魔法の火種19
各種の交渉を終え、私は領地改革推進室にようやく腰を落ち着けることができた。
今までの流れだと、大将が足りないって?
大将は最初からその席に座っているから大丈夫だ。
この大将は説得が一切不要だが、逆に私の方から働きかけることもできない。
ちなみに名前は「運」という。
幸運でも運命でも天運でも呼び方は何でも良いが、とにかくそんな感じのどうしようもないやつ。
この大将が試合全体に与える影響は、全ての試合結果をひっくり返すほど大きい。
大将による敵先鋒から大将まで全員抜きとか平気でやらかす。
我々神ならぬ身にできることは、大将以外をがっちり固めて、なるべく大将戦の影響が少なくなるように心掛けるしかない。
いわゆる、人事を尽くして天命を待つ、の体勢だ。
後は、暇があったら神殿にでも行って祈るがよろしい。私はユイカ女神に祈ることにしよう。
どうしようもない運についてはさておき、とにかく、急いで動き出さないとこの先なにもできない、というポイントは押さえられたと思う。
「ここで一息入れて、なにか見落としがないかを振り返ることにしましょう」
すごいバタバタと進めたから、大きな見落としがあってもおかしくない。
マイカ嬢とレンゲ嬢にそう伝えると、遠征隊の報告の追加をまとめていたレンゲ嬢が、熱っぽい吐息を漏らす。
「すごい……。一週間足らずで、こんな大きな計画の初動が完了するなんて……」
見切り発車も良いところですけどね。
なんたって予算が未定なので、イツキ氏と辺境伯閣下の動き次第では全てがとん挫する。
正式な計画書はこれから作りこみ、予算が出るとわかったら修正し、上申することになる。
初動の完了とは一体なにを指しているのだろうか。どれだけフライングしたのか、我が事ながら呆れてしまう。
「アッシュ君の動きが早過ぎた、全然ついていけなかった……。あたしもまだまだ力不足だなぁ」
マイカ嬢は悔しそうにうな垂れている。
考えてみれば、上司であるマイカ嬢を通さずに計画を進めたのだ。計画主任といえど、暴走しすぎである。
「すみません、きちんと手続きを踏むべきところを、勇み足が過ぎましたね」
「ううん、あたしの力が足りないだけだよ。アッシュ君はすごいことをやっているんだもん。ついていけないあたし達が悪いんだよ」
いや、どう考えても職務権限を逸脱した私が悪いと思う。
こんな部下、私が上司だったらぶん殴ってやるぞ。
そんな部下である私を、柔らかく包んでくれるマイカ嬢の優しさと真面目さは、まぎれもなく女神の血筋。
私が申し訳なさで曖昧な笑みを浮かべているうちに、マイカ嬢が自己反省を終えた。
「よし、反省終わり! 待っててね、アッシュ君。今はまだ無理だけど、絶対についていけるようになるから! あたし頑張る!」
弾けるようなマイカ嬢の笑顔は、いつもながら元気一杯で、見ている方も力が湧いてくる。
それに触発されたか、レンゲ嬢も小さい拳をぎゅっと握りしめる。
「わ、わたしも! わたしも頑張ります! アッシュさんみたいに、多くの人を助けられるようになりたいです!」
「よし、レンゲさん、一緒に頑張ろう! すごく大変なのはわかってるから、覚悟しようね!」
「はい、よろしくお願いします! 大変なのは頑張って覚悟します!」
見目麗しい少女達の、勇ましい姿というのは素晴らしく目の保養になる。
しかし、覚悟から頑張るの? 大丈夫? 頑張りすぎじゃない?
私の心配をよそに、マイカ嬢とレンゲ嬢は、気合一杯の顔で私に詰め寄る。
「それで、次はどう動くつもりなの?」
「手伝えることはありませんか?」
二人の女子パワーに圧倒されないよう、私も気合を入れて見つめ返す。
「わぉ」
「あぅ」
なんか、二人がもじもじし出した。
二人とも、お嬢様なのに無防備に男性に近寄りすぎたことに気づいたらしい。
どちらも男が理性を忘れかねない程度に可愛いんだから、気をつけてくださいね。
「今後の予定ですが、予算を始めとした準備に時間がかかりますから、その間に計画書を作成しつつ、各種根回しを続行します」
私がフライングで行ったことをなぞる後追い処理であり、手が及ばなかった部分を埋める詰めの作業だ。
勉強で言う復習っぽい。
私のやり方について行く、という点に関して、やる気に満ちた今のお二人には、丁度良い経験を積めるかもしれない。
「そうですね。私の今回のやり方については、良し悪しの議論があるかもしれませんが……お二人が中心になってやってみますか? 私がどんなやり方をしたか、分かりやすいと思います」
二人とも、良いのだろうか、という表情を見合わせる。
表情の成分は、能力への不安と成長への期待が混然としている。
やってみたいけど、失敗したらどうしよう。そんなところだろうか。
二人の能力なら問題なくやれそうですけどねぇ。
私がそう呟くと、二人の体が震えた。ぴくん、という感じだった。
「今の発言、どう思う、レンゲさん」
「アッシュさんは、ご自分の能力が高いのに大変謙虚な人でして」
「わかる。全然偉ぶらないよね。でも、その分、他人の能力も高めに見積もるっていうかさ」
