魔法の火種16
さて、地獄侵攻作戦への急先鋒を無事に確保した私は、休む間もなく次鋒を口説くために誠心誠意の策謀を巡らせた。
先鋒は、伝書鳩――もとい、非常に重大で貴重な連絡役だった。
それに続く次鋒は、金だ。
とにかく、今回の絶望的な計画には、絶望的に金が足りない。
金が手に入らないなら物資でも良い。というか、物資で良い。
金は物資を得るための中間手段に過ぎないから、手間が省ける分だけ切実に物資が欲しい。
物資なんて飾った言い方をしているが、ようは飯だ。
アジョル村の畑は、一度耕し直さなければ回復できないほどに荒れている。
当然、そうなれば作物の生産を全て中断しなければならず、その間、村人が食いつなぐだけの食料が必要なのだ。
不便な話だが、飯がなければ人は生きていけない。
もうちょっと人類は便利に進化すべきではないか。
がんばれ、進化。エネルギー保存の法則なんてぶち抜いてしまうのです。
悠久の生物史にエールを送りながらも、私はイツキ氏へと事情を説明し、おねだりをしていた。
「というわけでして、農業改善計画の大規模試験を行いたいのですが、予算はどれほど期待できるでしょうか」
「待て待て待て、話が早すぎる!」
駆け足で説明した私に、イツキ氏がストップをかける。
ちっ、勢いで検討してもらえなかった。
流石は領主代行、立ち止まって冷静に考えねばならぬ肝所を心得ていらっしゃる。
私は内心の舌打ちを笑顔で隠しつつ、頭を下げる。
「申し訳ございません。つい熱くなってしまいました」
「うむ。……熱くなっていた割に切り替えが早くないか?」
気のせいですよ。
イツキ氏は、召使いに茶を用意させて、応接用の椅子に私を招く。
ひとまずお茶で一息をつく領主代行殿の手には、遠征隊の報告書が握られている。
「遠征から帰って来て二日で報告書ができたと聞かされて驚いていたら、さらに先の計画の打診までされるとは思わなかったぞ」
「頑張りました」
「頑張ってどうにかなったというから、なお驚きだ」
ちなみに、頑張りの結果、マイカ嬢とレンゲ嬢が二人そろってダウンしている。
私も、領主執務室への討ち入り前に顔を洗って来たが、水面に映った顔には色濃いクマがあった。
とにかく、頑張りました。
「それで、アジョル村が最も深刻で、現状、畑も村を維持できる水準ではないと……」
報告書の要点を読んだイツキ氏が、ちらりと私の顔色をうかがう。
「大丈夫か、こんなところで農業試験なんかして」
そりゃ心配ですよね。成功する可能性がどこにあるのかって状況だ。
だからこそ、私は答えを用意しておいたのさ。
「大丈夫ではなかった場合、大丈夫だと考えました」
「ほう?」
はっきり言って、アジョル村は崩壊を待つばかりの限界集落だ。
万が一、農業試験の結果が大失敗になったとしても、ゼロになる予定だったものが、ゼロになっただけと言える。
一方、もしこれが成功すれば、なくなるはずだった村が一つ持ち直す。
辺境伯領にとっては、成功すればお得だが、失敗しても損とは言えない。
そして、どちらに転んでも、貴重な試験データは手に入る。
「アジョル村で行うメリットはないかもしれませんが、他の場所で行うよりもデメリットが少ないのです」
「なるほど。相変わらず、物事の良い面を強調するのが上手いな」
イツキ氏は顎を撫でながら感心した後、改めて計画実施について考えてくれる。
「蓄糞堆肥の試験については、作業に従事する者、試食する者の反発が問題だった。確かに、切羽詰まっている状況なら、蓄糞堆肥の試験場所にされると言われても断りづらいだろうな」
それも狙いのうちだ。溺れる者は藁にもすがると言いますからね。
「それに、失敗した場合、その畑で本来収穫できるはずの作物が減るということも、躊躇してしまう理由だったが、元から収量が必要量を割っているというなら実施しやすい」
どうせ損をするなら、その被害を減らすのが危機管理である。そこも気を遣った。
「ふむ。確かに、蓄糞堆肥の試験をいつかやらねばならないとするなら、今のアジョル村は都合が良いようだな」
