こっか」


 シュレリアと別れて、リーゼルブルク様が用意してくれた地図を頼りに目的の工房を目指す。


「それにしても、ここまで人がいないとゴーストタウンみたいだね」

「んや、そうでもないみたい」

「え?」


 大通りを抜ける時も、裏道に入るときも至る所から視線を感じている。かといって、尾行されているわけではなく、家の中から監視されているかのような。

 現状、放っておいても実害は無さそうだしどうでもいっか。


「ここのはず、なんだけど……」

「……嘘でしょ?」


 無事、目的地までついたはずの私とロゼは二人揃って目の前に広がる惨状に困惑していた。ロゼから地図を受け取って、私たちが通ってきた道と照らし合わせてみる。何度確認しても、地図に描かれた工房までの道のりは間違っていない。

 つまり、目の前に建っているボロボロの廃屋が目的の工房、のはずなんだけど。

 どこからどう見ても、営業しているようには見えない。窓ガラスは割れ、壁や屋根も所々抜け落ちてしまっている。


「場所を変えたとかじゃないの、これ」

「ねぇ、ウィルベル。これって――」


 周辺に散らばっている廃屋の残骸を調べていたロゼが手にしている木の板には、『工房レルヴァン』と確かに書かれていた。


「どう見ても看板ね」

「御用の方はどうぞって書いてあるけど……」


 うだうだ迷ってて何も進展しない。もしかすると、地下で営業しているかもしれないし、少しでも何か手掛かりが掴めたら良いんだけど。

 今にも壊れてしまいそうな扉をゆっくりと開け、おそるおそる中を確認した私の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。

 外見は倒壊寸前の廃屋にも関わらず、扉を一歩潜ればそこに広がっているのは綺麗な内装の店構え。


「あれ、お客さん? いらっしゃいませー!」


 威勢のいい声で青年が出迎えてくれる。


「あ、え? どういうこと?」

「私もちょっと理解が出来てないんだけど……」


 背後から様子を伺っていたロゼも、中を見て驚きを隠せない様子。


「お客さん……? どうかしましたか?」


 入口に立ったまま店内をきょろきょろと見回している私たちを見て不審に思ったのか、店員がこちらへと駆け寄ってきた。


「えっと、ごめんなさい。ここって、工房レルヴァンで合ってる?」

「ええ、間違いありませんけど……」


 店員はさも当然のようにそう答えた。やっぱり、リーゼルブルク様の地図は間違っていなかったらしい。ただの廃屋にしか見えなかったということは、何かしら結解を施しているんでしょうけど、一体何のためだろうか?


「すみません。僕、レルヴァンさんに御用があって尋ねてきたんですけど、いらっしゃいますか?」

「爺ちゃんに? あぁ、ちょっと待っててください。すぐ呼んできます!」


 飾られている武器を眺めていると、ロゼと話していた店員が階段を駆け下りていくのが見えた。おそらく、地下に作業スペースがあるんだろう。

 ただ、少し気になるのが、シュレリアの話だと有名な刀鍛冶って話だったけど、並んでいる武器のクオリティはそれほど高いように見えない。シュレリアが武器関連の話でデマを掴んでくるとは思えないし。


「おう、テメェか坊主。俺に用事があるってんのは」


 静寂な店内の空気をぶち壊すかのように、ドスの聞いた声が響き渡った。振り返ると、視線の先には、薄汚いツナギを着た小柄な老人が立っている。その出で立ちはまるでドワーフのようだ。


「あなたが、レルヴァンさんですか?」

「おうよ」

「お爺ちゃんからこれを見せれば、分かるって言われたんですけど……」

「んァあ? あー、お前リーゼルブルクの孫か。偉い大きくなりやがったなあ」

「あれ? 僕のこと知ってるんですか?」

「あぁ、お前さんが産まれた時な」


 いかつい見た目とは裏腹に、優しそうな雰囲気が滲み出ている。この分ならなんの問題もなくロゼのお使いも終わりそうだし、新しい剣とか新調してもらえないかしら。


「坊主、悪いがこの依頼は受けられねぇな」

「なっ、どうしてですか?」

「そうよ! 包丁の一本くらい別にいいでしょ!?」


 私が口を出すことではないとわかってるんだけど、つい勢いで飛び出してしまった。まあ、正体がばれない限りは大丈夫でしょ。


「あ? お嬢ちゃん、坊主の連れか? ん? お前、どっかで……もしかして、おてんば王女か?」


 え? なんでわかるの? というか、こんな辺境に住んでいる人ですらも私のことをおてんば王女とか呼んでるわけ? いや、もしかしたらお姉様のことを言ってるのかも知れないし、私の正体がバレたと確定したわけじゃない。


