魔法の火種11
アジョル村の空き家は、当然というべきか、非常に多かった。
遠征隊の面々は、屋根付きの上に手足を伸ばしてくつろげると喜んだのも一瞬、この村大丈夫かよ、という思いに表情を引き締めていた。
無論、大丈夫なわけがない。
私は、事態を良く理解している遠征隊の皆さんに宿泊場所をあてがい、個人の荷物を下ろしたら集合するように指示を出す。
マイカ嬢がいない状況では、私が最高責任者になるのだ。
それに、遠征隊の主力である兵士に関しては、ジョルジュ卿の副官である私が現地の最上級指揮官にあたるので、もはや皆さん慣れた様子で従ってくださる。
こんな子供の言うことを素直に聞いてくださるおっちゃん・あんちゃん達に、辺境伯領の練度がうかがえる。
軍子会では、人の上に立つための教育が行われているが、その教育法が優れている証拠だろう。
軍子会で教育を受けてきちんと振る舞う上官が領軍に多いからこそ、いつもと違う上官にもすぐに適応できるのだ。
「では、皆さん、配給用に持って来た備蓄食料を整理しましょう。この村の様子では、今すぐにでも必要になるでしょう」
一同から、やっぱそうだよな、という了解の返事が起きる。
「それと、食料には必ず見張りが立つようにしてください」
私は大きめの声で、物陰からこちらをうかがっている村人達に聞こえるように通達する。
「もちろん、ここで配るために持って来た食料ですので、持って行かれて困るわけではないのですが」
嘘である。勝手に持って行かれたらすごく困る。
絶対に村人の間で、誰が多く持って行っただの、不公平だのと大騒ぎになる。
口だけなら良いが、現在の村の食料状態では、すぐに暴力沙汰までエスカレートするだろう。
それを制圧するのは、成り行き上、私達の仕事になる。
そんな面倒事はごめんだ。
「中には運搬中に傷みが進んでしまったものもあるでしょう。他にも、きちんと加熱して食べた方が良い物が多いですから、しばらくこちらで調理して炊き出しにします。食べ物を求めてきた人には、きちんと公平に配給することをお伝えして、お待ち頂いてください」
何より、空腹に任せて一度に食料を大量消費されては困る。
人間の消化吸収能力は、他の哺乳類と比べて極めて優秀だが、それはつまり燃費が悪いという意味でもある。
しっかり管理されたスケジュールで消化してもらわなければ、はるばる持って来たかいがない。
「では、各員、行動開始してください」
後の細かい部分は、ベテラン兵の皆さんがやってくれるので、非常に楽だ。
ジョルジュ隊のベテランは備蓄食料の中身に詳しいので整理の指示を担当するし、この地区担当の巡回隊は村人と面識があるので、見張りを主に担当することにしたらしい。
何も言わなくても、状態を確認して保存期間が怪しい順に並べかえてくれるし、物影から伺っている村人にはこちらから声をかけて周知をお願いする始末。
この優秀っぷり、すごく自慢したい。
今回の遠征後に私があげる報告書に、皆さんの人事考課を追加することを検討していると、村長に挨拶に行っていたマイカ嬢がやって来た。
隣にスイレン嬢も付き添っている。
「おや、早かったですね」
「うん、村長さん、相当に体調悪いってことであんまり……。アッシュ君こそ、流石の早さだよね」
「食料配給は早ければ早いほど良さそうでしたから。現在の村人の数を確認しても?」
スイレン嬢に視線を向けると、ひえっと悲鳴らしきものをあげて、ものすごく慌て始めた。
「ダメだよ、アッシュ君」
マイカ嬢からストップが入った。
ダメですかね。
「アッシュ君の動きは早すぎるんだから、慣れてない人にいきなり仕事を振ったらダメだって、レンゲさんの時も言ったでしょ?」
「そういえば言われましたっけ」
でもあれ、冗談の類じゃなかったの?
