伝説の羽2
ジョルジュ卿と、今後の軍子会のスケジュールや、領軍の仕事のスケジュールを打合せしながら寮館へと戻って来た。
私の手には、捨てるだけだという製錬屑がしっかりと抱きしめられている。
これ、今は製錬に必要な技術や知識がないだけで、さらに有用な金属が含有されていないかと期待している。結果がでるのは、いつになるかわからない。
その最初の一歩、工業力向上計画を作ると決めた私が取る行動は一つだ。頼もしい仲間達に懇切丁寧にお願いし、助力を得るのだ。
農業改善計画の栄光よ、もう一度。
マイカ嬢とアーサー氏は、寮にいるだろうか。レイナ嬢は寮館にいる予定だと今朝言っていたので、そちらから捕捉……もとい接触を試みよう。
その予定は、寮館の門で早まった。
「全員やめなさい!」
毅然とした声は、レイナ嬢のものだ。
普段は落ち着いた彼女だが、年頃らしくやんちゃな軍子会の面々を叱る時に、良くこんな大声を出す。
母親が寮の責任者だということもあり、レイナ嬢の一喝で大抵の騒ぎは沈静する。
「やめなさいと言っているでしょう!」
ところが、今日はそうはいかなかったようだ。彼女にしては珍しく、叱声に焦りが見られる。
「レイナさんがあんな声を出すなんて、ちょっと心配ですね」
「うむ、あちらだな」
私とジョルジュ卿は、顔を見合わせて、声の方向に小走りに駆け寄る。
レイナ嬢は文官肌なので、暴力沙汰にまで達してしまうと、鎮圧能力は低いのだ。
寮館の庭では、案の定、取っ組み合いの喧嘩が始まっていた。三対一の喧嘩のため、一方的なものだが、その一方的にやられている方がむしろ獰猛に突っかかっている。
「そこまでだ!」
状況が口喧嘩の域を超えていると見るや、ジョルジュ卿が間に割って入る。
現役騎士の強引な仲裁で、ひとまず双方の拳が届かない位置まで引きはがされる。
三人組の方は、モルド君一行だった。
それに一人で挑みかかっていたのは、ヘルメスという少年だ。
ヘルメス君は勉強会の一員で、都市の有力鍛冶屋の息子だという。他人とあまり話をせず、内向的で大人しい印象だった――今、顔に青あざをつけて、手負いの獣のようにモルド君達を睨んでいる表情を見るまでは。
あれかな、普段大人しい人ほど怒らせたら怖い、ということだろうか。
「それで、一体何事だ」
再び両者が取っ組み合いを始めないよう、ジョルジュ卿が睨みをきかせながら尋ねる。
「向こうが先に手を出してきたんです」
これはモルド君の主張である。
一方、ヘルメス君はむっつりとした表情で黙りこんで、主張も弁解もしない。
勉強会でもこの調子で寡黙なので、孤立気味だ。それでも、勉強には人一倍熱心なので、嫌われてはいなかったりする。
そんな勉強会仲間を見かねて、レイナ嬢が、溜息をつきながらジョルジュ卿に説明する。
「先に口を出して来たのは、モルド達です。からかって挑発して、まあ、それでヘルメスが殴りかかったので、そこは責められても仕方ありませんが」
レイナ嬢は、ヘルメス君に好意的というより、モルド君達に非好意的なのだろう。三人組を見る時、視線に鋭い棘がある。
それにしても、三対一の状況で挑むとは、ヘルメス君は何を言われたのか。
「ヘルメス君、一体何を言われたんだ」
それいかんによって、どちらがどれだけ罰を受けるか決まるため、ジョルジュ卿は無口な少年に強い口調で説明を求める。
立場のある、年長者からの命令である。子供には抗いがたい迫力がある。
それでも、ヘルメス君は唇を噛んで黙りこんだ。
その鉄のように固い眼差しに、彼の頑固っぷりが良く表れている。
それと同時に、今にも泣き出しそうな雰囲気からは、噴き出しそうな感情も。
「ヘルメス、きちんと説明しないと」
案じた声は、レイナ嬢だ。経緯を知っているらしい彼女は、ヘルメスを助けようとしている。
眉根を寄せ、弟をたしなめるような表情で説くレイナ嬢を、ヘルメス君はちらりと見た。
それでもしばらく、何も言わなかったが、動き出そうとする少年の心を感じて、ジョルジュ卿はじっと待つ。
やがて、ヘルメス君は、左手に握りしめた鉄の塊を見せた。
「あいつら、これを見て……飛ぶわけがないって言うから」
