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フシノカミ  作者: 雨川水海
シナモンの祭壇
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シナモンの祭壇23

 都市の夏が、何気ない調子で過ぎていく。


 執政館でのお手伝いを数日こなしても、ジョルジュ卿の講義は休みがちのままだ。

 相変わらず忙しいようです、などと顔を出した勉強会で談笑している私だが、割と深刻な理由を知らされている。

 備品の出入り口をしているジョルジュ卿の手伝いをしていると、知らざるを得ない。


 例えば、市壁の上には備え付けの弩砲がある。

 通常、風雨で傷まないように壁塔の内部に格納されているのだが、最近は雨でもない日は半数を日向ぼっこさせている。

 弦を張った状態で、である。

 弩砲が撃ち出す、槍のような矢も装填済みだったりする。


 私はつい先日、それら弩砲の予備部品を手配する仕事をこなした。

 いつ使用されて、いつ壊れても良いように。


 大型の盗賊団が周辺にいる。

 近隣都市との緊張が高まっている。

 そういった情報はない。

 今回、都市サキュラに迫っている危険は、むしろそういった人間同士の対立を抑止している、第三の敵によるものだ。


 人類共通の大敵、魔物。


 史上、いくつもの都市を滅ぼし、人類をここまで衰退させた、人類にとって人類以上の天敵である。

 とうとうその足音が、今世、私の耳まで聞こえてきたのだ。

 村でその存在を聞いた時から、どんな存在なのかいまいちわからなかったが、軍子会の勉強でよく教わりました。

 人類の武力は、治安維持以外は、ほとんど魔物のためにあるのだということがわかりました。


 都市がそんな状態なものだから、私がいつものようにベルゴさん達のところへ行くために市壁の外へ出ようとしたら、門番の衛兵さん達からこっそりと注意される。


「もし何かあったら、こっち側へ逃げてこい」


 言葉と共に、衛兵さん達は門の上の弩砲をちらりと見て示す。


「囚人どものところからだと、今日はここのが一番近いからな」

「ご忠告ありがとうございます。もしもの時は忘れずに」


 もしもの時が来ないことを願いつつ、そう答えるしかない。

 まあ、すでに一度熊殿と戦った身だ。

 あれからまだ一年しか経っていないのだから、二度目のエンカウントはあるまい。

 この短期間で二度もお会いするなんて、多忙な死神様がそんなスケジュールを立てているわけがなかろうというものだ。


 いつもの掘立小屋が見えてくると、ベルゴさん達が軽く手を上げて挨拶してくる。

 今日も一日、皆さんと労働に勤しもう。



****



 その感覚は、奇妙なものだった。

 近い経験を挙げれば、バンさんと共に潜った森で、狼に狙われた時に感じたそれに近い。


 命を狙う存在を感じると、脳内で臨戦態勢が発令されるらしく、景色がより鮮明に、音響がより幅広く、臭気がより繊細に、認識上に一新される。

 世界がより濃く知覚される。

 それ自体は、狩りをしていれば何度か味わう。慣れたものだ。

 ただし、それは通常、外部からの刺激で発動する。


 大気に漂う匂いに混じる、襲撃者の緊張した汗の匂い。

 草木が擦れるざわめきに混じる、背後から忍び寄る足音。

 藪の暗がりにわずかにちらつく、鋭い眼光。

 そのいずれか、あるいは複数を察知し、脳が危険と判断する。


 今回、奇妙に思われたのは、視覚も、聴覚も、嗅覚、触覚、もちろん味覚も、なんら異常を感知しなかったためだ。

 表現すれば、脳が直接感じた。

 情報処理能力しか持たない、他の器官を通さねば入力能力を持たない脳が、何かを感じることはありえない。

 ありえるとしたら、テレパシーや、脳幹直結通信の類か。

 前世らしき記憶では一部専門職で使われていたが、今世ではお目にかかったことがない。


 そんなことを考えながら、立ち上がり、都市の反対、遠くに森が見える平野を見据える。

 そちらから、何かを感じる。

 異常はない。瞬きを一つ。

 異常はない。瞬きを一つ。

 異常はない。瞬きを一つ。異常を発見した。


 輪郭は、四足獣のそれだ。経験から狼だと判断する。

 森から出て来たはぐれ狼とすれば、予兆が奇妙であったことを除き、不思議はない。

 囚人達が汚物処理に使っているシャベルのうち一本を手に取り、ベルゴさん達に注意を促す。


「皆さん、森から狼が出て来たようです。何かしら武器になる物を手に取って――」


 言葉の途中で、おかしなことに気づいた。

 狼の影が近づいてくる動きに合わせて、かすかな重低音が響いている。

 念のため周囲を見渡すが、太鼓を叩くような真似をしているものはいない。

