魔法の火種13
森の観察の後は、畑の視察である。
マイカ嬢と私による農業視察の申し出に、案内役のスイレン嬢が著しく緊張した面持ちで快諾してくれた。
「ほら、昨日、アッシュ君がいつもの勢いで質問攻めにするから……」
「本当に私のせいですか? 丁寧にお尋ねしたつもりだったのですが」
「ある意味、丁寧すぎたね。一分の隙もないせいで、ものすごく怖かったと思う」
マイカ嬢からお叱りを受けたので、昨日はすみませんでした、今日は気をつけます、と歩み寄る姿勢を見せておく。
「い、いえ! わたっ、わたしこそ! 今日こそはがががんばりますので、正々堂々、お願いいたします!」
「ええ、今日もよろしくお願いします」
スイレン嬢に一礼をして、すぐにマイカ嬢に笑顔を向ける。
「マイカさん、ダメそうです」
「そうだね。これはダメそう」
どう見てもまともな案内ができる状態ではなさそうなので、緩衝材としてグレン君もついて来てもらうことにする。
名目は護衛である。
とりあえず、すでに一杯一杯のスイレン嬢にはグレン君と雑談をしてもらい、私とマイカ嬢は畑を見て回る。
昨日、村につくまでに見かけた時点でわかっていたが、やはり状態が悪い。
管理が行き届いていないせいで、作物が雑草に埋もれているところや、複数の作物が一緒くたに生えているところがある。
おかげで、どこからが夏用の区画で、どこまでが秋用の区画か、休耕地は一体どこなのか見分けがつかない。
一通り見回って、マイカ嬢に聞いてみる。
「マイカさん、秋の収穫用の畑、どこかわかりました?」
「わかんない。アッシュ君は、休耕地見つけた?」
「わかりませんでした……」
二人で、やべーぜこりゃ、という顔を見合わせる。
輪栽式農業が破綻してしまっている。そして、これを元に戻そうとしたら、ものすごい労力と、ものすごいお金がかかる。
どうしてこうなった。
そこまで確認したところで、私達は答えを得るべく案内役に質問する。
「スイレンさん、今のアジョル村の農業は、一体どのように……ええと、指示を出す方や、中心になって作業する方なんかは?」
スイレン嬢は不思議そうな顔をしたが、私の口調から叱られるような内容だと察したのか、小さな声で答えた。
「そういった人は、うちの村には……」
「とすると、今はそれぞれの家で、バラバラに畑を使っている状況ですか?」
「はい。その、人がいなくなったので、場所だけはたくさんあるから、それぞれ好きなところを使っています」
村人がいなくなって減った人力を、さらに分散して使ってしまったらしい。アデレ村とは綺麗に真逆を行っている。
畑の状態は不良、人手もなし、指導者なし、村民のまとまり悪し。
ここから、どうやればこの村の農業を盛り返せるか、流石に途方に暮れる思いだ。
「現状、何が問題だとか、そういった話し合いは行われていますか?」
「ええと、それは……マルコおじさんと、父さんが、話してたのを聞いたことがあります」
「マルコおじさんというのは?」
アデレ村の村長さんと同じ名前だ。
スイレン嬢には悪いが、あの人がこの村の指導者の立場にいれば、と思ってしまう。
「あ、マルコおじさんというのは、アデレ村の村長さんをしている人で」
まさかのご本人だった。近いとはいえ、隣の村で一体なにをしているのか。
「アデレ村の村長のマルコさんなら、ここに来る前にお会いしましたよ」
「あ、ほんとですか? 元気そう、でしたか?」
この村の誰よりも元気そうでしたよ。
あちらの食料事情は安定していますからね。
「マルコ村長と、お父上は仲がよろしいのですか?」
「そう、ですね、仲は、良かったんですけど……」
過去形なところと、今のアジョル村の現状から結果は察せられる。
「その、二年前に、かなり強い口調で……その、喧嘩になってしまって」
そうでしたか、と軽く頷いて流しておく。
二年前というと、アデレ村が獣害で苦しかった頃だ。恐らく、余裕のなさから、マルコ村長の口調も厳しいものになったのだろう。
アジョル村の方は、その前からずっと余裕がなかったはずだから、売り言葉に買い言葉でどんどん悪化してもおかしくない。
「それで、どんな提案があったかはわかりますか? この状況を解決できるヒントがあれば心強いのですが」
「それが……」
スイレン嬢は、口から出ようとしたものを、噛み潰すように黙り込んだ。
噛んだものが苦かったのか、表情に忌々しさが滲みだしてくる。
しばらく、周囲に十分な緊迫感を漂わせてから、ようやく彼女は口を開いた。
「アデレ村に、移住しないかと」
「そうでしたか」
私は、先程よりも強い危機感と共に、可能な限り素早く、努めて軽く流した。迂闊に触れると、爆発する類の繊細な話題だ。
けれど、その移住案が一番良いだろうという納得も抱く。
事実上、アジョル村が立ち直ることはできないという判断だ。
もし立て直すなら、もう一度開拓し直すつもりになるべきだ、と。
労力や資源を考えれば、それが最善手だろう。
そして、居場所を失うアジョル村の人々を、アデレ村が受け入れる。
二年前はアデレ村も苦しかった時期だから、マルコ村長も相当な覚悟だったと思う。
獣害の窮状から立て直す自信があってこその発言だ。