「名前はなんつったけな。確か……ウィルベリーナだったか」


 前言撤回。完全にバレている。こうなってしまった以上、身分を隠し続ける理由がない。


「出来ればその名前で呼ぶのは控えて頂けると助かるのですが」

「あぁ、今回の旅はお忍びなんだっけか。全く、誰に似たんだか」

「それより、ロゼの依頼が受けられないってどういうことですか?」

「んなもん、単純だよ。素材がねぇからな。流石のオレでもゼロからイチは作り出せねえよ。後の説明はコイツにでも聞いてくれ。オレは寝る」

「ちょ――」


 私とロゼが引き留めるよりも早く、レルヴァン老は階段の下へと降りて行ってしまった。呆然とする私たちの横で、青年が困ったような表情を浮かべている。


「あー、ごめんなさい。爺ちゃん、ここの所大きな仕事が入ってて疲れてるんだと思います。お二人ともこちらへどうぞ、良かったらお茶でも飲んで行きませんか?」

「どうする? ロゼ」

「あの言い方だと、素材さえあれば作れるってことだよね? もしかしたらこの人が知ってるかも知れないし、話くらいは聞いた方が」

「了解」


 青年に案内されるがまま、カウンターの奥の部屋へと入る。長方形のテーブルが中央に鎮座していて、それを囲むように椅子が設置されていた。一番手前にあった椅子に腰を下ろし、隣にロゼを座らせる。

 青年は小さなマグカップを私たちの前に置いてから、向かい合うように椅子へと座った。


「それで、素材がないっていうのはもしかして魔物のせい? えっと――」


 名前を呼ぼうとして、彼の名前をまだ聞いていないことに気が付く。店員なら、名札をつけているかとも思って探してみたけれど、見当たらずに言い淀んでしまった。


「ああ、すみません。自己紹介がまだでしたね。僕の名前はヴァンメルゼ・ルーンファクトリー。メルとお呼びください」

「私はウィルベル・エルミナス。ウィルベルでいいわ。んで、こっちが」

「ロゼルティア・フレースヴェルグです」


 既にバレてしまっているのであまり意味はないと思うけど、一応決めておいた偽名を名乗っておく。


「ウィルベルさん、ロゼルティアさん。先程の話ですが、ウィルベルさんがおっしゃった通りです」


 気づいていないのか、それともあえて触れてこないだけなのか、メルは名前に対して何も反応せずに話を続ける。


「お二人は周辺に住み着いた魔物をご存じでしょうか?」

「えっと、クラーケンだっけ?」


 ビンゴブックに書いてあったのはクラーケンだけだったはず。


「そうです。アレが住み着いて以来、この港に停泊する予定だった商船が立て続けに襲われまして……。遠方から仕入れている素材が手に入りにくくなってしまったんです」

「その素材っていうのは、この辺りじゃ採れないの?」

「モノによりますね。ロゼルティアさん、申し訳ないですが、爺ちゃんに渡していた紙を僕にも見せて貰えませんか? 一応、僕も職人の端くれなんで」

「ちょっと待ってくださいね……あったあった、どうぞ」

「ありがとうございます。えーっと、どれどれ。これは大丈夫。これもあるし、こいつも大丈夫なはず……あっ」


 メルが受け取った紙に目を通していく。ぶつぶつと小声で呟いていたが、何かを見つけたのか小さく声をあげてから、ロゼに紙を返した。

 そして、重苦しい雰囲気の声で続ける。


「そこに書かれている素材は、ほとんどがウチの在庫にあります。ただ、一つだけ現状取り扱っていない素材があるんですが……」

「それを私たちが採ってくれば、作ってくれるんでしょう?」


 どうせそうなるだろうとは思っていたし、特に問題はない。


「いえ、お二人では無理ですね。というか、今の時期にはたとえ誰だったとしても無理です」

「え? どういうこと?」


 正直な話、私とシュレリアが二人でかかれば、どんな素材でも採ってくる自信があるんだけど。結構、過酷な場所にしかなかったりするんだろうか?


