シナモンの祭壇18
マイカ嬢の開戦宣言を受けた夜、私は同室のアーサー氏にそのことを相談した。
「というわけでして、何かあったらマイカ嬢の手助けをして頂けないかと思いまして」
「マイカは、思い切りが良いところがあるみたいだからね」
頬に手を当てて、アーサー氏は眉尻を下げて苦笑する。
仕方ないと好ましいの中間、といった表情に見える。
「うん、いいよ。僕も、そういう陰口は好きじゃないから、できるだけのことをさせてもらうよ。堆肥の方で役に立てない分、任せて」
「ありがとうございます。アーサーさんが力を貸してくださるなら、安心できます」
「あ、そう言われるとちょっと責任を感じるな。ふふ、気を引き締めないと」
責任を楽しむように、アーサー氏が笑って見つめてくる。
なお、この会話、二段ベッドの一段目に、隣り合って腰かけて行われている。
相部屋の友人同士ならば不自然ではない体勢だけれど、それなりの身分にある女性と異性愛者の男性がしているとなると、際どいものがあると思う。
間違いを起こさない自分の徳の高さを褒めたたえて欲しい。
全世界の喝采を待っていると、アーサー氏が真面目な表情に切り替わっていた。
「でも、困ったものだね。真面目に行われている計画を馬鹿にするなんて。マイカが問題視するのも当然だよ」
「まあ、やっていることがやっていることですから、何も知らなければ遠ざけたくもなるでしょう」
清潔の反対に手を付けなければいけないのだから、育ちの良い方には特に耐え難いだろう。
「そうかもしれないけど……アッシュはきちんと清潔に保つための方法まで考えているのに、何も知らずに不潔と罵倒するのは失礼だよ」
いつも貴公子然とした穏やかさを保つアーサー氏には珍しく、厳しい表情で他人を批判する。
「大体、一緒に過ごしている身として言わせてもらうけど、アッシュほど身だしなみが整っている人はいないよ。確かに、貴族的な上品さや、高級品を身につけているわけではないけれど、清潔感があるし、何より相手への礼儀があるもの。モルドよりよっぽど僕は好きだよ」
上品だし、高級品を着こなすアーサー氏に言われると、素直に嬉しい。
目標の一つである紳士に、順調に近づけているようだ。
「ありがとうございます。アーサーさんに好ましく思って頂けると、自信がつきますね」
「あっ、いやっ……も、もちろん、友人としてだよ? 友人として好きだということね?」
「ええ、ありがとうございます」
中身は女性ですもんね。
立場も色々と複雑なのだろうから、好きという言葉一つにも気を付けないといけないようだ。
男はすぐに舞い上がって勘違いする単純さがあるから。
私も気を付けます。
「しかし、アーサーさんには申し訳ないことをしましたね」
「え? なにが? なにか、アッシュに謝られるようなことがあったかな?」
頤に手を添えて、アーサー氏が首をかしげる。
さらりと流れた前髪の下で、不思議そうに眼が瞬いている。
「軍子会の目的は、人脈作りという面もあります。私が変な計画に巻き込んだものですから、皆さん遠巻きにしてしまって、上手くいっていないでしょう? 私の都合でご迷惑をおかけしてしまいました」
「……え?」
アーサー氏が、何を言っているんだコイツ、という顔で私を見つめている。
予想外の反応に、私も続けて何と言って良いかわからない。
「アッシュ、君は……大体すごいんだけど、時々人間になるね」
お待ちあれ、私は生まれた時から人間ですよ。
前世らしき記憶を含めて、人間を止めた記憶は一度もない。アンデッドみたいなものじゃん、と言われたら否定しづらいけど。
私が悪戯の顔面パイを喰らったような顔をしていると、アーサー氏が気を取り直したのか、優しく微笑む。
「僕の人脈作りは成功しているよ。文官肌のレイナと仲良くなれたし、マイカは文武両道だしね。純粋な武官の人材としては、グレンに目をつけているんだよ。向こうから話しかけてくれることも多いからね」
なるほど。マイカ嬢にアピール中のグレン君なら、マイカ嬢と仲良しのアーサー氏と接触する機会も多いだろう。
「ね? 今期の軍子会のトップクラスの人材と、きちんと関係を結べている」
「そういえばそうですね」
