伝説の羽22
冬に入る前、二人の共同部屋だった私の住処は、一人部屋となった。
貧しい農村の生まれとしては、個室というのは夢に見るほどの贅沢な境遇なのだが、はしゃぐ気にはなれない自分に、思わず苦笑してしまう。
二人で使っていた時には気にならなかった、もう一人の生活の気配が、日に日に薄れていく。
その代わりとばかりに入り込んでくるのは、寒々しさだ。
別に、まだ冬の寒さも厳しいわけでもないのに、不思議なこともあるものだ。
私が一人で溜息を吐いていると、ノックの音に続いて、マイカ嬢が顔を覗かせる。
「アッシュ君、今、良いかな?」
「ええ、構いませんよ。どうしました」
「ちょっとお話でもしたいなって思っただけだよ」
マイカ嬢は、私のベッドに腰をかけると、大輪の花のような笑顔を浮かべた。
ちょっと季節外れな印象を受けたのは、私の気分が落ち込んでいるせいだろうか。
「やっぱり、なんか変な感じ」
私が椅子に座ってマイカ嬢と向き合うと、彼女が部屋を見回しながら呟く。
「アッシュ君の部屋に来て、アッシュ君が一人でいるなんて、まだまだ慣れないなぁ」
「……そうですか」
「そうだよ。この部屋に来ると、アッシュ君が机に向かって前のめりになってて、それを後ろからアーサー君が覗いているの。そうじゃなきゃ、このベッドに座って」
マイカ嬢は、自分が腰を下ろした場所のすぐ近くを、ぽんと掌で叩く。
「二人で真面目な顔して、楽しそうにお話してる。それが、この部屋の風景だったから」
確かに、大体そんな感じで過ごしていた。
二人でいて話が尽きた記憶がない。静かな時は、どちらかが熱心に考え事をしている時だけだ。その考え事が次の話題になる。
「あたし、アーサー君がうらやましかったんだから。それも、すっごく」
マイカ嬢の頬が、悋気を孕んで膨らんだ。
「あたしだって、ああやってずっとアッシュ君と話してたかったのに……。喋りたいだけ喋って、疲れたら眠って……起きたらまた話して……」
膨らんだマイカ嬢の頬が、溜息でしおれていく。
「アーサー君、楽しかっただろうなぁ。今頃、寂しがってなきゃ良いけど」
どうやら、マイカ嬢本人が、仲間が一人いなくなったことが寂しいようだ。
季節外れの花のような笑顔は、空元気だったのだろう。
「きっと、アーサーさんも寂しがっていますよ」
なんたって、ここを去る当日の朝に、涙をこらえようとして、こらえきれなかった人だ。
「それに、私も寂しいです。マイカさんも、寂しいでしょう?」
私の問いかけに、マイカ嬢はぐっと力をこめて唇を震わせる。多分、私の方が寂しいだろうと気を遣ってくれているのだと思う。
本当に優しい女性である。
ただ、前世らしき記憶の分、私の方が精神的に余裕があるので、ここは甘えて欲しいところだ。
私が、大丈夫だと頷いて微笑みかけると、マイカ嬢は目を伏せて寂しいことを認めた。
「当然ですよ。それくらい私達は一緒にいて、たくさん話して、色々やりました。これだけの仲間が遠くへ行って、寂しさを感じないわけがありません」
惜しむ思いがあって当然。むしろ、それほど大事な仲間と出会えたことを喜びながら、大いに寂しがろうではありませんか。
それもまた、辛い現実を生きる上での大事な幻想だ。
マイカ嬢の背を撫でて、無理にこらえる必要がないと告げると、彼女は小さく頷いて、私の腕に顔を押し付ける。
「寂しいよ、アッシュ君……」
「ええ、私もです」
震えるマイカ嬢の頭を見下ろしながら、私の内心はビッグウェーブに飲み込まれて溺れそうだった。
個室のベッドで、泣いている女性が、もたれかかって来る。
なんだこの破壊力。よほどの紳士であってもこのシチュエーションに遭遇したら化けの皮が剥がれるね。
紳士が狼男に大変身だ。
頑張るのです、アッシュ。
ここで彼女に無体を働くと、積み上げてきた信頼が無に帰すぞ。
左腕の温もりに優しさだけを向けながら、長い、長い時間を私は過ごした。
もうちょっとお互いに年を取っていたら、どうなるかわからなかった。
十五歳。もしも互いにそれくらいの年齢だったら、私の内なるパトスと彼女の魅力が合体変身アールシテイしていたかもしれない。
すすり泣きが治まったマイカ嬢が、潤んだ眼で見上げて来る。
まだ幼いというのに、暴力的なまでに可愛い。マイカ嬢が二十歳でこれをやったら、求婚するしかない。
