伝説の羽3
ヘルメス君がモルド君一行に喧嘩を吹っ掛けられるという、非人道的な事件が起こってしまった。
この暴挙と言ってよい事態に対し、軍子会の一員として、また勉強会の仲間として、ヘルメス君を守るために立ち上がったのは、私・レイナ嬢・マイカ嬢・アーサー氏である。
オブザーバーとして、第三者組織からヤエ神官にもご参加頂いていることから、正義がどちらの側にあるか、三神の下に明白というものだ。
「そんなわけで、これからヘルメスさんの航空機技術復興のお手伝いをして、事態の平和的解決を果たします」
神殿の蔵書閲覧室で宣言すると、ヘルメス君以外からは各々、了解の旨の返事が上がる。
「いいよ。それで何するの?」
「アッシュはまた、すぐバタバタ動いて……。療養から帰って来てすぐだよ? 体調は大丈夫? 僕は何をすればいい?」
「私はその場にいて止められなかった責任があるから、あきらめているけれど……できることの限度はあるわよ?」
「航空機、ですか。古代文明の中でも、象徴的な伝説の一つですね。この神殿に技術的な本は少ないはずです」
皆さん良い感じに慣れて来ているようで、話が早くて何よりです。
一方、慣れていない初参加のヘルメス君は、しばらく周囲の面々を見回してから、首をひねる。
「会話の内容がおかしいと思うんだが……大丈夫なのか?」
正気的な意味っぽい問いかけに、私はヘルメス君同様に一同の顔を見回してから、たずね返す。
「大丈夫に見えませんか?」
「大丈夫に見えるのがすごく恐ろしいぞ……。普通さ、空飛ぶとか、そういう話をすると、もっとこう……ありえないとか、そんな馬鹿なとか、そういう言葉が出ると思うんだ。もうちょっと驚かないのか?」
私は前世らしき記憶があるので、空を飛ぶ機械があるのは当然だが、今世の常識ではそうかもしれない。
思えば、他のメンバーのリアクションが物足りない。
そう思っていたら、
「アッシュ君の話だもん」
「アッシュ以外が言い出したことには驚いたかな」
「アッシュのおかげで慣れたわ」
「アッシュ君ならいつかはと思っていました」
一同がこの回答だったので、原因らしい私は苦笑するしかない。
ヘルメス君が、驚異の眼で私を見て来る。
「いえ、まあ……そういえば、前から私の夢を話していましたので、いまさら航空機くらいではインパクトが足りませんかね」
「アッシュの夢?」
古代文明の豊かな生活の復興。
言ってしまえば、航空機はその一部だ。いまさらこのプロジェクトメンバーに驚けというのは無理がある。
そのことを説明すると、ヘルメス君の方が顎を落として驚いた。
「古代文明の生活!? おま、それ……え、じゃ、なにか? 夏でも涼しい部屋とか、氷を作る機械とか、火もなく温かい機械とか、音や絵をいつでも何度でも繰り返せる機械とか、そういうのひっくるめて造るって意味になるぞ!?」
「そういうのをひっくるめて、楽しく幸せな生活を送りたいなぁ、と夢見ています」
夏が暑かったのでエアコンと冷凍庫がものすごく恋しかったです。
「はああぁ~……」
ヘルメス君は、感心したのか呆れたのか、大きく息を吐き続けて、丸くなって縮まっていったかと思うと、肩を震わせて、笑い出した。
「ははははは! でっけえ、参ったな、でっけえ夢だよ、参った!」
ヘルメス君は、でかいと参ったを、何度も繰り返して笑う。
「俺、初めて、自分よりでかい夢だと思ったよ、アッシュ。参った、ほんとに参ったよ」
そうしてくしゃくしゃに笑いながら、涙を零した。
「道理で、俺の夢を、みんな、笑わずに聞いてくれるわけだよ」
心底嬉しそうな、涙だった。
隣に座っていたレイナ嬢が、微笑みながらハンカチを差し出す。
ハンカチを目元に当てながら、ヘルメス君は、一言だけ、呟いた。
ありがとう、と。
貧しい社会で夢を見るというのは、それだけでも大変なもののようだ。ヘルメス君を見ると、そう思う。
それもそうか。
生きることに必死では、未来に向けた計画など余計な重荷にしか思えまい。
私も、ユイカ夫人の朗読を聞くまではそうだったはずだ。
あの頃の私は、どんな眼をしていたのだろう。死に腐れた魚の眼をしていたんだろうな。
やはり、社会全体の生活水準を一刻も早く向上させねばならない。
もっと夢見る若者を増やし、夢に向かって学べる者を増やし、夢を叶える者を増やしていこう。
もちろん、希望の翼で未来へ羽ばたく皆さんと、私自身も同志として共に歩む所存だ。
