伝説の羽16
「やっと着きましたねぇ」
一日と半分の行軍を経て、我が家に帰って来たような言葉が出てしまう。
いや、実際、気持ちとしては帰宅に近い。例え、目の前に広がっているのが鬱蒼とした森林だったとしても。
私達軍子会の面々は、都市を離れて、行軍と野営、森林活動訓練ということで、はるばる大自然へキャンプにやって来た。
場所は、ノスキュラ村に程近く、バンさんの下で狩猟生活していた私にとって、ホームグラウンドと言って良い。
「あ、山菜を発見。ちょっと摘んでいきましょう」
通りすがりに目についた、肉の臭みを消してくれる素晴らしい山菜をぷちぷちと摘み取る。
「アッシュ君、そういうのは後にしないか」
引率のジョルジュ卿が、やんわりとたしなめてくる。
あまり強い調子ではないのは、ジョルジュ卿も気づかなかった山菜を即座に発見した私に、キャンプ生活の食事の充実を期待しているからだろう。
道中食べてきた保存食は、三食目にしてすでに食欲が失せるひどい出来なので仕方がないと思う。
これまで、ジョルジュ卿のお手伝いで備品管理をしていたため、何度も巡回する兵士の皆さんに配布してきたが、これほど不味いとは思わなかった。
私が悪いわけでもないのに、思わず罪悪感が湧いたほどだった。
だから、私はジョルジュ卿に真っ直ぐ顔を向け、神に祈るように真摯に語りかける。
「ジョルジュ卿、この山菜があれば、干し肉と一緒に煮込んで割とマシなスープにできるのです。他にも、目当てのついている木の実や野草があれば、大分美味しいスープにできます。そのスープがあれば、このガリッゴリの堅焼きビスケットを浸して柔らかく食べられます」
アーサー氏やレイナ嬢を始め、軍子会の面々が私の言葉に固唾を呑む。
マイカ嬢は、私の代わりにせっせと山菜を摘んでいる。
「通り道で食料を調達するのは、猟師の基本的な心得です。遠回りすればするほど、体力を消耗しますから。それに、森は暗くなるのも早い。無駄にしている時間はないのです!」
私の熱意溢れる論理的な説得に、ジョルジュ卿も胸を打たれたようだ。
「そ、そうか。言っていることはもっともだと思うのだが、私としても先に野営地点を確保したいのだ。誰もが皆、アッシュ君ほど元気ではなくてな」
「ふむ……そのご意見もごもっともですね」
確かに、村育ちのメンバーは平気そうだが、都市育ちの面々は、一日半の行軍で疲れが見えている。アーサー氏や、レイナ嬢も、中々つらそうだ。
「では、私は食料調達をしながら行きますから、ジョルジュ卿は先に野営地点で準備して頂くというのはいかがでしょう。作業分担すると効率がよろしいかと」
「そうは言っても、森ではぐれたら厄介だぞ。野営地点がどこか探すのは大変だろう」
「いえ、別に。失礼ですが、ジョルジュ卿、私がノスキュラ村で猟師生活を送っていたことをお忘れではありませんか?」
二度目になるが、ここは私のホームグラウンドと言って良い場所だ。
理由は二つ。
第一に、猟師として森は得意領域である。
そして第二に、この辺りの森はバンさんの狩猟範囲内であるため、私は何度も訪れたことがある。
極端な話、ここから携帯食料や装備品の全てを喪失したとしても、単独でノスキュラ村まで帰る自信がある。
「それに、野営地点はどこかわかりませんが、そこまで歩いて行く皆さんの足跡をたどるのは簡単です」
ろくに獣道もない森の中、十人以上の団体様が移動した後を追いかけるなんて山菜を見つけるより簡単だ。
こちとらバンさんに野生の獣の追跡術を習ったという自負がある。森林内逃走術に心得のない都会人なら、夜でも追跡してみせる。
そのように自信満々に言われては、ジョルジュ卿も反対ができなくなったようだ。
「むぅ、中々反対しづらいな……。マイカ君、同郷の君ならアッシュ君のこういった場合の能力も把握していると思うのだが、どう判断する?」
マイカ嬢は、目についた山菜を採り終えてほくほく顔だったが、質問の内容に表情を引き締める。
「アッシュ君の単独行動かぁ……。純粋に能力だけを見たら、多分、何の心配もいらないと思うんだけど……」
