伝説の羽25
そして、最後に食事に誘ってきたのは、イツキ氏だった。
マイカ嬢経由で、領主代行殿の私的な晩餐に招待された。
丁度良いので、領軍か執政館に就職したい旨を相談しよう。
……衛兵のあのノリと、侍女のあの笑み。
きちんとイツキ氏に話を通しておかないと、流血沙汰になってもおかしくない。冗談のようだが、背筋を走る悪寒は本物だ。
まあ、それは食後でも良いだろう。
なんたって領主館の晩餐だ。ヤック料理長も量より質を重視した逸品を作ってくれる。
これを気もそぞろに味わっては失礼ですよ。
ヤック料理長特製のハンバーグ、今回はどうやらすり下ろしたリンゴをソースに使ったらしい。絶妙な甘酸っぱさだ。ソースに合わせて、豚と牛の比率も変えている気がする。
実にさっぱりとした後味で、いくらでも食べられそうだ。
「素晴らしい。実に美味しいです。ヤック料理長は、すっかりハンバーグをご自分の料理にしてしまわれましたね。素晴らしい腕と努力です」
私が何度も頷きながら、できるだけ上品に食べていると、隣のマイカ嬢がやたら静かなことに気づいた。
いつもなら、私と一緒にヤック料理長とハンバーグの素晴らしさを称賛しているのに、今日は静々と食べ進めている。
まるでこの素晴らしい味を感じていないかのようだ。絶対におかしい。
「マイカさん?」
「なに、アッシュ君?」
声が固い。これは緊張している時のマイカ嬢の声だ。
伊達に十三年も仲良く幼馴染をしていない、声を聞けば一発でわかる。
体調不良ではないようなので、私はほっとしながら小声で伝えておく。
「どんなご心配事があるか知りませんが、あまり悩みこむ前にご相談くださいね。せっかくの美味しい御飯が、もったいないですよ」
「う……わ、わかっちゃう?」
「わかりますとも。ですが、表情に出さないのは上手になりましたね」
絶品ハンバーグにはしゃがない不自然さがなければ、気づかなかったかもしれない。ハンバーグが強い。
マイカ嬢も腹芸が板についてきたようだ。お礼の手紙を書く時に、ユイカ女神にご報告しておこう。
「アッシュ君には、敵わないなぁ」
すまし顔だったマイカ嬢が、肩を落として唇を尖らせる。
力みが抜けたようで、ハンバーグを一口ふくんで、美味しい、と笑いかけて来る。
「ええ、この調子で、ヤック料理長には料理文化の発展にご尽力いただきましょう。農業改善計画にも力が入りますね」
豊富な食料があって初めて、人は質にこだわれるのだ。
今夜の食事に困る人間は、次の収穫に向けた品種改良などできない。生きるために食べるのは易いが、食べるために生きるのは難い。
だからこそ、食料の土台を支える農業改善計画を推進せねばならない。だって、美味しい御飯をお腹一杯食べたいもんね。
そのためにも、平和的に都市に残留しよう。
イツキ氏をちらりと見ると、丁度目があった。
向こうも、何かの話を切り出す機会をうかがっていたようだ。
「あ~、そのことなのだがな、アッシュ」
「はい、なんでしょう、イツキ様」
食事の手を止めて、お話どうぞ、と頷いて見せる。
イツキ氏も、ワインで唇を湿らせて、話す体勢を整えた。
「その計画を進めるためには、都市にいた方が都合が良いだろう?」
「そうですね。そう思います」
というより、村では絶対に無理だと思う。
「うむ。我が領としても、非常に注目している計画で、一度手を付けた以上、今さら中止にはしたくない。そこで、どうだろう。今後も都市に残り、計画を進めてくれないだろうか」
そこで、イツキ氏は一つ呼吸を溜め、身を乗り出す。
「具体的には、正式に、我が領に仕官してくれないか」
渡りに船とはこのことだ。
ようやく誘ってもらえて、思わずにっこりしてしまう。が、すぐに表情を引き締める。
真面目な話の最中だ、あまりだらしない顔はできない。
だが、私の表情の変化は、イツキ氏を不安にさせたらしい。
彼は、表情を引き締めて言い募る。