「では、予算についてもご検討頂けますか?」
「うむ、検討しよう」
ただ、とイツキ氏は執務机から別な資料を取り出す。
「あまり余裕がないのだよなぁ。今年は、他にも新しい試みに金が……って、これもアッシュのところから出た提案だな」
領軍の携帯食の件だった。そう言われると、私はとんだ金食い虫である。
もっと食べたいです。
「では、何かお金になるようなお話はありませんかね」
「それがあれば苦労はないなぁ」
イツキ氏は苦笑を漏らし、資料を手放してお茶をすする。
そうですよねぇ、と私もお茶に口をつける。
「アルコールランプが上手くいっていれば、またクイドさんからお金が期待できたのですが」
「あれか。クイドと話したが、珍品として贈答品に良いという話になったぞ。少量だが生産して、うちの手土産として活躍してもらおう」
「社交に使うのですか?」
「うむ。王都にいる父に送れば、上手く使ってくれるだろう。ああした物珍しい品は、話が弾むものだからな。それとなく、領地の力を示すこともできるし」
「なるほど。技術力や開発力のアピールになるのですね」
単に実用品や商品としか考えていなかったが、外交においては無言の圧力にも使えるらしい。
世の中、色々な物の見方があるものだ。
私が感心していると、イツキ氏がなんだか嬉しそうな顔で、言葉を続ける。
「アッシュ達の作った飛行模型が与えた影響と来たら、王都が震えたそうだ。おかげで、辺境の田舎者と軽く扱われていた我が家だが、最近はずいぶんと大きな声で話せると父も上機嫌だ」
そこまで言って、イツキ氏はふと思い出した様子で、一度言葉を止めた。
「そういえば、アッシュには言ってなかった気がするな。領地改革推進室の設置については、父が、サキュラ辺境伯の名前でぜひ進めるようにと言っていたのだ」
「それは初耳でした。てっきり、イツキ様の口添えのおかげかと」
「もちろん、俺からも推薦はしたが、すんなり許可が出た辺り、父……いやさ、閣下もお前のことを気に入っているようだぞ」
「光栄です。私を助けてくださっている皆さんに、より一層感謝しなければいけませんね」
でも、そういう大事なことはもっと早く教えて欲しい。
お偉いさんに好かれているとわかれば、もっと大胆に動けそうじゃないですか。
せっかくの機会なので、イツキ氏に質問して、彼の実父である辺境伯閣下についてあれこれ教えてもらう。
辺境の領主として、イツキ氏同様、軍事に強い人物であるらしい。
現在は、次期領主であるイツキ氏に経験を積ませるために領地を任せる一方、外交を担当して王都に常駐しているそうだ。
なお、アーサー氏はこの辺境伯閣下が王都に移ってから娶った後妻との子、ということになっていた。
ちょっと年齢を考えればおかしいってすぐにわかる辺り、偽装が雑じゃないですかね。
ただ、その雑な偽装に突っ込みはないらしい。
王都周辺の貴族社会では、「年の合わない娘・息子」は大変多いのだそうだ。
浮気調査専門の探偵業とか大儲けできるかもしれない。アフターサービスで刃物と葬儀までセットにすればバカ売れの予感がする。
金策としてどうだろう。
……どうだろうじゃないですよね。
面白そうだけど、どろどろに巻き込まれて変死するに決まっている。
ともあれ、イツキ氏から聞く王都の情報は興味深い。
例えば、我が辺境伯領の、王国内での立ち位置。
田舎者として軽く扱われる、とは言っていたが、辺境伯という地位はかなり高位にあたり、家格は軽くない。
すっかり薄くなったが、王家の血筋ですらあるらしい。
そこら辺の嫉妬も混じって、王都周辺に領地を持つ中央貴族、いわば都会派貴族からは皮肉を言われるのが実情のようだ。
逆に、同じように田舎者扱いされる地方貴族の間では人気があるのだとか。
つまり、余計に中央貴族から目をつけられるということだ。
「なるほど、辺境伯閣下もご心労が多そうですね」
