伝説の羽18
私は、彼女に指示を出して、先に走り出してもらった。
目標が突然動き出したことに、刺客達も慌てて、隠れていた場所から身を乗り出す。
そこに、草むらに身を潜めていた私が、短弓を射る。残念ながら、咄嗟射撃で距離も離れていたため、当たることはなかったが、それは想定済みだ。
今回の射撃は、刺客達の追跡に気づいていましたよ、という宣言だ。
それと、こちらが武器を持っていることを知らせる目的もある。
案の定、連中のうろたえる声が聞こえてくる。
「バレてたのか。気をつけろ」
「逃がすな。あの小僧も始末するんだ」
始末する、なんて物騒な台詞を、そんな気軽に使わないで頂きたい。
そんなことを言われると、恐くて手加減する余裕がなくなってしまうではありませんか。
私も護衛すべき彼女の後を追って駆け出すと、刺客達も釣られて走り出す。
一応、刺客は数を活かして包囲するように動こうとしているが、森での動き方をわかっていない。左右に広がった連中は、足場の悪さや視界の悪さで足並みが乱れて遅れて行く。
そして、比較的進みやすい中央、真っ直ぐに私の方へ向かって来た二人は、足元の罠に引っかかって見事に転倒した。
思わず二度見してしまった。罠があることを意識させて、追跡速度を遅らせられれば良いやと仕掛けた罠で、二人も転ぶとは思わなかった。
この連中、本当に森の中では素人のようだ。密偵が王都の人物らしいという情報があったので、この刺客達も王都暮らしなのかもしれない。
敵対者の実力を評価しながら走っていると、すぐに護衛対象に追いついた。
「お待たせしました」
「アッシュ! も、もう追いつかれたの?」
「いえいえ、追いついたのは私だけです。あの人達、森での活動に全く不慣れですね。思ったより簡単にしのげそうです」
私の感想を聞くと、彼女はいくらか安心した表情を見せる。
「それでは、この辺にまた罠を仕掛けましょう。また草を結んだ罠をお願いしますね」
「うん、わかった」
「さっき、あなたの仕掛けた罠で、あの人達が転んでいましたよ。やりましたね」
「え、本当?」
流石に、彼女が仕掛けた罠だったかまでは確認できないが、そういうことにしておく。
小さく笑ったところを見ると、いくらかでも緊張が解けたようだ。気のせいか、罠を作る顔が小悪魔じみている。
私はどうして、女性のこういう表情にときめくのだろう。
足元の罠を彼女に任せつつ、私は顔の高さを襲う罠を作る。
丁度、木と木が入り組んで道が狭められた地点があったので、罠をかけるには絶好のポイントだ。
その辺の枝をしならせて固定し、胸の高さに張ったツルに引っかかると、鞭のように顔を打ち据えるようにする。罠の引き金になるツルは、それ単体だと不自然にピンと張っていて一目瞭然なので、他にも緩んだツルをいくつか巡らせて偽装しておく。
これでも見る人が見ればわかるだろうが、森に詳しくない刺客達が気づくかどうか。
「まだ追いついて来ないようですね。ひょっとして、私達を見失いでもしましたか?」
この距離、この速度で見失うとは情けない。まあ、流石に私達が走った痕跡をたどってくるくらいはできるだろう。
ただし、あまり私に時間を与えると、顔を叩く枝に、先端を雑に尖らせた小枝を結びつけるような小細工までしてしまうぞ。
ついでに毒まで塗って差し上げよう。
ヘルメス君やアムさんと工作活動に勤しんだせいか、手先が器用になっている気がする。
準備万端といったところまで仕掛けると、刺客達の迫ってくる音が聞こえてくる。
「そろそろ逃げますよ。あっちの方へ真っ直ぐ、進んで行ってください。今回も私がちょっと足止めしてから行きますから」
「わかった。気をつけてね」
「ちょっとだけですから、すぐ追いつきますよ」
丁度いい草むらに身を潜めて、短弓に矢をつがえる。先程の威嚇目的の射撃と異なり、今度はしっかり毒矢を用意している。
狙い目は、罠も仕掛けた木々の密集地帯、通り道が狭まっている地点だ。あそこを通ろうとすれば、行動範囲が極端に制限され、矢も簡単に当てられる。
狩人視点からすれば、ずいぶんと大きな音を立てながら刺客達が近づいてくる。
一人、二人と木々の間を通ろうとして、彼女が仕掛けた罠に気づいたり、引っかかったりして毒づく。
順調に、刺客達は足元へと注意を引かれ、とうとう一人が不用意に胸元のツルを短剣で払った。しなった枝が、空気を裂く音を立てて男を襲う。
顔面を不意打ちで痛打された男の悲鳴に合わせて、別な男に矢を放つ。二重の悲鳴と困惑の怒号を背に、私は背中を見せつけるように走り出す。
「いたぞ、あっちだ!」
