02 猪の丸焼き
「ふわぁ~あ」
チチチチ、と窓の外から聞こえてくる小鳥の囀りが窓の外から聞こえてくる。窓の外から差し込む光が顔を照らしてくるせいで、まだ微睡みの中にいる私と意識に反して身体が覚醒を促してくる。
顔に日差しが当たらないように、頭から布団を被りなおした。昨日は夜遅くまで武器を選選んでいたせいで眠るのが遅かったせいで睡眠時間が足りていない。
そういえば、どうして私はあんなに遅くまで起きていたんだっけ? 何か大事なことを忘れているような……。
「あー!? 忘れてた! 集合って朝じゃない!」
布団から飛び起きて、部屋のテーブルに置いてあった服に急いで着替える。この部屋の窓の配置上、日差しが入り込んできているということは既に太陽は登り切ってしまっている。
「もう! ロゼってば起こしに来てくれてもいいのに!」
かなり遅れているはずなのに、呼びにすら来ないなんて。ロゼなら起こしに来てくれると思ってたのに! おそらく、シュレリアが私を甘やかさないようにロゼを言いくるめたんだろうけど。
「あ、ウィルベリーナ様――」
四十秒で身支度を済ませ、急いで集合場所へと駆け抜けていく。
途中、すれ違ったメイドが何かを言っていたような気がするが、そんな事を気にしている余裕もない。
城を出て街を抜け、南門へと辿り着いた。しかし――
「あ、れ……? 誰も、いない?」
もしかして、集合場所間違えた? いや、集合時間に間に合ってないんだから居ないのが当たり前なんだけど。
「ねぇ、えーっと、白髪のメイドと茶髪の少年の二人組を見ませんでしたか?」
「いえ、見ておりませんが……」
「そうですか、ありがとうございます」
近くに立っていた衛兵に話を聞いてみても、二人の姿は見ていない様子。
「うーん? 南門に集合って言ってたはずなんだけどなあ」
「ええ、南門に集合であっておりますよ。ウィルベリーナ様」
「ひぁっ!?」
まるで最初からそこにいたかのように、私の背後からシュレリアの声が聞こえてきた。驚いたせいで、思わず出してしまった裏拳もなんなく受け止められてしまっている。
「思っていたよりもお早い到着でしたね、ウィルベリーナ様?」
「うっ、そ、それはその……ごめんなさい」
シュレリアの表情は満面の笑みだというのに、身体に伝わってくる圧力が凄まじい。
「別に、怒ってなどいませんよ。どうせ、予定時刻には間に合わないだろうと思って早めの時間をウィルベリーナ様にはお伝えしていましたし」
「えっ? じゃあ、私が遅刻したわけじゃないの?」
「そうですね。本来の集合時間は正午ですし、ギリギリ遅刻にはなっていません」
私がちゃんと起きていたらどうするつもりだったのだろうか。
いや、実際寝坊したわけだから何も言い返せないんだけど。
「ウィルベリーナ様、シュレリア様もこんにちは。お二人とも随分とお早いですね」
シュレリアと話をしていると、街の方からロゼの声が聞こえてきた。
ロゼの服装は、何度か見たことのある狩猟用の服だ。聞いた話によると、エンシェントドラゴンの皮を使っているとか。皮自体は市場に流れてくる時もあるけど、大体偽物か、本物だとしてもかなり吹っ飛んだ値段をしている。
「ローゼー! シュレリアが居るからってよそよそしくなってんじゃないわよ!」
「ご、ごめん。次からは気を付けるから」
「ウィルベリーナ様。あまりロゼルティア様を困らせてはいけませんよ」
「シュレリア、あんたも様とかつけてないで普通に呼びなさい。私たちは身分を隠して旅をしないといけないんだから」
「その条件はウィルベリーナ様に課されているだけで、私とロゼルティア様は関係ありませんが?」
「えー。あんたそんな薄情なこと言うわけ? ロゼからもなんとか言ってやりなさいよ」
「えっ、えーと。 シュレリアさん、出来ればその……僕のことはロゼと呼んでくれると助かります」
「ではこうしましょう。私はロゼルティア様のことをロゼさんとお呼びしますので、ロゼルティア様は私のことをシュレリアとお呼びくださいませ。それでは、これからよろしくお願いしますね、ロゼさん」
「えっ、えっとその、よ、よろしくシュレリア」
「いちゃつくのはそこまでにして頂けるかしら?」
私の目の前でいちゃいちゃしてんじゃないわよ! 全く、ロゼもロゼよ。シュレリアにデレデレしちゃって。私と何が変わらないっていうの? やっぱり、胸なの? 何よ、確かにシュレリア程大きくはないけど、私だってそこまで小さくはないんだから。
「ねぇ、ウィルベル。ウィルベルってば」
一人で胸と睨めっこをしていると、背後から肩を叩かれた。
「えっ、あ、ごめん。どうしたの?」
「ほら、馬車が来たからあれに乗らないと」
ロゼが指をさした方向には一台の馬車が。シュレリアは既に荷台へと乗り込んでいる。
「ああ、うん。ごめんね、ありがとう」
