伝説の羽21
アーサー氏の立場は、それから日を追うごとに改善されていったようだ。
具体的な話は教えてもらえないのだが、イツキ氏が随時情報をくれる。いわく、友人のことが気になるだろう、とのこと。
夏がすぎ、秋が深まるにつれ、アーサー氏がかかわる王都の問題は鎮圧に向かい、それに比例して当人の表情が影を帯びて行く。
丁度、太陽が冬に向かって力を失っていくようだ。
なにをそんなに気にしているのかと思ったら、冬の足音が聞こえて来る頃、寮室に帰って来た彼女が、
「王都に、帰らないといけない」
閉じたドアを背に、涙を溜めた目で、そう言葉を搾りだした。
「そうですか」
私は、そう応えた。
そうなるかな、と思っていたのだ。
彼女から教えてもらった本当の名前が持つ意味を考えれば、彼女はいつまでもここにはいられない。
問題が解決しなくても、問題が解決しても、彼女の立場は王都の重しとして必要なのだ。
ものすごく残念だ。この素晴らしく優秀な人材を手放さなければならないなんて。
私が、(私の)世界の損失にこらえきれない溜息をつくと、アーサー氏の細い肩がびくっと震えた。
「ご、ごめん……!」
泣きそうな顔で頭を下げられてしまった。
「アッシュに助けてもらっておいて、恩返しもできてないのに……ここに残りたいって、伝えてはみたんだけど」
無理だった、とアーサー氏は目元を押さえて首を振る。
そりゃ無理ですよ。あなたの立場で、それは無理すぎる。
道理を知る者として、私は今にも泣きだしそうな彼女を慰める。泣かれるのはもう勘弁だ。
「謝る必要はありませんよ。ここに残りたいと思ってくれた、そのお気持ちだけで十分です」
だから泣かないで、ね?
私の紳士経験値がマイナスになっちゃう。
「お、怒って、ないの……?」
「怒る? あなたに? 私が?」
むしろ、泣きそうな女の子に対する罪悪感と優しさがはちきれんばかりですよ。怒りなんて入り込む隙間がない。
「だって……ボクを助けてくれたのは、ボクに助けて欲しいからって……。だから、命がけで助けてもらった分、アッシュのこと、命をかけて手伝いをしなきゃと思って」
「そんな簡単に命をかけてはいけません」
ここ三年ほど、一年に一回ペースで命をかけている私が言うのだから間違いない。
説得力十分なはずだが、アーサー氏は泣きそうだった顔を、へんてこな感じに歪める。
「アッシュが、先に命をかけたんだけど……」
「いえ、まあ、その経験があるからこその意見と言いますか。経験者だからこそ言える、みたいな」
アーサー氏は、全く納得していない顔で私を睨んでくる。
話を進めよう。
「ともあれ、私は怒っていませんよ。ただ、できればずっと一緒にいて欲しかったなと、残念に思います」
「ず、ずっと……?」
「ええ、ずっとです」
私が力強く頷くと、アーサー氏の顔が真っ赤になった。
「そ、そんなこと言っても、もう騙されないからね! な、仲間としてだよね!」
「ええ、仲間としてですが……いつ騙しましたっけ?」
そんな人聞きの悪いこと、生まれてこの方、した覚えがない。私に騙されたと勘違いする人はいると思うけど。
「や、やっぱりね! よし、大丈夫……う、うん、アッシュがそう言ってくれるのは、嬉しいかな?」
「あなたは本当に優秀な人ですから。そばにいてくれるなら、色々なことで助けてくれたでしょう。それを思うと、本当に残念です」
「うん……。ボクも、アッシュと一緒の方が、ずっと楽しく過ごせたと思う。すごく悔しい」
好奇心旺盛な彼女は、楽しい夢を語るように笑う。
「あと……それ以上に、すごく寂しいよ」
泣き出したい気持ちが、痛いほど伝わる笑顔だった。
彼女は、私みたいな困った変人と過ごした時間を、とても気に入ってくれたようだ。
それなら、こちらとしても遠慮なく要求できる。
なんの要求かって?
今後のお手伝いに決まっている。これほど優秀な人材をみすみす見逃す私と思うてか!