ヘルメス君が掌に掴んでいたものを見て、ジョルジュ卿は首を傾げる。
レイナ嬢も、それが何なのかはわかっていないようだ。モルド君一行は、馬鹿にしたように口元を歪めている。
そして、私ことアッシュは、脳内麻薬がどばどば噴き出していた。
「ほほう! これは素晴らしい!」
それまで一歩下がっていた距離から、瞬間移動の気持ちで身を乗り出して、ヘルメス君の掌を覗きこむ。
鉄の塊といっても、それは精緻な細工物だ。
葉巻型の胴体に、風車の羽と翼をくっつけたフォルム。間違いなく、航空機の模型だ。
多少歪であっても、見間違いが不可能なほどに再現されている。
「単葉機、というタイプでしたか。おお、プロペラが回転するのですか! 凝っていますね!」
「わ、わかるのか?」
ヘルメス君が、なんだか瞳をきらきらさせながらたずねてきたので、当然頷いておく。
前世らしき記憶ではそこまで珍しいものではない。乗ったことだってある。
もっとも、乗ったのはジェット式の旅客機であり、こんなレシプロ式の古典作品は映像で見たことがある程度だ。
「これは一体どこで手に入れたのでしょう。今まで、航空機の模型なんて見たことがありませんよ」
「これは、自分で作ったんだ」
これでも名のある鍛冶屋の倅だから、とヘルメス君はちょっと自慢気に口の端をつり上げた。
「ほほう! ますます素晴らしい! ヘルメスさんは、航空機が好きなのですか?」
「ものすごく好きだ。こんな格好いいものが空を飛ぶんだぞ、しかもすごく速い。鳥より速いんだぞ」
実に生き生きとした明るい表情でヘルメス君が話しだす。
レイナ嬢が隣で驚いている。航空機という今世では馴染みのない機械に対してではなく、饒舌なヘルメス君に対してだ。
こんなヘルメス君見たことない。さっきまで頑なに黙りこんでいたヘルメス君はどこにいった。
「昔、神殿の本で、空飛ぶ機械の絵が描かれていたのを見たんだ。それがこれだ。ようやくここまで再現できたんだ。この回る部分がすごく大変だった」
「ええ、見事なものです。独力でここまでとは、さぞ努力したのでしょう。やはり、いつかは実際に飛ぶ航空機を作ってみたいとお考えで?」
もちろんだ、とヘルメス君は力強く拳を握って応える。
「そのために、親父に無理言って軍子会に入れてもらったんだ。字を覚えて、本を読んで、この機械がどうやって飛んでいるか調べて、それでいつかは……!」
ヘルメス君の視線の先には、青い空しかない。それ以外はどうでも良い、と言わんばかりの眼差しだ。
それを、私は良く知っている。
古代文明の古文書解読に挑んでいる時の、フォルケ神官にそっくりだ。
疲れるまで挑んで、辛くても挑んで、苦しくても挑んで、千の夜を越えて挑んでも、それでもなお夢に届かない。
一生かかっても捉えきれないかもしれない夢の輪郭を見るため、焦点が狂った超望遠の眼。
おかげで、足元にある楽な生き方がまるで見えていない。
だけど、どうしようもないと言う。
余人が呆れるほどの無謀な夢を追いかけることが、自分でも呆れるほど楽しくってしょうがないのだ。
楽しくて、楽しくて、身を焦がすほどに楽しいのだ。
夢叶わず倒れた時、受け止めてくれる大地を呪うほどの無念に襲われることがわかるくらいに楽しいのだ。
夢叶わず倒れた時、見上げる空が一生を報いるほどに輝くことを確信できるくらいに楽しいのだ。
よくわかる。私も同じだ。
「素晴らしい夢です」
だから、素直に、夢見る同志を賞賛する。
モルド君一行が笑い出した。
なんだか嘲りの言葉を囁いているようだが、気にもならない。他人の夢が大きいからと笑う者は、小人というものだ。
ただ、前世分の精神的成熟がある私とは異なり、ヘルメス君は露骨に不愉快そうだ。
噛み締めた歯の音が聞こえてくるような顔をしている。
さきほどまで、明るい顔で夢を語っていたのが嘘のように、再び口を閉ざしてしまう。
なるほど。
ヘルメス君が普段無口なのは、こうして夢を嘲笑されてきたせいなのかもしれない。
無理もない。あどけない少年が、好きな夢を馬鹿にされれば、心が硬質になってしまいもする。
そういう意味では、私は恵まれていた。
