伝説の羽5
買い物を済ませて、その足で市壁の外、囚人の皆さんのところへと向かう。
ヘルメス君もレイナ嬢も一緒だ。軍子会の責任者であるリイン夫人の許可は、ちゃんと得てある。
人狼殿との一件で、牧場へ危険を報せに走ったことが評価されて以来、囚人への風当たりが変わった。
犯した罪は罪として、今は真面目に働いているのだから、過剰に拒絶しなくても良いだろう。
そういう雰囲気になり、気軽に挨拶をする人もちらほらと見受けられる。
「お、アッシュじゃねえか」
川で洗濯をしていたベルゴさんが、手から泡を落として立ち上がる。
強面の囚人達は、いまや都市内でも上位に入る綺麗好きだ。石鹸を手に入れ、料理が思う存分できるようになってからというもの、清潔という美意識に目覚めたらしい。
服は古くくたびれたものばかりでも、いつも洗いたての清潔さがある。
市民の間でも、囚人には見えないくらいだと噂である。仕事は相変わらず過酷だけれど。
「おや、お連れさん方も、どうも」
ベルゴさんは、ヘルメス君とレイナ嬢――特に、育ちの良さそうなレイナ嬢を見て、彼にしては丁寧な礼を見せる。
というか、私にはそんな礼儀を払った態度を見せたことなくないですかね?
「今日のベルゴさんは、ずいぶんと紳士ですね」
「そりゃ、アッシュがお客さんを連れてくるからだろ」
お前さんには礼儀を払うつもりはねえよ、と言わんばかりにベルゴさんが鼻で笑う。
なんだか可愛がっていたはずの猫が、他人の方に愛想良くするのを見ているようで、ちょっと悔しい。
まあ、強面のおっさんなので、小数点以下九桁くらいの悔しさだけど。
「それで? 俺達に何の用だ?」
「ええ、ちょっと木工作業のお手伝いをして頂きたいと思いまして」
「またなんか変な事やるのか?」
ベルゴさんは笑いながら、囚人の一人、アムさんに野太い声をかける。
アムさんは、元は木工細工の職人さんだ。
細工師の家に生まれた四男で、他の兄弟と一緒に父の下で修業を積んだは良いが、工房は長男が継ぎ、その手伝いをする徒弟も、兄弟その他の弟子で一杯――つまり、あぶれてしまったのだ。
仕方なく家を出て、あちこち村や都市を回って仕事先を探したが、実を結ばず。とうとう空腹に耐えかねて盗みを働いて、現在に至る。
当人が、私の弓の手入れをしながら語ってくれた。
囚人の人達は、こうした職人一族の三男、四男が多い。食うには困らない幼少期を過ごしたおかげで、食うために何でもする、というところまで踏ん切りがつかず、軽犯罪で捕まりやすいようだ。
踏ん切りつけてしまった輩は、即死刑になる重犯罪者になるのだという。
つまり、どういうことかと言うと、この人達は、私がお願いすると割と簡単に手助けしてくれる技能集団なのです!