「ああ、王から物理的に遠く離れているというだけで、王都では扱いが悪くなる。我々のような地方の領地が城壁代わりになっていればこそ、王都で安穏としていられるだろうに」
「アーサーさんも、王都は悪い意味で保守的な部分があると言っていましたからね」
王都から届いた手紙でも、辺境伯領のにぎやかさが懐かしい、と書いてあった。
やっぱり、王都は変わらず保守的らしい。
「うん? そういえばイツキ様、王都でもアルコールランプのような、新奇なものが歓迎されるのですか? あまりそう言った物は好まれない気がするのですが」
「ああ、中央貴族については、注目や警戒はしても、受けは悪いらしい。上品さがないだとか軽薄な光だとか。だが、うちと同じように地方の貴族も王都にいるだろう? 中央貴族への反発もあるんだろうが、彼等は新しい物好きが多くてな」
これもアーサー氏の言っていた、冒険者や開拓者の気風ということだろうか。
いや、せっかく中央に社交に来たのだから、世情を知りたいということもあるかもしれない。
なんたって、文物が勝手に流れ込む中央と違って、黙っていたら決まりきった情報しか入らない地方が多いだろう。
地方貴族からしてみれば、出身地なんて自力ではどうしようもないことを理由にして馬鹿にする連中より、似た境遇の人物と話す方が、馬が合うし、ひょっとしたら同じような苦労話から解決策が判明するかもしれない。
中央が中央でまとまるなら、地方は地方でまとまるというのも、自然な流れだ。
「我がサキュラ辺境伯領は、そういった地方貴族の中で最近の流行源といったところだな。飛行模型からしばらく、あちらこちらから引っ張りだこで忙しいと、手紙でぼやいていた」
おや、お偉いさんにいらない苦労をかけてしまったか。
大物の好感度についてそう案じたが、イツキ氏はおかしそうに笑って付け足した。
「だが、領地改革推進室の近況について、手紙で一度はせっついているから、まんざらではないのだろう」
それは、どんどんやってくれ、ということでよろしいか。
「ということは、そういった新しい物好きな人達との交渉は、上手く運びやすい状況ですね?」
「ああ、辺境伯閣下も乗り気でやってくれるんじゃないか」
そういうことならば、金儲けの手段はある。
「以前、海に面した領地から海藻を取り寄せて頂きましたが、その領地の方と交渉はできますかね?」
「そういえば、そんなこともあったな。できると思うが?」
「なるほど、なるほど。では、温泉地として有名な山近くの領地もありましたよね?」
「ああ、あるぞ。良く知っているな」
今世ではお風呂もかなりの贅沢だから、いつか温泉につかってのんびりしたいと思っていたのだ。
今回の地獄行きが済んだら、ぜひ温泉に行って、一ヶ月くらいのんびり湯治と洒落こみたい。もちろん、地獄行きの皆を連れて。
ご褒美を想像したら、やる気が湧いてきた。
そのためにも、今は頑張らねばならない。
「イツキ様、我が領が持っている技術の一部を、他領に譲るのはいかがでしょう?」
「技術か」
途端にイツキ氏の表情が曇る。
私とイツキ氏の良好な関係をもってしても、いきなりここまでマイナスになるくらいにはデリケートな問題だった。
「確かに、アッシュのおかげで、他にはない技術が増えているな。それでも、あまり軽々しく余所に渡したくないんだが」
「お気持ちはわかります。ただ、物によっては、今のうちに放出した方が高値で売れると思いますよ?」
飛行模型だって、そのうち類似品が出回るだろう。創造より模倣はずっと簡単だもの。
もちろん、独占状態の優位をそう簡単に手放すのは惜しい。
だから、程々に独占状態で利益を得た後、気前良く周囲に教えることで、技術料や好意を得るのが一番儲けにつながる。
その塩梅はとても難しいけれど。
「少し話がそれましたね。ええと、今回考えているのは、我々が持っていても使いづらい技術なので、むしろ他領に買って頂いた方が助かるものです。独占技術でもありませんしね」
「そうなのか?」
「ええ、王都辺りの豪商が持っている技術と聞いています」
