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フシノカミ  作者: 雨川水海
魔法の火種
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魔法の火種3

 昼食のホットドッグを食べ終えた後、ついでの目的である研究所の各種実験の進捗を確認する。

 説明係は、研究所の管理責任者レイナ嬢と、実務責任者ヘルメス君だ。


 まず初めに、ヘルメス君が並べた物はかなり大きめの缶詰である。

 レイナ嬢が、内容物の種類と、作成日順に説明する。


「右から順に、肉の煮物、野菜の煮物、果実のシロップ漬けよ。上の段は三か月前、中段は二ヶ月前、下の段は一ヶ月前のもので分けてあるわ」


 私とマイカ嬢は、視線を順番に動かしていって、溜息をついた。


「ダメでしたか」


 誠に無念である。

 私が大いに力をこめていた缶詰開発計画は、いずれも中身が錆びたり破裂したりして、保存という目的を全く果たせていなかった。


「なんか、すごい変形してるのがあるけど、怪我とかはなかった?」


 マイカ嬢が、責任者らしい確認を行ってくれる。私はちょっと落胆がひどくてそれどころではない。


「ええ、それは大丈夫よ。ただ、周囲には内容物が大分散らばっていたから、人がいる近くで破裂したら、ちょっと危ないかもしれない」

「そっか、注意は必要だね」


 これくらいの失敗は慣れっこなので、マイカ嬢もレイナ嬢も動じていない。

 むしろ、私があまりに露骨に肩を落としているので、ヘルメス君が心配そうに見ている。


「アッシュがわかりやすく落ち込んでるのは珍しいよな……。どうした? 窯とか水車とかの失敗に比べれば、色々大したことないだろ?」

「確かにそうなのですが……これは簡単に成功するだろうと思っていたので、ものすごくがっかりしてしまいまして」


 だって、アルミとスチールで器を作って、中身を入れて、湯煎(ないし直火)で温めて、高温状態のまま蓋をすれば良いと思っていたのだ。

 蓋をするのはすごく難しかったが、試作窯を駆使し、錫ではんだ付けをなんとかやり遂げた。中毒が恐いので、鉛は使っていない。


 確かに、数か月の長期保存には不安があった。

 高温殺菌も不十分だろうし、密閉が不十分なものも多いのではないかと案じられた。

 だが、まさか全滅とは思っていなかった。


 第一、どれもこれも内側の錆び、つまり缶の内側の腐食が激しい時点で、缶詰として失格だ。

 前世らしき記憶にある缶詰は、アルミ缶やスチール缶で間違いなかったはずだが、内側になんらかの処置がされていたのだろうか。

 腐食防止のメッキとか。


 知れば知るほど素晴らしいな。

 あれだけありふれていて、単純に見えていた物の中にも、思いもつかない工夫があったのだ。

 一体、どんな冴えたアイディアが、たかだか缶詰に使われていたのだろう?

