伝説の羽23
その日から、私は連日のように食事をおごられることになった。
最初に来たのは衛兵、ジョルジュ卿の部下の皆さんだった。
副官である私にとっても実質的には部下なのだが、正式に任官していない身としては、ちょっと態度に迷う。
大体、向こうの方が年上だし、職歴も圧倒的に上だ。
ただ、ご飯をおごってくれるというのなら、喜んでついていけるくらいには気さくなお兄さん、おっさん達である。
「アッシュ副官殿!」
衛兵行きつけのにぎやかな酒場で、ジョルジュ卿直轄兵のリーダー格であるローランドさんが、赤らんだ顔で呼びかけてくる。
彼は、筋骨逞しいマッチョさに見合わず、その禿頭に整理された頭脳を収納しており、それがためにジョルジュ卿の備品管理で活躍してくれている。
どうしても武闘派、肉体至上主義者が多い軍人の中で、貴重な頭脳派人材だ。
「はい、なんでしょう」
「副官殿は、そろそろ軍子会も修了でありますね!」
「ええ、この冬で二年になりました」
「おめでとうございます!」
ありがとうございます、と返すと、ローランドさんはジョッキを逆さにして口に押し当ててから、ずいっと顔を寄せてくる。
「それでですね、副官殿! 軍子会の解散後、どうでありますか、正式に領軍に入るご予定はございませんか! 我々一同、大歓迎であります!」
他の衛兵達も、ありますあります、と詰め寄って来る。
「そういった選択肢も悪くはないと思っていますが、勝手に就職するわけにも行かないでしょう。入隊試験とかありますし」
「そんなもの副官殿には必要ありません! 文句を言う奴等がいたら我々が締め上げてやりますよ!」
過激な発言に、他の衛兵達も、そうだそうだ、と気勢を上げる。
筋肉密度がすごい。
一応、ジョルジュ卿の部下は、ローランドさんを筆頭に頭脳労働が得意な人材ばかりのはずなのだが、彼等の筋肉が飾りというわけではない。
多分、文句を言う奴等というと人事の皆様だと思うのだが、普通、そこの部署は逆らっちゃいけない権力者のはずだ。
あと、領軍の人事の大元締めは、領主である。
「まあまあ、落ち着いてください。皆さんのキャリアを棒に振ることになりますよ」
「我々の出世なんてなんぼのものでもありませんよ! 副官殿のおかげでっ、備品管理がっ、あの苦行がっ、どれほどっ、楽になったことか……っ!」
なんか禿頭のおっさんが泣き出してしまった。
他の皆さんも握りしめた拳を震わせて落涙している。
「副官殿、これからも我々と一緒に働いてください!」
「我々には副官殿が必要です!」
「副官殿の処理能力がなくなったら仕事がまたえらいことに……!」
「見捨てないでください! お願いします、なんでもしますから!」
こういう台詞は、ぜひ妙齢の美女の皆さんにお願いしたい。
****
そんな私の気持ちを三神様が汲んでくれたのか、次の食事のお誘いは女性陣からだった。
執政館で働く侍女の皆様、リイン夫人のご同輩である。
ちなみに、シンプルな刺繍の入った濃紺のワンピースローブのようなものを着用している。
これは神殿の神官達と似通ったデザインの制服だ。
この共通点から、今世の侍女職の起源が、神殿の神官であるということが良く分かる。
なんでも、後期古代文明崩壊後、一気に後退した文明の瓦礫から王国が建国される際に、文官として神殿の人材が活躍したことから、今でも同系統のデザインらしい。
それを抜きにしても、神殿は知識階級の出発点みたいなものだ。
神殿で神官見習いとして教育を受け、政治の舞台に飛び出すというのは、男女問わず文官としての正規ルートだ。
文官達が、修行時代から着慣れた制服に愛着を持っているのも頷ける。
もちろん、そのまま同じではない。侍女達は賓客への対応なども仕事であるため、神官よりも凝ったアレンジが加えられており、華やかだ。