そこまで言うと、イツキ氏も何を指しているかわかったようだ。
「石鹸か。そういえば、海辺から取り寄せたあの海藻は、石鹸を作るのに使ったんだったか」
「そうです。固形石鹸を作るのに必要だったので、取り寄せて頂きました」
無事に完成したことは報告していたが、量産はできないのでそれっきりだったものだ。
イツキ氏も石鹸技術なら問題ないと思ったらしい、顎を撫でながらニヤニヤしだした。
「確かに、石鹸を作る技術なら、出回っても我々は一切困らないな。むしろ、売りやすくなるのだから助かるくらいだ」
現在、我が研究室で開発された液体石鹸は、ほぼ自家消費用と化している。王都まで商品が届くようになると、例の豪商が動き出すのが明らかであるためだ。
話によれば、忌々しいほどあくどい豪商らしく、権力者と癒着して、商売敵になりそうな相手を潰しに来ると言う。
それも、経済的というより、物理的な手段で。
流石に、領内の治安維持に問題が出そうな案件には、私も慎重にならざるを得ない。
おかげで、不死鳥印の石鹸は、近隣の仲の良い領地に少量出回っている程度だ。
クイド氏が、絶対にもっと儲かるのにもったいない、と嘆いていた。
私は嘆かなかったが、いつかかの邪知暴虐な豪商を悲嘆の谷底に突き落としてやらねばならないと激怒した。
そして、今、イツキ氏と話をしていて、ちょっとした案が閃いたのだ。
他の領地でも石鹸が出回るようになったら、果たしてどうなるだろうか、と。
王都の豪商が睨まなければならない先が、サキュラ辺境伯だけではなくなる。
いくら力のある豪商とはいえ、またそのバックについた権力者とはいえ、あっちの領主もこっちの領主も敵に回して勝てるわけがない。
豪商の手が及ばなければ、石鹸はあちこちで流通し始めるだろう。
豪商が維持してきた石鹸の独占的利益は破綻して、その権勢は衰えて行くはずだ。
そうなれば、サキュラ辺境伯領でも大手を振って石鹸の増産と販売ができる。
新たな商品の出現は市場の広がりとなり、経済が活性化する。
流通量が増えれば、石鹸の価格も徐々にお求めやすくなるだろう。
購買層が増え、石鹸が普及すれば、衛生状態が改善する。
良好な衛生状態は、人々の健康にも良い影響をもたらす。
健康な人々は働き手となり、拡大した経済活動が求める労働力をまかなう。
王都でふんぞり返っているだろう豪商以外、誰も損をしない未来が見える。
私とイツキ氏は、ニヤニヤを通り越してニコニコ顔で話し合う。ちょっと邪悪なニコニコ顔だ。
「それだけでも笑いがこみあげてくる話だが、その上、石鹸の製造法を教える見返りも我々は頂戴できるのだろう?」
「まさにその通りです。皆さんからの感謝の気持ちも、たっぷりと頂けるかもしれません」
「良いぞ、良いぞ。話を上手く運ぶ必要はあるが、その苦労をかけるだけの価値は十分にあるな」
イツキ氏が完全に乗り気になってくれたので、私は、ずいと顔を寄せる。
「では、イツキ様?」
「おう、任せておけ」
頼もしいご返事を頂戴しました。
徹夜をした疲れも吹き飛ぶ達成感である。
「父――辺境伯閣下に、すぐに手紙を出そう。石鹸作りに適していて、金払いの良い領地が狙い目だな?」
「ええ、海藻が手に入る場所なら、携帯に便利な固形石鹸が作れますから、商人も扱いやすいでしょう。温泉地ならば、湯治に来た客用に、石鹸がいくらでも求められるはずです」
「最初からそこまで考えていたか! 流石だ、アッシュ! 話の早い部下を持てて俺は幸せ者だな!」
「話のわかる上司を持てた私ほどではないと思います!」
気分が盛り上がった私達は、そのままの勢いで石鹸製造技術配布の詳細計画を練り出す。
主に、王都にあらせられるサキュラ辺境伯閣下に、交渉の際の希望条件や最低要件をどこに設定してお願いするかに頭を悩ませた。
完成して我に返った時には、新しい朝陽が昇っていた。
私にとって三徹目の朝陽は、多分、地獄の太陽の色をしていたと思う。
だが、計画に必要な資金を、なんとか手に入れられそうだ。