表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フシノカミ  作者: 雨川水海
シナモンの祭壇
47/281

シナモンの祭壇19

 足早に春が過ぎて、夏がやってくる。


 初めての畜糞堆肥およびその施肥は、問題なかったようだ。

 いや、問題なかったという消極的な表現は、私ことアッシュの内心に相応しくない。


 成功しました。やったぜ。


 家庭菜園に植えられた大玉トマトは、はちきれそうなほどに大きく、健康的な色艶をしている。

 村で半ば自生していたトマトより、見るからに健康的だ。形が不揃いではあるが、農業レベルからして仕方ないだろう。

 今は見た目より、量が大事だ。


 早速、赤く熟したものから収穫して、井戸水につけて冷やしていると、話を聞きつけたリイン夫人もやって来た。

 木桶の中、冷水に浮いているトマトを見て、リイン夫人は冷静な表情をわずかにほころばせる。


「これは見事な実をつけましたね。近頃、庭の菜園ではこれほど大きな実はならなかったはずです」

「それは良いお話です。堆肥の良い影響であれば大成功と言えるのですが、これだけでは断定できませんね」


 一応、同じような日当たりの少し離れた菜園では、施肥をせずに世話をしている。

 こちらのトマトは小粒で、枝振りなども悪く見える。

 ただ、この二か所だけ、それも少量の収穫物だけを見て、蓄糞堆肥の成果だとはとても言えない。


「ひとまず、今回は悪い影響がない、という結果が出ればそれで良しとしなければいけないでしょうね」

「アッシュさんのお考えのとおりにされると良いでしょう」


 リイン夫人が、私への信用を物語る言葉をくれる。

 初めてお話しした頃とは大違いだ。


「できれば、その慎重な態度をもっと行動全般に反映させて頂ければ」


 いや、やっぱりあんまり信用がないのかもしれない。

 どっちだろうか。


 人間関係の難しさに思いを馳せながら、プロジェクトメンバー全員(ヤエ神官除く)でトマトの大きさと個数を記録し終える。

 やはり、施肥していない畑より、大きさも個数も増えている。

 これだけでは判断できないとはいえ、初回から望ましいデータが得られると気持ちが良い。


 その気分のまま、よく冷えたトマトを手に取って、皆さんに微笑む。


「それでは、早速食べましょうか。皆さんは堆肥を使った方は食べられないでしょうから、堆肥を使っていない畑の方をどうぞ」


 真夏の暑さの中、冷えたトマトの丸かじりは大変気持ち良いものだ。

 さあ、皆さんご一緒に――ご一緒に、どうして驚愕の表情をしているのですか。


 リイン夫人、アーサー氏、レイナ嬢が、私を理解不能対象として見つめている。久しぶりの眼差しだ。

 例外はマイカ嬢だ。

 彼女だけは、私と一緒にトマト(施肥済み)を手に取って、いそいそとかじりつこうとしたところで、三人の反応を見て止まっている。


 さて、今度は一体なにが起こったのでしょうか。

 アーサー氏が、私が手に持ったトマトを慎重に指さして、告げる。


「トマトは、毒があるよ、ね?」


 アーサー氏の目は本気だ。ないよ。

 レイナ嬢も、アーサー氏の発言に頷いている。ないってば。

 リイン夫人は、私を見つめてやめてくださいと首を振っている。ないったらない。


「え? 村では毎年、夏に食べてたけど、問題なんて起こらなかったよ」


 唯一の味方はマイカ嬢だ。そして、マイカ嬢の発言に有毒派の三人が蒼ざめている。

 特にアーサー氏は反応がとびきりで、いつもより高い声(多分こちらが地声)で叫ぶ。


「ふ、二人とも! そんなの食べていたら、頭を病んで死んでしまうよ!」


 どうも、また妙な具合にこじれた知識があるようだ。

 私とマイカ嬢は、互いに顔を見合わせ、とりあえず「そんなの」を二人そろって頬張ることにした。


「ちょっ!?」


 もしゃもしゃ。

 うん、酸味がちょっと強いけれど、この場合はそれが爽やかで心地良い。

 たっぷり含まれた果汁が、収穫作業で渇いた体に染み渡るようだ。


 喉の渇きも癒えたところで、有毒派のお三方と冷静な話し合いを開始しよう。


「アッシュ! 君はいつもいつも無茶苦茶するけど今回は特にひどいよ!」

「そうよ! あなたの体はあなた一人の体ではないのよ!」

「マイカ様! イツキ様より重々頼まれているのですからどうかお体を大切に!」


 私とマイカ嬢以外が冷静でなくなってしまった。

 とりあえず、皆喉を潤せば良いと思う。そんな風に眼を潤ませられると、罪悪感が湧いてくるじゃないですか。



****



 ひとしきり三人に心配された後、私はなるべく冷静な声で問いかける。


「それで、トマトの毒とは一体なんでしょう」

「また、そうやって自分は平然として……どれだけ心配したかわかってくれないんだ」


 唇を尖らせたアーサー氏が、非難めいた口調で呟く。

 有毒派はもちろん、マイカ嬢すら熱心に頷いている辺り、私の冷静さは大不評のようだ。


「その心配を受けて、できるだけ正確な話し合いを進めようと思っての態度なのですが」


 珍しく真心オンリーの発言に、一同から溜息を吐かれる。

 人心とは真に不可思議なものであるな。


 不可思議すぎてなんともならないので、とりあえず話を進めよう。

 ほら、アーサー氏、言いたいことがあるならはっきり言ってごらん。