「ううん、全然いいよ。それと――」
慌てて馬車へと向かおうとすると、ロゼが急に近づいてきて、
「短い髪も似合ってるよ」
耳元でそう囁いて、駆け足で馬車の方へと向かっていった。
身体の体温がどんどんと上がっていき、顔が紅くなっているのがわかる。変装と気分転換のため、昨夜のうちにシュレリアに髪をばっさりと切ってもらってたんだけど、こんなタイミング言われるとは思ってもいなかった。
「ウィルベルー! 早く早くー!」
荷台で叫ぶロゼの声。全く、私の気も知らないで。
慌てて馬車の方へと駆け寄って、荷台へと飛び乗る。どうやら、乗っているのは私たちだけらしい。
「ウィルベル、何を道端で呆けているのですか? すみません、出発してくださいな」
「あいよー」
シュレリアの声に反応し御者の覇気のない声とともに、馬車が動き出す。
久しぶりに乗る馬車は思っていたよりも揺れているけど、我慢できない程ではない。
「それで、この馬車は何処へ向かっているわけ?」
気分を落ち着かせるために、適当な話を振る。旅の目的地はロゼが全て決めることになっているので、私は乗っているこの馬車がこれからどこに向かうのかすらわからない。飛竜便を使わないからそこまで大した距離じゃないんだろうけど。
「んー、とりあえずの目的地はレーヴァ港かな」
「レーヴァ港? あんな辺鄙な港街に用事があんの?」
レーヴァ港はここから馬車で一日程走った所にある寂れた港だ。昔は大量の商船が停泊して栄えていたらしいが、海に巨大な魔物が住み着いてからは船の数も減り、今では一月に数便程度まで減ってしまったらしい。
「港というか、そこに住んでいる人にちょっと用事があって。用事があるのは僕じゃなくてお爺ちゃんなんだけど」
「リーゼルブルク様が?」
「うん。レーヴァ港の隅っこに鍛冶屋があるらしいんだけど……」
「レーヴァ港の鍛冶屋と言えば一つしかないでしょう」
そこまで会話に参加混ざろうとしなかったシュレリアが突然喋りだした。
「レーヴァ港のレルヴァン老と言えば、その界隈では有名な刀鍛冶ですね。私も、彼の作品は愛用させて頂いています」
「へぇ? その刀もそのレルヴァンって人が造ったの?」
シュレリアの傍らに置いてある、刀を指して尋ねてみる。ここら辺では滅多に見かけることのない作りをしているが、凄腕の刀鍛冶なら作れるんだろうか。
「いえ、これは違う人の作品です」
あ、違うんだ。
「お爺ちゃんはそのレルヴァンって人に新しい包丁を作ってもらいたいみたいで」
「包丁、ですか」
包丁を作る刀鍛冶……。広い意味では包丁も刀として扱うのだろうか?
あ、というか。
「ねぇ、刀鍛冶ってことは頼めば私の剣とかも作ってくれるかな?」
「さぁ、どうでしょうね。あの人は気に入った客にしか自分の打った刀を与えないので。お嬢様次第ではないでしょうか」
シュレリアが私の呼び方をさりげなく変えていた。私としてもなんだか違和感があったけど、自分で言ってしまった以上訂正するのは忍びなかったので、正直助かったわ。
「でも、レーヴァ港まで長いわねー。飛竜便を使えば一瞬だったんじゃないの?」
馬車での旅も悪くはないが、どうしても他の移動方法に比べると速度が遅い。原因は色々とあるのだが、その分値段は安くなっている。
それに比べて飛竜便はというと、値段は少々張るが、空を飛んでいくので障害物がほとんどなく、目的地まであっという間に辿り着くことが出来る。
「流石にそこまでの贅沢は出来ないかな……。飛竜便だと一匹につき一人しか乗れないし」
「お金の心配してるんだったら、私たちが出すわよ。ねぇ? シュレリア」
城の中で生活している時は、城下町に降りて買い物なんかをすることがなかったので、戦争の褒賞としてもらったお金がそれなりに余っている。
それに、シュレリアにはお爺様からの支援が入っているはずなので、お金には余裕があるはずだ。
「お嬢様、お忘れになったのですか? 今回の旅はあくまでお忍びなのですよ?」
「もちろん忘れてないけど? それがどうしたの?」
「今回の旅に、金銭的な支援はありません。理由は先程述べた通りです」
「……うそぉ?」
「残念ながら本当です。そして、私の所持金は極僅かしか残っていません」
不味いことになった。シュレリアの言うことにも一理ある。王女であることを隠すのであれば、当然国のお金も使えない。
「ねぇ、シュレリア? あんた、お爺様から活動資金を貰ってなかったっけ?」
確か、国外での活動が多いシュレリアには定期的に支援金が支払われていたはず。
「ええ、頂いています。でも、武器の新調をしたら底を尽きましたわ」
「無駄に色んな武器ばっか買ってんじゃないわよ!」
「もう半分趣味みたいなものですから」
「ロゼはどう?」
「僕も似たような感じかな」