「追いかけるぞ! おい、大した怪我でもないのにいつまでわめいている!」
そうそう、大した怪我ではないので早くこちらを追いかけて来ましょうね。
仕事熱心な人は割と好きですよ。扱いやすくて。
ちらりと追いかけてくる方々を振り返ると、六人きちんと追いかけてきている。右目が血でふさがっている男と、右肩から矢を引き抜いて投げ捨てる男が、ものすごい形相をしている。
人を殺しに来ておいて、反撃を受けたくらいで怒らないで欲しいものだ。こっちは不意打ちで殺されそうになっているのだから、もっと怒っているのですぞ。
三十秒ほど、影を見せて追いかけさせていると、背後から派手に転倒する音が聞こえてきた。
「おい! 何やっている、さっさと起きろ!」
「待て、様子がおかしいぞ」
「泡吹いてやがる! まさか毒か!」
「お、俺も、なんか、体が痺れて……」
人に使ったのは初めてだが、熊の巨体にも効く毒なので、人体ならもっと早いようだ。
刺客達が混乱した隙に、一気に速度を上げて彼女の下に向かう。
一瞬、彼女は背後からの足音に脅えたようだが、隣に私が並ぶと息を弾ませながら微笑む。
スポーティな魅力があって、疲れが癒されるようだ。
「お待たせしました」
「良かった。悲鳴が聞こえたみたいだけど、アッシュに怪我はない?」
「かすり傷一つありませんよ。向こうは二名脱落です」
さらに時間を稼げたので、次はもう少し凝った罠も仕掛けられる。
まずは、こちらの姿を完全に見失って頂くことにしよう。
大木が倒れた後なのか、広場のように開けた場所に出たので、その中心までわざとらしく草木を踏みつけ、足跡をつけて歩く。
しかる後、自分でつけた足跡を踏んでちょっと逆戻り、ヤブや木の根といった足跡を確認しづらいところを目がけてジャンプする。
そうするとあら不思議、追っていた相手が忽然と消えたような痕跡が出来上がる。自分の足跡を確認した彼女が、追跡されていることを忘れたように感心する。
「な、なるほど。これはすごく頭の良い方法だよ」
「ふふふ、この頭の良い方法、動物が良く使うのですよ」
私はおろか、練達の狩人バンさんでさえこれで何度もまかれていると教えると、一層眼を輝かせる。
「本当に? 見てみたいな、アッシュでも見失う動物の逃げ方」
こういうところは、実に好奇心旺盛な彼女らしいと思う。
ひとまず、彼女には見つかりにくいところへ隠れていてもらって、私は広場の周囲に罠を設置していく。
基本的には今まで使ったものと同じ罠だが、今回は引っかかるのを待つのではなく、こちらの手元で操作できるものも混ぜておく。
最後に、広場を見渡せる樹上へと登り、刺客を待ち構える。
これ以上減らすと、一度撤退して別な作戦を取られそうなので、ここで一気に片付ける心づもりだ。
広場へやって来た刺客は、予定通り四人。
毒にやられた二人は置いてきたらしい。そうするだろうと予測してはいたが、仕事仲間に対して薄情なものだ。
情けは人のためならず、という言葉を知らないのだろうか。仲間の介抱や、遺体の埋葬なんかをしていれば、見逃してあげられたかもしれないのに。
広場に踏み入った四人は、すっかり疲れた空気を漂わせている。相当、罠に脅えながらやって来たのだろうなとお察し申し上げる。
慎重さと迅速さという矛盾に悩まされながら広場の中央へとやってきた刺客達は、そこで足跡が消えていることに驚いて周囲を見回す。
野生の獣なら、驚いた瞬間には走り出す。それができずに立ち止まってしまうものは、捕食者の牙にかかるしかない。
四人の刺客達も、森の中で他者を殺そうと思ったのだから、その法則に従って頂く。
刺客の一人の背に、放った矢が突き刺さる。向こうも、飛んでくるのは致死性の毒矢だとわかっていたためか、射られた男が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
残る三人は、顔を青ざめさせながらも、樹上の私を見つけて向かって来た。
実に素直に真っ直ぐに向かってきてくれる。途中、投げ矢を放って来たが、木の陰に隠れて簡単にやり過ごし、タイミングを見計らって木から飛び降りる。
ただし、ツタを束ねたロープを思いきり握りしめながらだ。
このロープは、他の木の枝を通って、広場から私のいる木までの最短ルートの足元に、大きな輪っかを拡げている。
これを、子供とはいえ体重をかけて引っ張るとどうなるかというと、一気に絞られた輪っかが、三人を一網打尽と包み込む。
束ねられた薪のように仲良くなった刺客達に、適当に狙いを定めた短弓を一射。
