魔法の火種10
アデレ村を出発して一日、アジョル村に到着した。
一同は、無言である。
遠征最後の場所についたのだから、疲れを訴える会話や、休憩を喜ぶ声が飛び交ってもおかしくないのだが、全員が口をつぐんで黙り込んでいる。
何か、声を上げてはいけないような陰鬱とした空気が、その村には漂っていた。
「これは想像以上に厳しいようですね」
私は、そんな空気は存ぜぬとばかりに、いつも通りの声をあげる。
チーム内の士気を保つのは、責任を取ることと同じく指揮官の大事な仕事だ。私は副官としての仕事を担い、マイカ嬢は室長としての仕事を担う。
「そうだね。アデレ村から食料を回してもらえたけど、これは大正解かな?」
「そのようですね、幸運でした」
通りすがりに見ただけで、畑の荒れ具合が目につく。
アデレ村は必要な分の手入れは行っていたが、アジョル村では放置されている部分が多々存在する。
畑の状態は、半野生、といったところ。これでは、植えた数に対して、収穫量は激減するはずだ。
今世の作物は、古代文明が品種改良した持ち越しがあるのか、かなり優秀な性質を持っている物が多い。
それでもなお、整備された畑という環境でなければ、万全を発揮できないのだ。
これを見る限り、この村は限界に来ている。
「早く食料を渡しましょう。今晩からでも食料配給が必要そうです」
村の中を覗くのが、少しばかり恐い。
ここへの支援を渋っていた過去の自分が、角を生やして顔を出してきそうだ。
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意外にも、村に入ってすぐに顔を出したのは少女だった。
かなり痩せているせいで幼く見えるが、同い年くらいだろう。身なりは粗末で乱れているが、居住まいには教育の名残がある。
村長一族の人間と思われた。
「あなた達が、前に連絡のあった、巡回しに来るっていう人達……で、良い、ですよね?」
問いかけに応える前に、マイカ嬢が私に視線を送ってくる。
この人が責任者の代理として出迎えに来たのは間違いなさそうだ、というアイコンタクトをして、マイカ嬢が一歩前に出て微笑む。
「はい。今回の巡回及び視察・食料配給遠征隊の責任者、マイカ・アマノベです。各村の要望を聞くことも今回の任務ですので、思いつくことは何でもお知らせください」
「そうですか、良かった……」
少女は、安堵の吐息を漏らすと、疲れた笑顔で応える。
「では、巡回と、視察と……配給の、遠征隊の皆さん……で、合ってますか?」
笑顔になったと思ったら、不安そうな表情に逆戻りしてしまった。
いきなり聞かされて覚えろという方が無理のある名前ですからね。
マイカ嬢も心得たもので、事務的な微笑から、おどけた年相応の女の子の笑みに切り替えて、相手をなだめる。
「名前、長いですよね。遠征隊で結構ですよ」
「す、すいません、何分、こうしたことには不慣れなもので……」
「いえいえ、この遠征隊の名前の長さは、略称が必要だと身内でも問題になっていることなんですよ。今回の移動中も議論が続いていますが、結論が出ていません」
これは本当だったりするので、遠征隊のあちこちから忍び笑いが漏れる。
重たい空気が、少し明るくなる。
「そ、そうなんですか。えと、それでは、父のところにご案内をしますね」
マイカ嬢の気遣いに、一息ついてぎこちなく笑い返した少女は、一同を誘導しようと背を向けてから、スピンをするような勢いで振り返った。
「すいません、あたしったら、自分のことをなんにも……! あたし、じゃなくて……私は、アジョル村の村長ルイスの娘で、スイレンって言います!」
「スイレンさんですね。よろしくお願いします」
「は、はい。その、村長のルイスは、少々体調を崩しているもので、今回は私が、色々と応対することになります。不勉強なため、多々お見苦しいこともあると思いますが……」
「お邪魔しているのは私達の方なのですから、そんなにお気遣い頂かなくても大丈夫ですよ」