猪にさらわれてもひょっこり帰って来たし、と懐かしいことをマイカ嬢が呟く。
常々、ご心配をおかけしております。
「でも、一人でなんてやっぱり心配は心配だよ。何が起きるかわからないんだから、ここは大人しく――」
「では、マイカさんも一緒に行くというのはどうでしょう」
「は~い、ジョルジュさん、全然問題ないと思います! アッシュ君とあたしに任せてください!」
無事、そういうことになりました。
****
軍子会の皆と別れて、マイカ嬢と二人、さくさくと森の中を歩いて行く。
都市にいては味わえない豊かな森林の空気に、マイカ嬢の笑顔がいつもより楽しげだ。
「ふふ、久しぶりだよね。こうやって二人で森を歩くなんて」
「ええ、とても楽しいですね。こういう時間は大事にしたいですね」
「うん! あ、あれも確か食べられるやつだよね」
お互い、季節ごとに森の幸を収穫していたので、手慣れたものだ。
ついでに、薪になりそうな枝や、罠に使えそうなツル・ツタの類も回収して行く。
この森には三日間滞在する予定だが、その間ずっと塩気と臭みのきつい干し肉をかじり続ける気はない。バンさんの名にかけて、新鮮な肉で美味しい食事を作ってみせる。
しばらく、二人で食材その他を回収しながら、軍子会の後を追う。
皆さんは、草木を折りながら、土を掘り返すように乱暴に歩いているせいで、どちら側に移動しているか匂いだけでもわかってしまう。
獣はこんなに匂いを出しながら歩かない。
「あたしは、流石に匂いはわからないかな?」
「マイカさんは森林で狩りをしたことはありませんし、仕方ないですよ。それに、私の五感は鋭い方らしいです」
嗅覚や聴覚については、バンさんに勘が良いと褒められたことがある。
それに、不思議なことに、人狼殿と一戦交えた後に、自覚ができるくらいより鋭敏になった。
もう少し今世がファンタジーしてくれていれば、魔物を倒してレベルが上がったとか思うのだろうが、そんな気になれない世知辛さである。死にかけた時に、脳内で何かのスイッチが入ったのかもしれない。
匂いをたどって、無事に足跡を見つけて、テント設営中の面々と合流する。
テントと言っても、前世ほど便利な骨組みが製造されていない今世では、木と木の間に紐を渡して、そこに革布を引っかける、といった類だ。
これでも、子供が野営するということで、贅沢な野営装備が持ちだされている。通常の巡回をしている兵士ともなれば、普通は寝袋として使える外套一つと聞く。
テントを持って行ってはいけないわけではないのだが、そんな重荷を持って行くくらいなら身軽が良い、ということだそうな。
テントを張るのに苦労している面々を見ながら、私は合流した旨をジョルジュ卿に伝えに行く。
「思った以上に早かったな」
「私はもちろん、マイカさんも森歩きにはそれなりに慣れていますから」
収穫物を一旦預けると、ジョルジュ卿の真面目な顔がほころぶ。
「これは大量だ。今晩の夕食は期待しても良いかな?」
「少なくとも、今日のお昼よりは美味しい物を作れますよ」
付き添いのジョルジュ卿の部下が担いできた大鍋が大活躍するぞ。
ただし、現状では焚き木が全く足りないだろうから、竈の設営と並行して枯れ木集めが必要だ。
キャンプ場に自動車で行けば、必要な物が全て持ちこめる前世と比べて、今世のキャンプは現地調達、現地作成能力が必須だ。
アウトドアはレジャーではなく、サバイバルである。
「このまま焚き木集めに行ってもよろしいですか?」
「アッシュは話が早くて助かる。何人か連れて行って、できるだけ集めてくれるか?」
ジョルジュ卿の呼び方が、軍子会の子供向けではなく、私的関係者あるいは部下に対する言葉遣いになった。
つまり、教え子のアッシュではなく、副官候補にしている身内のアッシュに対する対応に切り替えたようだ。
扱いづらかったのだろう。でもやめられません。
「了解。最低限、明日の朝食の煮炊きに使える分までは集めたいところです」
テント設営を終えていたマイカ嬢、アーサー氏、レイナ嬢といつもの面子を集める。
男手としては、ヘルメス君とグレン君を加えれば、ひとまず足りるはずだ。
