シナモンの祭壇21
そんなわけで、トマトに毒がないというデータを集めるために、市壁の外にある掘立小屋にやって来た。
囚人の皆さんは、すでに実験台のベテランであらせられるゆえ、今回も頼らせてもらおうと言うわけだ。
「では、皆さん、今日からトマトを食べてください」
私が持って来たカゴ一杯のトマトを見て、囚人の皆さんは顔を見合わせる。
強面どもが真っ赤なトマトにびくつくというのは、中々シュールだ。
(前世の)世の中には、トマトが人を殺すという、シュールの極みのような映画もあったので、警戒するのは良いことだと思う。
意味のあるなしは別ですがね。
囚人代表のベルゴさんが、他の囚人達に押し出されるようにトマトの前に立つ。
「あ~……まあ、なんだ。いまさら、お前が本物の毒を仕込むとは思ってねえけどよ……本当に大丈夫なんだろうな?」
大丈夫ですよ、襲撃してくる殺人トマトじゃないから。
「私は大丈夫だと判断したので持って来たのです。村でも毎年食べていましたしね。美味しいですよ」
ほら、と丸々としたトマトを一つ、ベルゴさんに差し出す。
早く受け取って。
さっさと食べて。
食べるまで逃がさないから、無駄な抵抗はやめろ。
時間を大事に。
とはいえ、毒があると言い伝えられる植物を食べるのは、流石に度胸がいるだろう。
ベルゴさんが一歩引いて、他の仲間達から即座に押し返される。
「ばっ、押すなお前等!」
「お前が下がって来たんだ! 気持ちはわかるが、お前が頭だろ!」
「そうだそうだ、リーダーぶってるんだから、こういう時に犠牲になれ! 気持ちはわかるけど!」
「頼むよ、ベルゴ。あの坊主の持ってくる話にゃ、今までも害はなかっただろ! 坊主の妙な迫力がおっかねえのはわかるけど!」
あれ? なんだかトマトより私が脅えられている気がするよ?
十一歳の少年を相手に、不思議な話だ。まあ、疑問の追及は後日にしておこう。
今はとにかく、私の前に差し出されたベルゴさんの口にトマトを突っ込む方が先だ。
実に協力的なことに、囚人の皆さんはベルゴさんを押さえつけてくれている。
まるで生贄に捧げられるような形だ。
「はい、ベルゴさん、観念して食べましょうね」
「待て待て! 食う、自分で食うから!」
「どうせ食べるなら一緒ですよ。はい、どーん」
丸々としたトマトを何やら叫びかけた口に押し込む。
おっさん相手に「あーん」はしない。当然のことです。
流石に大きすぎたのか、何やら苦しげにうめくベルゴさんを観察すること、しばし。ようやく飲みこみ終えたベルゴさんの感想は短かった。
「ひどい目にあった」
食べ物を食べたのに味の感想をくれないなんて、空気の読めない人だ。
やれやれと思いながら、食べていない他の皆さんに笑顔を向ける。
「ほら、大丈夫でしょう?」
口から摂取してこんな早さで中毒症状が出るような毒物は珍しい、という知識はあえて無視しておく。
囚人のうち、何人かが物言いたげにしていたが、実際に口に出さなかったので大した問題ではないのだろう。
そうに違いない。出されなかった意見は、意見にならない。
「では、皆さんも味わってみてください。美味しいですよ」
「そうだぞ。おら、お前等、さっさと食え」
ベルゴさんも強い調子で皆さんに迫る。
味の感想はなかったが、美味しかったということだろう。自ら両手にトマトを持って、仲間の口にねじこみに行っている。
囚人の皆さんは、男ばかりの集団生活だからか、男子体育会系みたいなノリがある。
悲鳴や罵声が上がるものの、どことなく楽しそうだ。
何人かは、ベルゴさんから逃れて、カゴから取ったトマトを自ら食べる。
「お? へえ、こんな味なのか」
「汁気が多くて、うめえもんだな」
「そうか? 俺は苦手な感じだ……なんか、匂いがちょっと」
「俺も駄目だ。匂いもちょっときついが、それ以上にこの、中のぬるっとした感じが」
いかつい野郎どもがもしゃもしゃトマトを食べている。可愛いような面白いような不思議な光景だ。
好き嫌いはあるようだが、食べられない、というほど嫌いな人はいないようだ。
それに、不評の原因は、匂いと食感がほとんど。これなら、調理すれば皆さん美味しく食べられるだろう。
「では、生トマトの毒見は済みましたので、今日の昼食を作りますよー。料理当番の方、お手伝いお願いしまーす」
へーいとか、うーいとか言いながら、何人かの強面が前に出てくる。
都市に来て、私の料理の弟子は何人か増えたけれど、一番熱心なのはこの人達だろう。
なにしろ、娯楽が少ない。受刑者だけあり、日常必要な品ですら最低限(私からすると最低限未満)である以上、彼等の生活に嗜好品など存在しない。
その点、料理は唯一に近い暇潰しになる。
食料品は日常最低限必要な品として数えられているし、こだわればこだわるだけ際限がない。そして、こだわって手間をかけた分、美味しく食べられる。
なんて無駄のない娯楽だろう。
彼等は、その有り余る暇の全てを、料理にぶちこめるのだ。
この非常に真っ当な受刑者達の娯楽に対し、私は全面的に協力している。
食材や調理器具、薪などをせっせと買い足して、好きなだけ使えるよう渡している。
私費の場合もあれば、農業改善計画の予算を使う場合もあるし、ジョルジュ卿の副官見習いとして、備品の廃棄物を回すこともある。
つまり、使えるものは全て使って応援している。
おかげで、囚人の皆さんには随分と感謝されてしまった。私としては、感謝なんて全然必要ない。
囚人が不満なく過ごせているなら、治安はその分だけ良くなる(なにせ看守や牢番に回すだけの余力がない)。
これは都市に住む者として配慮して然るべき問題だ。
共に働く同僚としても、彼等の生活環境の改善は喜ばしい。生産力の向上に直結する。
そして何より、手間暇がかかる調理をこの人達が喜んでやってくれるのである。
しかも、タダですよ、タダ!