うーん。そうなると飛竜便なんて乗っている場合じゃないわね。むしろ、レーヴァ港程度の距離なら馬車を使わずに歩いて行ったほうが良かったかも知れない。
もしどうしてもお金に困るようならシュレリアの武器を売れば多少のお金にはなるでしょうし。ああ、いや、そういえばあの手帳の魔物って懸賞金がかかってるんだっけ。
「レーヴァ港周辺は……あ、あったあった」
腰に巻いた小さなポーチの中から手帳を取り出して、この辺りに生息している魔物の情報を探してみる。
「うわぁ、クラーケンかあ」
どれだけ探してみても、この周辺の魔物はクラーケンしか載っていない。おそらく、レーヴァ港に船が寄り付かなくなった理由はこいつのせいだろう。これからのことを考えると、資金面でも狩っておいた方が良いんだろうけど、問題は海の中に生息しているクラーケンをどうやって倒すかだ。
船に乗って海に出て直接殴るのが一番てっとり早いけど、倒す前に船ごと海に引きずりこまれたら一巻の終わりだし。
流石の私も海中では自由に動くことが出来ない。水中戦になった時点で負けが確定しているようなものだ。
うーん、これはパスかなあ。他に何か倒せそうな魔物がいればいいけど。
しばらく手帳の中身を眺め続けたが、特に目ぼしい魔物もいなかったので眠ることにした。
「ごめん、ロゼ。何かあったら起こしてくれる?」
「ん、おやすみウィルベル」
「おやすみ」
荷台に枕に適した荷物が乗っていなかったので、仕方なくロゼの太ももを枕替わりに眠ることにした。頭に伝わってくる感触は、素材のせいか思ったよりも固いけど我慢できない程ではない。何より、ロゼが優しく頭を撫でてくれるので思ったより早く私の意識は闇の中へと溶けて消えた。
「――けて」
遠くで聞こえる声がした。誰かに何かを求めるような声。最初はロゼの声かと思ったけど、近づくにつれて、声の主がロゼではないことに気づく。
これが夢だと理解するのに、そう時間はかからなかった。私が眠りにつくときは大抵似たような夢を見る。自分以外見えない真っ黒な世界を漂う夢。
「たすけて」
かすかに聞こえてきていた声も、今ははっきりと聞き取ることが出来た。いつの間にか現れていたのか、目の前には一人の男が命乞いをしている。
夢の中の私は、さも当然のように握っていた剣を振り下ろした。
男の小さな悲鳴とともに、どさりと男の首が地面へと落ちる。落ちた首へと視線をやると、既に息絶えているはずなのに、生首はこちらを睨みつけていた。
「どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――」
まるで壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す生首を何度も何度も踏み潰す。元の形がわからないくらいぐちゃぐちゃになった所で、ようやく足の動きを止めた。
こんなこと無意味だとはわかっている。先程まで闇しかなかった周辺には、先程のように様々な人間が命乞いをしていた。片っ端から首を落としていく。
どれくらいの人間の首を落としただろうか。最初の頃は数えようとしていたけれど、繰り返していくうちに数えることを放棄した。
いつになったらこの夢は覚めてくれるのだろうか。無抵抗の人間の落とし続けるのは精神的にかなりきついものがある。
足元は既に切り落とした首で埋め尽くされている。どれもこれも、恨めしそうな表情でこちらを睨みつけていた。
「――ベル。ウィルベル!」
夢の中で私の名前を呼ぶ声がして、意識が一気に現実世界へと引き戻される。
「大丈夫? うなされていみたいだけど」
目を開けると、心配そうな表情で私の顔を覗き込むロゼの姿がそこにはあった。身体を起こしてから深呼吸をする。無造作に額を拭った手のひらには汗がべったりとついていた。
「大丈夫。心配しないで、ちょっと嫌な夢を見ただけだから」
「本当に?」
「いつものことだから、気にしないで」
ロゼはまだ何かを言いたそうにしていたけれど、それ以上何も言ってくることはなかった。ハンカチで汗を拭ってから、少し風に当たりたくて荷台から顔を出す。天高く昇っていたはずの太陽は既に落ちかけていて、空は紅に染まっていた。
「わっ――っとと、あ」
「危な――いったぁっ!?」
大人しく荷台に戻ろうとしたら、急に馬車が停止したせいで思わずよろめいてしまう。咄嗟に身体を支えようとして伸ばした手が、私を支えようと動いていたロゼの顔面に掌底気味に入ってしまった。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫……」
うわごとのように大丈夫と繰り返すロゼの目は、どこからどうみても焦点が合っていない。
「どうみても大丈夫じゃないー!」
私に回復魔法が使えたら、こんなものすぐに直せるのに。
御者の奴も、止まるなら止まるって言うか、謝罪くらいしなさいよね!