もう二、三発、と思ったが、流石にそこまでは相手も甘くなかった。一人がすぐに短剣でロープを切ってしまう。
私が次の罠に向かって駆け出すと、三人とも元気よく――毒矢を受けた一人は真っ青だが――私を追いかけてくる。
刺客の追跡は、先を私が走っているため、罠の心配は不要とばかりに非常に素早い。体力差を考えれば、このままなら私に追いついてしまう。
そうなると恐いので、私は通りすがりに、木に巻きついたツタを短剣で切り払う。ツタの一端は木の上へと消えて行き、その代わりとばかりに私の真正面から短く太い丸太が突っ込んでくる。
丸太と言っても、朽ちた倒木の一部を流用したものだ。頭上高くツタロープで吊り上げたそれが、振り子の要領で加速して唸りを上げる。
もちろん、それを仕掛けた私は丁度良いタイミングで横に転がって避けられるが、全力疾走で私を追って来た刺客達はそうはいかない。
「おっ――!?」
悲鳴を上げた先頭の刺客は、身を投げ出すように転ぶ。
敵ながら素晴らしい反射神経に、思わず感心してしまった。しかし、より短い時間での対応を強いられた二人目は、そうもいかず、胸を撃ち抜かれて、三人目を巻きこんで後ろに吹っ飛んで行く。
そして、二人とも起き上がって来ない。
この振り子丸太は、思った以上に破壊力が大きかった。一応、丸太の先端には毒を塗った矢をくっつけておいたのだが、あまり意味はなかったかもしれない。
二人目がクッションになったはずの三人目も立ち上がって来ないのは、彼がさっき毒矢を喰らっていたことも影響しているだろう。
これで残るは一人だ。
最後の刺客は、倒れたまま罠にかかった仲間を呆然と見つめていたが、やがてゆっくり起き上がると憎々しげに私を睨みつける。
「てめえ、絶対に許さねえぞ」
陳腐な台詞を、私は鼻で笑う。
「こちらは許して差し上げる寛容さを持ち合わせておりますよ」
彼女に泣いて詫びて、イツキ氏に必要な情報を全て提供し、その後の対応に快く全面的に協力してくれるのなら、許してあげないこともない。
許す条件をお伝えすると、なぜか男は顔を真っ赤にして激昂した。
「ふざけたことを言いやがって! 俺達を馬鹿にしているのか!」
「いきなり殺しにやって来た暗殺者相手に提案する条件としては、もっともな内容のはずですけどね」
それと、十歳そこそこの子供を相手に、六人がかりで不意打ちを試みておいて返り討ちにあったという実績は、刺客としては十分に馬鹿にされてしかるべきだと思う。
説得力十分なはずの私の論理的な説明に、男はますます憤慨してしまった。
せっかく差しのべた私の手は、振り払われてしまったようだ。
残念なことだ。
本当に残念なことだ。
「では、あなたは許して欲しくないとのことで……」
残念すぎて唇が吊り上がってしまう。
「大変に喜ばしいことに、返り討ちにしなければなりません」
刺客の事情も、彼女の事情も知らないが、それは向こうも同じだろう。
私の事情なんて知ったことではないと押しかけてやって来たのだ。そんな輩を相手に、どうしてこちらだけが一方的に事情を慮ってやる必要がある。
私は、無茶で無謀な私の夢に付き合ってくれる優秀な人材を、どうあっても失いたくない。ましてや、彼女の優秀さを解せぬ何者かに奪われるなんて、絶対に耐えられない。
彼女を不要とする者に殺されるくらいなら、彼女を必要とする私が奪ってみせる。
だから、彼女を殺そうとした刺客に、たっぷりと毒をふくませた言葉を放つ。
「宣言します。あなたは、私の欲望で毒殺します」
相手が動くより先に、私は後ろに飛んで背の高い草の中へと身を隠す。
「くそ! また隠れやがった、汚いぞ!」
暗殺者風情が、一体何を言うかと思えば。
わざわざ私に有利な戦闘場所を選んで仕掛けてきたのは、向こうの方だ。
向こうは向こうの事情でやって来た。こっちはこっちの事情で追い払う。互いに対等な条件下で開戦したのだ。その後の失態まで、こちらのせいにされる筋合いはない。
鬱蒼とした草の中に潜みながら、私は用意しておいたツルを引っ張る。
このツルは、周囲の木を経由して小さな木に結ばれている。それだけなので、ツルを引いても、がさごそと音を立てて木が揺れるだけだ。
特筆する点があるとすれば、その小さな木は、丁度このツルを引っ張る位置から弓で狙う視界が取れる場所にあるということだろう。
音に釣られて、最後の刺客がやって来る。
私は、静かに弓を引き絞り、最後の矢を放った後、悲鳴と罵声を聞きながら隠密に引き上げる。
狩人にとって神聖な短剣を使ってまでトドメを刺してやる必要性を、私はこの狩りにおいて、全く感じなかった。