灰の底5
その日の農作業の終わりと同時に、父の罵声を背中で弾きつつ、私はフォルケ神官の下へと走った。
「フォルケ神官! ちょっとした思いつきなのですけどね!」
私室まで一息に駆け込んだ私に、フォルケ神官は面食らったようだが、問題ない。
私はあくまで冷静だ。ただちょっと勢いがついているだけです。
「農作業の時に使うお呪いと言われるものがありましてね!」
「待て待て、いきなり何の話だ! 落ち着け!」
大丈夫です。落ち着いています。フォルケ神官こそ大人しく聞いてください。
動くな。ちょっとペン寄越せ。何してる早く。
「これがそのお呪いに使う印でしてちょっとこれ図形にしては複雑でむしろ文字に見えません!?」
「お、おう。まあ、そう見えなくもないが」
「でもこんな文字は私達使っていませんしひょっとしたら古代語ではないかと思いまして古代語だとしたらこれだけでどんな意味かと考えていたら思いつかずそこで完全に思いつきなのですが」
ぶはあ! 一息に話し過ぎて死ぬかと思った。
だが、熱弁している間にフォルケ神官が落ち着いてくれたようだ。口をつぐんで黙り込んでいる。
私はなんとか呼吸を整え、一番大事な部分を語りかける。
「古代語の、私達が全く読めない文字は、ひょっとして文字ではなく、絵なのではないでしょうか」
「ん? 待て、いきなり何を言っている。文字じゃない、だと?」
フォルケ神官は、すっかり健康的になった男前の顔で、私の言葉の意味を咀嚼し始める。
「文字じゃなく、絵だというのは……どういうことだ。絵は、普通あんな形をしていないし、文字の間に挟まない。そうだろう?」
「そうですね、その通りです。絵、というのは例えと言いますか。絵のような文字なのではないかと」
「ん、うむ……。絵のような文字、というと……すまん、想像ができんのだが」
理屈としてはそう難しいものでもないのだが、表意文字の概念がなければ、今のフォルケ神官のような困った顔にもなるだろう。
「難しく考えない方がわかりやすいですよ。ええと、そうですね、絵のような文字での会話を試してみましょう」
いきます、と合図をして、私はまず、フォルケ神官を指さす。
「ん? 俺?」
「は」
「わ?」
続いて、私は自分を指さす。
「アッシュ?」
「と」
「と……?」
なんだかものすごく間抜けになってきたが、とりあえずやりきるべく、私は口をぱくぱく開いて、お喋りの動作のジェスチャーをする。
「口を開閉……あ、いや、話す? 話すだな?」
「です!」
私は大きく頷き、今の会話を繋げて、読みあげる。
「今ので、『フォルケ神官と、私は、話す』という一文ができました。それを文章にしようとすると、こうです」
先程、フォルケ神官から奪い取っ……たように見えるかもしれない動作で借りた紙に、文字化する。
ただし、「フォルケ神官」と、「私アッシュ」、「話す」の部分は、デフォルメした人型で表現する。いわゆる助詞の部分を、従来の文字で書いて繋げた形だ。
「ええっと、これで伝わるでしょうか?」
「おお、わかる。いや、この場合は、読める、と言うべきか。なるほど、こういう遊びを聞いたことがあるぞ」
さっきの珍妙なやり取りの意味が判明して、フォルケ神官は感心したように紙を眺める。
「なんとなくわかってきた。アッシュがさっき、絵のような文字と言っていたのは、この人型の絵で表現している部分だな?」
「そうです、そうです。この絵の部分は、これ一つでフォルケ神官という意味を持ちますよね。私達が知っている文字ではありえない情報量です」
「ふぅむ、これは中々……なんというか、面白い話だ。で、これと同じようなものが、前期古代には使われていたのではないか、と」
私が頷くと、フォルケ神官はこの仮説の妥当性を思考内で検証し始める。
肯定的な成分が多いことは、何度も大きく頷く仕草からうかがえた。
「面白い。本当に面白い着想だと思う。前にアッシュと話した時も、文字の種類が多すぎるって話になったよな」
「ええ。音を表す文字だけだということを考えると、不自然な量ですよ。それこそ、今の私達と全く違う音を出せて、聞き分けられるのではないかという量です」
「その不自然さを、この絵を表す文字……で、良いのかな? 仮に絵文字としておくとして、こいつが、その不自然な量の差を埋めるものだと考えれば、辻褄は合うんじゃないかと、そういうことだな」
「そういうことです」
どうだろうか。
個人的には、段々と当たりなのではないかと興奮してきているのだけど。
一方、フォルケ神官は、非常に真面目な顔を崩さない。
「こいつはやばいな」
「やばいですか」
「ものすげえやばい」
「そんなにやばいですか」
フォルケ神官は、答えに何度も首を縦に振って見せる。
「なんとなくだけど……」
小さく呟いた、そこが、フォルケ神官の真顔の限界だった。
「直感に過ぎないんだが……これ、大当たりじゃねえかなぁ!」
それはもう、大きな、大きな笑顔で、フォルケ神官は快哉を叫んだ。
「こいつはすごい! これからが大変だぞ、おい! どうやって証明するんだ、これ! くっそ、早く確かめて証明したい!」
「待って、ちょっと落ち着いてくださいフォルケ神官!」
華奢な子供の体を揺さぶらないで!
「わははは! 最高だ、お前は最高だよアッシュ!」
私にとってやばいのは、解読への糸口なんかでなく、フォルケ神官のはしゃぎっぷりだった。
まあ、喜んでもらえたようで何よりです。
がんばって解読していきましょう。
本は読まれてからが本番です。
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