伝説の羽14
早速、簡単な調理を終えて、イツキ氏の執務室へ顔を出す。
冬の間、政務で痩せた領主代行殿も、この春になってから少しずつ体重を取り戻している。
一応、おやつを持って来る前に、ヤック料理長に間食をさせて良いか確認したところ、どんどん持って行って食べさせろと快諾を頂いている。
まだ忙しさが残っているのか、今日のイツキ氏は昼食を食べ損なっているのだそうだ。なんと不健康な。
「おお、これは美味いな!」
「それは何よりです」
お好み焼き風おやつの味は、イツキ氏好みだったらしい。空腹を自覚したのか、がつがつと食べて行く。
こういうところは、次期領主というより、前線で活躍する軍人といった風情だ。
「ふうむ、食べてみると薄焼きパン包みに似ているが、こちらの方が食べごたえがある。生地自体も美味いものだ」
「小麦粉に出汁を混ぜているんですよ。その分、生地にも味が出ています」
ただ、この出汁、鶏がらから取ったもので、味に不満がある。
海まで遠いこの都市では、鰹節もないし、青のりもない。不味いわけではないのだが、どうも思っていたのと違う味で悲しい。
そして、痛恨なのはウスターソースがないことだ。仕方なく、マヨネーズだけをかけてお茶を濁してある。
ウスターソースがない理由は、様々な素材が必要なため、そのコストを賄いきれないためだろう。主原料の一つのトマトが食用とされなくなったことも無関係ではあるまい。
トマト王子め。
恨み言は、食用トマト復活実験ノートにメモして、後世に遺すとして。
お好み焼き風おやつが食べやすいせいか、早く用件を切り出さないとイツキ氏が食べ終わってしまいそうだ。
「そうそう、イツキ様、これはクイドさんから注意されたのですが」
露骨というほどではないが、普段の私を知っている人なら演技だとわかるようにわざとらしく話しかける。
行商のふりをして情報を集めている人がいる、という時点では、イツキ氏の表情は変わらなかった。それくらいの諜報活動は、平常運転ということなのだろう。
ただ、人を探している。それもこの一、二年のうちに都市に来た人物を探している。商品として王都の品物が見られる。などなど、条件が狭まると、険しい空気をまといだした。
「とりあえず、先の銀功で一時有名になった私の名前が、その行商の耳に入ったようです。クイドさんは気をつけた方が良いという風に教えてくださいましたが、リイン夫人やジョルジュ卿にもご相談した方がよろしいでしょうか?」
「う、む……」
イツキ氏は、私から顔をそらして唸る。やはり、探られてはまずいことが手元にあるのだろう。
しばし、無言で不安を弄んでいたイツキ氏は、ふと、私の顔色をうかがう。
「もしや?」
「はい?」
何かご質問でも?
素知らぬ顔で首を傾げた私に、イツキ氏はいささか慎重な態度で臨んだ。
「この話を、バレアスやリインにする前に、私に話したのか?」
私が隠し事に気づいているのではないかと、イツキ氏は疑問を持ったようだ。
イツキ氏の隠し事が、アーサー氏関連のことならば、いくらかは事情を察しているのでそのように応える。
「ええ。なんとなく、イツキ様がお好きだろうなと思いまして、真っ直ぐこちらへうかがいました。アーサーさんも、こういうの好きそうですよね」
他の誰にも漏らしていないどころか、何かまずいことになるのではと思い、最短距離でお届けに参りました。
そう伝える私に、イツキ氏は納得した表情を浮かべる。
「そうか……。うむ、わかった」
忙しい領主代行殿は、おやつを食べる手も止めて、しばし考え込む。
やがて、肩を震わせたかと思うと、私に苦笑を向ける。
「今回の軍子会に、アッシュが参加したのは僥倖と言って良いだろうな」
「私も、自分のやりたいことを色々とやらせて頂いていますので、幸運だなと思っています」
だからまあ、それなりに頼みごとを聞く気はあります。
「そうか、これからも好きなだけ楽しめるよう、手を回しておこう。とりあえず、今まで通りに過ごしてくれ。〝彼女〟もそれを望んでいるだろう」
「ええ、それについてはご安心ください」
アーサー氏の男装については、こちらから言い出すつもりはないことを示すと、イツキ氏は、気が利き過ぎるな、と笑う。
「その怪しい行商人については、軍子会の教育上よろしくないな」
「そうですね。商人であればクイドさんがいらっしゃいますから、少しでも不審な点がある行商人と接触する必要はないでしょう」
つまり、アーサー氏には絶対に会わせない、ということだ。
たまたま同時期にこの都市に来た私が、王都生まれの辺境伯の末子より悪目立ちしているので、私のところでかき回せばアーサー氏までは辿りつけまい。
多分、アーサー氏は目立たないよう、叙勲式や武芸大会など外部露出する機会にも欠席していたのだろうから、完全に私の話題にかき消されている。
なんなら、商品化された腱動力飛行機の発表にでもかこつけて、もう少し悪目立ちしても良い。
「そういえば、クイドさんが飛行機の販売を始めるそうですね。またお披露目なんか行うのでしょうか?」
「それは面白いな。クイドに聞いてみよう」
イツキ氏の表情は、密偵に対する嫌がらせを完全に楽しんでいる様子だった。