だってほら、遠征隊の皆さんはこれこのようについて来てくれるじゃないですか。
「忘れちゃダメだよ? 遠征隊の皆なんかずっと付きっきりだったから、この短期間ですっごく鍛えられちゃって……」
「いえ、皆さん最初から優秀な方達でしたよ?」
「そうだね。遠征のこの短期間でアッシュ君の動きについて行けるようになるとは、あたしもびっくりだよ」
マイカ嬢が、物わかりの悪い弟分にするような嘆息をついている。
すると、丁度通りがかった巡回部隊の一人が、自慢げな笑顔で会話に混ざって来た。
「ジョルジュ隊の連中に色々教わりましたからな。いやあ、混成部隊ってのは、普通はいざこざが起こったりして困るものなんですが、今回ばかりは助かりましたよ」
はっはっは、と笑いながらおっちゃんが歩み去っていく。
マイカ嬢から、ほらね、という眼で見られてしまった。
なんだか私が悪いみたいな流れになっている気がする。
まあ、気のせいだろう。
「それより、村人の人数は? それによって持って来た食料が何日分になるか計算して、今日の夕飯から炊き出しで配給を開始しようかと思います。村にある食料の状態もわかるのであれば、それも勘案して計画を立てますが」
「え? え? あ、あの、マイカさん、これはその、どう答えれば」
「ええ、もちろん、村の方で食料配給の計画を立てられるのでしたら、お任せします。その際は、こちらの食料の状態について注意が必要な部分もありますので、いくつかご説明をさせて頂ければと」
「ちょっと待っ、あの、マイカさん!? マイカさーん!?」
「あ、ダメだこれ。スイッチ入ってる方のアッシュ君だこれ。いつの間にやらかしたこれ」
スイレン嬢から必要な情報を聞き出すのは、中々時間がかかってしまった。
****
結果的に、今のアジョル村には、食料の配給を計画・実施するだけの余裕はないとのことで、遠征隊で計画を練り、実施することになった。
とはいっても、備蓄食料の性質上、出来上がる料理は鍋物一択だ。
とにかく加熱し、とにかく混ぜて、味については水で薄め、ハーブをぶち込んで誤魔化すのだ。
それしかない。
だから、実施は何も難しくはない。
難しいのは、今この村にある食料を、次のまとまった収穫まで持つよう最適な配分を計算することである。
この村で現在、そんな高度なことができるのは村長のみ。そして、その村長は病臥にあり、スイレン嬢は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あれもこれも頼ることになって、ほんと申し訳ないんですけど」
「遠慮はいりませんよ。村の食料庫を見せてもらえますか? その辺りの確認も今回の視察の目的ですから、現状確認のついでに食料配給の計画を作りますね」
一人だと流石に大変なので、マイカ嬢とジョルジュ隊から何人か、この業務用に引き抜く。この中にグレン君も入れておいた。
頭脳労働に関して、グレン君はまだ修行中なので、こうした機会に経験を積んでもらおうと考えたのだ。
何をするかちょくちょく教えることになるので、見守るスイレン嬢への説明も省ける。
食料庫の中身は思った通り少なかったので、さっと終えることができた。
良いことではないので、今後の懸念はいや増すばかりである。
「とりあえず、アデレ村から譲って頂いた食料があるので、なんとか秋まで極端に飢えずに済みそうですね」
「ほんとですか! すごい、こんなすぐ調べただけでそんなことがわかるなんて!」
スイレン嬢が眼を輝かせるが、そんなに良い知らせではない。
あくまで、「極端に飢えず」であり、空腹には悩まされる。それでさえ、食料がこれ以上目減りせず、配給が守られるのであればの話だ。
もっと予備の食料が欲しい。
「干し肉などが見受けられませんが、ひょっとして猟師の方がいないのですか?」
「ええ、何年も前に亡くなってしまって」
