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フシノカミ  作者: 雨川水海
伝説の羽
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伝説の羽17

 翌日に仕掛けを見回ってみたが、案の定、鳥や小動物はかかっていなかった。

 猪や鹿のような大型獣については、当然のごとく皆無である。

 一方、川に仕掛けた罠は大漁だった。

 円錐状になるように木の枝で作った罠の中に、夏が旬の川魚がごろごろ入っていた。沢蟹も何匹か捕まえられたので、今日のお鍋は美味しいぞ。

 せっかくなので、鍋に入れる菜の花や、ベリー系の果実を食卓に添えようと、昼食後に山菜取りに出かけることになった。


 私とマイカ嬢を中心に、いつものメンバーで森林内を探索していると、妙な気配に気づく。

 狼なんかがこちらをうかがっている感覚に近いが、その割に歩き方が乱暴だ。草木を折って移動している、緑の匂いがする。

 野生の獣ではありえない。消去法として、人間の暗殺者ですかね、と当たりをつける。


 普通に生きていて、「命を狙われているのでは」なんて考える人はあまりいないだろうが、アーサー氏の件がある。

 このキャンプに来たのだって、アーサー氏の身辺を探られないようにするためだったのだから、大袈裟ではない。

 私達が逃げるより早く、どこかでアーサー氏の正体が気取られたのだろう。


 相手がアーサー氏に気づいた様子がないと踏んで都市を離れたのだが、結果的には護衛が減ったところを狙われる羽目になってしまった。

 これは明らかにこちらの失策だ。情報の機密保持より、護衛重視の都市内で活動すべきだったようですよ、領主代行殿。

 サキュラ辺境伯家にこの手の暗闘経験が少ないという、その弱みが露呈してしまった。

 魔物の本場は、人間同士の争いの場になりづらいのだ。


「アーサーさん、ちょっと一緒についてきてくれませんか?」

「うん? ボクが? 良いけど」


 どうしたの、とアーサー氏が首を傾げて私に近寄ってくる。


「猪が最近ここを通ったようなので、少し追跡してみようと思いまして」

「へえ、よくわかるね」


 アーサー氏は、私が見つけた痕跡を探してみようと地面を調べるが、残念ながら真っ赤な嘘なので見つけられるはずがない。

 アーサー氏と一緒に、刺客を引き付けるための方便だ。


「でも、一緒に行くのがボクで良いのかな? マイカとか、グレンの方が良くない?」

「マイカさんがいないと、この班で山菜取りの監督する人がいなくなりますし、グレンさんは体格が良すぎてちょっと追跡には向かないので」


 本当は一人の方が良いのですが、と言いかけると、話を聞いていたマイカ嬢がものすごい勢いで駆け寄ってきた。


「絶対ダメだからね! アーサー君、アッシュ君をしっかりお願いね!」

「なるほどね。わかった、マイカの分もがんばってくるよ」


 心配性のマイカ嬢に、アーサー氏はくすくすと声を立てて笑う。

 楽しそうにされると、嘘をついてアーサー氏と皆を引き離そうとしている自分が、ひどく悪人に思える。


 私は短弓に弦を張って、狩猟用の毒粉を入れた小瓶に飲料水を混ぜ、いつでも矢に塗って使用できるように準備する。

 空をちらりと見上げると、雲がかかっているが当分雨は降りそうにない。


「マイカさん、この後は雨になるかもしれません。私もちょっと探したら戻りますので、マイカさん達も早めに戻って下さい」

「え、本当?」


 マイカ嬢が、さっきまでそんな様子は、と呟きながら雨の降りそうにない空を見上げる。


「あれ?」

「マイカさんなら、わかるでしょ?」


 疑問の声をあげた幼馴染に、私は眼を合わせて頷いて見せる。


「あ――うん」


 戸惑はわずか、理解は迅速、対応は的確。一瞬浮かんだ真顔は、見間違いのように力一杯の笑顔に変わる。


「わかった。きりの良いところで皆のところに戻るね。ジョルジュさん達には、アッシュ君が別行動って伝えておくから」


 マイカ嬢は、私がついた嘘を見抜き、何故嘘をつかなければならなかったかを察してくれた。持つべきものは優秀な幼馴染ですね。

 これで、私とアーサー氏がここを離れたら、すぐにジョルジュ卿と合流して助けを呼んでくれるだろう。


「アッシュ君は、どっちの方角に行くの?」

「そうですね……」


 剣呑な殺気を放つ輩を、軍子会の皆に近づけるのはまずい。

 ジョルジュ卿や兵士の援護が得られるのは力強いが、子供を人質に取られる危険など、不利な点も多い。 

 というか、軍子会の面々の護衛も考えると、ジョルジュ卿の助けはあまり期待しない方が良いかもしれない。


「猪は北西の方角、キャンプとは反対の方角ですね」

「わかった」


 マイカ嬢は、すでに帰り支度を始めている。表情は笑顔を保っているが、いつもの彼女からすれば曇り空のようなものだ。

 これは、帰ったら説教コースかもしれない。心配してくれるのだから、それに文句を言ったら贅沢になりますかね。


 私は微苦笑をしながら、軽く幼馴染に拳を差し出す。


「猪は確約できませんが、帰って来たら美味しいお鍋を作りますね」


 無事に帰ってきますの約束だ。


「むぅ……絶対だからね」