「こらぁ! 運転くらいちゃんとしなさい、よ……ね?」
文句の一つでも言ってやろうとして、御者の方へと近づくと前方がやけに騒がしい。さっき顔を出した時の景色から察するに、ここはまだ人気のない山の中のはず。こんな場所で出くわすなんて大抵ロクなもんじゃない。群れをはぐれた野生動物だったらまだしも、魔物が飛び出してきていた場合、御者では話にならない。
「ちょっと様子を見てくるわ。シュレリア、ロゼを見てて」
「私が行きましょうか?」
「いや、新しい武器も試してみたいから大丈夫。もし無理だったら改めて呼ぶわ」
「承知いたしました」
あんな状態のロゼの隣にいると、申し訳なさすぎていたたまれない。戻ったらちゃんと、謝ろうなんて思いつつ、逃げるように荷台から飛び出して前の様子を伺う。
「命が欲しけりゃそいつを置いて行ってもらおうか!」
「大人しくしてりゃ命までは取らねえよ!」
馬車の行く手を遮るように十数名程度の男が並んで立っていた。いかにもチンピラのような台詞を吐き捨てながら、刃毀れの酷い粗末な剣で御者に脅しをかけている。周辺の茂みや木の上にも複数人の気配。本人は隠れているつもりなのだろうけれど、気配を全くと言っていい程隠せていない。
とはいえ、一般人からしてみれば武装した男たちに囲まれている状況は絶望的なのだろう。御者は顔面蒼白で、ガタガタと震えている。
「はいはい、いい大人がみっともなくつるんでんじゃないわよ」
ここで見捨てるわけにもいかないので、馬車の陰から飛び出して間に割り込む。
「なんだぁ、テメェ? ガキはすっこんでろ!」
「お? こいつ、女じゃねぇか?」
私を見た男たちからの気持ち悪い視線が身体に突き刺さる。非常に不愉快なので、早々にやめてもらいたい。
「命が欲しかったら武器を捨てて投降しなさい」
「俺たちの真似かァ? ギャハハ!」
「泣いて謝ったって許さ――がぱっ!?」
「あら、ごめんなさい。やりすぎちゃった」
こちらの話を聞くつもりがないようなので、戦闘で呑気に喋っていた男の脳天に踵落としをぶちかます。何が起きたのか理解出来ずに動きが止まっていた男たちの首をハイキックで刈り取り、頭を踏み潰した所で私の周りを取り囲んでいた男たちがどよめきはじめた。
「もう一度だけチャンスをあげるわ。武器を捨てて投降すれば命までは取らないわ」
「ふざけんな! お前ら、一斉に掛かりやがれェ!」
「「「オゥ!」」」
「バカばっかりね」
せっかくチャンスを与えたというのに、誰一人従うものはいない。後ろの方で偉そうに指示を出していた眼帯の男が何も言わなければ楽に殺してあげたのに。
こっちに攻撃を仕掛けようとしているのは正面から三人と木の上から一人。バカ正直に突っ込んできている三人には、足元にあった首のない死体を蹴りつける。
「――!」
怯んだ一瞬の間に距離を詰め、一番右にいた男の股間を蹴り上げる。つま先で何かが潰れるような感触と同時に男がその場に倒れこんだ。地面へと落ちた男の剣を拾い上げて、左側から迫る剣を受け流し、木の上から飛んできた矢を叩き切る。
あの弓矢、別に避けられないことはないけど、面倒ね。
「何処見てんだテメェ!」
私に隙があると思ったのか、先程の男が何の小細工もせず正面から力任せに剣を振り下ろうとしていた。
キィン、と金属がぶつかる音が辺りに響いて、私が持っていた剣が真ん中から二つに折れた。元々状態が悪かったんだろうし、力任せに相手の剣を受けてしまったせいだろう。
「ふっ!」
空中で回転していた折れた剣先を蹴り飛ばして、木の上から狙ってきていた奴を無力化する。着地の隙を狙って相手の剣が横に払われたが、上体を倒して回避。腕の力を使って、顎を思い切り蹴り飛ばす。
これで倒したのは三人。まだまだ先は長そうだ。
「そういえば、新しい武器をまだ使ってなかったわね」
一定の距離を取って近づいてこない男たちをどうしたものか、と考えていた所で腰に携えた武器のことを思い出した。
城の武器庫をあさっている途中に、面白そうな武器を発見したので剣をやめてこれにしたんだけど、上手く使えるかしら。
私が取り出したのは、一本の杖。先端に宝石があるわけでもなく、凝った装飾もされていない武骨な金属製の杖だ。
使いかたは単純明快。複雑な術式の構築、展開も必要なく、詠唱も必要としない。魔力を込めて相手を殴るだけで、杖自体に施された術式が勝手に発動する。ただ、燃費が物凄く悪いらしいが、私にとっては何の問題もない。
「なに? もう終わりなの?」
先程までの威勢はどこに消えたのか、その場で立ち尽くして動かないので仕方なく私から動く。狙うのはあの眼帯の男。こういう集団は大抵頭を失えば統率が取れなくなるはずだ。
地面を強く蹴り上げ、後方にいた眼帯の男まで一瞬で距離を詰める。
「せぇーのっ!」
掛け声を出しながら持っていた杖を力強く握りしめ、下から振り上げた。読まれていたのか、それともたまたまなのか分からないけど、眼帯が握っていた剣に防がれる。だけど、そんなことは関係ない。そのまま力の限り振りぬくと、眼帯の身体が宙へと舞った。
「う、おお!?」
「ほー、やるじゃない」
久しぶりの戦闘でやはり身体が鈍っているみたい。それとも杖を使うのが初めてだからかな? 剣ごと破壊するつもりだったんだけど、上手くできなかった。まあ、関係ないんだけどね。