例えば、襟元はやや開放的になっており、胸元にかけてはボタン留めになっている。
ちょっとイブニング・ドレスのような雰囲気がある。ここにケープをどう重ねるかによって、場の空気に合わせて印象を変える。
厳粛な式典や重要な契約の場などでは、かっちりとした長めで厚手のケープを着こんで、落ち着いた雰囲気を演出する。
お茶会や食事といったにぎやかな席に顔を出す時は、ケープを緩めたり、あるいは前を留めずに羽織るだけにして、くつろいだ襟元を見せることで、文字通り胸襟を開いた姿勢を示す。
あと、ケープを着崩すか、完全に脱いで、胸元のボタンを全開にすることもある。
うん、これは女性好きのお相手へのサービスが必要な時の着こなしだ。
ただ、それより頻度の高い使われ方がある。
冬、地獄の闇のように尽きない業務に、犬歯を剥き出しにして殴りかかっている時だ。
割と本気で命のやり取り中なので、少しでも楽な状態でいたいのは当然だろう。
見た目は二の次どころか番外だ。冬の執政館で部屋につめている侍女の皆さんは、大体この格好で机にかじりついている。
その地獄期の執政館で業務を手伝った私にとって、胸元サービス侍女は割と見慣れた姿である。
あの「今スケベ心で邪魔する野郎が出たらグーで打つぜ」と言わんばかりに気迫あふれる姿には、直立不動で敬意を払ってきた。
さて、そんな私を食事に誘ってくださった侍女の皆さんは、全員がサービス形態だった。
ただし、いつものような鬼気は放っていない。
「アッシュ君、お肉美味しい? もっと食べる?」
侍女の一人、キキョウ夫人が対面で頬杖を突きながら、甘い微笑みを浮かべている。
「アッシュ~、お酒、お代わり持ってきたわよ~。もっと飲みましょ~」
左隣に、アザミさんが葡萄酒の詰まった酒壺を持ってしなだれかかって来る。
「あ、あの、あの……えっと……」
右隣でしどろもどろになって、真っ赤な顔をしているのはレンゲさんである。
侍女の中で、かなり若手に入る三人が勢ぞろいだ。
キキョウ夫人は結婚済みだが、後の二人は未婚である。多分、席の配置はその辺りが関係していると思う。
既婚者が隣に座って食事をするのは、誤解を招きますからね。
なんというか、全員大きいので、すごい。
侍女制服の真のサービス力を思い知った心境だ。
「大変美味しくご飯を頂いているのですが、皆さん、やけに近くないですか?」
特に左右、腕に温もりがダイレクトアタックしてくる。
前方は温度こそ感じないけれど、テーブルに肘をついた前かがみの姿勢なものだから、結構深いところまで見えるのです。
旦那さんに申し訳なく思いつつ眺めていると、キキョウ夫人がどんと来い、と言わんばかりに首を傾げて笑う。
「だって、しょうがないわよ。私達ってほら、目が悪いでしょう? これくらい近くないと、睨んでるように見えちゃうから」
侍女の皆さんのうち、冬の地獄で主戦力になる面々は、職業病として目が悪い。
だから、普通にしていても睨みつける目つきになることが多い。
「今スケベ心で邪魔する野郎が出たらグーで打つぜ」という気迫も、実は疲労と疲れ目が原因である人もいる。
もちろん、そうでない人もいるし、スケベ心を発揮した結果、前歯をへし折られる不心得者もいる。
「それは知っていますとも。ですから、私は皆さんが目を細めていても、気にしませんよ?」
私は慣れているので、普通の距離感で接してくれても気分を害したりはしない。
そう伝えると、左隣の体温が、余計に密着して来る。
「んふふ~、アッシュは、こういうの嫌いなの~?」
アザミさんは、私に注ぐより多くの葡萄酒を自分で飲んでいるので、体温がすごく高い。
残念ながらこういうのは大好きですよ!
