魔法の火種4
研究所の進捗確認の結果、各所への連絡の必要が生じた。
保存食開発で必要になったガラス瓶については、クイド氏。
旋盤の動力である水車の改良案については、神殿の蔵書を当たるためにヤエ神官。
アルコールランプの使い道については、クイド氏とイツキ氏だ。
全力疾走でいかなければならない私は、このうち、どれから手を付けるべきか迷った。
夢に届くためには、最短距離を突っ切る必要がある。
どれだ。どれが最短距離だ!
私は深く一瞬だけ迷った結果、全てをその他のメンバーに任せて、別方向へと駆け出すのだった。
推進室のお仕事の次は、領軍のお仕事があるのですよ。
今の私の肩書は、領地改革推進室の計画主任と、辺境伯領軍騎士ジョルジュの副官、二職の兼務である。見習いが外れ、正式に副官になりました。
執政館内の領軍用の執務室に行く。
こちらは武官サイドの重鎮、ジョルジュ卿にあてがわれた部屋である。
「お疲れ様で~す」
私がドアを開けると、女性比率が高い推進室とは匂いが違う。
むさ苦しい男の園へようこそ!
「副官殿! お疲れ様です!」
「お待ちしておりました、アッシュ副官!」
野太い声が一斉に立ち上がって、一礼する。
指を切り詰めて責任を取る方々みたいだ。私は若頭とか呼ばれそうである。
若輩者として恐縮なので、笑って座るよう促す。
室内を確認すると、ジョルジュ卿は不在。若干一名、机に倒れて動かない人物あり。
目に見えた異常がないので、私は口頭での確認を求める。
「なにか先に確認が必要なことはありますか?」
勢いよく立ち上がったのは、禿頭のローランドさんだ。
「はい、副官殿。緊急の用件等の発生はありません。業務は順調に推移しております。まずは遠征時の携行食料の案件について、ご確認を頂ければありがたくあります」
「わかりました。ありがとうございます、ローランドさん」
軍人らしく簡潔で、大変わかりやすい報告だ。
私が机に座ると、ローランドさんがさっとまとめた書類を差し出してくる。
内容は、巡回や領内警備など、領軍が都市外へ出て行く際、どれだけ食料を持って行くべきか、基本となる数を決めようという提案書だ。
今まで、この部分は色々な事情から決まりがなく、かなり大雑把な運用がされていた。
倉庫番や財布を預かる身からしてみれば、ものすごい無駄遣いがされていた。
それを引き締めようと、我等ジョルジュ隊は出撃していたのだ。
「一人当たりの平均の食事量が割り出せたのですね」
「はい、ジョルジュ隊一同、奮闘いたしました!」
机に倒れている一名以外、皆さんが唇を釣り上げた獰猛な笑みを浮かべる。
食事量を割り出すに当たり、非協力的な兵士が大分多かったようだ。
私は立場上、部下に当たるおっさん達の顔を見渡して、はっきりと頷く。
「皆さんの努力は決して無駄にいたしません。ここからは、私とジョルジュ卿にお任せください。必ずこの提案を通してみせます」
「よろしくお願いします!」
「後を頼みます、副官殿!」
「副官殿にかかればイチコロです!」
信頼は嬉しいが、別に殺したりはしない。事故が起こる可能性は否定しないけれど。
「ところで、グレンさんは大丈夫ですか? まだ起き上がらないようですけれど」
机に突っ伏して動かない一名。ジョルジュ隊にこの春から配属されたグレン君について尋ねると、ローランドさんが歯をむき出しにして笑う。
子供を丸かじりする鬼のような笑顔だ。
「ちょいと頑張りすぎただけですよ。筋は良いんで、すぐに慣れますよ」
「そーです、そーです。平均の量を出す時、ローランド曹長が付きっきりでグレンにやらせてただけであります」
「新入りにしちゃ大したもんです。流石、副官殿の同期であります」
先輩方の笑い方がちょっとあくどい。
どうやら、グレン君は新人としての洗礼を受けたようだ。
とはいえ、提案書の字を見てみれば、グレン君の字で書かれた物は他の隊員より少ない。
ローランドさんの監督もあったとすれば、イジメではなく、実地の能力テストを受けたといったところだろう。
ジョルジュ隊の皆さんは、ちょっと前まで一年に一回、備品倉庫を総ざらいにするという頭のおかしい作業量をこなしていた修羅界の鬼なので、ちょっと加減が足りなかっただけだ。
「そういうことでしたか。グレンさんも、苦手な分野で良く頑張りましたね」
グレン君は、我が軍子会同期で二番目の武勇を誇る猛者だが、頭脳労働や細かい作業には苦手意識を持っていた。
その彼にとって、百人を超える領軍兵士の食事量を種類別に数値化し、平均値を求める作業は、さぞや辛く険しい長旅に感じたことだろう。
苦手なことに挑戦する気持ち、私は大いに評価したい。
同期で一番の武勇を誇る猛者?