この杖に組み込まれている術式は爆破。杖本体に衝撃が加えられると、接触している物質に魔力を流し込で一定時間後に爆発する仕組みらしい。ついでに、対象が爆発する前に杖を再度触れた場合、魔力が相手の身体に蓄積していくらしい。
蓄積された魔力量に応じて爆発の規模が大きくなるらしいけど……。
「あ、爆発した」
上空では今まさに先程触れた眼帯が爆発していた。いや、爆発したのは剣かな? 眼帯には直接触れてなかったし。範囲自体は結構広そうね。剣の爆発に巻き込まれたであろう眼帯は黒コゲになりながら落下を始めている。
「ひ、ひィ!」
どさり、という鈍い音と共に周りにいた男たちが一歩、二歩と後退りを始めている。
「あんたら、私に喧嘩売っといて逃げられると思ってんの?」
「ま、待ってくれ! 俺たちは無理やり従わされてただけで――」
「問答無用!」
話していてもおかまいなしだ。私の話を聞く気がなかったくせに、自分たちの話は聞いてもらえるなんて都合のいい話はない。
話していた男の顎を掌底でかち上げ、逃げ腰になっている連中の無防備な背後から杖で殴り掛かる。爆発の規模から察するに、人間相手には一度か二度殴るだけで十分なようだ。あまり連撃を叩きこんでしまうと、花火のように爆ぜかねない。
茂みに隠れて震えていた奴も首根っこを掴んで引きずりだし、地面へと叩きつける。
「さて、これで残ったのはあんただけね?」
特に何の問題もないまま、一人を残して掃除が終わる。所詮ただの野盗、人数が多いだけでウォーミングアップにもならない。
「た、助けて……」
「嫌よ。そうやって助けを求める人たちにしてきたことを思い出しながら後悔しなさい」
「死にたくない、死にたくねェよぉ……」
周辺に転がっている剣を一本手に取って、泣いている男の首筋へと添える。
「やっ、やめてくれ……頼む、頼むから、なんでもするからっ……!」
「プライドも何もあったもんじゃないわね。情けない、気分が変わったわ。あんた、利き腕はどっち?」
「な、え……?」
「早く答えなさい。利き腕はどっちって聞いてんの」
「右、右ですっ!」
「あ、そ。じゃあ腕一本で勘弁してあげる。ただし、叫んだら殺すわ」
「は、え? あッ、がっ、ぐぅぅ!」
握っていた剣を首筋から右腕の上に移動させ、笑顔のまま振り下ろした。男の身体を離れた右腕は地面へと落ちて、切断面からは血がどくどくと溢れ出ている。
「ほらほら、早く止血しないとせっかく助かった命が無駄になるわよ?」
「ひっ、あぁ……悪魔め……」
「あら、知らなかったの? 喧嘩を売った相手が悪かったね」
男は地面に落ちた腕を抱え上げ、山の中へと消えていった。くっつけやすいように切断面は綺麗にしてあげたかったけど、剣の刃毀れが酷すぎて上手く切れなかった。あの状態じゃどれだけ腕のいい医者でも腕を元に戻すのは無理だろう。そもそもあの出血量じゃ助かるかどうかすら怪しい。
「また随分とご機嫌が悪かったようですね?」
荷台から降りてきたシュレリアが目の前に広がる光景を見て小さく笑う。
「別に、そんなことはないわ」
「ガキって言われたのがそんなに癪に障りましたか?」
「んなことないって言ってるでしょうが! それよりも、あんたちょっと手伝いなさい。そこらへんで伸びてる奴らの装備を全部剥ぐわよ。ボロボロでも、売れば多少は金になるでしょ」
「身包みを剥いだあとは如何いたしましょう?」
「んな分かり切ってることをいちいち聞かないで。全員楽にしてあげなさい」
「承知致しました」
二人で手分けして、十数人分の武器と防具、消耗品を剥ぎ取っていく。野盗なだけあって、どれもこれもすべからく状態が悪い。ったく、武器の手入れくらいしときなさいよね。
「お嬢様、死体はどう致しましょうか?」
「そこらへんに放置しておくのもあんまりよくないわよね? 燃やす?」
「こんな山の中で燃やしたら木々に燃え移って大変なことになると思います。それよりも、細切れにして動物の餌にするのはどうでしょうか」
「魔物が寄ってきた時が面倒じゃない? この時間帯じゃ馬車も先に進めないだろうし、今日はここで野営でしょ? 寝てる時に魔物が寄ってくるとか最悪じゃない」
既に日は落ちてしまっていて、辺りを照らしているのは月明かりだけだ。
どうして私がこんなことで悩まないといけないのだろうか。なんだか処理方法を考えることすら面倒になってきた。この後にもう一仕事残ってるっていうのに。
「もう面倒だし埋めちゃおっか」
「お嬢様がそれでいいのなら構いませんが……この人数を埋めるとなると、結構な大きさを掘らないといけませんよ?」
「あー、まあ多分大丈夫」
あの杖を使えば、穴なんてすぐに出来るでしょ。……多分。
「ちょっと待ってて。すぐに掘ってくるから」
脇道に逸れて、森の中を進んでいく。あんまり遠くても持ってくるのが大変だし、馬車が視界に入るくらいの距離の所で止まってから、杖で地面を数回殴る。急いでその場を離れて少し大きめの木の陰で様子を伺っていると、数秒後に爆発音が辺りに響き渡った。
穴の様子を確認しに行ってみると、クレーターみたいに円形に穴が出来ている。うん、このくらい穴が開いてれば問題ないでしょ。爆発したせいで、被せる土が周辺に飛び散っているけど、気にしても仕方がない。
馬車まで戻って、シュレリアと二人がかりで穴の中に肉塊を投げ入れていく。
「これで最後ですね」
「あー、疲れた」