娘であるレンゲ嬢のことと言い、密かに自信家ですな、あの御仁。
有能さに見合っているけれど。
ただ、マルコ村長のその意見は、アジョル村にとって受け入れられなかった。
スイレン嬢の、怒りの揺らめきが灯る眼差しが物語っている。
案内役の感情がたかぶってしまったので、今日の調査はここまでにしておこう。ちょっとやそっとで解決策が出てくる状況ではないことは確認できた。
私は手を叩いて、終了を伝える。
「色々と考えることができました、今日の調査はここまでとしましょう」
そのまま、マイカ嬢に声をかける。
「相談をしたいのですが、お時間よろしいですか?」
「もちろん。畑を確認した結果の考えだよね?」
そうそう、と頷きながら、自然に二人連れ立って歩き去っていく。
後に残されたグレン君とスイレン嬢は、急な展開に顔を見合わせている。
二人で歓談して、スイレン嬢のささくれた気分を解しておくれ。
「それで、この村の畑の状況を見た結果、なんだけど……」
マイカ嬢が、なんてことない表情を装いながら、小声で囁く。
「賢人、空の広さを測れず。って感じかな」
今世のことわざで、途方に暮れる、という意味合いだ。
由来は、大賢者と呼ばれた人物が、知恵の神である猿神に自分の賢さを自慢した際、「では、空の広さを答えてみよ」と問われて、答えを出せずに困り果てた、という逸話から来ている。
マイカ嬢にしては回りくどい表現だが、「この村の窮状への対処方法が全く思いつかない」とは大きな声では言えない。
「アッシュ君から見た場合は、どうかな」
「全く同感です。マルコ村長の案が、一番現実的ではないでしょうか」
「やっぱりかぁ」
マイカ嬢が、頬に手をついて溜息を吐く。
一番現実的ではあるが、それでさえ実現困難だとわかっている者の憂鬱さがこもっていた。
「畑にしがみつかない農民はいないもんね」
傍目には最善手と思われる移住案が、非現実的な意見に響くのは、それが最大の問題だった。
いわゆる農耕民族にとって、土地とは大切な財産であり、それ以上の存在である。
本質的に、土地から土地へ移動を繰り返す遊牧民や狩猟採集民族とは、まるで意味合いが違う。
農民は、自らが取り扱う作物と同じだと言えるのかもしれない。
その土地に根を張り、その土地で育つ。そんな彼等に、別な土地に移動しろと言うことは、麦を引っこ抜き、別な空き地に移植するようなものだ。
よほど丁寧に扱わない限り、麦は移植先で枯れるだけ。
「そういえば、アッシュ君は割と簡単に……というか、嬉々として村を出たっけ」
マイカ嬢の疑問に、完全無欠に農民の子である私は、くすりと笑いを零す。
農民は、作物と同じ――そんなものは、もちろん比喩に過ぎない。
人間は植物とは違う。
自らの意志によって、動き回る。
だから、植物と違う区分として、動物と呼ばれる。
違う土地へ行ったって、植物ほど繊細に生死に直結するはずがない。
違う土地へも行けるよう、進化をして来たのだ。
ゆえに、農民の畑への執着というのは、単なる気分の問題に過ぎない。
生まれた土地への愛着、見知らぬ土地への不安、そんなところだ。
正直、一生命体にとっては永遠とも思える時間を費やした進化の末の能力を、気分で使用不可にされると腹立たしいものがある。
進化に対して失礼だ。
とはいえ、人の生活において、気分の問題が重大なのもわかる。
マルコ村長は、その気分の問題が解決できずに物別れに終わり、今このアジョル村が存亡の縁に立たされているのだから、たかが気分がいかに重大かわかろうというものだ。
人は、気分で死ねるのだ。
「その土地を離れても自分達は生きていけるという自信があれば、あるいは別な場所でやり直そうという気分にもなれるのかもしれませんが」
この村しか知らない人々に、どうやってその自信を持たせれば良いのか、さっぱりわからない。
村長家の娘であるスイレン嬢でさえ、この村を離れるなんてとんでもないと考えている様子だった。
「自信かぁ」
マイカ嬢も、何か良い手はないものかと首をひねりながら、ふと私を見つめる。
「ああ、そっか。アッシュ君、どこへ行っても生きていけるって自信があるから、すぐに都市へ行くって話ができたんだね。なるほど」
「そういうわけでは……」
いや、そういうわけだったのだろうか。
そういうわけだったかもしれない。
生死についての不安を一切感じなかったのは確かだ。浮かれまくって後先を考えていなかったともいえる。
「まあ、村を出ると行っても、マイカさんと一緒でしたからね」
「そ、そっか。あたしと一緒だと、不安を感じないんだ?」
ノスキュラ村の村長家からの支援が出ることは決まっていたから、衣食住の心配がなかったのだ。
生きていくだけならなんとでもなる、自信というより、確信があった。
私が笑って頷くと、マイカ嬢は赤らんだ頬を両手で押さえる。
「えへへ、そっかそっか。あ、もちろんあたしも、アッシュ君と一緒ならとっても安心できるよ!」
「そうですか? ありがとうございます」
でも、次から次へと妙なことをやらかしている私と一緒で安心するとか、マイカ嬢も肝が据わっている。
流石、ユイカ女神の娘である。