「アッシュも、村に残して来た家族の心配もあるだろうが、出来る限りの支援をさせてもらおう」
「支援と言いますと?」
すぐに内定を承諾しても良いのだが、条件が気になったのでたずねる。
別に、つり上げようなんて思ってはイマセンヨー。
「住まいはこちらで用意するし、給金も十分な額を約束する。なに、アッシュの実績を考えれば、なんらおかしなことではない。勤め先についても、アッシュの希望に沿うよう配慮したい」
農民の倅に対して、ずいぶんと至れり尽くせりですな。
文句なんてあるわけない。強いて言えば、好待遇すぎて怖い。
「ずいぶんと素敵な条件ですが、よろしいのですか? 私なんかに、そんな大盤振る舞いを」
「いや、元からアッシュを勧誘しようとは考えていたのだ。……というか、アッシュが都市を離れるとは考えてもいなかったんだが」
イツキ氏は、視線を私の隣、マイカ嬢に一瞬スライドさせる。
「なにせ、ほら、お前は楽しそうにここで暮らしていたし、お前が始めた計画もこれだけ走り出していたわけで、まさかその途中で村へ帰るという選択肢があるとは思いもよらず」
まあ、実際のところ、その選択をする気はさらさらなかったのだから、ご意見は間違っていない。
私の生活態度から読み取れるのは、都市にいる気だけだ。
何も悪くないイツキ氏なのだが、彼は申し訳なさそうに私、の隣をうかがっている。
「考えてみれば、こちらの配慮が足りなかったのだ。そのことを詫びるとともに、辺境伯領のため、あとできれば俺のためにも、もう少し都市で力を振るってはくれないだろうか」
なんかものすごく低姿勢なイツキ氏の姿に、思い当たる節がある。
私の隣の席あたりに、思い当たる節がいる。
ここ数日で繰り広げられた、どこまでも私に都合の良い展開。
考えてみれば、私の隣の思い当たる節の人と話してから始まってない?
「すでに、軍関係者と、政務関係者から、打診があったと思うのだが……領軍、執政館ともに、君という人材を欲している。多少アッシュを好待遇で迎えたところで、彼等は喜びこそすれ、文句は言わないだろう」
彼等の熱烈すぎた勧誘について知っているとなると、彼等の熱烈すぎる想いは、領主代行殿にも届けられたらしい。
「ひょっとして、イツキ様も、あの人達とお話をされました?」
「うん、直談判された。ものすごい剣幕だった」
戦場に立っても動じなさそうなイツキ氏が、遠い眼をしている。そこらの戦場より怖い状況になったのだろう。
どっちも、直談判というより殴り込みに近かったのは予想できる。
さんざん脅されたのか、イツキ氏は率直だった。
「そんなわけで、文武の部下達の意見と、あと元から俺がそのつもりだった結果、アッシュにはぜひ軍子会解散後もこの都市に残って欲しい――とお願いしたくて、今日は晩餐に招いたのだが……どうだろうか」
「大変光栄なことです」
話が早くて助かる。面倒な説得作業が必要ないので、私もにっこり笑顔で了承だ。
「おお、そうか! 引き受けてくれるか!」
「ええ、喜んで。先日、クイドさんが届けてくださった手紙で、ユイカさんが両親から許可を取ってくださったそうで、唯一の懸念も払しょくされましたから」
まあ、両親については、あんまり大したことのない懸念でしたけどね。
「そうかそうか! 良いんだ良いんだ、アッシュが引き受けてくれたら、俺はそれで良いのだ!」
イツキ氏は、嬉しそうにうんうん頷いた後、私の隣に向けて両手の握り拳を掲げる。
「叔父上はやったぞ、マイカ!」
「ふふ、叔父上ってば、そんなにはしゃいじゃって。アッシュ君が変に思っちゃう」
私にはわかる。マイカ嬢のこの声は焦りを隠している時の声だ。
うん。この一連の流れ、マイカ嬢の仕込みだったんじゃないかな。
多分、私が都市にいたいと思っていることを知って、あれこれ策謀を巡らせてくれたのだろう。
流石はユイカ女神の愛娘、順調に強くなっている。実に頼もしい。