「足りない素材の名は、神護石と言います」

「「神護石?」」


 そんな名前の素材は聞いたことがない。シュレリアの授業を真面目に聞いておくべきだったかな。


「神護石はその名の通り、遥か遠くの国で奉っている神を加護を得た鉱石です。本来は一つの巨大な鉱石なんですけど、年に数度、その石が欠ける時があるんですよ。その鉱石の破片を僕たちは神護石と呼んでいるんです。こればかりはこちらに渡ってくる時期が決まっているので、僕たちではどうしようもないんですよ」

「次の入荷予定日とかはわかってないの?」

「本来なら、この時期に船の連絡が来るはずなのですけど、先程も言った通り魔物のせいで船が出ないので……」

「つまり、魔物をどうにかさえすればいいってことでしょ?」

「え、ええ。そうですけど……」

「じゃあ、やることは一つしかないじゃない。私たちが魔物をどうにかするから、材料の手配をしておいて頂戴」

「そ、そんな! 危ないですよ!?」

「でも、メルもレルヴァンさんも困っているんでしょう? 二人だけじゃなくて、此処に住んでいる人も」


 他国なら放っておいたかも知れないけど、これでも一応この国の王女なわけだし? お爺様からも困ってる人を助けろって命じられてるしね。

どうせ、旅の資金もどうにかしないといけないんだから。クラーケンの討伐報酬と、素材を売れば結構いい稼ぎになると思うし。


「大丈夫。私に任せなさい」

「メルさん、ウィルベル自信満々の時は大抵どうにかなると思うので、心配しないでください」

「二人とも……ありがとうございます。でも、無茶だけはしないでくださいね」

「わかってるわ。しばらくは宿に泊まる予定だから、何かあったら尋ねてきて頂戴」

「紅茶、ご馳走様でした」


 メルとの話を切り上げて、外へと出る。

 さて、これからどう動きましょうかね。目下の目的はクラーケンの討伐なんだけど、あそこまで見栄を切ってしまった以上、出来るだけ早く事を片付けてしまいたい。


「シュレリアと合流して情報を貰った方がいいかもね。ちょっと早いかも知れないけど、酒場の方に向かいましょうか」

「う、うん。そうだね」

「……ロゼ? どこか調子でも悪いの?」


 ロゼの返事がどこか普段と違っていたので振り返ってみると、ロゼは浮かない表情をしていた。


「いや、そういうわけじゃないんだけど。その、ごめんね?」

「はあ? 私に何かしたの?」


 急に謝られても、心当たりが全くない。


「僕のせいでウィルベルが危ない目に、いたっ!?」


 俯きながらうじうじと呟くロゼの脳天を目掛けて手刀を振り下ろす。予想以上に勢いが強かったせいで、ロゼが若干涙目になっているけど、そんなことを気にしている場合じゃない。


「ロゼのせいじゃないわ。そもそも私が無理やり一緒に行くって言いだしたんだから。それに、お爺様からの条件もあるからね」

「条件……?」


 私はポーチの中から、ビンゴブックを手渡してロゼへと手渡す。シュレリアの話が本当なら、ロゼも似たようなものを持っているはずだし、隠す必要もない。


「今回の事に関してはロゼの件がなかったとしても、どうせやらないといけないことだったの。だから、ロゼが気にすることじゃないわ。それに、ドラゴン退治の経験を持つ私からすれば、イカの討伐なんて楽なもんよ」

