シナモンの祭壇26
マイカ嬢とアーサー氏のタッグ説教コンボを叩きこまれ、私はノックアウトされた。
夢の中の死神より強かったです。
二人からは、重々大人しくしているようにと諭されたが、元より怪我の熱っぽさもあるので、言われずとも大人しくベッドに横になっている。
今回も、傷口がひどく悪化しなくて助かった。
熊殿の一件の記憶も新しいマイカ嬢が、すぐにアロエと蜂の巣の混合軟膏を使ってくれたおかげだと思う。
衛生概念はあっても、薬学の知識が後退している今世では、傷口の化膿や破傷風などの死亡例が非常に多い。
抗生物質はまだまだ無理としても、消毒用アルコールぐらいは作ってみても良いかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていると、ドアがノックされた。来客のようだ。
「はい、どうぞ」
「療養中に失礼するぞ」
領主代行のイツキ氏と、その付き添いのジョルジュ卿だった。
二人とも表情が柔らかいのは、怪我人の私に気を使っているのだろう。
見舞いのお約束と言うべきか、イツキ氏から怪我の具合を尋ねられた。
「マイカとアーサーから、お前の目が覚めたと聞いてな。傷の具合はどうだ。当然痛むとは思うが」
「じっとしている分には何とか。少し熱っぽいですが、そこまで怠くはありませんし、それほど深刻な状態ではないと思います」
「うむ、それは何よりだ。食欲もあると聞いたし、ひとまず大丈夫そうで何よりだ」
イツキ氏が嬉しそうに頷く。領主代行殿にも、相応の心配をかけてしまったようだ。
私の病室にあてられているこの部屋も、領主館の客室だと言う。場合によっては、他領の領主が泊まる一室を貸して頂けるとは恐縮だ。
「この度は、様々な気配りを頂戴しまして、感謝の言葉もございません。ご面倒をおかけしましたこと、お詫び申し上げます」
「よせよせ、感謝しているのはこちらの方だ! 詫びられては困ってしまうぞ!」
私が頭を下げようとすると、イツキ氏が言葉をかぶせて止めてくる。
はて、と私が首を傾げると、イツキ氏は傍らのジョルジュ卿を見て、私的な笑みを見せる。
「手柄に無頓着なのは、やはり血筋か?」
「いえ、そういうものでも……。アッシュは優秀ですが、こういった制度には慣れていないのです。というか、武勲者をからかわれては困ります」
「ははは、そうだな、怪我人をからかうのは人が悪いな」
私、なんか手柄を立てたらしいよ。
いや、魔物を相手取ったから、一応は実戦をこなしたことになるのはわかるけど。
ジョルジュ卿にたしなめられ、イツキ氏が手柄の内実を教えてくれる。
「魔物を一対一の戦闘で抑えこみ、市民を逃がす時間を稼いだ。アッシュの奮闘がなければ、牧場で働いていた者や、受刑囚にどれほどの被害が出たのかわからん。それは立派な手柄だぞ、アッシュ副官」
いえ、副官見習いです。正式に拝命していませんよ。
「まあ、何と申しますか、あれはほとんど成り行きでしたので。お手柄と言われましても、実感があんまり……」
「はっはっは! 成り行きで手柄を立てるのなら、よほど優れた人材ということだ! これも義兄上の薫陶の成果か?」
「ええ、武芸は随分と教わりました。基礎をみっちりと」
「そうかそうか! 流石は義兄上だ!」
イツキ氏は、かなり上機嫌のようだ。しきりに高笑いをしている。ジョルジュ卿も、相槌が熱心だ。
クライン村長は、どうしてか都市の男衆に大人気なのだ。
「ともあれ、そういうわけで、手柄を立てたアッシュには、しっかりと褒賞を与えねば他に示しがつかん。治療にかかる金は当然公費で賄うとして……何か欲しい物は思いつくか?」
言うだけ言ってみると良い、とイツキ氏に促される。
すぐには思いつかない。
本当に欲しい物は、今世では恐らく存在しない。とすると、あれやこれやを作るためのそれやどれやが欲しいが、どれもこれもが多すぎる。
農業改善計画は順調だし、予算もかなり潤沢に貰っている。これといって不満が思いつかない。
「すみません、突然のことなので今はこれといって」
「意識を取り戻してすぐだからな。ゆっくり療養しながら考えると良い。何もなければ、金銭で報いよう」