この辺りは焚き木を拾いに来る人も少ないので、案の定、丁度良い枯れ木があちこちにある。生木をくべると煙がすごいので、その辺りの見分け方を一同に教えれば、すぐに集まっていく。
大きすぎる枯れ木には、手斧を持って来てもらったグレン君が大活躍だ。体格が良いから、割れやすくなった枯れ木なんか、パッカンパッカン分割されていく。
私は、皆が集めた枯れ木を持ち運びやすいよう、ツタを使って縛り上げるかたわら、同じツタを使って、鳥や小動物を引っかける罠をあちこちに設置していく。
仕掛けは簡単で、ツタで輪っかを作り、首や足が引っかかると締まる、というのが基本原理だ。
これに、しなる木の枝や重りの石なんかをつけていくと、踏んづけただけで締まる、樹上に吊り上げる、といった面白仕掛けが作れるのだ。
流石に吊り上げるような大仕掛けは、手間がかかりすぎるので私も使ったことがないけれど。
私の仕掛けを見たアーサー氏が、感心したように罠を眺める。
「器用なものだね」
「原理は簡単ですから、慣れてしまえばいくらでも作れますよ」
私が、アーサー氏に見えるように、一番簡単な「輪っかに引っかかったことに気づかず、そのまま進もうとすると締まる」という罠を作ってみせる。
他の面々も興味がそそられたのか、こちらをちらちらうかがっている。
「焚き木集めも順調ですし、皆さんで一つ作ってみますか?」
丁度良いので、皆にも協力してもらおうと声をかける。
狩猟用の罠というのは、どちらかというと、獲物が通る場所を見つけることが最難関だったりする。私はバンさんほどの眼力がないので、数でカバーする必要がある。
作り方をすぐにマスターしたのは、流石というか当然というか、ヘルメス君だった。グレン君はすぐに飽きて枯れ木集めに行ったが、ツタを縄代わりに使えればこんなに便利なのかと感心していた。
皆の協力のおかげで、小動物狙いの罠の数は十分にそろったので、大型獣用の罠も、場所を選んで設置しておく。
野生の獣は隠密行動が得意ではあるが、安全を確保した決まったルートを毎回通るという習性も持っている。
そのルート、いわゆる獣道を見つけて、怪しまれないように罠を仕掛ける。
これがまた難しい。
他の動物が自分の獣道に入って来たと気づくと、しばらく近寄らない獣も多いのだ。これだけ難しいのに、罠に引っかからない、罠に引っかかったけど破壊して逃げる、ということも儘ある。
まあ、罠猟は定期的な見回りと、罠設営だけなので、狩りよりは大分楽だから仕方ないと思う。
あとは、飲用・生活用水確保のために川も近くにあるので、魚を取るための罠も作っておこう。マイカ嬢ではないが、初めての遭難の時を思い出す。
あれこれやっていたら、森に差し込む陽射しが朱色になり始めた。
「そろそろ時間ですね。戻らないといけません」
もう少し罠を仕掛けたかったのだが、仕方ない。早く食事の支度を始めないと、すぐに真っ暗になってしまう。
「よくこの短時間に、これだけ作ったわね」
レイナ嬢が感心してくれるが、罠はどれだけ獲物を取ったかで評価されるべきだ。
私の罠だと、労力の十分の一でも報われれば良い方だと思う。猪や鹿のような大物がかかったら、その時は存分に褒めて欲しいと伝える。
そう言ってから、はたと気づいた。
魚はもう少し効率が良いので、どちらかといえば魚用の罠を最初に作っておけば良かったかもしれない。
夏なので沢蟹の類も取れるはずだ。ちょっと失敗した。
気づいた事実を、頭をかきながら皆に告げると、アーサー氏が呆れた表情で笑う。
「これだけできてもまだ上があるなんて、アッシュは森でもすごいね。いつもいつも、すごいと思ったさらに上を持っているんだから」
「まあ、食欲のなせる業と言いますか……村でお肉を食べようと思ったら、森で取るのが一番良かったんですよ」
今世最大の肉供給源でしたからね。そりゃ必死で猟師技術を覚えるってものですよ。
バンさんという良い師匠にも恵まれましたしね。
そんな師匠に仕込まれた野営での調理技術によって、質の悪い干し肉は、野草スープのそこそこの具として昇華することができた。
いい加減干し肉は飽きたので、明日は魚のツミレ鍋にでもしたいところだ。