魔法の火種17
先鋒は連絡係、次鋒は金、私が次に手に入れなければならない中堅は、文明の利器だ。
こちらの入手先は、領地改革推進室の研究所になる。
研究所が誇る開発室に私が顔を出すと、管理責任者のレイナ嬢と、実務責任者のヘルメス君、そして各技術を担当する刑務職人の皆さんがお待ちだった。
開発室のテーブルには、美味しそうなお昼御飯が並んでいる。
この開発室は食堂兼任、お洒落で自由な気風がうかがえる。
実情は、単にスペース的な問題を修飾しただけですけどね。
なんたって、元はたった一つの掘立小屋からスタートした研究所である。
思い返すとアップグレードが半端でない。
一同、湯気を上げる料理に全く手を付けていなかったので、私待ちだったようだ。
「お待たせしてすみません。食べながら話しましょう」
せっかくの美味しいご飯ですからね。私が席について、早速一口頬張る。
当たり前のように美味しい。
三徹後の仮眠明けなので、腹ペコなのが余計に美味しさを引き立てる。
しかし、今世の体は頑丈に育った。
徹夜した後でも食欲が全く失せない。過酷な環境にあっては嬉しいことだ。
私がもりもり食べている一方、他の皆さんは中々食が進まない様子だ。
「どうかしました? 今日のご飯も大変美味しくできていると思いますけど」
私がレイナ嬢に問いかけると、彼女は睨むような真剣な眼差しで応える。
「マイカ室長から聞いたわ。アッシュが、大きな仕事に取り掛かったって。その招集なのでしょう?」
「ええ、そうですね。今回は、ちょっと大きな仕事になりそうです」
なんたって初めての大規模実験なのに、いきなり難易度がナイトメアである。
士気が下がるから、厳しいとは言いませんけどね。
士気に気を遣う良い上司に、私はなるのです。
そんな私の気遣いたっぷり発言は、凪いだ水面に投じられた石の如く、緊張の波を起こしてしまった。
なんでですかね。
「そ、そう。やっぱり、そうなのね。皆さんも、覚悟はよろしいですね?」
何がよろしいのだろうか。
私以外の全員が、死守命令を受けた兵士みたいな顔をしている。
一体どうして気取られた。
私のこれからの指示が、地獄へ至る決死行だと、一言も漏らしていないはずなのに!
私は動揺を押し殺し、落ち着かせるために、ゆっくりと発言する。
「皆さん、そんなに緊張なさらないで。お仕事は確かにお願いしますが、いつも通りやって頂ければそれで大丈夫ですよ」
私の渾身の嘘は、だがしかし、誰一人として騙せなかった。
あっさり見破ったレイナ嬢が、机を叩いて立ち上がる。
「そんなわけないでしょう!」
な、なにを根拠にそんな言いがかりを!
「だって、アッシュがいきなり徹夜してまで話を進めているなんて、どう考えたって異常事態じゃない! しかも、あなた遠征帰りでしょ! もうかなり厳しい仕事だって誰だって気づくわよ!」
腕組みをして苦しげな表情のヘルメス君も、レイナ嬢に続く。
「しかも、アッシュが大きな仕事と言ったんだ。今までの仕事でもそんなこと言わなかったアッシュが、大きな仕事と」
あ、そこ、ちょっとだけ、って付けました。
ちょっとだけですよ。
大事なので抜かしてはいけない。
「今までの仕事でも、俺達にとっては十分に大きすぎる仕事だった。ということは、アッシュにとっても大きな仕事と言われた時、俺達にとってそれは……」
ぶるり、とヘルメス君が震える。
これはあれです、武者震いですね。
きっと、多分、恐らくだけど、そうに違いない。
つまり、皆さん、来たる大きな仕事にやる気がみなぎって仕方ないらしい。
きっと、多分、恐らくだけど、そうに違いないと確信した。
この確信が勘違いだったとしても、私は決して確認を取らないので、いつまでもこの事象は確定しない。
ということは、研究所職員のやる気について、勘違いの確率が半分、正解の確率が半分で混在したままになる。
これをシュレディンガーのやる気と名付けよう。
大体、やる気なんて往々にして乏しいものだ。
それが半分もやる気があると言えるなら、これはもうやる気があると言いきっても問題ない状態だ。
つまり、彼等はやる気がある。
確定したので、私は立ち上がり、丁寧に一礼した。