「ご配慮、感謝いたします」
「よいよい、生真面目な奴だ」
イツキ氏は軽く手を振りながら、ジョルジュ卿に笑みを向ける。
多分、生真面目さは血筋か、などと思っているに違いない。
「まずはゆっくり傷を癒すと良い。なんなら、一度故郷へ帰っても良いぞ。治るまで一月はかかるだろうし、お前ならそれで勉強についていけないということもあるまい」
「おお、そうですね。村の実験畑の収穫が気になりますし、どうせ大して軍子会の活動に参加できないなら、それも良いですね」
「ああ、牧場からの贈り物もまだまだあるし、それを持って一つ凱旋したらどうだ」
豚肉を持って帰っていいのなら、さぞ喜ばれるだろう。
実験畑のコンパニオンプランツの成果も確認できるし、養蜂業の進展、ジキル君の猟師っぷりも気になる。
あ、気になると言えば、フォルケ神官の生活習慣の監督もしてこよう。
私がいなくなった途端に、不摂生を始めている可能性がある。
他に、ついでにできることはないだろうか。
「あ、イツキ様、堆肥をいくらか持って行って、村で実験してもよろしいでしょうか。都市外ですし、畑の一部で実験するならば問題ないのではないかと。あ、教導用に施肥の方法の論文を複写しないといけませんね」
一度に二か所の実験データを取れるぞ。
観測と記録は、ユイカ夫人かクライン村長に頼むしかあるまい。お忙しい二人の手を煩わせるのは恐縮だが、私の夢のためにも誠心誠意を尽くしたお願いをしよう。
そうだ。
その分、村のためになるお土産を持って行けばお二人も快く断りづらくなってくれるはず。
「イツキ様、褒賞を頂けるのであれば、農具をいくらかお願いできますか。鉄製のクワや鎌を村に持ち帰りたいのですが。あ、後は猫も欲しいですね」
村の食料庫の守護者であらせられる猫・リューゾージ殿の伴侶をお迎えしよう。
今後は、優秀なるラットハンター・リューゾージ族に、我が村を代々守護して頂きたい。
他に、村に何が必要だろうか。
そうだ、農具だけではなく、調理器具も新しい物を持ち帰れば喜ばれるかもしれない。
鍋や包丁なんか、へたっている物も多いはずだ。バンさん一家には、槍の穂先や矢じりが喜ばれるだろう。狩猟具が充実すれば安全にもなって、ターニャ嬢も安らげる。
布生地も良い候補だ。仕事道具だけでなく、衣食住の生活環境が向上すれば、生産効率も上向いてくれるだろう。
今回の休暇帰郷を機に、絶望集落の環境をわずかなりとも改善するのだ。
というわけで、領主代行殿、褒賞ください。
足りない分は自腹と、農業改善計画予算も流用するから。頂戴したうちのいくらかは、納税という形でお返しできますよ。
健全なる経済活動だ。
我ながら素晴らしすぎる思いつきに、にこにこ笑顔でおねだりする。
これだけ良い提案なのに、イツキ氏とジョルジュ卿は微妙な表情だ。
「おい、バレアス。療養とか休暇という言葉が、何を指すか……真面目の上に真面目を重ねても追いつかん貴様でも流石にわかるだろうな」
「当然です。少なくとも、療養に仕事を抱えて行くほど手遅れな覚えはありませんよ」
手遅れって、誰が。
単に、後々やることを、ことのついでにやってしまおうとしているだけです。別に勤労意欲に燃えているわけではありません。
人を労働のためだけに生きる畜生みたいに言わないで頂きたい。
「ま、まあ、アッシュがそれで良いと言うなら、褒賞はそれで用意しよう。農具や調理器具はなんの悪いものでもないしな。堆肥については少し待て、一応審議にかける」
「審議に必要な情報があればお呼び下さい」
絶対に許可をもぎとってみせますとも。
「いや、だから、療養……」
「私の心安らかな療養のためにも、許可が必要なのです」
病は気からと言いますからね。不満を持っていては治るものも治らない。
そのためなら、多少の負傷など推して参ります。
「う~む……こいつはマイカも苦労するわけだ」
「同じくらい頼もしい事実が悩ましいところです」
ご迷惑をおかけしながら生きていきます。
次章以降、更新頻度に変更があります。
毎日更新から、「月・水・金」の週三回にさせて頂きます。
詳しくは活動報告にて、ご報告させて頂きます。