でも、それを大声で叫ぶのは問題があるので、私は可能な限りの紳士力を発揮する。
「嬉しいので困ってしまいます。皆さん素敵な女性ですからね、すごく我慢しないといけません」
マジきつい。熊とタイマン張るくらいきつい。
「うふふ、だってさ~、良かったね~レンゲ。ほら、あなたも、もっとぎゅってして喜ばせてあげなよ~」
「はっ、はい……! で、では、アッシュさん……しつっ、失礼、します……!」
ぎゅーって口で言いながら、レンゲさんが真っ赤な顔で抱きついてくる。
おかしい。私、そういうお店に来たわけじゃないよね?
この後、お会計の時に強面のおっさんが出て来て、逆立ちしても出て来ないような金額を請求されたりしない?
大丈夫?
幸せと共に不安に襲われていると、キキョウ夫人がくすくす笑う。
「大丈夫よ、アッシュ君。これは侍女団を代表してのお礼だから」
「お礼、ですか?」
「ええ。去年の冬と、今年の冬、アッシュ君は私達のお仕事を手伝ってくれているでしょう?」
領内の物流や資源を調べるため、また少しでも生産量を上げて私に都合の良い環境にするため、確かにお手伝いに潜り込ませてもらっている。
「おかげで、前より私達の負担がずっと減っているのよ」
キキョウ夫人の声が、ちょっとほろ苦い。
そうか。減っていてもこれなのか。
アザミさんも、盃を干してから力強く頷く。
「そうそう、前は限界きちゃって奇声と共に転げ回る人が出てたもの……」
「うふふ、毎年最低三人は出るのよね」
本当の地獄かよ。
「でも、それが去年は出なかったし、今年は実感できるくらい楽だわ。こうやって冬の真っ最中に楽しめるくらいにね」
キキョウ夫人がウィンクを放って、私の心をぶち抜く。
くそぅ、ユイカ夫人を思わせる仕草だ。ひょっとして、この執政館で習う女性専用の技術とかあるのか。
「わ、わた、わたしは……アッシュさんには、直接、お仕事を手伝って頂いたのでっ、その、本当にうれしくて……こ、こんなわたしで、お、お礼に、なるならって……っ」
レンゲさんが真っ赤な顔で、感謝の気持ちを伝えてくれる。お礼としては十分すぎる密着度だ。
「これだとお礼としては過分ですので、後日、またお手伝いしますね」
「ほんとですか!」
レンゲさんが嬉しそうに顔をあげた後、また恥ずかしそうに俯く。
それを見て、アザミさんが私の肩越しに、後輩侍女の頭を撫でる。
「良かったわね~、レンゲ~。アッシュがすご~く喜んでるって~」
「は、はい……!」
麗しい先輩後輩の関係の狭間で、私は幸せサンドである。
鼻の下が伸びてだらしない顔になっていないだろうか。確認する勇気はない。
私は正面からのキキョウ夫人の視線を気にして、話題を変える。
「ともあれ、お礼ということで、お気持ちは確かに頂戴しました。ですが、皆さんのお仕事を手伝ったのは私ばかりではありません。私ばかり特別扱いというのも……」
特に、今年は勉強会の面々もかなりの戦力になっていると自負している。
ヤエ神官から、歴代最強の軍子会と称賛される精鋭達だ。
その実力は、キキョウ夫人も十分に評価しているようだった。
「ええ、流石にアッシュ君一人では、私達が実感できるほどの業務量はこなせなかったとは思います。マイカ様やレイナさんを筆頭に、今年の軍子会の皆さんには驚かされました」
「それなら……」
「ですが、その軍子会の皆さんが、口をそろえて仰るのです。今の自分達に力があるのは、アッシュ君のおかげだと」
「はて?」
私は首を傾げ、抱きついていたレンゲさんと頭がぶつかってしまった。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
「ひゃい! だ、だだ、だいじょうぶですありがとうございます!」
「言葉が怪しいですよ……?」
本当に大丈夫だろうか。
まあ、軽く当たっただけなので、大丈夫だろう。それより、キキョウ夫人との話だ。