「アッシュは……」
まだ、震えの残る唇から、かすれた声で問われた。
「アッシュは、いなくならないよね? まだ、この街で、一緒にいられるよね?」
服の袖をぎゅっと握りながら、上目遣いに問われて、私はすぐに頷きたくなった。
ただ、理知的で温和と有名な私の理性が、感情の暴走を抑制した。
「それは……どうなるかわかりません」
寂しがっている少女には申し訳ないが、私は正直に口にする。
マイカ嬢を始め留学生の大半は、軍子会で二年を過ごした後も、都市内で数年は働いていく。
軍子会の二年で学習したことを、実地で学び直し、きちんと身に着けるための実習期間だ。
ただ、私はユイカ夫人のご好意によって、特例として軍子会への参加を認められた身だ。
マイカ嬢や、他の留学生とは違い、通常はすぐに村へ帰る立場にある。あまりに図々しく都市に居座ろうとすると、ユイカ夫人に迷惑がかかってしまう。
それに、両親のこともある。
父はまだ働き盛りだし、村人同士の助け合いもあるが、長男として労働力になる年頃の私が外で遊び回っているのは、相当な負担になっているはずだ。
なんだかんだで、二年も好き勝手にさせてもらったのだから、一度は帰るべきだ。
そんな二つの思い、主にユイカ夫人への気がかりに胸を締め付けられ、溜息が漏れる。
「やはり、立場としては、村へ帰るべきなのだとは思います」
そんな物分かりの良い考えの一方、私だってまだまだ都市にいたい。
いるつもりはある。
満々だったりする。
やりかけの計画はこれからどんどん面白くなるし、神殿の蔵書もまだまだ読み切れていない。せっかく築いた都市の人脈も捨てがたい。
実のところ、ジョルジュ卿の副官ポジションについたり、執政館の業務を手伝ったりしてきたのは、居残る可能性を上げるためという側面もあった。
特別枠の参加者ではあるが、仕事ができるんだから軍子会終了後も働いて行ってください。
お願いします!
誰かが、そんな風に言ってくれないかなと企んでいたのです。
そしたら、ユイカ夫人へも、両親へも、その他外野にも、お願いされちゃったのでーと言うことができる。
何より、仕事が決まれば、仕送りなしでも生活できる。
クイド氏の商会から収入は入って来るのだが、大半を研究やら何やらに注ぎこんでしまっているので、一人暮らしできるほどの余裕はない私だ。
なお、今まではユイカ夫人から、マイカ嬢と一緒に仕送りをもらって生活していた。つまり、村の税金で留学していたことになる。
すごく楽しかったです。
血税は、使われる側だと腹が立つけど、使う側だと快感が半端ないことを知った。禁断の味である。
ともあれ、そろそろ軍子会も終わるので、誰が誘ってくれるかなーとワクワクしていた私を、誰も誘ってくれなかった。
結構へこんでいる。
いや、しょうがないと思う。アーサー氏の件があって、ジョルジュ卿も、イツキ氏も忙しかったんだろう。
きっとそうなのですよ。
それ以外の理由はちょっと考えたくない。
変人の自覚がある分、ちょっと危険だから遠くで動いてもらった方が、為政者としては安心できるだろうな、なんて考えたくない。
まあ、そろそろ皆さん落ち着いてきたようだし、まだ軍子会の解散まで一ヵ月くらいある。
これから、誰かが声をかけてくれますとも。
きっと。
たぶん。
恐らく。
そうでなかった場合は、ちょっとリミットブレイクお話し合いが必要ですね。
だからまあ、ほぼほぼ都市に残留するとは思います。確定していないだけなので。
私が、マイカ嬢を安心させようと微笑みを向けたところ、そこには獲物を追いかける肉食獣のような眼をした少女がいた。
先程まで零れていた涙や、寂しさに震えていた痕跡などどこにもない。
己の全生命力をかけて仕留めるべき獲物を見つけた生き物がそこにいた。
「アッシュ君、ちょっと急用ができたから、あたし行くね」
「あ、はい」
マイカ嬢の静かな声に、背筋がぞくぞくする。
流石はユイカ夫人のご息女である。あの声質で凄まれると、惚れてしまいそうだ。
やっぱり、私は泣いて甘えてくる女性より、私を手玉に取ってやろうという逞しい女性の方が好きかもしれない。
マイカ嬢、実はさっき泣いてなかったんじゃないかと思うと、嬉しくなっちゃいますもんね。
しかし、マイカ嬢はどんな急用ができたのだろうか。