私の幼馴染ですよ。マイカ嬢の文武両道っぷりには惚れてしまいそうだ。
「むぐぅ……アッシュに褒められたんなら、俺もちょっとは頭が良くなったってことかな」
褒め言葉に気力が回復したのか、グレン君が目の下にクマの濃い顔を上げる。
「ええ、軍子会にいた頃から続けていた、地道な努力の成果ですよ。稽古に勉強にと、人一倍頑張っていましたからね」
「はは……。確かに、二年前の俺なら、とてもじゃないけどできない仕事だったな」
グレン君は、日に焼けた額をかいて笑う。
出会った頃のグレン君は、コテコテの筋肉信仰者だった。
魔物をばったばったと斬り倒す英雄譚に幼い頃から憧れ、本人の体格が良いこともあり、とにもかくにも剣を振り回すことを考えて……いや、考える前に振り回して来た、と言うべきか。
軍子会も、頭ではなく肉を鍛える場所だと思い込んでいた。
珍しくはない。
領軍志願者には多いタイプであり、軍子会の男子の大半が領軍志願者である。
だから、軍子会では座学が長引き、マイカ嬢主催の勉強会が盛況になるわけだ。
ちなみに、女性の大半は侍女に憧れて軍子会に参加する。神殿の神官や執政館の文官に女性が多いことも納得できよう。
さて、筋肉への信仰を捨てた……わけでもないが、一部改宗したグレン君は、立ち上がって体を解しながら、それで、と私を見る。
「とりあえず、ローランド曹長に言われるまま計算し続けたけど、結局、それって何に使うんだ?」
首を傾げ、ぐきりと鳴らしたままグレン君は不思議そうにする。よほど肩が凝っているようだ。
「ああ、いや、外回りに行く兵士の食料についてって言うのはわかっているんだ、多分。野営訓練にも何回か行ったから、何人で何日の予定ならこれくらいっていう目安がわかるのは良いことだと思う」
計算が苦手な人は、かなり手間取っていましたからね、食料の準備。
「でも、目安ができたんなら、ただ教えるだけで良いんじゃないかと思うんだ。何か、俺が知らない目的があるのか?」
「グレンさんは途中参加でしたからね。どういう目的か、ちゃんと説明していませんでしたっけ」
「多分、聞いていない、と思う。計算途中に言われてたかもしれないけど……」
グレン君は自信なさそうに額をかく。苦手な作業中に話されても、頭に入らないだろう。
さっきも、算数の結果、頭のブレーカーが落ちていたみたいだし。
「では、軽く説明をしましょう。今回、我々ジョルジュ隊は、無駄な備蓄食料の持ち出しをなくすために、提案書をまとめていたのです」
「無駄に持って行く奴がいるのか?」
グレン君は、眉根を寄せて、真面目さを伺わせる表情になる。それと同時に、備蓄食料の味のひどさを知っている表情にもなる。
「本当にいるのか? あの枯れ木みたいな干し肉やら、鉄みたいな固焼きビスケットやらを無駄に持って行くような……その、好き者が?」
野営訓練で備蓄食料の不味さに苦しんだグレン君の表情は、理解し合えない存在を見つけたように呟く。
それに対し、私や他のジョルジュ隊のメンバーは、そんな好き者はいない、いるわけがない、と手を振って笑う。