今回のヘルメス君のように、夢の方向性が一緒の場合は、彼の夢を叶えることは私の夢を叶えることですからね。
どんどん手伝って差し上げるので、どんどん手伝って頂こう。
好意には好意を。
どんどん拡げていこう、好意の輪。
****
しばらく、噛み締めるように泣いていたヘルメス君も、濡れたハンカチをたたんで顔を上げた。
「悪い、みっともないとこ、見せた」
気恥ずかしそうに鼻をすするヘルメス君に、レイナ嬢が優しい声で否定する。
「そんなことないわ。貴方は立派よ、素敵な夢を持っているんだもの」
「ん、それはまあ、俺も自慢できると思う」
はにかんだ笑みを見せるヘルメス君は、今までよりずっと明るい感情を放つ。
静まり返った場の空気に、軽やかな熱が入ったようだ。
良い雰囲気なので、このまま決めることをささっと決めてしまおう。
会議に明るさは大事ですよ。面倒事も、ノリと勢いでやっちまおうぜ、と押し切れたりするから。
「では、今後の予定について話し合いを始めたいと思います。よろしいでしょうか。えーと、どこから話していきましょうかね」
炉・窯の性能向上から手を付けようとしていたところに、いきなり百段くらい飛ばした航空技術開発が案件として入って来たので、少々予定が狂った。
おまけに、後者の案件には、モルド君一行を合法的かつ平和的に殴りつけるという副次目標もある。
私が話し出しに悩んでいると、マイカ嬢が挙手する。
「はい。アッシュ君がとりあえずやりたいと思ったことはなに?」
「炉や窯の改善改良と、簡易飛行模型の作成ですね」
「なんで迷っているかと思ったら、やりたいこと二つあったんだ」
納得した様子のマイカ嬢に、他のメンバーは呆れ顔だ。
代表として、アーサー氏が手を挙げる。
「普通、どちらか一つだけでも大事になる案件を、二つも同時に場に提出するのはどうかと思うよ」
仕方ないではありませんか。片方が飛びこみ案件なんですから。
それに、どちらも同じ工業分野の話なので、大きく見れば二つではなく、一つの問題です。
「アーサーさんのお言葉もごもっともですが、炉や窯の改善を、工業力向上計画という大きなお話の手始めにしようと考えていたところに、ヘルメスさんのお話がやってきましたので、もう全部ひっくるめてまとめてしまおうと思いまして」
「すげえ。夢物語の空飛ぶ機械が、おまけみたいに扱われるとか、おかしい話がさらっと出た」
ヘルメス君が衝撃を受けたらしく、小声で呟いた。
レイナ嬢が、いつものことだ、と言いたげにその肩を叩いて落ち着かせている。
「その二つを、一つにまとめる意味はあるのかな?」
「私の計画にヘルメスさんの協力が得られそうですし、ヘルメスさんの夢に私が協力できそうですから、まとめた方が色々簡単ですよ?」
ざっくりした私の説明に、アーサー氏が困った顔で微笑む。
「どうしよう、マイカ。すごくアッシュらしいなと思ったら、反論する気も失せてしまったよ」
「う~ん、別に良いと思う」
「え、止めなくて良いの?」
アーサー氏が裏切られたような顔をしている。
一方、言葉の短刀でばっさり切り落としたマイカ嬢は、鶏を絞めましたくらいの平気な顔のまま頷く。
「アッシュ君が言うなら、それなりに筋道通った計画だもん。それに、計画は大きい方が人員も予算も多く出やすいって言うから、後は、計画実行の手綱さばきがしっかりしていれば、大丈夫だよ」
できないことは後回しにして、やれることからやれば潤沢な資源の集中投入ができますからね。
私が良き理解者であるマイカ嬢に親指を立てて見せると、マイカ嬢も満面の笑みで返してくれる。
もちろん、マイカ嬢の言う通り、それなりに考えがある。ただノリで突発イベントを吸収したわけではない。
工業力の向上を目指すと言っても、漠然とした内容になってしまう。
短期的には、炉や窯の改善改良ということで、煉瓦を作ろうと考えている。だが、そこで終わっては困る。
火力の安定は、ほんの土台に過ぎないのだ。そこから、加工技術の向上、製造量の向上、開発力の向上と、全てを高めたい。
では、具体的に、どれほどの段階まで向上を考えているかというと、古代文明レベルまでと言いたい。
しかし、これで計画を立てようにも、ちょっと具体性に欠けるし、ちょっと範囲が広すぎるし、ちょっと目標が遠すぎる。
ええ、ちょっとだけですけど。
そこで、航空技術の復興という着地点を用意すればどうか。
内燃機関や、軽量で耐久性のある各種合金の作成、精密な組立・加工技術など、工業技術の集大成としてわかりやすい。