 とすれば、この重低音は、あの狼の――いや、狼らしきアレの足音ということか。


 アレは、重低音が大きくなるに連れて、その輪郭も大きさを増していく。

 比較対象のない平野を走っているためわかりづらいが、どう見ても狼の体格を超えている。


 わかっていた。薄っすらと予感していた。

 魔物を警戒する都市近郊で、奇妙な感覚と共に現れた、不審な影。


 ひょっとしたら、魔物なんじゃないかと思っていましたとも。


「ベルゴさん、急いで門まで走ってください」

「お、おう、そりゃそうだ」


 言われるまでもない、と青ざめた顔でベルゴさんが頷く。


「できれば、何人かは、牧場の方へ知らせに走ってください」


 魔物は、すでにどんな眼つきでこちらを見ているかわかる距離にいる。ベルゴさんは返事を躊躇った。

 それはそうだ。

 あの凶暴の化身みたいな存在を目にして、ちょっとでも遠回りしたいなんて思わない。


 でも、牧場の人達も大事な人材なのだ。

 彼等の畜産技術の得難さは、農村生活で思い知った。


「時間は私が稼ぎます。初めての相手なので、ちょっと保証はできませんけど、何とかします」

「はあ!? おまっ、時間を稼ぐって、相手は魔物……!」


 目を剥いて叫ばなくてもわかっています。

 ともかく、他の手段を思いつく時間もなく、さりとてベルゴさん達や、牧場の人達を見捨てるつもりにもならない。


 つまり、私は私の思ったとおりに生きるしかないということだ。

 やると思ったら、やるのだ。


「問答無用で従って頂きます。騎士ジョルジュの副官としての権限で命じます。ベルゴさん、ゼブさん、アムさん、モディさんは、牧場へ知らせに走ること。それ以外の方は、すぐに門に魔物の襲来を伝えに走ること」


 反論は認めない。

 たかだか十一歳の身では難しいが、出来る限りの威厳を装って発する。


「総員、行動開始しなさい!」


 命令は、辛うじて成功したらしい。

 息を呑んで、全員が走り出す。遅れたのは、ベルゴさん一人だ。


「しっかり生きて、後で面ぁ見せろよ!」


 遅れたのも一瞬、猛然と走り出す気配を背に感じる。

 方角は、牧場の方だ。


 全く、ベルゴさんの勇敢さには感謝の言葉しかない。

 無事に終わったら、好きなお肉をたっぷり食べさせてあげよう。

 そんなことを考えていると、直進して見えた魔物の進路が、わずかにそれた。


 まずい。

 逃げたベルゴさん達に標的を移したようだ。


「そうは、させませんよ」


 シャベルで足元にある石をすくいあげる。

 日々の労働で培った、我がシャベルの妙技を見よ。


 シャベルを振りかぶり、思い切り遠心力をつけて石つぶてを投擲する。ちょっとした投石器だ。

 初弾から命中したのは、自画自賛しても良いと思う。

 しかし、響いた命中音は、驚愕に値した。


「すっごい金属音がしたんですけど」


 意味わかんない。

 でも、悲しいことに予想外ではない。


 ジョルジュ卿の講義で聞いていましたもんね。

 魔物の中でも、人狼は金属の体毛を持っていると。

 だから、人狼と戦う時は、チェインシャツやスケルメイルを着込んでいるものとして対処しなければならないと。


 投石による痛撃はならなかったが、魔物の標的を私に固定させることには成功したようだ。

 魔物の接近速度がさらに上がる。


 私の眼前で立ち止まった狼型の魔物、人狼は、その全身から硬貨が擦れるような音を立てている。

 そして、微妙な光沢を放つ鉄色の体毛は、紛れもなく金属の性質を帯びている。


 そうかー。

 本当に金属だったかー。

 冗談だと思いたかったなー。

 一言感想よろしいか。


 人類に不利なところばっかりファンタジーしやがって!


 心中で罵りながら、私は人狼と睨み合う。

 投石のせいだろうか、その眼光には獰猛以上の凶悪さが宿っている。

 人狼は、熊殿よりは小柄だが、私よりは大きい。

 鼻先から尻尾を除く尻までで、二メートル近くはあるだろう。人狼という割には、大きな猪にも似た顔だ。

 どちらかといえば、獣人という表現が近い。

 いや、人らしさが少ないから、魔獣か。


 そう思っていたら、人狼の体からきしむ音、ねじれる音が聞こえて来る。

 何事だと警戒していると、人狼の前脚が伸び、肩幅が広がり、背骨が湾曲していく。


「なるほど、人狼ですね」


 この野郎、二足歩行形態に変身しやがりました。

 長くなった前脚は、すでに腕と呼ぶに相応しく、四足獣より多彩な攻撃方法を獲得したことがうかがえる。

 後ろ足で起ち上った姿は、二メートルを超え、暴力的な威容を誇る。


 もう一度言うけれど、人類に不利なところばっかりファンタジーしやがって!