近寄って来たアムさんに、木工の腕を振るってもらいたい旨を伝えると、木工細工職人は、嬉しそうに頷いてくれる。
「俺なんかの腕が役に立つんなら、なんでも言ってくれよ」
アムさんは、家の問題でその道が断たれただけで、木工細工が好きらしい。
他の人達も同じようで、料理にはまっているのも、元々そういうこだわりが強い職人肌が多い、という一面もあるようだ。
早速、アムさんに神殿から持って来た本を見せて、木材を使った骨組みの作成を依頼する。
「ははぁ、これが空を飛ぶって? ははぁ、ほんとに? はあ、そりゃあ大したもんだ」
アムさん、感心しきりである。
「このプロペラと、翼の形が難しいのですよ。ほんのちょっとの違いで、飛べるかどうかが大きく変わるのです。できれば、少しずつ違うものを何種類か作って頂きたいのですが」
「はあ、なるほど……こいつはおもしれえ仕事だな。見た目はシンプルでも、綺麗なもんだ」
アムさんが熱心に飛行機のイラストを眺めていると、ヘルメス君も熱心に頷く。
「うん、綺麗だよな。派手なわけでもないのに、一度見たら忘れられない形だ」
「坊ちゃんの言うとおりだ。しかも、こいつが飛ぶってんだろ? こんなおもしれえ仕事、実家にもねえだろうなあ」
「そうさ。こんなの、王国中探したって俺達しかやってないぜ!」
「はっは、そりゃそうだ! よっし、いっちょやるか!」
中年のアムさんが、ヘルメス君と一緒になって、眼をきらきらさせている。
あれはもう、中年のおっさんと少年ではなく、夢見る男の子の眼だ。
そのまま、作り方について話しこみ始めた二人に、レイナ嬢が苦笑する。彼女の眼差しは、少女というより、女性のそれだ。
「見ていて不安になるくらいはしゃいでしまって……大丈夫かしら」
「まあ、男性というのは、いくつになっても幼い部分があると言いますから」
「そういうもの?」
私の言葉に、レイナ嬢は問い返した直後、返事も待たずに納得の首肯を見せた。
「そういうものかもしれないわね」
「私を見てどうして納得をされたのでしょうか」
前世らしき記憶がある分、私は非常に落ち着いた紳士だと思いますよ。
レイナ嬢は、そんなことより、と咳払いをして、私の問いかけを吹き消す。
「わたし、あんまり役に立っていないと思うのだけれど、良いのかしら」
「レイナさんのお力を発揮して頂きたいのは、ここからですよ」
不安そうなレイナ嬢に、私は分度器や定規を取り出す。
今世では、職人さんも経験で磨き上げた感覚や勘で物作りを行うので、一部の研究者以外はほとんど使わない希少品だ。
分度器なんて、囚人の皆さんの手を借りて自作したくらい流通していない。
「実際に作られた試作飛行機を設計図に落として、翼の曲線やプロペラの曲線を測って、可能な限り詳細なデータを記録して頂きたいのです」
こういうのは、数字に強い理系のレイナ嬢が一番向いている。
ヘルメス君も理系の能力が高かったと思うが、どちらかというと実験を繰り返して知識を深めていく、実践型の傾向が強い。そうでなければ、本の絵から飛行機模型を削り出したりしないだろう。
一方、レイナ嬢は、紙面の数値から推論・理論を導き出す研究型だ。母親の仕事を継ごうと考えているためか、帳簿が意味する事象を理解する能力が高い。
「中々難しそうね。大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。神殿で所蔵するような本格的な書物を作ろうというわけではありません。どんなことを試したのか、その結果がどうだったのか、研究を続けるためのメモを作って頂きたいのです。ひとまずは練習と思って挑戦してみてください」
私が筆記用具一式を手渡すと、レイナ嬢は男子憧れの、頼りがいのあるお姉さんの微笑みを浮かべる。
「なるほどね。つまりわたしは、男の子達がはしゃぎすぎてお部屋を散らかしたら、その後片付けのお手伝いをすれば良いのね」
「その表現は、レイナさんに実によくお似合いですね」
ありがとう、とレイナ嬢が笑う。
「アッシュの後片付けはできる自信がないし、それはマイカに任せておくけれど……」
悪戯っぽさを加えられた笑みが、私からヘルメス君の方へと滑る。
「こっちならわたしでも何とかなりそう。やらせてもらうわ」
「ええ、お願いします。私も製作の方を手伝いますが、書き方などに迷ったらご相談を頂ければ」
「それは助かるわね。特に、最初のうちはわからないことだらけでしょうから、お願いするわ」
自分の仕事に取りかかるため、レイナ嬢は筆記用具の確認を始める。
しばらく、彼女は真剣な表情で分度器や定規を調べていたが、ふと、何かに気づいて私を振り向いた。
「今気づいたのだけど、わたしも、空飛ぶ機械を見たいって思っているようね」
いつも見ている庭に、見たこともない花が咲いた。そんな表情のレイナ嬢であった。