どこもかしこも継承者不足であるな。すぐ近くに森があるのにもったいない。
そして危ない。
「それでは、森から獣が出てきて、畑が余計に荒らされているのでは?」
「いえ? そういった話は聞いてないです」
「なんですと?」
獣にとって、畑はとても都合の良い餌場だ。
野生では探し回らなければ見つからない食べ物が、一カ所にまとまってごろごろしている。しかも、野生物より味が良い。
連中は、畑の場所を覚えたら、タダ飯を食いに一族郎党率いて日参してくる厚かましさもある。
それを防ぐのが、猟師の役割の一つだ。
獣が村へと近づく前に仕留め、村へと続く獣道に罠を仕掛けてふさぐ。狩猟採集時代はともかく、農耕が根付いた社会において、猟師とは対獣用の警察官でもあるのだ。
我が故郷ノスキュラ村では、バンさんがその重責を担っていた。
その警察官がいない状況で、獣が村までやって来ないなんて奇跡と言って良い。
「何年も前に亡くなったと言いましたよね。それからずっと?」
「だと思います。あたしも、そんな獣がやって来た、なんて聞いたことないですし」
そして、私の経験からして、奇跡なんてものは、今世にはそんな都合よく転がっていない。
食物連鎖の頂点にいる猟師がいないなら、獣の総数は増えている。
一年でなく、数年なら絶対だ。それが無防備な畑にやって来ないなんて、不自然すぎる。
――ところで、アデレ村とアジョル村は近い。
地図でいうと、森という垣根を挟んで隣近所さんである。
そして、アデレ村では一昨年、ひどい獣害が起きた。
……言い難いけど、アデレ村で起きた獣害は、アジョル村に原因があったりしない?
これはスイレン嬢に聞かせられないので、こっそりとマイカ嬢に相談する。
「あたしにははっきりとわかんないけど、バンさんのところで猟師をしていたアッシュ君が言うなら、可能性は高いんじゃないかな。畑に獣がやって来ないのは、あたしもおかしいと思う」
「ですよね。ただ、アデレ村には来て、アジョル村の方に来ないのはどうしてか、というのは説明がつかないんですけど」
「ううん、向こうの畑の方が大きいからとか?」
大きい畑から狙う、という発想は獣にはないと思う。
ファンタジー生態の魔物ならわからないですけどね。
「とりあえず、明日にでも森の様子を見に行こうと思います。よろしいですか、室長」
「わかりました。ただし、単独行動は許可しません。同行者を必ず連れて行くこと。それが条件です、良いですね?」
それじゃあ、グレン君について来てもらおうかな。
野営訓練の時に、少しその辺りの技術も教えてあるから、私の動きを多少わかっている。
軽く打ち合せをした後、私は近隣情勢に考えを巡らせて、溜息を吐く。
「それにしても……アデレ村の生産性を保つために、アジョル村の健全な運営が必要な可能性があるとは、領地の経営とは難しいものですね」
「あ、そっか。なるほど、その考えは思いつかなかったよ。でも、確かにそうだよね」
私の呟きに、マイカ嬢も、考えていなかった自分に悔しそうにしながら熱心に頷く。
単に、生産量の多い地点だけを優遇すれば良いというわけではないのだ。
一見、成績の悪いように見える地点が、実は別な地点の利益を支えているという場合もありうる。
今回がそうだと決まったわけではないが、アデレ村とアジョル村で手分けして森の管理ができるという利点は、間違いなく存在する。
一方が不運によって手が回らなくなっても、もう一方から一定の補助が期待できる。
「何事も急激に進めるのは危ないということですね。きちんと考察と小規模な実験を重ねてからでないと、とんでもない失敗をしてしまいます」
「うん。大丈夫、アッシュ君がそうならないよう、あたしがんばるからね!」
真剣で切り合うような表情で、マイカ嬢が握り拳を作る。
早足で物事に取り組んでいる自覚は多少あるけれど、私を止めるのにそんな気合が必要ですかね。