魔法の火種2
私とレンゲ嬢が、さっくりと意見書を作っていると、部屋にマイカ嬢がやって来た。
彼女の業務上の所属を考えると、帰って来た、と表現するべきなのだが、実態はやって来たで間違いない。
「ただいま、アッシュ君、レンゲさん。やっと一段落ついたよ」
「お疲れ様です、マイカ室長」
私が役職つきで呼ぶと、マイカ嬢は嬉しさと残念さが混交した苦笑で頷く。
「まだその呼び方は慣れないね。あと、アッシュ君にはいつも通りに呼んでもらった方が嬉しいなぁ」
「お仕事中ですから、そこはきちんと上司をして頂かないと」
「そんなぁ」
甘えるマイカ嬢をたしなめると、彼女は無念そうに自分の机に突っ伏す。
その机には、「領地改革推進室長」という役職が乗っかっている。私が任官した部署が、ずばり「領地改革推進室」なので、直属のボスである。
「あたしには荷が重いよ。絶対アッシュ君の方が向いてるのに」
「そんなことはありませんよ。マイカ室長の方が、人の上に立つ能力は高いですよ」
「もう、そんな上手いこと言って~」
マイカ嬢は唇を尖らせて文句を言うが、褒め言葉がきいたのかどことなく嬉しそうだ。
弱冠十三歳にして管理職という、今世でも中々早熟な出世だが、もちろん事情がある。
辺境伯領において「領地改革推進室」という部署が出来たのは、この冬のことである。
出来て一ヶ月、という新設部署だ。
その業務内容は、主に農業改善計画と工業力向上計画の管理・運営・実施・調整、および付随業務全般である。
つまり、軍子会の時に私達で作成した計画、その全てが丸投げされた部署だ。
所属している人材も、マイカ嬢と私を筆頭に、レイナ嬢、ヘルメス君、他勉強会から数人と、ほぼ軍子会時代のメンバーがスライドされている。レンゲ嬢のように、外部からの追加メンバーの方が希少だ。
異物をごっそり移植手術するような荒業である。私でもこんなことして良いのかと心配になる。
懸念をイツキ氏に伝えたところ、領主代行の重責にある男は堂々と言った。
「だって他にこの計画を任せられるのがいないし。ついていけるのもいないし。それにほら、混ぜるな危険だし?」
私は、その果断な決断力をうかがわせる発言に思いましたね。だってじゃねえし、と。
まあ、私としてはやりやすいことこの上ないので、言葉を尽くして反対をする理由はなかった。
それに、マイカ嬢を責任者に据えて、領主一族の血筋として教育を行う機会という目論見もあるそうで、ますます私には反対の余地がない。
教育係は現役の領主代行イツキ氏で、今日もついさっきまでマイカ嬢がイツキ氏のところで仕事をしていたように、領地改革推進室の実質の上司はイツキ氏である。
重ね重ね問題がない。常に、将が直接射られる距離にいるのだ。馬も無駄死にせずに幸せだろう。
大変に都合がよろしいので、可愛い姪っ子と一緒に仕事ができてルンルンしている領主代行殿の表情について、言及することは避けておいてあげましょう。
ともあれ、マイカ嬢が到着したので、私は手早く書類を切り上げて席を立つ。
「では、丁度良い時間ですし、お昼ご飯のついでに研究所の進捗を確認しに行きましょうか」
「は~い、今日のご飯はなにかな~」
食欲に満ちた笑顔を見せる私とマイカ嬢とは異なり、レンゲ嬢だけは、その優先順位で良いのかな、という困った笑みを浮かべていた。
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お昼ご飯は、ソーセージをふわふわのパンに挟んだもの、つまりホットドッグだった。
ソーセージもパンも焼き立てで、あっつあつである。
好みで葉野菜やザワークラウトを乗せられる他、ケチャップソースとチリソースを選べる充実ぶり。
屋台を出せば周辺の飲食店を駆逐しかねない高品質な逸品に仕上がっている。
「実に美味しいです。試作窯の素晴らしい検証データになりますね」
残念なことに、この絶品お手軽食を屋台で出すことはできない。
作っているのが受刑者の皆さんだからだ。
そう、領地改革推進室の研究所とは、市壁の外、受刑者の皆さんの住居一帯を指す。ついでに、今まさに食べているように、推進室一同の食堂としても活用されている。
別に、推進室の予算を使いこんで福利厚生の向上を図ろうなんてこすい考えではない。
これもまた、推進室の業務である工業力向上計画の、大事な段階の一つなのだ。