「はあ……そのね、昔の話だけれどね、王族の一人がトマト好きだったらしいんだよ」

「ええ、トマト、美味しいですからね」


 王族が虜になっても致し方あるまい。

 有毒派のアーサー氏が、頷く私に鋭い睨みつけをくれる。珍しい態度だ。


「アッシュ、その王族……王子だったんだけど、彼は、トマトを食べ過ぎて頭がおかしくなってしまったんだよ。その王子に関係が深かった人達もね」

「具体的には、どのように?」

「伝わるところだと、そこにはないものが見えると言いだしたり、突然泣き出したかと思ったら笑いだしたり、記憶が飛んでいたり……とにかく頭を病んでしまったんだ」


 気味悪そうに物語るアーサー氏の話に、私が抱いたのは疑問だ。

 それはトマトというより怪しい薬を服用していたのでは?


「その王子は、とても優秀で、その世代では一番期待されていたそうだよ。だから、周囲の人材も優秀な者が集められていたのだけれど、その王子と同じようにどんどん頭を病んでいって、とてつもない損害が出たんだ」


 幻覚を見る薬といえば、麻薬がすぐに連想される。

 大麻や芥子なんかは簡単に利用できるらしいから、その辺が怪しい。

 泣いたり笑ったり感情の起伏が激しかったのは、アッパー系やダウン系と表現される薬物効果の可能性がある。

 アッパー系に分類されるものは、薬が効いているうちは楽しいが、切れると反動でものすごく憂鬱になるとも聞く。


「アッシュは、とても優秀な人材だよ。個人的にも、とても好意が持てる……あ、友人としてね? うん、友人として、大事な人だと思う」


 とすると、今世でも麻薬が存在するのか。いや、それはするだろうと思い直す。

 前世でいうトリカブトらしき植物もあったし、食料も恐らく前世とほぼ大差ない性質だ。

 逆にないと困りそうなものもある。

 一部の麻薬(成分)は、麻酔として医療と切り離せない関係にある。いつかは外科手術用の麻酔に手をかけたいので、むしろないと困る。


 麻酔の原料になる植物は、前世らしき記憶ではチョウセンアサガオと言っただろうか。

 かなり危険な毒(薬効成分)を持っているけれど、夏に美味しい茄子と同じナス科の植物なんですよね、あれ。


「だから、トマトなんて危険な物は食べないで。あれは観賞用なんだから」


 あ。

 そうか。ナス科だ。

 思い出した情報に、思わず何度も頷いてしまう。


「そうか。わかってくれて嬉しいよ、アッシュ」


 トマトもナス科だった。

 トマトに毒はないと言ったけど、ナス科だからあるのだ。なので、先程の会話では、私の意見より三人の意見の方が、正しい。


 正確に表現すると、熟したトマトに、人体に問題が出るほどの毒はない。


 詳しい数字までは覚えていないが、トマトで毒を致死量まで摂取しようとしたら、百キロ二百キロを軽く超えるトマトを食べる必要があったはずだ。

 中毒死より先に腹が破裂して死ぬという、笑い話である。

 ただ、未熟な実や茎、花は、もっと大量の毒を含んでいる。

 ひょっとして、例のトマト王子は、トマトが大好き過ぎて完熟トマト以外を食べていたなんて真相か。

 茎や花が美味しいとは思えないけれど。


「つまり、トマトを食用として広めるためには、その王子様の食べていたレシピがわかれば早いわけですね」


 ならば、ヤエ神官の出番だ。プロジェクトメンバーの、ここにいない唯一の人材が活躍してくれるだろう。


「では、早速これから神殿へ行って、その辺りの記録があるかヤエ神官に――」


 自分の中で結論が出たので、他の面々にそれを伝えるべく意識を向けると、リイン夫人とレイナ嬢が全く同じ仕草で額に手を当てている。

 流石は親子だ。しかし、どうしてそんなに呆れているのだろうか。

 あと、どうしてアーサー氏は、そんなに怒った顔をしているのだろうか。


 とりあえず、謝罪が必要そうな空気はわかる。


「えっと? よくわかりませんが……私が粗相をしたようで、申し訳ありません……?」

「よくわかってないのに謝られたって困るよ!」


 困り過ぎているのか、アーサー氏は怒っているようにしか見えない。

 ひとまず落ち着いて。話はいくらでも聞きますから。

 そうなだめると、アーサー氏が泣きそうな顔になってマイカ嬢に助けを求める。


「マイカも、アッシュになにか言ってあげてよ!」


 必死の訴えに応えたのは、真綿のように柔らかい笑い声だ。


「ふふ、あたしが何も言ってないと思う?」

「あ、その……ごめん。これからは、僕も一緒にがんばるから……そんな顔、しないで?」


 マイカ嬢のおかげで、アーサー氏も一気に鎮静化したようだ。

 良かった良かった。


 ちなみに、その時にマイカ嬢がどんな表情をしていたか、私は決して確認しなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] トマチン(トマトの毒)は、完熟果実では大変少ないので無視できるようですが、花などは命にかかわるレベルで高濃度の毒があるようです。件の王子は花を食したのかもしれませんね。
[一言] ドクターK2のエピソードであったナスを有毒の台木に接木したやつかな。
[一言] 観賞用と書いてあるのでおかしいことはありません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