「ウィルベル……。ごめんね」

「ロゼはそのすぐに謝る癖をどうにかした方がいいわね。ほら、早くシュレリアと合流しましょ」


 ロゼの前だから見栄を張って、楽なんて言っちゃったけど、クラーケンと戦闘とかしたことないけどどうしよう。そもそも、海の中に生息してる魔物とどう戦えっていうんだろうか。

 歩いてきた道を引き返しながら、何かいい策がないか思案してみるけど、これがなかなか上手くいかない。


「やっぱり、シュレリアに頼るしかないか」


 悔しいけど、私よりも経験は豊富なわけだし。こういう時は存分に頼らせてもらおう。

 酒場の扉を開けて中へ入る。昼間だというのに、店内はいかつい男たちで埋め尽くされ酒の匂いが充満している。店内を見回してみると、奥の方でひっそりと佇んでいるシュレリアの姿を見つけた。


「ロゼもなにか飲む?」

「あ、僕はミルクで」


 店主からミルクとエール、軽食を受け取って、シュレリアがいるテーブルへと向かう。木で出来たジョッキに並々と注がれたエールを半分程飲み干してから、私たちが聞いてきた情報をシュレリアに話す。


「シュレリア、なんかいい策があったりしない?」

「クラーケンの討伐に使えそうな策、ですか。私もクラーケンとの戦闘経験はないので今の所は何とも言えませんね」

「うーん、シュレリアでもダメかあ」

「実物を見ないことには策の立てようがないかと」

「じゃあ、見に行きましょうか」


 どの海域に出るのか、どれくらいの大きさなのかを確認するには、自分で調査するしかない。それに、船に乗ったことがないからちょっと楽しみなのよね。


「ちょ、ちょっと待ってウィルベル! 本気なの?」

「当たり前でしょ。港なんだから船の一隻や二隻くらい置いてあるだろうし」

「話は聞かせてもらったが、そいつは無理だぜ。嬢ちゃん」


 ロゼと話していると突然隣のテーブルで飲んでいた一人の男が話しかけてきた。いかにも船乗りといったような風貌で、大量の酒を飲んでいたのかこの距離からでも酒臭さが尋常じゃない。