「それに何より、アッシュだよ」
場違い枠および問題児枠の私がなにか。
「軍子会の中でどうのではなく、今まで僕が見てきた誰より面白い人だよ。頭が良くて、実行力があって、調べものをすれば慎重なのに、危険な堆肥の実験には自分から参加して、行動全部が無茶苦茶だよ」
変人枠でしたか。
一切否定できない。
「でも、すごく無茶苦茶なのに、すごく楽しいって思わせてくれる。次から次へと新しいことを見せて、触れさせてくれる。王都はここよりずっと色々な物があったけど、こんなに楽しくなかった。アッシュに会うまで、世界がこんなに楽しいなんて思ったことないよ」
話しているうちに興奮してきたのか、頬に赤みが差した顔で彼女は訴える。
穏やかな貴公子然とした態度を脱ぎ捨て、好奇心旺盛な少女らしい素顔が覗いてしまっている。
前世らしき何かを持つアッシュプレゼンツの体感型科学実験アトラクションを楽しんで頂けているようで何よりです。
「それに、アッシュがいなかったら、伯爵家の関係者だからと寄って来る人ばかりだったはずだよ。僕の立場だと、それが仕方ないというのはわかるんだけど……」
興奮した少女の顔に、陰りが差す。
若木を照らす太陽に、暗雲がかかったようだ。
「どうせ利用されるなら、血筋がどうのとか、家柄がどうのでなく、僕自身を見て欲しかった。少しだけでも、そうしてくれたら良かったんだけど」
少女の独白に、私はじっと口をつぐむ。
過去形の語りに、迂闊な相槌は打てなかった。彼女は、恐らく隠さなければならないことを話してしまっている。
「その点、アッシュは……嬉しかった。僕が読み書き計算できると聞いて、喜んでくれたよね。僕ができるからと、手伝いを求めてくれた」
「困っていた私の前に、優秀なあなたがいたんです。全力で助けを求めただけですよ」
「そっか、全力だったんだ。ふふ、確かにちょっと迫力あったもんね」
労働力としてロックオンしましたからね。
マイカ嬢にたしなめられたものだ。
「アッシュは、人を使うのが上手だね。使うっていうと、聞こえが悪いかもしれないけど……前に、僕に協力して欲しいって言って来た人がいて、その時はすごく嫌だったから。でも、アッシュならもう、僕から協力したいもの」
癒えきらぬ傷を抱えた微笑みは、直視するには痛々しい。
どこのどいつだ、こんな年端もいかぬ、繊細な少女を傷つけた奴は。
ただの少女じゃないぞ。
とても優秀な少女だぞ。
変な傷をつけたら世界の損失だぞ。
具体的には、現在進行形で助けてもらっている私の損失だぞ。
利用する・されるということに彼女が負担を感じているなら、私が助けてもらうのに不都合じゃないか。
こうなったら、利用するのも利用されるのも、本来は悪いことではないとわかって頂かなければならない。
ようは言い方なのだ。
「あなたが今傷ついているのは、利用されたからではありませんよ」
「そうかな。なんて、アッシュだから、聞き返すけど……どうして?」
「利用されただけでは傷はつきません。誰かに傷つけられたから、あなたは傷ついているのです」
もちろん、この場合の利用は、他人に頼るという意味だ。
最初から、相手に害を与えるつもりで「利用」という言葉を使う場合もあるだろうから、そこは峻別しておく。
「あなたが前に、どのような事態に遭遇したかはわかりません。ただ、あなたに悪意を持って近寄って来た人と、あなたの助けを得たいと思う人を、どうか一緒にしないであげてください」
主に私のことです。
「判断は難しいでしょう。慎重にならなければいけないでしょう。それでも、あなたは力のある人だから、助けを求める人が必ずいます。全てでなくても良いのです、本当に困っている人だとわかった時に、手を差し伸べられる人でいてください」
本当にお願いします。
これからまだまだあなたの力を借りたいので、利用しやすいあなたでいてください。
「……そうか、僕を利用したいと思う人は、助けが欲しいという人もいるんだね」
「必ずいます。何よりまず、私がそうです」
真面目に頷いて見せると、彼女は、身を縛っていた糸が千切れたことを知ったように、ふっと笑った。
「本人が言うなら、間違いないね」
真心と下心をこめて、間違いないことをお約束します。