結局、三往復目で最後の肉塊を投げ入れ終わった。上から土を被せるのはシュレリアに任せて一足先に馬車へと戻る。
「ロゼー? 起きてるー?」
「う、ううん。ウィルベル……? えっと、僕は何して……」
「大丈夫? 馬車が急に止まったせいでバランスを崩して頭を思いっきり打って気絶したのよ」
目を覚ましたロゼは身体を起こして後頭部を擦っている。
私の掌底が当たったのは黙っておこう。
「ご、ごめんね。迷惑かけちゃったみたいで」
「全然大丈夫! 気にしないで? ロゼも目を覚ましたし、周辺に魔物の気配がするからシュレリアと見回ってこようと思うんだけど、一人でも大丈夫?」
「僕もついて行くよ!」
「さっきまで気を失ってたんだし、無理しないの。それに、全員見回りに出ちゃうと御者の人が一人になっちゃうでしょ?」
「でも……」
「私、ちょっとお腹が空いちゃったからご飯を作ってて待ってて欲しいなー……なんて」
「……わかった」
「そんな顔しないの。すぐに戻るから」
「ひ、ひひゃいよろじぇ」
しょぼくれた顔をしたロゼの頬を引っ張って無理やり笑顔にしてから、荷台の外へと出る。
「行くわよ、シュレリア」
戻ってきていたロゼに声をかけて、地面についた血の跡を追いながら森の中へと入っていく。
「どうしてロゼルティア様に嘘をついたのですか?」
薄暗い山道で、血の痕跡を辿っていると不意にシュレリアから質問をされた。
「……ロゼの邪魔をしたくないから」
当たり障りのない答えを返す。
「本当に、それだけですか?」
さっきの言葉は嘘じゃない。無理やりついてきてしまった手前、ロゼの邪魔になるようなことはしたくないし、出来る限りロゼの力になってあげたいと思っている。
けれど、何より私が怖いのは。
「ロゼの前で人を殺したくないだけよ」
ロゼは私が戦争に出ていることを知っている。勿論、人を殺していることも。だけど、それは知っているだけだ。
出来れば、ロゼの前で人は殺したくない。いや、これも厳密には違う。
私は、人を殺している姿をロゼに見られたくないだけだ。もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。幻滅されてしまうかもしれない。
だけど、人を殺すことに慣れてしまった私は。どこかが壊れてしまった私は。
人を殺すということに躊躇いがなくなってしまっている。人間として、決定的に壊れてしまっている。そんな私がロゼの隣にいるためには、自分が正常であると思い込むしかない。
「この話はこれで終わり。あれが目的の場所みたいね」
辿っていた血の跡が小さな洞窟の入口に続いているのを見つけて、二人で息を潜める。
「中にどれくらいの数がいるのかしら」
「この辺りを拠点にしている盗賊なら多くても三十人程度ですね。ついでに、先程お嬢様が始末した人数を考えると、十人から二十人程度かと」
「それなら問題ないわね。さっさと始末しちゃいましょ。ロゼのご飯が待ってるし」
「突入する前に、少々お待ち頂けますか?」
「ん? 別にいいけど、何すんの?」
「少しだけ準備を」
シュレリアはそう言って周辺に生えている木の方へと向かって行く。中から人が出てくることはないだろうけど、一応警戒しておこうかな。
「お待たせ致しました。では行きましょうか」
戻ってきたシュレリアと一緒に、洞窟の中へと進んでいく。洞窟の中は薄暗いかと思っていたけど、野盗が設置したであろう松明のお陰で明かりに困ることはなかった。
血の跡を辿って奥へと進んでいくと、やがて一つの部屋から人の気配と怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。隠れながら中の様子を伺う。
最初に目が付いたのは部屋の奥で酒を片手に男を怒鳴っている熊のような大柄な男。怒鳴られているのは、先程逃がした右腕のない男だった。部屋の中には他にも人が居るけど、自分には関係ないと言ったような雰囲気で、好き勝手喋ったり酒を飲んだりしていた。
「クルルディス・マーティンですね」
「は?」
シュレリアが聞きなれない名前を口にする。
「ですから、あの大柄な男の名前です。度重なる窃盗と殺人を犯して指名手配されています」
「指名手配ってことは……懸賞金高いの?」
「いえ、そこまで高くはなかったはずですが、今の私たちであれば多少なりとも足しにはあるかと」
私たちに手を出したらどうなるか、思い知らせるつもりだったけど思わぬ臨時収入が入ってきそうで助かるわ。魔物や野生動物だったら、行商人に素材を売れるけど、人間だとそうはいかないもんね。
「あ、そうだ。指名手配犯って、やっぱり死んでると拙い?」
突入前にこれだけは聞いておかないと。意識して手加減しておかないと、何かの拍子に死んでしまうかも知れないし。
「無論、生死問わずでございます」
「そう、なら安心したわ」
「お待ちくださいませ」
真正面から部屋の中へと奇襲をかけようとした私の腕を、シュレリアが掴んで引き留める。
「なに? どうしたの?」
私は早く戻ってロゼのご飯を食べたいんだけど。
「先程逃がした男が戻っているということは、お嬢様の顔も割れてしまっているかもしれません。その点、私であれば相手の隙をつくことが可能です」
いきなりメイドが現れるのも大概怪しすぎると思うけど、シュレリアがそこまでやる気なら任せていいかも知れない。一応、私の護衛って名目なわけだし?