どういう段階かというと、耐火煉瓦を用いた窯の試験である。
必要な火力に、煉瓦の内壁は耐えられるか。
煉瓦の積み方や外壁の工夫によって、内部の保温力は安定できるか。
高温が起こす気流によって、窯の内部が荒れないか。
これらは、実際に火を起こして使用してみないとわからないことが多すぎた。
最初の頃は、煉瓦が崩れたり、内部で気流が暴れたり、焼きむらがひどかったりと、散々だった。
だが、我々は諦めなかった。
落胆し、肩を落としながらも、再度文献を読み漁り、問題点を洗い出した。
また失敗するのではないかと恐れながらも、気力を振り絞って再び窯を組み上げた。
一度ではない。二度でもない。何度も、何度も。
その結果が、今日のお昼ご飯である。試作パン焼き窯は今日も絶好調だ。
調理用の火力なら、十分に耐えられる性能になったようだ。
それに、保温力も安定している。ふわふわのパンが美味しそうな姿で出てくるほど、気流も制御できている。
ケチャップなども、調理用の竈の試験で作成したものだ。断じて、無駄遣いではない。
試験データの収集ついでに、自分達の食事をしているだけだ。むしろ、無駄をなくそうという真摯な努力である。
「おいし~! ソーセージ、また美味しくなったね!」
努力を味わう我らが室長も、大層ご満悦だ。
受刑者達の調理担当のリーダー格、ゼブさんが、マイカ嬢の笑顔に嬉しそうに頷く。
「お気に召してくれました? 肉屋をやってる人らが、コツを教えてくれたんですよ」
「召します、召します! もう、皆どんどん何でもできるようになっちゃって、あたしはすごく嬉しいよ! 欲しい物があったら何でも言ってね!」
「あ、じゃあ、大鍋がもう一つくらいあれば、もっと煮込み料理やスープを仕込めて、ありがたいんですけど」
「わかった、備品として申請しておくね!」
部下の努力の成果を自らで確かめ、大きな声で直々に褒める。しかも、言葉だけでなく現物報酬つきだ。
我らが室長殿は、上司のカガミであるな。
まあ、受刑者の皆さんは、立場的には部下ではなく、懲罰中の強制労働者なのだが。
「い、良いのでしょうか、備品扱いとなると、うちの予算から出すことになりますけど」
私の隣で、小さな口で一所懸命にホットドッグを食べていたレンゲ嬢が、私の袖を引いて尋ねる。
いや、執政館勤めとしてはレンゲ嬢の方が先輩なのだから、良し悪しは私より詳しいと思う。
単に確認したいのだろうと判断し、私は真面目な顔で対応する。
「もちろん、何の問題もありませんよ。試験に必要なのですから。竈が大鍋一杯の重量にどれくらい耐えられるかどうか、しっかり確かめなければ後の事故になりますからね。一種類の大鍋ではなく、数種類の大鍋で確認しましょう」
レンゲ嬢から、裏切られたような視線を向けられてしまった。
なぜでしょうね。
真面目な侍女は、簡単には騙され――もとい、納得してくれないようだ。珍しく眼差しのきついレンゲ嬢に、私はくすりと音を立てて笑いかける。
こういう時、笑顔は大事だ。
相手も釣られて笑ったり、緊張を解してくれる効果が期待できる。
「まあ、建前としてはそんなところで、本当の理由なのですが」
レンゲ嬢の耳元で、私は建前の奥に隠したもう一つの建前を囁く。
「領主一族として、マイカさんは色々と交渉事を担当しなければいけません。その時、正当な理由だけでは押し通せないこともあるでしょう。詭弁を使っても守らなければならないものもあるでしょう。大鍋一つのダーティな交渉、その練習に丁度良いのですよ」
「そ、そこまでのお考えで……わ、わたしったら、そんなことも知らず……」
「いえいえ、どんな理由があろうとも、予算の無駄遣いを戒める真面目さ。侍女として大事な資質ですよ」
「あ、ありがとうございます!」
レンゲ嬢は、安心したように食事を再開する。
晴れやかな顔で、先程よりずっと美味しそうだ。
よし。成功した。何が成功したかとは言いませんがね。
なお、後日に実施された、マイカ嬢の交渉練習の結果についてだが、ばっちり大鍋一つの備品が手に入った。
私が最初に述べた建前に加え、「工業力向上計画の一環として、現在の工業技術の見本として大鍋は丁度良い」と建前を重ねて、財務部へ申請の槍を押しこんだのだ。
財務部は易々とぶち抜かれた。
マイカ嬢の成長著しいことに、私は大変に満足させられました。ユイカ女神に報告しておこう。