シナモンの祭壇16
三日ほどお手製の液体石鹸を試してみたところ、肌にかゆみや違和感、赤くなるなどの症状はでなかった。
重大な問題はないと判断し、人体実験をさらに行うことにする。
いつもだと、マイカ嬢などに試用をお願いするのだが、今回は領主代行ことイツキ氏のおかげで、使える人手がさらに増えている。
実に素晴らしい。
「というわけで、衛生状態を清潔に保つための試作品がこれです。効果を実験するため、ご協力をお願いいたします」
都市の市壁の外側、掘立小屋よりはマシ程度の粗末な建物の住人達に、私は一礼する。
粗末な服に、薄汚れた体、ふてくされた表情と、住人の皆さんはかなり迫力がある。
頬や額に傷がある者が多く、とても堅気には見えない。
それもそのはずで、首筋に彫られた刺青が、彼等が元犯罪者で、苦役刑に服している囚人であることを示している。
そう、私が使えるようになった新たな人手とは、彼等囚人達である。
彼等の刑罰は、都市の汚物を含む廃棄物の回収なので、蓄糞堆肥を作るのに大変都合が良いのだ。
イツキ氏から一筆頂いて、彼等の日常業務に一手間加えるだけで良い。
「何か肌に違和感を覚えたら、使用を止めて、私にお知らせください。例えば、かゆくなったり、赤くなったりですね」
「糞をこねまわすだけじゃなく、俺等に毒の実験までやらせようってのか」
囚人達のリーダー格である、三十代ほどの男性が、ドスの利いた声で尋ねてくる。
「確か、ベルゴさんでしたね」
名前を呼ぶと、ベルゴさんは意外そうな表情をした。
フルネームはベルフェなんとかと言ってもっと長いらしいが、当人も周囲もベルゴと呼ぶので、正式には知らない。
「ご心配はごもっともですが、ひとまず私が使って問題ないことを確かめていますので、毒ではありません。ただ、体質的に合わない方や、肌が弱い方には副作用が心配なので、皆さんに問題の洗い出しをお願いしたいのです」
「ああ? よくわからねえが……つまり何をさせたいんだ?」
「そちらの液体石鹸を使って、体を洗って頂ければそれで良いのです。やることは、灰汁を使って汚れを落とすのと一緒です」
今世での主な洗剤は、植物灰を使ったものだ。泡立つわけではないが、ひとまず汚れは落ちる。
ベルゴさんは、しばらく首をひねって私の言葉を吟味していたが、小瓶の液体石鹸を手に取って、粘つく何かを気味悪そうに確かめる。
「つまり、この、なんだかわからないものを体につけろってのか?」
「液体石鹸です。正確には、それを水で薄めると泡立つので……」
説明が面倒だ。
大体、囚人の皆さんの体が現在進行形で汚れていて、正直臭うのだから、実験がてらさっさと綺麗にしてしまおう。
「使ってみた方が早いですね。はい、皆さん外に出ましょう。ほら、ベルゴさん、あなたが見本になってください」
おっさんの手を引いて住居の外に出る。
「お、おいおい! なにすんだ!」
「皆さんの衛生状況の改善と実験です」
比率は三対七かな。
抵抗するんじゃない。
てきぱき動く。
普段彼等が体を洗うのに使っているという木製タライに水を汲んで、タオルになる布も持ってこさせる。
あとはもう、濡らした布に液体石鹸を垂らして、泡立てれば前世通りだ。
囚人の皆さんはどうしてか一歩……三歩は退いた。
初めて見ると、そんな不気味なのだろうか。
「ベルゴさん、なにをぼさっとしているのですか。さっさと服を脱いでください」
「ふざけんな! そんな怪しげなものを見せられて、はいそうですかってできるかよ!」
ネトネトした粘液が、突然ぶくぶくと泡を噴くくらいなんてことないと思うのだけれど……いや、ちょっとくらいは不気味かもしれない。
まあ、かもしれないくらいで気遣うのも、立派な大人に失礼だろう。
がんがんいくよ。
「大の大人がなにを情けないことを。私が素手で持っているのですから、とりあえず問題ないのはわかるでしょう」
「な、情けないだと!?」
「こんな小さな子供がすでに使って確かめていると言っているのに、そんなに怖がっていれば、誰がどう見たって情けないでしょう」
「い、言いやがるじゃねえか!」
顔を真っ赤にして、ベルゴさんが服を脱ぎ捨てる。
良い脱ぎっぷりだ。マイカ嬢やアーサー氏がついてこなくてよかったと思う。
まあ、会いに行く相手が相手なので、リイン夫人やその背後のイツキ氏からストップがかかったのだが。
「さあ、かかってこい!」
「では背中を向けてください」
仁王立ちされても、前はやりたくないです。
私が訴えると、仁王立ちのまま背を向けるベルゴさん。
「は~い、痛かったら言ってくださいね~」
「い、痛いのか?」
前世的ジョークを言ったら、ちょっと背中が丸くなった。通じなくて当然か。
「いえ、念のためです。私以外に使うのは初めてですから。あ、アーサーさんやマイカさんも手に取っていたし、触っただけで問題はまずないですね」