計画を立てる側としても、見る側としても、何をどこまで高めればいいかという目安ができて、都合がよろしいだろう。
何より、空を飛ぶというのは、万人にわかりやすいインパクトとロマンがあるので、計画の印象も良くなる。
攻撃ミサイル技術の開発というより、人跡未踏の月へ行く技術の開発といわれた方が、老若男女、素直に応援しがいがあろう。
何事も印象は大事だ。
問題としては、技術的な目線で見ると、まだまだ目標が遠すぎるということだろう。
古代文明全てを復興させるレベルよりは、遥かに近くなってはいるが、いまだにちょっと目も眩むような遠さだ。
ちょっとだけですけど。
そこはもう、計画を第一段階、第二段階と区分して、漸次達成段階を設けよう。
一次計画で全体の十分の一、二次計画で次の十分の一、といった具合に。実際には、百次くらい必要になると思われる。
内燃機関、シャフト、ボールベアリング、ギア、ナノテク……未熟な技術も、未開発技術も実に盛りだくさんだ。
本当は、最初の到達点は木炭自動車レベルにしようと思っていたのだが、ヘルメス君がいたので、ちょっと背伸びして航空機までハードルを上げてみた。
竹馬で梯子に登るクラスの背伸びだと思う。
そんなことを説明すると、レイナ嬢が何度か言葉を吟味してから、溜息をついた。
「相変わらず、理想が高すぎるのか、地に足が着いているのか、よくわからないわね」
「地に足の着いていない理想は、叶うことのない妄想ですよ」
その点、ヘルメス君は、正しく理想の持ち主だった。
航空機の仕組みを知るために、まずは本を読む力を蓄えようとしていたのだから。
航空技術という高度な知の山頂の前では、最初の一歩に過ぎないかもしれない。しかし、一歩を前に出た者と、一歩も進めない者とでは、ゼロと一ほどの違いがある。
それは無限の差に等しい。
そんな一歩を踏みしめる夢追い人、ヘルメス君は、私の話をゆっくりと咀嚼した後、首を傾げる。
「俺としては、誰かが協力してくれるなんて、今までになかったすごいことだ。だから、アッシュの言うことをしばらく聞こうと思う。だが……」
ヘルメス君は、どうにも納得いかないように私を見つめる。
「お前、ひょっとして航空機について、すでに色々知っているのか?」
「現状からでは、まだまだ技術力が足りないということくらいは、知っています」
「やっぱりか! 俺も、空を飛ぶにはどうすれば良いか、まるでわからないことだけはわかっていたが、アッシュはまだまだ技術が足りないということをわかっているみたいだったからさ。そうじゃないかと思ったんだ!」
そういって、楽しそうに歯を見せて笑う。
「ちょっと聞かせてくれよ。例えばどんなものが必要なんだ?」
「もちろん、私が知っていることでしたら全部お話しますよ。ですが、その前に、一つ空を飛ぶ機械を造りましょう」
私の言葉に、ヘルメス君はますます楽しそうに唇をつり上げる。
我慢できないように、机に身を乗り出しさえする。
「おいおい、まだまだ技術が足りないって言って、もう空を飛べるのか」
「その最初の一歩と言ったところですね」
前世らしき記憶では、初等教育の工作なんかで使われていたくらい簡単なものだ。今世の技術レベルでも再現できる。
工業力向上計画のデモンストレーションとして、ゴム動力紙飛行機を作ろうと思う。
「そうですね、ヘルメスさんがもう我慢できないようですので……マイカさん、一つチームを率いて、煉瓦について調べて頂けますか?」
「煉瓦が良くわからないけど、それを教えてもらえるなら、任せてよ」
流石の頼もしさである。
「では、マイカさんとアーサーさん、ヤエ神官で煉瓦の製造法を調べてまとめてください。炉や窯の改善計画を、工業力向上計画の第一段階として立案します」
名前を呼ばれなかったレイナ嬢、ヘルメス君が、自然と顔を見合わせる。
「レイナさんとヘルメスさんは、私と一緒に航空技術の復興といきましょう! 空を飛ぶなんて絵空事だと思いこんでいる人達を、仰天させて差し上げましょう!」
驚きのあまり心停止もさせてやりますよ!
ヘルメス君が、嬉しそうに握り拳を見せてくれる。
実に頼もしいので、私も拳を掲げ返し、互いにこつんとぶつける。
そんな私達を、レイナ嬢は潤んだ目で見つめる。
「アッシュとヘルメスって、気が合いそうよね。とんでもないことをやらかしそうな人が二人に見えるのだけど……私、泣きそう」
マイカ嬢とアーサー氏が、涙目のレイナ嬢の励ましにかかった。