おかげで、鶏ガラ出汁や豚骨出汁、野菜出汁が大変充実している。
肉のミンチもせっせとやってくれるし、面倒な内臓の処理も嫌な顔せずに行ってくれる。小麦粉からパンや麺を作る重労働なんて、むしろ喜んで引き受けてくれる。
時間の限りこだわり抜いた彼等の料理は、都市内の並の料理屋や居酒屋なんて相手にならないレベルだ。
汚物処理の苦役囚という肩書から忌避されてしまうのは仕方ないが、兵舎で出される衛兵達の料理や、養護院の炊き出しで大好評なので間違いない。
ヤック料理長でさえ、「釈放されたらうちで雇ってやるぜ」と言うくらいだ。
厳格な料理魂を持つヤック料理長の場合、調理時の身だしなみまで確認した上での高評価だ。彼個人としては、領主館で出す料理にも囚人達の作った加工食品、出汁やミンチ肉を使いたいようだった。
そんなヤック料理長も求める品を、私は囚人の皆さんと一緒に食べられるし、寮に持ち帰って、休日の調理にも使える。
この上に感謝の言葉など、もらい過ぎで恐縮してしまう。
ひそかに、マイカ嬢やレイナ嬢、アーサー氏も食べているのは、リイン夫人には内緒だ。
まあ、明敏なるリイン夫人のことだ、薄々気づいていると思うけれど。
そんな彼等の作る料理に、大変喜ばしいことに、新しいレシピが増えました。
トマトの水煮である。
生トマトから作るのは大分時間がかかるが、トマトの水煮からトマトソースやトマト煮込みを作るのは非常に楽になる。
「アッシュ、パンが焼けたぜ」
「言われた通り、煮詰めたトマトと燻製豚を炒めたが、こんなもんで良いか?」
重畳、重畳!
本当はピザにしたかったのだが、現行の調理器具では失敗しそうだったので、ピザ風パンで我慢する。
平鍋で焼いたパンにベーコントマトソースを乗せて、ちょっと奮発したチーズを振りかけて再度加熱すれば、はい出来上がり。
さあ、皆さんで食べましょう。
「いただきます」
私が口にすると、囚人の皆さんも唱和して食べだす。
前はこんなことしていなかったのだが、私がいつもやっているので、自然と皆でするようになったらしい。
こんな行儀の良い苦役囚は、今世では他にいないのではなかろうか。
「おぉ、うめえ。火を通したトマトってのは、生とはまた違うな」
「ああ、酸味と甘味が肉と合う。普通に肉と煮込んでも良さそうだ」
「肉もそうだが、パンとも良く合ってる。汁を吸ったパンが最高だ」
囚人の皆さんが良い笑顔でがっついている。もはや毒がどうのなんて頭にない勢いだ。
私? 一年ぶりのトマト料理に夢中ですよ。
やはりトマトは良い。村で獲れるトマトよりずっと手間をかけたので、一際美味しい。
この調子で毎日トマトを食べても問題なければ、神殿で評価を受けるに十分な報告書ができるだろう。
トマト有毒説という急な飛びこみ案件だったが、解決の目途が立った。
また、理想の暮らしに一歩近づく。
トマトの水煮は忘れずに持ち帰らないといけない。すでにトマトの味を知っているマイカ嬢の機嫌が悪くなってしまう。
これもまた、より良い明日のためである。