 理不尽な光景に呆れていると、人狼が威嚇の咆哮をあげる。

 絶対に逃がさないと、絶対に仕留めると、骨身に言い聞かせるような大音量。


 しかし、その程度で委縮する私ではないので、体力の無駄ですよ、人狼殿。


「どうやら相当にお怒りの様子ですね。まあ、石をぶつけたのはこちらですし、お察しします」


 だが――怒っているのが自分だけとでもお思いか。


「こちらも察して頂きたいものですね。私が楽しみながら苦しみながら転げ回るように踏みしめている夢への疾走、その進路に横から上がり込むその無作法」


 都市に来て、資源が増えた。

 資金が増えた。

 目標が増えた。

 達成したことが増えた。

 仲間が増えた。

 村の時よりはるかに積み重ねた私の夢への歩み。その一歩ごとに、より重く、より速く、夢を叶えたいと強欲になる。


 当然の心理だ。

 時間をかけた、だから叶えたい。

 苦労をかけた、だから叶えたい。

 物を費やした、だから叶えたい。

 人手を借りた、だから叶えたい。

 想いを受けた、だから叶えたい。

 注ぎこんだ分だけ増す願望の質量、質量に比例して「絶対に夢を叶えてやる」と加速していく野望。


 今の私は、村で夢を語っていた私よりブレーキのきかない、狂暴な夢追い人だ。

 そんな、暴想者の前に飛び出したのだ、覚悟なぞ問う暇も与えんぞ。


「宣言します。私の夢を邪魔するあなたを、私の全てで粉砕します」


 踏み込んでシャベルを突き上げる。狙いは、振り上げられた人狼の右腕だ。

 先に仕掛けてきたのは人狼殿だ。不躾な右腕と防御のシャベルが激突する金属音が、平原を抜けて行く。

 相手の初撃をいなして、返す刀でシャベルを叩きつけるが、人狼殿の左腕で受け止められる。

 人狼殿から反撃が来る前に、間合いを離す。


 想像を絶する手応えだった。

 硬いくせに、内側にゴムのように柔軟な筋肉がある。衝撃すら通っていないだろう。

 あの金属体毛の上からまともに痛撃を与える手段はない。とすると、狙うのは眼や口内といった、柔らかい部分。


 だが、どうやってそれを為すか。

 じっくり考えている時間はない。

 人狼殿が、わずかに身をたわめて、コマ落としのような速度で襲いかかってくる。


 突きこまれる爪、振り下ろされる爪、切り上げられる爪。

 人狼殿の攻撃は、鋼でできているに違いない爪で、次々と繰り出される。

 まともに当たれば、胴体が千切れるほどの威力だろう。

 そんな物騒な代物を受けるのに、恐怖している暇はない。


 脅えて目をつぶれば攻撃が見えない。

 だから目を見開く。


 緊張に視野が狭まれば素早い動きを捉えられない。

 だから視野を広く持つ。


 手足が震えれば動きが鈍る。

 だから抜くべき力を抜いて鋭く動く。


 迫る一撃に一歩を退けば畳み込まれる。

 だから、前に踏み出して一撃を受け流す。


 冷静に、冷徹に、恐怖を殺して受け続ける。

 武芸達者と言えない私だが、恐怖に対する耐性だけは抜きん出ている。

 それを活かして、魔物との命のやり取りを、マイカ嬢との基礎稽古と同じようにさばいていく。


 鳴り続ける金属音に、腕が痺れる。

 シャベルの刃が、すでにぼろぼろだ。さして良質とは言えない木製の柄も、嫌な手応えを手に伝える。

 息が苦しい。

 頭の奥が重く、気が遠のきそうになる。

 もう何分撃ち合っているのかわからない。

 いや、あと何合撃ち合えるかわからない。


「ぐっ!」


 私の限界を悟ったのか、人狼殿が強撃を送り込んできた。

 元々限界が近かったシャベルが、一撃を受け損ねてへし折れる。


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― 新着の感想 ―
[一言] 狼の魔物がいつの間にか人狼になってる様な?
[良い点] フラグが立ったぁ~♪ ついに魔物推参ですね!人狼強そうだがくたばれファンタジー(アッシュの心理状況を推定) 〉まあ、すでに一度熊殿と戦った身だ。  あれからまだ一年しか経っていないのだから…
[一言] 辺境から始める文明最盛記1巻を読んで、多分なろうだろうなと思い発見。 アマゾンの感想には「本好きの下克上」が好きな奴ならばはまると書いてあった。 まさにその通り、成り上がり物が好きなのです。…
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