「そうなんです……。とても嬉しいのですけど、その期待に応えられるかと言われると」
周りに優秀な人材しかいないから、そういう態度になっているだけです。
上げ底のある私と違って、しっかり地面を踏みしめてこの能力だから、すごいものだと思う。
だから、年を重ねて、私の上げ底分が擦り切れた時、成長した彼女達には期待している。
「まあ、いきなりやってみましょう、と言われれば不安だとは思いますが、そんなに堅く構えずに練習のつもりで」
でも、と二人はまだもじもじしている。
なんだろう。今回はやけに渋る。
元気一杯のマイカ嬢はもちろん、父親が心配するほど引っ込み思案なレンゲ嬢も、真面目さゆえに仕事の指示があれば黙々と取りかかる。
仕事をやりましょう、と言って、ここまで頷いてもらえないのは初めてだ。
「何も二人だけでやらせるわけではないですよ。私がしっかり後ろから支えますから」
とりあえず、優しい言葉で励ましてみる。
二人の少女は顔を輝かせたが、すぐにもじもじに戻った。何かをおねだりしたい子供が、言い出せないような仕草である。
どうやら、私に何か甘えたいことがあるらしい。
この二人には珍し――くもなかった。
レンゲ嬢は珍しいが、マイカ嬢に限って言えば、ハンバーグ作ってとか、クレープ食べたいとか、割とストレートに甘えてくる。
ただ、こんな風に恥ずかしそうに躊躇うのは珍しい。
「ええと……何か、早速、私からの手助けが必要なことがあるようですね?」
私が苦笑して、言ってごらん、という空気を出すと、二人とも目に見えて嬉しそうな顔をした。
さて、今回の要求はなんだろう。
いつものおねだりと様子が違うから、好きな料理のフルコースとかだろうか。
あるいは、美容品絡みかもしれぬ。お年頃のお二人ですもんね。
マイカ嬢とレンゲ嬢がこそこそと話し合う。意見のすり合わせを行ったようだ。
振り返ったマイカ嬢が、あのね、と恥じらいを含ませつつ上目遣いで攻撃してきた。
「いつも紳士的なアッシュ君はすごくすごく素敵だけど、たまには、ちょっとこう、強い言葉で引っ張って欲しいなぁ」
え?
「あ、この場合は背中を押して欲しい、って言うべきかな? アッシュ君が後ろで支えるんだもんね」
いや、表現の問題じゃありません。
物質的なご褒美ではなく、精神的なご褒美をお望みか。予想外すぎてびっくりしちゃいましたよ。
あれか、名作の台詞を言われてみたいとか、そういう心理か。
「それは、まあ……言葉だけなら、何が必要というわけではないですから、良いですけど……。私で良いんですか?」
そういうのがご褒美になるのは、イケメンだけの特殊能力じゃないですかね。
私で効果があるか、はなはだ不安だが、レンゲ嬢も頬を上気させてこくこく頷いているので、どうやら私で良いらしい。
大丈夫だろうか。私は困惑しつつも、お金が出て行くわけでもないし、と自分に頷く。
ええと、強い言葉を使ってお願いすれば良いわけだ。
「マイカさん、レンゲさん――」
「ダメ! ダメだよ、アッシュ君! そこは呼び捨てじゃないと!」
即行でダメだしされた。
そこからダメなの?
「えーと、では、恐縮ですが……」
「もうっ、そういうの良いから!」
マイカ嬢にせっつかれ、私は咳払いをして、仕切り直す。
「マイカ、レンゲ。仕事の指示は出しました。二人なら問題ないでしょう。早く仕事にかかりなさい」
「ダメです! アッシュさんの優しさも丁寧さも全く抑えられていません!」
レンゲ嬢からもダメだしされた。
意外と難しいぞ、これ。
優しさを抑えるも何も、二人とも何も失敗していないし、嫌いでもないから、せめて部下に指示を出すつもりでと思ったのだが、二人の欲しい物は全く違うようだ。
ていうか、少女二人の方が、よほど強い言葉で私の背を突きのけてくる。
「二人とも、やればできるんだから仕事をしなさい」
「もっときつめでお願い! あと、名前は呼んで! まとめちゃダメ!」
「マイカ、レンゲ。仕事をするんだ、二人ならやれる」
「もう一声、お願いします!」
ずいぶんと注文が多いな! いつまでこれやれば良いんだ。
私はあんまり乱暴な言葉遣いは(心の中以外は)得意じゃないので、結構つらい。
金は出て行かないが、思った以上に精神力が浪費されていくうちに、私はつい、うんざりした溜息を漏らした。
人狼殿と戦った時だって、こんなにつらくなかった気がする。
私は、二人には見せたこともない――特に幼馴染のマイカ嬢にとっては衝撃かもしれない――苦笑も消えたジト目で二人を見つめる、というか睨む。
「いい加減にしろ。四の五の言わず、さっさと仕事にかかれ」
二人が、石になる呪いを受けたように硬直した。
しまった。いくらなんでも言い過ぎたかもしれない。慌てて、私の口からフォローの台詞が飛び出す。
「上手くできたら、褒めてやる」
いかん。その前から妙な役作りをしていたせいで、言葉が暴走気味だ。
「それ! それだよアッシュ君!」
「それ! それですアッシュさん!」
意味不明にクリティカルヒット。
女子二人分の甲高い嬌声が、領地改革推進室に響き渡った。
何がどうしてこうなったのか。