 わくわくしてきた。


 この辺について詳細にわかる本は今のところ見つかっていない。

 保存食の歴史とか、なんかそういうものもありそうなのだが、マイナーなジャンルだろうか。

 この疑問が解けた時は、さぞ気持ちいいだろう。


「あ、すげえ。考えこんでいるうちにみるみる元気になった」


 ヘルメス君の感嘆の声に、我に返って顔を上げると、全員が苦笑して私を見ている。


「流石だよな、アッシュは。珍しく落ち込んでるかと思えば、一人で復活するんだから」

「慰める隙もなかったね……」


 マイカ嬢が、私の身代わりのように激しく落ち込んでいる。

 なんだかお騒がせしたようだが、当面缶詰作りはできないことがわかったので、その旨を計画発案者として伝える。


「現状、アルミ・スチールを利用した保存食作りは、これ以上の改善案がありません。よって、残念ではありますが……」


 私は、肩を落として嘆息する。


「ガラス瓶で保存食を作りましょう」


 割れやすい上に、今の環境では缶より大量生産しづらいので、できれば使いたくない手段だったのだが、致し方ない。

 とりあえず、保存食が必要なのです。


 今日も領内を巡回している領軍の皆さんのためにも、そのうち領内を歩き回る自分自身のためにも、ぜひとも必要なのです。


「原理的には、金属缶と同様です。ただ、密閉用の蓋に適した素材が……どうかしました?」


 改めて皆さんの顔を見回すと、全員が苦笑している。ついさっき見たような光景だ。


「流石だよな、アッシュは」


 ヘルメス君が、ついさっき聞いたようなことを言って、隣のレイナ嬢に笑いかける。

 レイナ嬢も、呆れたような、しかし陽気な音色で笑う。


「ええ、本当ね。すぐに代替案が出てくるんだもの。こっちは落胆している暇もないわ」

「全くだ。それで、ガラス瓶だろ? 流石に、ここにも作れる奴はいないんじゃないか?」


 ヘルメス君が周囲を見渡すと、案の定、受刑者の皆さんも首を横に振る。

 陶芸の職人さんはいるんですけどね。


「ううん、そうですか。では、とりあえず陶器の瓶で試作をお願いします。ガラスの案については、一度こちらで持ち帰り、方法を検討しましょう」


 クイド氏に話して、いくつか試作用のガラス瓶を輸入するか。

 ガラスの自作については、ものすごく手間がかかりそうなので、試作の結果を見てから考えよう。

 全員がその方針に頷いてくれたので、私は一つ手を叩いて話題を締めくくる。


「では、次ですが、ヘルメスさん、旋盤の方はいかがです?」

「楽しい!」


 それは何よりですが、そういうことを聞きたいわけではないので、少し困る。

 いや、順調なんだということは良く伝わったけれども。


 あまりの良い笑顔に、私が続きの切り出し方を困っていると、レイナ嬢がヘルメス君の足を踏んづけて、良い笑顔を歪めてくれた。


「ヘルメス、そういうことを聞かれているわけではないって、わかるわよね?」

「う、うん、わ、わかってるよ。えっと、まあ、金属缶を作りながら問題点を洗い出したから、今は大分安定したと思う。使い慣れて来たってせいもあるだろうけどな」


 旋盤は、工業力向上計画の一環で、工作力の向上のために導入した。

 構造自体はシンプルだが、万能と言っても良い応用力を発揮する。やすりも切り出しも、全て人力で行われている今世では、画期的な機械力だ。


 ただ、動力については問題がある。

 ヘルメス君が、頬をかきながらその点を口にした。


「けど、やっぱり、水車の力を使ってるから、使えない日があったり、その日その時で、微妙に感覚が変わるのは、何とかしたいな」

「ううん、やっぱりそれは気になりますよね」


 人力に比べれば、遥かに安定して一定の力を発揮していると言える水車だが、川に車を突っ込んで回しているだけなので、その日の水量によって違いは出る。

 雨が降ると勢いが付き過ぎて壊れるし、晴れの日が続くと弱すぎて使えなくなる。

 そして、人力とは違ってその辺りの加減を、任意で行えない。

 安定感抜群の電気動力の偉大さがわかる。


「やはり、水車の改良も必要ですね。もっと安定した動力になってくれないと」

「そうだな、そうだと思うぞ。もっと精密に作業できるようにならないと」

「飛行機を飛ばせませんからね」


 ヘルメス君の野望を音声化すると、彼は少し照れつつも、当然だろ、と笑う。

 飛行機は置いておくとしても、川の水量の増減で使用が制限される水車動力は、このままでは不便すぎる。


「蒸気機関が実用化できれば、水車の問題はなくなるのですが……」


 現在研究中の、蒸気機関の進捗を思う。

 玩具のような模型を作っている段階なので、試験運用でさえ一年から二年かかるだろう。


 ……自分で予想しておいてなんだが、水車の動作が不便だなんだと話している研究所が、一年から二年で蒸気機関の試用ができそうとか、時間跳躍するみたいな話であるな。

 実際、知識的タイムスリップをしている、とは言える。

 蒸気機関を開発した先人達が、「安定した動力」という目的地があっても、「じゃあ、そこにたどり着くには何が必要か」と技術的道のりを見つけるところから始まったのに対し、私は「これとこれをこう組み合わせればいける」と(誤差はあれど)わかっている。