「ええ、このサイズの猪程度に後れは取りません」


 幼馴染は、こつんと拳をぶつけて許してくれた。


「さて、ではそろそろ行きますか……」


 他に、何か気を配っておくことはあるか、私は一度しっかり考える。大丈夫そうだ。

 最後に、キャンプを張っている拠点の方向を確認する。

 それらを踏まえて、刺客を皆から引き離す方向へと向き直る。


「それでは、アーサーさん、しっかりついて来て下さい」

「うん、足手まといにならないよう気をつけるよ」

「足元に気をつけて歩いてください。足を怪我しなければ、大丈夫ですから」


 諜報活動ではあちらが本職かもしれないが、森林内での狩りは私の本職だ。


「今回は、ちょっと珍しい狩りになりそうですね」


 護衛対象を連れながら、追いかけてくる複数の獲物を仕留めねばならない。難易度はちょっと未知数だ。

 まあ、下手な追跡技術から鑑みて、群狼の相手をするよりは簡単だろう。


 訳ありの可憐な少女を、悪漢の手から守り抜く。

 ふふん、ちょっとヒーローみたいで、わくわくしてきますね。



****



 ほんの少し歩いただけで、鬱蒼とした森の中では景色が変わる。

 葉擦れの音に、虫の声は、数百メートル先にいるはずのマイカ嬢達の話し声さえ聞き取れない彼方へと追いやってしまう。

 とはいっても、それは不慣れな人間の感覚である。野生の獣や、それを追い回す狩人が同じことを言っていては仕事にならない。


 私は、猪の痕跡を探すふりをして、草むらにしゃがみこみながら、周囲の気配を探る。

 風の歩みと一致しない葉擦れの音、不自然に途絶えている虫の声、警戒して飛び立つ鳥の羽音、それらに混ざって流れて来る囁き声。

 刺客は、どうやら六人いるようだ。


「アーサーさん、簡単な罠をもう一つ教えておきますね」

「ん、もう一つ?」


 本当に簡単な罠で、その辺の草を適当に結びつけて、足を引っかけるものを教える。

 これは野生動物相手には使わない、対人用の罠だ。

 こんなしょぼい罠を張るなんてヒーローっぽくないが、勝つために努力を惜しまないと言い換えれば、実にヒーローっぽい。


「これを、こう。その辺にたくさん作って頂けますか?」

「うん、良いけど……。これで猪がかかるの?」

「手を動かして」


 質問に答えずに促すと、アーサー氏は少し驚いた顔をした後、頷いて声を潜める。


「何か事情があるんだね」

「ええ、作業をしながら、聞いてください」


 罠を量産する草の音に紛れさせながら、自分自身も緊張を解すため、努めて軽い調子で事情を口にする。


「どうやらアーサーさんを狙っている人間が、こんなところまで追いかけて来たようです」

「――どうして?」


 声こそ静かだったが、アーサー氏の呼吸は乱れ、手が止まる。

 声色を整えた私の気持ちは、思い切り空ぶったようだ。ヒーローぶるのを失敗したなと苦笑しながら顔を上げると、アーサー氏の顔色は、驚くほど白かった。


「言葉で説明するのは難しいですね。狼や猪が襲いかかって来る時と、同じ感じを受けました。感覚的なお話で申し訳ないですが」

「そ、そうではなくて……どうして、ボクが狙われているって、知って……?」

「知っていた、と言うほどではありません。何か事情があるんだろうと察していただけです」


 出会ったその時から、何か隠していることがあるのだということはわかっていた。

 この件について協力しているイツキ氏も、私に詳しい事情は話していないし、私から問いただしてもいない。

 ただ、私が必要だから彼女を守る動きを手伝っていただけ。

 今回もそう。彼女が狙われているとわかって、彼女に何かあったら私が困ると思っただけ。

 彼女の正体を、ずっと私は知らないままだ。


「だから、そんな顔をしないでください。あなたの本当の名前がなんだったとしても、私があなたへかける言葉は変わりません」


 大切な物を壊してしまったような、今にも泣きそうな顔をした少女の手に、手を重ねる。

 指先まで血の気の引いた彼女の手は、とても冷たく、ちょっとの衝撃で砕けてしまいそうだ。


「私を助けて欲しいのです。私の手伝いをして欲しいのです。まだまだやりたいことが多い私のために、これまでもこれからも、優秀なあなたの力が欲しいのです」

「良いの? アッシュのこと、手伝って、良いの?」


 助けて欲しいと請うているのは私なのに、彼女は哀願するように、私に許しを求めて来る。


「他の誰が何と言おうと、私はあなたの力が必要なのです。手始めに、あなたを助けるために、あなたの力をお借りしたい」


 それとも、訳ありの可憐な少女を助けるのに、その当の少女の助けを必要とするような、こんな他人頼みの甘ったれたヒーローのお手伝いは、嫌だろうか。

 微笑みかけると、可憐な少女は、震える手で私の手を握り返した。


「わ、わたしで、良ければ……わたしの力で、良いのなら、アッシュ、君の力になりたい」


 本当に、本当の、彼女自身の言葉を聞いたのは、これが初めてかもしれない。


「他人頼みの私は、いつだって大歓迎ですよ」


 では、彼女との問題共有も済んだところで、狩りを始めるとしましょうか。

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