スイレン嬢の失態にも、マイカ嬢は気にした風もなく――というより、幼馴染的洞察によれば、マイカ嬢は本当に気にしていない。
遠征隊が侮られているならともかく、緊張による空回りで機嫌を損なうほど、マイカ嬢の器は小さくないのだ。
とはいえ、スイレン嬢からしてみれば、マイカ嬢は何やら複雑な任務を遂行する文武混成遠征隊の指揮官である。
やたら偉そうな立ち位置だし、実際見た目の幼さと裏腹に偉い。
初対面のスイレン嬢が、痩せすぎた体をカチコチに強張らせているのも無理ないのだ。
「い、いえ、そういうわけにも……」
まだ相手の緊張が解けていないことを見て取ったマイカ嬢は、少し考えた後、思い切り砕けた口調で切り出した。
「あたしも農村育ちだし、気楽に話しかけてくれて大丈夫だよ? あたしだって、素の口調はこんなんだし」
遠征隊責任者の大らかな対応に、スイレン嬢は大きく開いた眼を瞬かせてから、この短時間で三度目の、そして最大の安堵の吐息を漏らした。
「そう言ってもらえると、すごく助かります。恥ずかしいのだけど、あたし、軍子会にも参加できなかったから……こういった時にどう対応すれば良いか、よくわからないんです」
村がこの有様ではそれも無理なかろうと、私はこっそり頷く。
軍子会に参加するには、年齢や立場の他に、都市に滞在するための資金が必要になる。
軍子会の学費は無料で寮も無料だが、食費や備品代として一定の滞在費は徴収される。
もちろん、私物は自腹であり、日常必要な細々とした物にお金は出て行く。
一農民には、その金額をねん出するのはちょっと無理だ。
私とマイカ嬢だって、村のお金を使って留学していたのだ。
アジョル村では、スイレン嬢の留学費用を工面できなかったのだろう。
今世の上流階級では、これは必要な教育を受けられなかったと取られる。
スイレン嬢が必要以上に緊張を強いられるのも、無理はない。
「それは気にしないで平気だよ。あたし達は別に形式ばった晩餐会に来たわけじゃないもん。必要なのはこの村の情報だから、話しやすい言葉で受け答えしてくれた方が助かるよ」
「そう、ですか。ちょっと安心しました。あ、それでは父さん……村長のところへご案内しますね」
「うん、お願いします。あ、うちの隊はどこで過ごせばいいか、決まってるかな? 決まってるなら、あたしが挨拶している間に、遠征隊の皆はそっちで荷物を下ろしてもらうけど」
「ああっと、そう、決まってますよ。村長家の近くの空き家を何個か使ってもらおうって話になっていまして……その、掃除や手入れは、あんまりされていないんですけど」
「大丈夫、大丈夫。野宿よりずっと楽だもんね。ね、皆?」
マイカ嬢の合図に、遠征隊一同が声をそろえて肯定する。
この旅の間で、急造遠征隊の結束もずいぶん固まったものだ。マイカ嬢の人心掌握術の賜物としか言いようがない。
改めて、スイレン嬢が案内のために歩き出すと、マイカ嬢が静かに私の隣に並ぶ。
「あんな感じで良かったかな? 案内役のスイレンさんが緊張してると、調査が上手くいかないんじゃないかと思ったんだけど、砕けすぎたかな?」
「私は良かったと思いますよ。ちょっと緊張しすぎなのは確かでしたし」
私が交渉役でも、同じような判断をしたと思う。
「ただ、あまり仲良くなりすぎると、この村に深入りしそうで、それは心配です」
今後この村が盛り返すには、どう見ても多大な労力が必要になる。
それを今の辺境伯領が出せるかというと、難しいだろう。資源が全くないわけではないが、いつだって欲しがる者の方が多い。
非情な判断を下すとなった時、個人の顔がちらつくようでは相当につらいことになる。
「それは、そうだよね……。気をつける、けど」
できるかな、と不安そうなマイカ嬢に、私も似た表情で肩をすくめる。
私だって、それを上手くできるかと言われたら、多分できない。
今だって、アデレ村とは比較にならないほど人気の失せたアジョル村の現状に、罪悪感らしきものが疼いている私だ。
もうちょっと割り切れているつもりでいたけれど、私も案外人間だったらしい。
一部、意外との反応がある気がしますが、私の血は赤いのですよ。