「じゃあ、任せたわよ」
「ええ、承知しました」
シュレリアが言葉を言い終わると同時に、目の前から姿を消した。いや、気配が限りなく希薄になっているせいで、消えたように見えるだけで私の目の前に確かに彼女は存在している。
そしてそのまま、風景に溶け込むかのように部屋の中へと侵入した。一つしかない入口から堂々と歩いているのに、誰一人として彼女に気付く様子はない。
誰からも気づかれることもなく、部屋の中央まで辿り着いたシュレリア。
「皆様、ごきげんよう。そして、さようなら」
「っ……!? 伏せろォ!」
「なんだおま……え?」
「どこから入ってきやがっ――」
シュレリアが言葉を発すると同時に、右手に握っていた武器を横に薙ぎ払った瞬間。咄嗟に反応したクルルディスを除く全員の首が、椿の花のように地面へと落ちた。続いて、頭を失った身体が次々に崩れ落ちていく。
あれは、反応することが出来たクルルディスを素直に褒めるべきだろう。シュレリアの動きを見ていた私でも、今の斬撃は対応するのが難しいだろう。
「なんだァ……テメェ。何をしやがった……?」
「何、と言われましても。見ての通り、首を落としただけでしょう?」
「ふざっけんな! 棒きれでンな事が出来るわけねえだろうが!」
クルルディスが指差したのは、シュレリアの右手に握られた一本の木の枝。あの枝は別に加護を受けた特注の武器でもなんでもない。突入前に周辺に生えている木からシュレリアがへし折った何の変哲もないただの枝だ。
「では、試してみますか?」
「あァ……?」
「貴方が背負っているその大層な斧と、私の枝。どちらの方が優れているか試してみて如何でしょう? ほらほら、私からは攻撃致しませんので、お好きなようにかかってきてくださいな」
挑発するかのように、枝の先端をくるくると回しているシュレリア。攻撃を躱されたからって結構怒ってるわね、アレ。
相対するクルルディスは、斧を両手に持って構えるだけで動かない。いや、動けないと言った方が正しいだろう。握っているのは木の枝とは言え、一瞬にして部屋の中にいた人間の首を落とした事実は消えない。迂闊に動けば、自分も同じ姿になってしまうと、クルルディスの方も理解しているのだろう。
時間にすれば、一分にも満たない程の時間。
「うぉおぉぉおおおおおぉ!」
膠着を破ったのはクルルディスの方だった。雄叫びをあげながら斧を高く振り上げ、力強く振り下ろした。
「その程度、ですか」
「なっ――」
対するシュレリアは、特に驚いた様子もなく。握っていた燃え盛る木の枝でクルルディスの身体ごと、斧を両断した。
あの斧、私が貰おうと思ってたのに。
「お嬢様。もう出てきて結構ですよ」
「お疲れさま」
部屋の中に入って、真っ二つになった斧を拾い上げる。刃の状態もよし、素材もそれなりに良いものなのに勿体ない……。
「ねぇ、シュレリア。これ、くっつけたりとか出来たりしない?」
「申し訳ないですが、切断面が溶けてしまっているので私には無理ですね」
「だよね。知ってたけど。あーあ、流石にこれは諦めるしかないか」
斧だった鉄くずを放りなげ、部屋の中を物色する。まあ、予想通りロクなものはなかったけど。一応、手軽で売れそうなものを出来るだけ回収していく。
「あ、そういえばさ。こいつの始末ってどうすんの? 懸賞金が掛かってるってことはどっかに持って行かないといけないんでしょう?」
「それについては私にお任せを。通常であれば死体を換金所に持っていかなければならないのですが、そうすると結構目立つことになりますので、これを使います」
シュレリアがエプロンポケットの中から取り出したのは、てのひらサイズの小さな箱のようなものだった。えーっと、昔見たような記憶があるんだけど……確か名前は、
「カメラ、だっけ?」
「よくご存じですね」
よかった、合ってたみたい。
「小さい頃、家族で集まった時に似たようなものを見たことがあってね。その時に使ってはたのは、それよりも大きい奴だったけど」
「これを使えばわざわざ死体を持っていく必要がなくなりますからね」
取り出したカメラで、様々な角度から肉塊へと変わり果ててしまったクルルディスの姿を撮影していくシュレリア。傍から見れば、死体を記録している狂った人間にしか見えない。
「それでは戻りましょうか」
「そうね。ロゼをあんまり待たせても悪いし」
それなりに物資を漁り終わった所で、洞窟を後にする。手に入れたのは貨幣の入った麻袋と宝石類。売ればそれなりのお金にはなりそうかな。本当は盗品だから勝手に売るのもいけないとは思うけど、元の持ち主もわからないしそのままにしておくのも忍びないからね。
血の跡を辿りながら、歩いてきた道を引き返していく。
「ん? これは……肉?」
木々に覆われ鬱蒼とした森の中を歩いていると、どこからか肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。それにつられるかのように、お腹がぐぅ、と大きな音を立てる。
「あらあら、お嬢様。はしたないですよ」
「今の私は庶民だからいいの」
思い返してみれば、今日はまだ何も食べていない。気づいてしまうと、余計にお腹が空いてきてしまう。
「あ、おかえりウィルベル。それにシュレリアさんもお疲れ様」
引き寄せられるように匂いの発生源へと向かうと、笑顔のロゼに出迎えられた。傍らではたき火の上で小さな猪を丸ごと火にかけている。
「ええ、ただいま。どうしたの? それ」
「ちょっとね、近くに食べられる野草とかがないか探している時に襲われちゃって。思わず殺しちゃったんだけど、自分で奪った命だから頂こうと思って。二人とも猪肉は大丈夫?」
「私は大丈夫でございます。仕事柄、様々な料理を食べておりますので」