「確かに私は勉強会で教える側に回っていますけれど、皆さんの優秀さは、当人達の意志と努力の成果ですよ」
やる気もない、努力もしない人が相手では、私がいくら教え方を工夫したところで流石に身につかない。
大体、私よりマイカ嬢の方がずっと教鞭を取っていたのだから、私がその名誉を頂くわけにはいかない。
「そ、そんなこと、ないです!」
キキョウ夫人に向けた意見に対して、私の右隣から強い反論がやって来た。
「た、確かに、自分自身の気持ちとか、頑張りとか、大事ですけどっ、それでも自分だけだと、どうしようもないことがあって! そそ、それを、アッシュさんは、後押ししてくれたんです!」
レンゲさんの主張を、アザミさんがガンバレとかモウヒトオシとかはやし立てている。
確かにこれは応援したくなる。
レンゲさん、さっきから呼吸がものすごく荒い。酸欠で倒れないか心配だ。
「その手助けって、すっごくすっごく、すごいことで、うれしいことで……! だか、だから……っ、アッシュさんはカッコイイんです!」
まっすぐ私を見つめて来るレンゲさんの眼が、熱く潤んでいる。
さっきから息を吸った気配がないから、よほど苦しいのだろう。
そろそろ呼吸を再開して欲しいと私が見つめ返していると、キキョウ夫人が、おかしそうに呟く。
「カッコイイと思っているのは、レンゲちゃんだけよ? 侍女団の共通見解ではないから、そこはよろしくね、アッシュ君」
「あ、はい」
「ちなみに、私は可愛いって思っているから」
年の差ありますからね、と私が頷くと、アザミさんも流れに乗って来る。
「私はクールな奴だな~って思っているわ」
「光栄ですね」
べた褒めである。感謝の言葉の代わりとわかっていても、気分が盛り上がって来る。
そして、最初に褒めてくれたレンゲさんはと言えば。
「わたっ、わたし、へんなこと、言って……ふわ、うぅ……っ」
呼吸再開に失敗したらしく、とうとう目を回してしまった。
私にもたれたままずるずると崩れ落ちたので、頭が私の膝の上に乗っかってしまった。
「あら、レンゲちゃんも中々やるわね」
「天然っぽいけどね~」
「いやいや、お二方、笑っている場合ではなく、レンゲさんの心配をした方が」
気を失ってしまった同僚を前に談笑するとは、流石に肝が据わっている。
地獄期の執政館では、人が倒れていることも珍しくないからね。
そこまで慣れていない私は、ひとまずレンゲさんの前髪をかき分けて様子をうかがう。
とりあえず、苦し気な表情はしていないし、呼吸音も正常だ。
胸は規則正しく上下しているので、呼吸は無事に再開したようだ。
……胸元のサービス度が上がってしまっていて、ちょっと目が離せなかった。
医学的観察ですよ、と言い張るには少し見入りすぎたらしい。キキョウ夫人が、甘い声で囁く。
「ここで働いてくれるなら、これからもこうやって、侍女団からのお礼をしてあげられるわよ?」
「それも、たっくさん、ね~」
アザミさんも、耳元でこそこそと喋る。
なに、その暴力的なまでに魅力あふれる提案。地獄があるから天国もあるということなのか。
「大変興味深いお話ですが、執政館に採用されるのは簡単ではないですよ」
残念の極みである。天国がすぐそこにあるというのに。
「あら、アッシュ君なら大丈夫よ。もしその気があるなら、いつでも言って頂戴。イツキ様にお話するから」
「うん、そうよ~。アッシュなら、一言だけで即採用になるから~」
ご冗談を、と私が天国への未練を滲ませながら笑うと、キキョウ夫人とアザミさんは、華やかな笑顔で返す。
「本当に一言だけで採用させるわ。イツキ様がアッシュ君の就職希望を蹴るようなら、私達ここ辞めるから」
「これは~、侍女団の総意だから~」
彼女達の笑顔の中で、その目つきだけは、笑っていなかった。
あれは地獄の只中で、業務と殴り合っている時の目つきだ。