 新たな発明品の誕生は、「開発者」の周りに「既存技術」が上手くそろわないと、画餅で終わってしまう。

 水車も蒸気機関も航空機も、その時代に受け継がれた技術の、新しい組み合わせ方、あるいは正しい組み合わせ方なのだ。

 必要な技術と組み合わせ方を知っている私はずいぶんと有利になる。後は、既存技術になっていない必要技術を開発すれば良い。


 蒸気機関の場合、それに至る発想を別とすれば、蒸気圧を漏らさず、かつ蒸気圧に耐える外殻を造る、金属加工技術が必要になる。

 その必要を満たすための、耐火レンガに始まる窯・炉の改善と、ヘルメス君ご満悦の旋盤だ。

 この二つが一定の水準に達すれば、すぐに蒸気機関の試作が始まるだろう。模型を作ってはしゃいでいる研究員がいますからね。


 とても楽しみだ――が、その楽しみの前段階として、水車動力の改良はやはり必要だろう。

 あと、燃料の消費問題もあるので、水車の高性能化は損にならない。

 少なくとも、数十年単位で役に立つ。


「ご意見はわかりました。水車の改善について良い案がないか、文献を調べてみましょう」


 ついでだし、風車についても検討してみよう。

 水車だけでは、工業力が川の流域を離れられない。

 まあ、豊富な水を必要とするのが工業の常だが、選択肢が多いのは良いことだ。


「では、水車の改良を進めていくということで、こちらは良いでしょうか?」


 まだ確認事項はあるのだ。

 この旋盤を使って作ったのは、保存食用の缶だけではない。


 もっと大きな缶も作った。

 用途は食品保存ではなく、木材の乾留――木材の中に含まれる化学物質、木酢液を回収するためである。ついでに、木炭も作れる。

 乾留とは、発火しないように加熱することで、素材を熱分解することを指す。

 何やら難しそうな化学用語に聞こえるが、木炭を作る行程はそもそも乾留である。伝統的な山の住人、炭焼き職人は、乾留屋さんと言って良い。


 そして、乾留自体は、蒸留とやることは変わらない。

 火がつかないように加熱して、気化温度の違いを利用して成分を選り分ける。

 シンプルに言えばそれだけだ。


 液体が沸騰して蒸気になるように、木材に含まれた成分も加熱されると蒸気になる。

 炭焼き職人さんは、この蒸気を出しきった後の木炭を目的とするが、私が欲しいのはその蒸気の方に含まれているので、こちらを回収する工夫がいる。

 研究所で製作された大きな缶は、上部にパイプがくっついており、蒸気はパイプを通って別の缶へと移される。別の缶で蒸気が冷やされると、蒸気に含まれていた沸点の低い物質が液化する。