「私も問題ないわ。あ、でも、猪肉って臭いが凄いって聞いたことあるんだけど、そこの所はどうなの?」
「その辺は多分大丈夫。一応、血抜きもちゃんとして、肉自体に味もつけてるから気にならないと思う。もし、気になるなら他に何か作ろうか?」
「そこまでしなくていいわ」
「あともう少しで肉が焼き終わるんだけど、先に鍋だけでも食べる?」
「せっかくだから待つわ。一緒に食べた方が美味しいしね」
と、言い終わった瞬間。私のお腹が先程よりも一層大きな音を立てる。
「先に食べててもいいよ?」
「絶対待つから!」
ロゼが苦笑いをしながら鍋を取り分けようとしていたので、意固地になって止める。もう、どうしてこんなタイミングでお腹が鳴っちゃうのよ。
肉の状態に集中するロゼの姿を背後から眺めながら、料理の味に期待を膨らませる。そういえば、ロゼの手料理を食べるのも久しぶりね。最後に食べたのはもう数年前だっけ。城で振舞われる料理は基本的にリーゼルブルク様が一人でやっちゃうから中々食べる機会に恵まれないのよね。
「待たせてごめんね。さあ、食べよっか」
十分ほど立った所でロゼから声がかかる。私とロゼ、シュレリアと御者の四人で肉が置かれているたき火を取り囲むように座り込む。肉からはぽたぽたと肉汁がしたたり落ち、香ばしい匂いのせいで食欲が掻き立てられる。
「はい、ウィルベル」
「ん、ありがとう」
渡されたお皿には、猪肉を中心にキノコや豆腐などが綺麗に盛り付けられていた。全員にお皿が行き渡った所で、全員が手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
用意されていた箸を手に取り、薄く切られた肉を掴んで口の中へと運ぶ。甘辛く味付けされた出汁と肉自体からあふれ出す汁が口の中で絡み合う。
「わ、思ったより柔らかい」
「もう少し時間があればもっと柔らかく出来たんだけど」
「いやいや、十分よ。ねぇ? シュレリア」
「ええ、私も前にお店で食べたことがあるのですが、その時は固くて食べられたものではなかったのですが」
「それは多分、狩猟時期が悪かったか、単純に下準備を怠っているのだけですね。薄く切っているというのもありますが、丁寧に調理をすれば、猪肉でもこれだけ柔らかくなりますから」
ロゼの話を聞き流しながら、出汁に浸った野菜やキノコを黙々と口に運んでいく。ほんのり温かい出汁が身体を芯から温めてくれているような気がした。
「ウィルベル、おかわりもあるよ?」
「ん、大丈夫。それよりもさっきからこれが気になってしょうがないんだけど」
私の視界は既に、目の前に吊るされている猪の丸焼きしか映ってない。
表面はこんがりと焼けていて、肉汁がたき火の上に落ちて音を立てている。
「ちょっと待ってね」
ロゼは小さなナイフを取り出して、首周りの肉を切り出してお皿に盛りつけていく。薄めに切られた肉が皿の上で山を形成していた。
「じゃあ、頂くわね?」
あえて皮がついた部分を選んで、食べる。
「わ、以外に甘いのね」
表面のパリパリした皮の食感に、噛めば噛むほど口の中で肉の甘さが広がっていく。そして、肉自体も柔らかくて簡単に噛み千切れてしまう。
「先程のお鍋に入っていたお肉とはまた違っていいですね」
「そして、丸焼きはこういう楽しみ方も出来るからいいんだよね」
ロゼが差し出したお皿には、分厚く切られた肉が圧倒的な存在感を放っている。
「これはそのまま被りついてみて?」
「こ、こう?」
言われた通りに、大きな厚切りのステーキにそのままかぶりつく。
「なにこれおいしい! これだけ厚みがあるのに全然固くないや」
「子猪は肉が柔らかいからね。成長しちゃうとこんな風にはいかないんだ」
しっかりとした歯応えを残しながらも、固いとは全く感じない。シンプルに塩と胡椒だけで味付けをしているおかげで、肉の旨味が際立っている。
「次はこっちどうぞ」
差し出されたのはさっきと同じような厚みで、小さく切られた肉。上にソースのようなものが掛かっている。
「柔らかっ!?」
「濃い味付けなのがまたいいですね」
今回は一口で頂く。厚みはさっきの肉と同じくらいなのに、柔らかさが段違いだ。軽く噛んだだけでも、簡単に噛み千切ることが出来てすんなりと喉の奥に流れ込んでいく。
「ソースは醤油ですか?」
「焼き始めに滴り落ちた油と肉汁に、醤油とバターを混ぜたものです」
「へぇ? そんなに簡単に作れるんだ」
「ウィルベルも今度作ってみたらどう?」
「私はパス。食べるの専門でいいわ」
「そう、残念」
ロゼは事あるごとに私に料理を作らせようとしてくるが、私は毎回断っている。
自分で作れるようになっちゃうと、ロゼの料理を食べる機会が減っちゃうし。
「ちゃんとした設備があれば、もっと色んな料理を作れるんけど」
「いや、これでも十分よ」
話に花を咲かせていると、いつの間にか料理が無くなっていた。量はあったはずなんだけど、シュレリアが黙々と食べ続けていたせいか影も形も無い。
見た目によらず、結構食べるのね。
「ごちそうさま、ロゼ」
「ごちそうさまでしたロゼさん」
「お粗末様でした。口に合ってれば良かったけど」
「めちゃくちゃ美味しかったわ!」
「ええ、どうかご謙遜ならさずに。リーゼルブルク様の料理にも引けを取らないと思います」
「僕なんかじゃまだまだだよ」
ロゼが苦笑いをしながら言う。
「そのための旅でしょうが。珍しい食材とか私たちも手伝うから、また美味しいごはんを食べさせてよね」
「そうですね。長旅になると、どうしても食事に不満が出てしまいがちですが。ロゼさんがいればその心配は無さそうです」
「これは責任重大みたいだね?」
「楽しみにしてるから!」
食事を終えて、しばらく他愛のない話をしてから、私たちは眠りについた。