「無理ってどういうこと?」

「魔物がいるのに、船を出すバカはいねえって話さ。それに、嬢ちゃんみたいなか弱い女が海に出た所で、クラーケンに食われて終わっちまう」

「私はそのクラーケンを食べるために海に出るつもりなんだけど?」

「はは、冗談を言っちゃいけねえ。船乗りってのは力自慢が多い。そんな俺たちでも歯が立たねえのに、嬢ちゃんみたいなほっそい腕で何が出来るってんだ?」


 男の声に反応して、周りにいた人たちが沸きあがる。ここにいる人間は見た目でしか人を判断出来ないのだろうか。


「じゃあ、私があんたに力で勝ったら船を出してくれる?」


 こういうタイプは単純な挑発に引っ掛かりやすい。こうやってちょっと怒り気味に吹っ掛けてみれば。


「おう、いいぜ。嬢ちゃんが勝ったら船でも何でも出してやらあ。なんなら全裸で街を一周してきてやってもいいぜ」


 ほら、乗ってきた。


「じゃあ、私が負けたら同じように全裸で街を一周してきてあげるわ」


 私の言葉に反応して、酒場で大歓声が巻き起こる。どうして男っていうのはこうも単純なんだろうか。


「ウィルベル、やめたほうがいいんじゃない? 危ないってば」

「ツレの嬢ちゃんの言う通りだぜ? 引き返すなら今のうちだ」

「全力でやってねウィルベル!」


 せっかく相手の身を案じて辞めるように促してくれたのに、相手がロゼの地雷を踏み抜いたせいでその気遣いもパーになる。つくづく運がないわねこの男。


「それで、勝負の方法はどうするの? 私は何でも良いんだけど」

「俺たち船乗りの中で力を競う時はコレと決まってんのさ!」


 男が酒場の隅に置いてあった巨大な樽を抱え上げて、店の中央に設置する。


「ルールは簡単。自分の手の甲が樽に着いた奴の負けだ。マスター、審判を頼む」

「おっけー、理解したわ」

「本当にやるのかい?」


 心配そうな表情でマスターがこちらを見てくる。


「負ける気がしませんので」

「嬢ちゃん、さっきの約束忘れんなよ?」

「あんたこそ、全裸になる準備をしといたほうがいいわよ」


 樽の上に腕を置き、男としっかり手を組む。相手から伝わってくる手の感触は確かに一般人とは違っているが、あくまでちょっとだけ優れている人にしか過ぎない。


「ぜってぇ勝てよドノヴァン!」

「負けたらわかってんだろうな!」

「おう! 任せとけ!」

「では」


 握り合った手の上にマスターが手を被せ、開始の合図を待つ。


「レディー……ファイッ!」


 一際大きな声で開始の合図が告げられる。勝負は一瞬だった。合図と共に腕に思い切り力を込めて、勢いよく相手の方に腕を倒す。男の腕は樽に叩きつけられ、樽を破壊し、そのまま身体が宙に浮いた。

 大きな音を立て、樽の残骸と共に男が地面に叩きつけられる。

 先程まで大騒ぎしていた店の中は静まり返り、私は高々と手を高く掲げた。


「おぉおぉおおおおおお! すげぇな嬢ちゃん!」

「ドノヴァンの野郎を倒すたぁ大したもんだぜ!」

「マスター! 嬢ちゃんにエールをくれてやれ!」


 一斉に沸きあがる観客たち。差し入れで貰ったエールを一気に飲み干すと、更に歓声が上がった。ふん、私に勝つに修行がまだまだ足りないわ。これで、船の確保は完了と。


「ねぇ、あんたもいつまでも伸びてないで起きなさい」

「んん……」


 ドノヴァンと呼ばれていた男の胸倉を掴んで揺さぶってみても、気を失ったまま起きる気配がない。まったく、余計な手間を増やさないで欲しいわ。


「マスター。水を貰えるかしら」


 受け取ったカップの中に入っていた水を顔にかけ、軽く頬を叩く。


「ん、あ、ああ……ここは……」

「やっと起きたわね。約束は憶えているかしら?」

「約束……? あ、あぁ、負けたのか俺は」


 強い衝撃を受けたせいで、もしかすると記憶に障害が起きているのかも知れない。そんなことで約束を反故にするつもりはないけど。


「大丈夫だ、ちゃんと覚えてるよ。男に二言はねえ。約束通り船を出そう」

「いや、そうじゃなくて」


 もちろん、船は出してもらうつもりだけど。


「私が言ってるのはもう一つの約束の方よ。まさか、忘れたなんて言わないわよね?」


 私の言葉を聞いたドノヴァンの顔がみるみるうちに青ざめていく。自分から言った言葉にはちゃんと責任を持たないとね。


「男に二言は無いんでしょう?」


 周りからの野次もいい感じに飛んでいる。観客全員が証人になってくれているお陰で逃げることも出来ない。


「僕の女の子扱いした報いを受ければいいんだ……」


 隅っこの方ではロゼが何かを呟きながらドノヴァンを恨めしそうに睨みつけていた。店内から巻き上がる脱げというコール。私もロゼも、いつの間にかシュレリアも声をあげていた。


「くそったれ! わかった、わかったよ! 脱げばいいんだろ!」


 雰囲気で逃げられないことを悟ったのか、ドノヴァンが観念して服を脱ぎ始めた。何が楽しくて男のストリップを見ないといけないんだろう。むしろ私が罰ゲームを受けているんじゃないだろうか。


「これでいいんだろ!」


 若干怒り気味で叫ぶドノヴァン。全裸じゃなければもう少し迫力があったかも知れない。というか、そろそろ目に毒だから視界から一旦消えて貰いましょうか。


「何してんの?」

「なにって、約束通り脱いだんだが」

「話が違うわ。全裸で街を一周するんでしょう?」

「なっ、それは冗談――」

「それとも、誇り高き海の男は自分で口にした約束すらも守れないのかしら?」

「くそっ! いいか覚えてろよ!」


 やられ役の定番台詞を吐きながら、ドノヴァンは全裸で外に駆け出して行った。今から約束通り、街を一周してくれるのだろう。ご愁傷様としか言いようがないけど、自分から言い出したことなんだから自業自得よ。