 これが大きな缶の正体、試作型乾留装置の概要だ。

 一応、木材を加熱する部分は、レンガ窯で包んで熱効率を高める工夫をしたり、蒸気を回収する缶は水につけて冷えやすくしてある。


 もっと効率的な回収方法もあるのだが、加工技術の限界である。

 試作段階でそこまでこだわっては、いつまでたっても実験できないとあきらめることにした。

 こうして回収できた物質が、水っぽい木酢液と、どろりとした木タールとなる。今回は副産物扱いだが、木炭もできている。


 ここから、木酢液をさらに細かく、加熱・分離を繰り返して分留していくと、今回の本命の物質がようやく手に入る。

 レイナ嬢が、ガラス瓶に取ってある、無色透明の液体を私に示す。


「それで、アッシュの手本通り、これを作ってはみたけれど?」

「ありがとうございます。この色合いなら上手くいったようですね。……量はものすごく少ないですが」

「本当に、びっくりするぐらい少ないわね」


 レイナ嬢が困った顔をしているのも無理はない。

 私もびっくりである。

 木炭もできるのだからと、薪を十キロくらい乾留してもらったはずなのだが、ガラス瓶の中身は百ミリリットルあるかないかの量になってしまった。


「これは、大量生産は当分無理そうですね」

「そうね。少なくとももっと装置の大型化が必要だし……ものすごく燃料代がかかるから、効率化も必要よ」

「どれくらいかかりました?」


 私がたずねると、主に予算の面倒を見るために研究所の管理責任者に任命されたレイナ嬢は、そっと報告書を差し出す。

 精読するまでもなかった。思っていたのと桁が一つ違う。


「木炭製造のついでに抽出できるようにしないと、大量生産はとても無理ですね。やるとしたら、現在の木炭生産の根本から見直さないと」


 炭焼き職人の皆さんに、この乾留装置を使ってくださいとお願いしなければならないだろう。

 流石に、二つ返事で伝統的な手法を変えてはくれまい。乾留装置の設置費用や維持費用の問題もある。


「当面は、少量の試作が限界ですね」


 私は溜息をつきながら、ガラスの小瓶の蓋を外し、太めの紐が貫通した蓋に付け替える。

 何をするのかと見守る一同の前で、私は竈から燃えさしの小枝を取り出し、ガラス瓶の紐に火をつけた。

 当然、紐は燃えて、燃え尽きず、燃え続ける。


「上手く行きましたね」


 ガラス瓶の中身は、抽出されたメタノール――アルコールの一種である。

 つまり、このガラス瓶は、アルコールランプの試作品だ。


「え? それどうなってるの?」


 しばらくして、一向に消えない、正確には燃え尽きることのない火に、マイカ嬢が身を乗り出す。


「これはロウソクと一緒ですよ。ロウソクの芯が、ロウがなくならない限り燃え尽きないのと同じで、これは瓶の中のアルコールがなくならない限り、芯が燃え尽きることはありません」

「はえぇ……そうなの? なんで?」


 そう聞かれると、一瞬言葉につまる。


「実際に燃えているのが、芯の部分ではなく、芯に染みたアルコールだから、ですかね?」


 これであっていただろうか。

 今度きちんと調べておこう。

 ……調べられるだろうか。


 今世の可読書物は、実用的すぎて原理の説明がないものが多いから、確信が持てない。


「それで? ロウソクと一緒なら、ロウソクで良いんじゃないの?」

「それを言われてしまうと返す言葉に困るのですよね。元々は、ロウソクの代用品にならないかと思いまして」


 今世の夜は深く、それを照らす光はあまりに少ない。

 その解消のためにと発案したのだ。

 メタノールが効率的に取れるなら、ロウソクと併用する照明として普及を進めていこうと意気込んでいたのだが。


「とてもではないですが、費用対効果が悪すぎますね。ロウソクより煤が出ないですし、光量も安定して高いので、高級志向の貴族や豪商向けの商品に……いや、それにしたって無理があるような」


 元々、ロウソクを買ってまで夜に作業をしようなんて、お金持ちしか考えないわけで、それほど需要があるわけではない。

 好事家に物珍しさで売れるだろうが、私としては売上よりも夜の照明の普及が目的なのだ。


「ちょっと私の当初の目的は果たせそうにありませんね。クイドさんやイツキ様にも相談してみましょう。何か他の使い道があるかもしれません」


 缶詰は失敗。

 アルコールランプも当初の目論見には使えそうにない。

 唯一順調だといえる旋盤も、まだまだ改良の余地がありと、今回の進捗は芳しくない結果となってしまった。


「やれやれ……」


 それなりの立場について、仲間も増えて、使える資源も多くなっても、まだまだ夢には届きそうもない。

 今世の世知辛さは、真に手強い。


「まだまだ、立ち止まってはいられませんね」


 全く、どこまで突っ走り続ければ休憩する余裕が生まれるのか。

 まさか、このまま死ぬまで全力疾走させるつもりかな、今世の現実は。


 ふふ、そっちがそのつもりなら、こっちは本当に地獄までだって走り抜けますよ。

 とっくの昔に覚悟は決めているのだ。地獄だってかき回して見せる。

 後悔するのは、果たしてどこのどちら様かな。


「さあて、皆さん! この調子でどんどん色々やっていきましょうね! 私達は確かに、古代文明の栄華に近づいていますよ!」


 少なくとも、夢の路をはしゃいで転げている私ではないことは確定している。

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― 新着の感想 ―
メタノールを乾溜で作るよりは、醸造でエタノールを作る方が楽そう。純度が低ければ蒸溜すればよい訳だし。 科学的な性質の違いについてあまり詳しくはないですが、燃料としてなら十分代用が効くかと。
[一言] ちょっと調べてみたら実用的な蒸気機関が使われ始めたのは1,700年代、スターリングエンジンの開発は1,800年代初頭と結構古かった。 今の火力発電所も結局は外燃機関である蒸気機関なので将来的…
[良い点] 失敗は成功の基なのだ。 かのエジソンも成功するまで失敗を繰り返した。 [気になる点] ただ古代文明の後と言う設定だと縛りがきつくないでしょうか?。 石炭・水力・石油・原子力ときて太陽光・風…
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