「そういうことでしたら、王都で寂しさを紛らわせるのに丁度良い人物をご紹介しましょう」
いや、本当に丁度良い。これも神の采配か。
私は、クイド氏が定期的に王都から届けてくれる手紙を取り出して見せる。
「昨年、王都に行った私の先生、フォルケ神官のことは覚えていらっしゃいます?」
私が満面の笑みを浮かべると、彼女は涙も引っ込めて戸惑った表情を見せる。
「う、うん、古代語解読者の」
「そうそう、古代語解読者の引きこもりの不良中年神官です」
「そこまで言うのはアッシュだけだけど……」
これでも、育ちの良いアーサー氏のために、手加減した表現をしているつもりだ。
フォルケ神官本人には、もっと遠慮なく思った通りの言葉を使わせて頂いている。向こうもそうしているから、礼には礼を返しているだけだ。
「そのフォルケ神官ですが、王都での研究活動も順調なようでして、色々面白い研究者仲間も増えているようなのです」
古代語の解読学者だけではなく、博物学者や医学者などとも交流をしているのだという。それを聞いた私は思いましたね。
王都に今すぐ行きたい、と。
「そこで、王都に帰ったら、ぜひフォルケ神官とその研究仲間の皆さんと話をしてみて欲しいのですよ」
「それくらいなら、もちろん良いけど……」
それだけで良いの、という風にアーサー氏は首を傾げる。
「それくらい、なんてものではありません。あなたが、彼等と話すのです。私と一緒に色んなことを調べて、色んなものを作って来た、とても優秀なあなたが」
私が今、何を必要としているのか、彼女は良く知っている。
私がこれから、何をしたいのかを、彼女は良く知っている。
そんな彼女だからこそ、王都の様々な知識に触れられる研究者達と話をして欲しいのだ。
「きっと、私が聞きたくてたまらないことを、彼等と話し合ってくれることでしょう。絶対に、私が知りたくてしょうがないことを、彼等の話から引き出してくれることでしょう」
いつか冗談で話した、私の分身を得たようなものだ。
私の分身が王都に行く。実に素晴らしい。
これまで彼女と過ごした時間が、そんな不可能事と笑い飛ばした夢を叶えてくれる。何一つ無駄ではなかったのだ。
「あなたが彼等と話をする。たったそれだけです。ですが、あなたの優秀さが、あなたが私を手伝ってくれた日々が、たったそれだけのことを、何より貴重な知識の結晶にしてくれるのです」
大事な大事な仲間の手を、私は力をこめて握りしめる。
「王都へ行っても、私とこうやってお話してください。声は届かなくても、文字は届きます。手紙で話してください。あなたが王都で、どんな面白いことを知ったのか。私はその手紙を、神殿で調べ物をしていたように、あなたと一緒に、皆で話し合いながら読みましょう」
もちろん、私も手紙を書く。
仲間と一緒に始めた計画が、今どんな形で、どんな方向へ、どんな勢いで突き進んでいるか。新たに欲しい物、新たに手に入れた物を共有したい。
笑い声だって響かせたい。
「そうやって、これからも私のことを助けてください。私のことを手伝ってください」
もし、私がしたことに恩を返してくれると言うのなら、それだけで良い。
たったそれだけのことが、とてつもなく面倒で、地味で、果てしない道を行くことになると、誰より私が知っている。
私が助けを求める、私の夢というのはそういうものだ。
私だって、今世の現実に絶望していなければ、こんな無謀な夢は追いかけない。
だから、私の願いに頷いて、そんな危うい夢路について来てくれるのならば――好意には好意を、その言葉を私は守ると宣言する。
「そっか」
彼女は、雨上がりの日差しが暗がりを追い散らすように、笑った。
「これからも、ボクはアッシュのお手伝いが、できるんだね」
「もちろんです」
彼女の笑顔に、私も覚悟を決めて、笑顔を返す。
「私は、いつだってあなたの助けが欲しいと、そう願っています。どうか、それを忘れないでくださいね」
あなたが私を助けたいと思ってくれるなら、どこへだってその力を借りに行こう。
例え、何が邪魔をしていたとしても、全てを蹴散らして。