 それからしばらくして、帰ってきた死んだ魚のような目をしたドノヴァンや酒場の船乗りたち交えて話を始める。


「この中で実際にクラーケンを見たことがある人っている?」

「俺の船に乗ってた奴らは見たことがあるはずだぜ」

「姿を見た奴は大体喰われちまってるからなあ」

「もしかして、このドノヴァンって幽霊だったり」

「しねえよ。襲われたのは俺の前にいた奴らの船だからな。あいつらには悪いとは思ってるが、自分の命には代えられねえ」

「全裸で街を回る男とは思えない程いい心がけね。まあ、船は出してもらうけど」

「わかってるって。それも約束だからな」

「大丈夫。危なくなったら引き返してもいいから」


 流石に船員を危険に晒すわけにもいかない。本当に危ないと判断した場合は最悪私たちだけで向かうことになるけど、普段から海に慣れている人が居てくれた方が心強い。


「それで、知ってる限りでいいからクラーケンについて教えてもらいたいんだけど」

「つってもなあ。俺たちもそんなに知ってるわけじゃないから、あんまり参考にならないと思うぜ?」

「別にいいのよ。あくまで参考にしたいだけだから」


 どうせ後で見に行くんだから、聞かなくても問題はないんだけど。船乗りたちとの友好を深めておいても損はない。


「んで、アイツを見た感想なんだが……正直、怖い以外思い浮かばねえよ。俺たちは後ろにいたから助かったが、前を進んでいた船が一瞬で海の中に引きずりこまれたからな。出来れば二度と見たくねえ」


 ドノヴァンを皮切りに彼の船に乗っていた船員たちが同じようなことを語りだす。海から触手が伸びてきたとか、海の中に巨大な影あっただとか、図鑑に描かれていることと相違ない。


「もう十分よ。大体わかったし、後は自分で確かめてみるわ。流石に今から……っていうわけにもいかないだろうし、出発は明日の朝でいい?」

「ああ、分かった。明朝、桟橋に船を用意しておく」

「それじゃあ、私たちはこれで失礼するわ。ロゼ、シュレリア、行きましょう」


 店から出る時、マスターに小さく耳打ちする。


「お代はドノヴァンに請求して頂戴」


 マスターは「あいよ」と気前よく返事をしてくれた。これも私をバカにした罰ってことで。


「さて、と。まだ日が暮れるまでにはもう少し時間があるけど、今日は解散にしておきましょう。明日も早いし」

「お嬢様、明日は絶対に寝坊などはなさいませんように」

「なんだったら起こしに行こうか?」

「大丈夫。同じ轍は踏まないわ」


 ロゼもシュレリアも二人して心配性なんだから。流石にこんな短期間で二度も寝坊するなんて有り得ないから。

 シュレリアが手配してくれた宿屋に入り、その場で解散する。少しでも経費を節約するために三人一部屋なのかと思ってたけど、贅沢にも一人一部屋らしい。私とロゼが一緒の部屋なのは色々拙いけど、シュレリアとは一緒の部屋でも良かったのに、って言ったら、


「寝る時までお嬢様と一緒の部屋では、お嬢様気が抜けないでしょう?」


 と、返されてしまった。別に私はそういうの気にしないんだけどなあ。

 シュレリアから渡された鍵に記載されている番号と同じ部屋を探し、鍵を開けて中へと入る。多少年季は入っているものの、個人的には好きな部類の部屋だ。空気を入れ替えるために窓を少し開けてから、部屋の隅に備え付けられたベッドに腰かけて、そのまま仰向けに倒れこむ。


「ふぅ」


 少しだけ休憩しようと、目を瞑った所で急激に眠気が襲ってきた。昨日は馬車の中で眠ったせいか、睡眠の質があんまりよくなかったのかも知れない。

 夕食の時間にはまだ少し早いし、ちょっとだけ仮眠を取ろうかな。そうすれば、明日の朝も寝坊しなくなるだろう。


「おやすみなさい」


 窓から入ってくる心地良い風につられて、私はそのまま眠りに落ちてしまった。


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