「流石に、あれを好きな人はいませんよ。あれは味なんて考えずに、ひたすら長期保存に特化した代物ですからね」
特にビスケットは無調理でかじると、歯の方が砕けるくらいすごい。
あまりの固さに、食べることもできる防具とか言われている。
兵士の冗談話に、懐に入れておいた固焼きビスケットが人狼の爪を弾いて助かった、というものがある。
そして、冗談とは思えない説得力をビスケットは持っている。
それくらい固い。とにかく固い。
干し肉は干し肉で、塩漬けにした上で水分を徹底的に抜かれており、肉というより塩である。
無調理で食べると自分まで塩漬け肉になりそうなすごい味がする。正しい食べ方はスープの具にすることだ。
もれなく塩スープができる。肉の旨味が出ると考えてはいけない。肉というより塩だからだ。
他には、酢漬け・塩漬け野菜があるが、これも漬物なんて可愛い代物ではない。
限りなく腐敗に近い発酵をした何かである。
これを保存している倉庫は、迂闊にドアを開けると失神する者が出るほどの魔窟と化している。
化学兵器プラントみたいだ。
どれもこれも食べ物としての最低ラインを下回っていると思う。今世の技術で、長期保存食を作ろうとするとこうなってしまうようだ。
そもそもこれらは、飢饉や魔物被害による難民が大規模に発生した際、最大の避難先となる都市の食料が尽きた時のために備蓄されている非常食だ。
保存食の中でも、味へのこだわりは最底辺と言って良い。
一説には、わざと不味くして、ちょっとずつしか食べられないようにしているとの噂もある。本当だったら開発者を地獄まで殴りに行ってやる。
そんなわけで、その辺の木の皮を食うよりはマシというレベルで、携行食として使うのも間違っているのが、備蓄食料だ。
これらは主に秋の収穫時に集められ加工された食品で、倉庫の中で大半が腐っていく。
最悪の被害の最小化を目的とした重要な仕組みではあるが、食の不足が死因になる今世では、あまりにもったいない廃棄品である。
もったいない精神に富んだ辺境領民により、以下のような流れが発生するのは至極当然だった。
流石に食べ物を捨てるのは罰当たりだ。ヤバイのからちょっとずつ使って、腐る前に減らして行こう。
名案だ! 採用!
でも、こんな不味い物、よほど食う物に困っていない限り誰も食べたくないだろ。それに、本当に食うに困っている奴に、消費期限が怪しい保存食を食べさせるって……どうよ。
ただでさえ弱っているところに、腐りかけの物を食べさせたら死人が出るな。領主からの支援品でトドメを刺すのは流石にまずい。
じゃあ、頑丈な軍人に食わせよう。あいつら外に遠出する時には保存食が必要だ。そして、この非常食はギリギリだけど、多分保存食である。
そんな流れで、軍人が犠牲を払っている。兵隊さんはつらい。
一方の兵士だって、ただでさえ辛い都市外野営つきの出張に、毒に近い食べ物を持って行きたくはない。
黙って不味い物を食わされるほど、彼等の忠誠心は厚くないのだ。
そこで、兵士達は考えた。
この支給品という名の廃棄品を売って、その金で食料を買っていこう。もっとマシな干し肉も固焼きパンも酢漬けも、いくらでもあるだろ。
天才だ! 採用!