「皆さんの覚悟に、敬意と感謝を。素晴らしい仲間に恵まれたことに、誇りを感じます」
全員の視線が、なんか思ってたのと違う方向に走り出したぞ、って言っているような気がする。
気のせいですね。
「皆さんと一緒なら、今回のちょっと大きな仕事も、いかなる問題が発生したとしても、成功に導けるでしょう」
ちょっとだけね。
あくまで、ちょっとだけだから。
「さて、皆さんも大変気になっているようですから、お願いしたい仕事について、軽く説明をさせて頂きますね」
レイナ嬢とヘルメス君が、何か発言しようとしたが、私はにっこりと笑顔で抑える。
まずは私のお話を聞いてください。ご質問は後程、お受けします。
時間があればね。
「今後、研究所の皆さんには、農機具の改良を行って頂きます。特に、牛馬で引いて使う耕作機の類です」
アジョル村は現状、人手不足も甚だしい。
あの荒れた畑を人力で耕して整えるのは、エネルギー的に不可能だ。そのため、牛馬で牽引して土を耕す、耕作機が必要だと考えた。
我が故郷ノスキュラ村でも、開拓時には農耕馬と耕作機が与えられていた。アジョル村の復興は開拓レベルに近いので、ぜひ欲しい。
ただ、今世で使われている耕作機は、壊れやすいのに効率も悪く、改良の余地の残された原始的なものだ――と思う。
まだその辺りは詳しく調べていなかったので、これから研究所の皆さんに頑張ってもらう。
「農機具の改良……文献探しからかしら」
憂鬱そうなレイナ嬢、正解。
「ヤエ神官にもご協力をお願いしますし、アーサーさんにはすでにお願いしてありました」
王都に行く彼女に、こういう情報が欲しい、とリストを手渡しておいて良かった。
王都からの手紙が届いた第一陣に、農機具関連の蔵書が添えられていたのだ。アーサー氏ってば気が利く上にお金持ちなんですから。
返信には、感謝と感激と感動を詰め合わせて、大好きです、と伝えておいた。
「私もどんな内容か流し読みしただけですので、詳細は不明ですが、使える蔵書は神殿に保管されています」
「蔵書がある、とわかっているのは助かるけれど……人手が欲しいわね」
レイナ嬢が困った顔になっているのも無理はない。
研究所職員の大半は受刑者で、彼等の多くはすっかり文字を読めるようになったが、神殿の蔵書エリアへの立ち入りは禁止されている。
とても元犯罪者には見えないと市民から評判の彼等も、公的な立場はやっぱり元犯罪者なのである。
調べ物には物量も必要なのに、研究所の多くの職員が物量として使えないのである。
私は頷いて、レイナ嬢を安心させる。
「人手は融通します。とにかく、どのような改善点があるかを早期に発見して、試作に入らないと、今回の計画に間に合いませんからね」
頼もしい提案だと思うのだが、レイナ嬢は全く安心していない表情で額を押さえる。
「かなりの急ぎなのね」
困り顔のレイナ嬢に、ヘルメス君が、申し訳なさそうに希望を述べる。
「レイナ、調べ物は手早く終わらせて欲しい。その後の作業が詰まると……」
「計画の後ろが詰まる方がまずいのはわかっているつもり、最初にできるだけ時間を切り詰めてみるわ」
「悪い。俺も、できるだけ手伝うから」
なんか、今の私だと、何を言っても周囲を不安にさせる気がする。
これが、指示を下す立場の重責なのだろう。
事情があるとはいえ、部下に苦労をかけるのは確かなのだ。好かれる上司というのは、仕事ができる上司以上に難しい。
この重責に当たり、私は軍子会で受けた教育の通り、毅然とした態度で、命令において必要な最後の条件を伝える。
「とりあえず、一ヶ月を目標にお願いしますね」
期限の宣告である。
全員の顔が、絶望を仰ぎ見るような視線を私に集中させる。
災厄の権化みたいな扱いに、善意で地獄への道を舗装している私は、誠に遺憾であることを内心だけで表明する。
ともあれ、これで中堅への打診は済んだ。
まだ参加は確定していない。出場準備に入ったが、試合に間に合うかはコンディション次第といった状況か。
まあ、我が研究所は大変に優秀なので、必ず間に合わせてくれると信じている。
ヘルメス君が楽しいと喜んでいた、旋盤が大活躍するんじゃないですかな。
良かったですね、ヘルメス君、存分に楽しんでくれてもよろしいよ。