「そ、そうか。……おい、念のためと言うなら、慎重にやれよ」
面倒なので思いっきり背中に布を擦りつけてやった。
「おいいぃ!?」
「何か言いましたか?」
強面ベルゴさんのリアクションが、ちょっと楽しい。
いじめたくなってしまう。
「念のためってお前が言うから、慎重にやれって! だから、おい、ごしごしやんな! 大丈夫なんだろうな!」
「大丈夫、大丈夫ですよ~………………たぶん」
がっしがっしと背中を擦りながら笑う。
しかし、この液体石鹸、かなり洗浄力が高そうだ。
ベルゴさんの背中からぽろぽろと垢が落ちていく。
「ふんふん、なるほど、なるほど」
「お、おい。なんだよ、どうなってる?」
「ほら、皆さん見てください、これ。すごくないですか?」
ベルゴさんを無視して、他の囚人方の同意を求める。
おぉ、とか、うわぁ、などの反応が寄せられ、ベルゴさんがどんどん不安になっていく様が面白い。
あまりいじめてもなんなので、布を手渡してベルゴさんが自分で確認できるところ、体の前面を自分で洗ってもらう。
「お? おぉ? これ、垢だよな? うわぁ、すげえな」
「つまり、それだけ汚れが溜まっていたということですね。ちなみに頭も洗えるのですが、髪がごわごわというか、カサカサというか、ちょっと傷むようです」
前世らしき記憶でも、髪用石鹸は別になっていたので、若干配合が違ったのだろう。
こちらも追って実験していく予定だ。
「髪が傷むだけか? それくらいなら構わねえだろ。こんだけ体が綺麗なのに、頭が汚れたままってのは嫌だぜ」
「私が試して三日目で問題はないので、お好みでやってみてください」
「おう、言われるまでもねえ」
リーダー格のベルゴが、徐々に躊躇なく体を洗っていくのを見て、別な囚人も服を脱ぎだす。
そこからは早かった。
真っ裸に泡だらけの囚人に囲まれるまで、一分もかからなかったくらいですよ。
「くぅ! なんか気持ちいいぞ、おい」
「すげえな。体にこびりついてた糞の匂いまで取れたみたいだ」
「爽快だ、ここに来てから初めての気分だぜ」
好評のようで何よりです。
「え~、繰り返しますが、ひょっとしたら肌が赤くなったり、かゆくなったりする人がいるかもしれません。肌に違和感を覚えたら、教えてください」
あと、風邪とかひかないように気を付けてください。
お外で真っ裸なんだからあなた達。
「この液体石鹸、一応ですが服を洗うのにも使えますから、体だけでなく服の汚れも落としてくださいね」
途端に、泡だらけの皆さんが動きを止める。
「マジかよ、最高じゃねえか」
「俺等の服に使って良いのかよ」
「これでまともに飯が楽しめるじゃねえか」
「服に匂いが染みついて、何していても臭いからな」
相当苦労があるようだ。刑罰になるくらいだから、やはり強烈なのだろう。
はしゃぐ一同の中から、ベルゴさんが歩み出て来た。
真剣な目で、私を真っ直ぐに見つめてくる。
まるで、私の中に汚れがないか探すかのような眼差しだ。
「小僧、俺等にこんなことして、一体なんになるんだ」
「何になると言われましても……衛生管理になりますが?」
「そいつが、お前に何の役に立つ」
「役に立つと言いますか……前提条件、最低条件ですよ。衛生状態が悪いと、感染性の病、流行病と呼ばれたりするものですね、それが発生してしまいます」
その問題もあって、彼等は市壁の外に住まわされているのだろう。
話を聞くに、この苦役刑の囚人達は、死亡率がかなり高いようだ。
「今まではそんなもん、誰もやってこなかったぞ」
「今までやっていない方が問題なのです。皆さんは死刑囚でもないのですから、刑に服している限り、健康かつ文化的に暮らさないと」
これから何だかんだと一緒に働く仲なのだ。悪臭にまみれて寝起きするなんて、そんな獣以下な生活をされても、接し方に困る。
畜糞堆肥化の処理については、私もずっとそればかりやってはいられないので、皆さんに技術を積んで欲しい。
できれば読み書きを覚えて、記録や報告をつけてもらいたいくらいだ。
これは思いつきだが重要そうだ。そのうち勉強会でも開いて、実施に向けて動いてみよう。
今後の計画に新たな項目を加えていると、ベルゴさんが囚人仲間と視線を交わして頷く。
「お前の考えは、わかった。俺等は、お前の持って来た糞をこねる作業をやれば良いんだな」
「そうですね。大変な作業ですが、大事な作業でもありますので、そうして頂けると助かります」
「何がどう大事なのか、俺等にはさっぱりわからねえ。わからねえが、やってやるよ」
初めて見るベルゴさんの笑みは、ニヒルな魅力にあふれている。
これで、泡だらけの真っ裸でなければ、私ももう少し感動できたと思う。
恰好つけておいて、風邪なんかひかないでくださいよ?