でも、こんなのどこに売るんだよ。誰が買うんだよ。タダでも躊躇うレベルだぞ。
いや、それでも食う物に困っている連中はいるし、売れなくはないだろ。それにほら、俺達は領地の平和を守る兵士なんだぜ? ちょっとくらい融通してもらったって罰は当たらないって。
それもそうだ。安くて良いなら、餓死するような貧乏人なんかもいるわけだし、売れないことはないな。
でも、やっぱり安いから、たくさん売らないと足りないな。持ち出す数は決まっていないんだし、都市外で何が起こるかわからないんだから、用心して一杯持って行くってことにしよう。
「大体、現状の領軍の携行食事情はこんな感じです。率直に言えば、横領・強請・癒着等々の不法行為の温床となっているのです」
「……悪いことなのは間違いないんだが、強く咎める気持ちになれない」
グレン君は気まずそうに、正直な気持ちを述べる。
それは、ジョルジュ隊の誰もが同意できる気持ちだ。同意できるからこそ、今までこの不法行為が、問題にされてこなかったのである。
「実質、黙認状態だったのですよ。それくらい備蓄食料はひどい出来ですからね」
一度でも備蓄食料を味わえば、大抵の人間は領軍のこの不法行為を糾弾できない。
大体、持ち出し許可が出るのは腐りかけですしね。
食事の平均量を割り出す調査で、兵士の皆さんが非協力的だったのも当然だ。
備蓄食料の持ち出し量を制限されてしまえば、それを売り払って得る金額が減り、金額が減ればまともな携行食を買えなくなってしまう。
「それを踏まえた上で、今度の提案書では、そもそも古い備蓄食料を領軍の携行食として流用することを止めるよう発案します」
「おお、すげえ大胆だな」
グレン君は驚き、「流石アッシュ」と付け加えた。
「引き起こす事件の大きさが、こっちの予想のさらに上を行くよな」
「事件?」
計画や仕事はしているが、事件を起こした記憶はありませんね。
「大事件だろ。よくわからないが、領軍が長いこと続けていたルールをぶっ壊すんだから。そんなことできるのか?」
「壊すつもりはないのですが、悪習になっているものは改めていきましょう。今の責任者は領主代行のイツキ様ですからね。話が通じますよ」
イツキ氏は軍事に明るい統治者だ。
兵士の士気を保つことに理解が深い。
「そもそもの問題として、見逃しているとはいえ、これは立派な犯罪行為です。犯罪を取り締まるべき役割も持つ領軍が、自ら犯罪者を使っているなんて大問題ですよ」
「それはまあ、そうだな。どの面下げてって感じはする」
「一部の商人に備蓄食料を売っているのですから、これは領民の知るところにもなっています。風紀が乱れた軍隊なんて、盗賊となんの違いがあります? 精々、領民にかける苦労の大小ですよ」
これは領地の治安維持に全くよろしくない。犯罪者の存在は、別の犯罪者を生むのだ。
そして犯罪者が多くなれば、犯罪の凶悪化を招く。
「携行食を、もう少しまともな物に変える。それだけでこの深刻な問題は、簡単に片が付きます。おまけに、今まで質の悪い保存食を買わされていた商人をなくし、流通する食料から腐りかけの不良品もなくなりますから、市場の健全化にも繋がります」
今までは領主側の人間がこれを乱していたのだから、本末転倒だ。
グレン君は、しばらくひたすら感心の頷きばかりをしていたが、ふと首を傾げる。
「良いことづくめに聞こえるが、金は大丈夫なのかな。備蓄食料は税として集めた分だから、なんというか、タダみたいなものだろう? それを普通に市場で買うようになったら、金がかかるよな」
「今回の提案書で、一番気を使うのはその点ですね」
元々、限りある資源を無駄なく使いきろうとして、備蓄食料の携行食化が進められたのだ。
極論だが、貧乏でさえなければこんな悲惨なことにはなっていない。そして、辺境の田舎は貧しいものと相場が決まっている。
「確かに、今までよりお金はかかります。負担は増えるでしょう」
「それだと難しいんじゃないか? 詳しくはわからんが、金がかかる提案は通りにくいってイメージがある」
そのイメージは合っている。
「ですので、提案の際には、そのお金をかける分のメリットが色々ありますよ、と訴える必要がありますね」
領内の商業活動が活発になりますね、とか。
食料品が売れるとわかれば生産者のやる気が上がりますね、とか。
食料は他領から仕入れる必要もあるから仲良しの領主が増えますね、とか。
色々なことが考えられるし、それを言うだけならタダです。
あとはデメリット部分をなるべくさらっと流して、メリットの方はたっぷり時間をかけて聞き心地良く説明するだけだ。
嘘はついていない。聞く側の受け取る印象が、ちょっと偏っているかもしれないだけだ。
「まあ、何はともあれ、領軍の綱紀粛正が第一目的です。犯罪者を取り締まる側が、習慣で罪を犯していては示しがつきません。その結果に発生するであろう負担は、別な角度から見れば利益にもなりうると言うだけです」
もちろん、現場からは今までの習慣を変えることに、面倒臭さを感じて反対は出るだろう。
しかし、遠征に持って行く食料の質が変わらないことを実感できれば、売りさばく手間が減る分だけ歓迎されるだろう。
後々までうるさく反対するとしたら、多分、習慣を悪用して私腹を肥やしているような連中だけだ。
その辺は私の敵なので、粛清してやろう。
その時はイツキ様も私の味方だ。覚悟するが良い。