フォルケ神官は私より先に夢見る中年だったし、ユイカ夫人は私の夢を優しく受け入れてくれた。マイカ嬢なんて、すごいすごいと褒めて手伝ってくれている。
大志を抱く少年が、こんなところで損をするのはもったいない。
私は、ユイカ夫人からもらった親切心を使うことにした。
「ヘルメスさん、その夢、私も協力しましょう」
初めて言われた台詞だったのか、ヘルメス君はたっぷり三秒ほど経ってから、顔を上げた。
「え?」
「古代文明の記録にしか残らない航空機の復興、素晴らしいではありませんか。丁度、工業力向上計画を立案しようとしていたところです。ヘルメスさんの夢を叶えるため、私も協力します」
後ろでモルド君一行の笑い声が余計に大きく、品がなくなったが、私は別にいらだったりはしない。
精神的には大人ですから。相手は子供、私は大人。本気で怒るわけがない。
だから、続く台詞はヘルメス君のための宣言である。ちょっと私情が混じっただけだ。
「二人で協力して、あのうるさい人達を黙らせましょう」
ぐうの音も出なくさせてやろうぜ。
なぜか、私の顔を見たヘルメス君の表情が強張ったが、きっとモルド君達の発言に怒りを堪えているのだろう。
この子も、私同様大人な精神をしているようだ。
「ああ、その、アッシュ君?」
軍子会業務用の口調で、ジョルジュ卿が声をかけて来た。
「なんでしょう、ジョルジュ卿」
「いや、そちらで話をまとめているところ悪いのだが、軍子会の規則で、私闘をした以上、罰が必要なのだ。特に、口論があったとはいえ、先に手を出したヘルメス君は……」
「ジョルジュ卿」
なに、私の邪魔するの?
にっこり笑って、可愛い息子分としておねだりを視線にこめる。
だが、そこは生真面目さで領主代行に信頼されるジョルジュ卿だ。少し躊躇ったようだが、首を横に振られる。
「こういった規則は、軽んじてはならない。軍子会は、統率者としての対応を学ぶための場でもあるのだ」
「なるほど。人の集団を率いるためには、規則・規律を守らねばならないというわけですね。ごもっともな話です」
ジョルジュ卿の立場をおもんぱかって頷いておく。
でも、絶対に退いてあげません。人の夢を笑う輩にはお仕置きが必要です。
「ですが、ジョルジュ卿。統率者としての振る舞いというならば、能ある者をささやかな間違いで叱ることは、才人を委縮させ、積極的な行動を妨げる危険な教えになりかねません」
「む……しかしだな」
規則違反を間違い、罰則を叱る、と言い換えて誤魔化してみると、ジョルジュ卿の態度が軟化した。
もう少しだ。
どんどん押すよ。
「考えてもみてください。軍子会の他の誰が……いえ、この王国の他の誰が、失われた空飛ぶ機械を復興させようなどと考え、実際に行動しているでしょう」
王国中を探せば何人かいそうですけどね。フォルケ神官の王都時代の研究仲間辺り、特にいそうだ。
「他の誰も考えられない、誰も行動できないことを、ヘルメスさんは考え、行っているのです。王国において唯一無二、これを稀有な才能と言わずに何と言うのです」
レイナ嬢の方から、何か聞こえて来た。アッシュがそれを言うの、とか。
私は特殊例だから別枠です。
「もし、これでも、たかが子供の喧嘩へのお仕置きに対して、ヘルメスさんの有能さが足りないと思うのならば……二週間、お待ちください。空を飛ぶ技術の復興、その可能性をご覧にいれましょう」
私は、さっとヘルメス君を矢面に出す。
「この、ヘルメスさんが!」
危なかった。思わず、私が主役みたいなノリで言い切ってしまうところだった。
今回の主役はヘルメス君なのだ。
私はそのお手伝い。手柄はヘルメス君のもの、私はモルド君が黙ればそれでいいのです。
「アッシュ……俺は何が何だか……」
大丈夫ですよ、ヘルメス君。
私めっちゃお手伝いしますから。やることはもう決まっているから。できることは前世らしき記憶で保証されているから。
だから、そんな不安そうな顔しないで。
困惑するヘルメス君に、レイナ嬢が慈愛に満ちた表情で肩を叩く。
「大丈夫よ、ヘルメス。後でマイカとアーサーに、これ以上の暴走をしないように制御してもらうから……だから、とりあえず、あきらめて」
ヘルメス君が、トドメを刺されたような顔になってしまった。