シナモンの祭壇14
イツキ氏との二度目の対面は、彼の執務室だった。
この一月の間、かなりの激務だったのだろう。少しやせた気がする。
ヤック料理長に食事事情を聞いてみよう。何か精のつく料理を食べさせて差し上げたい。
イツキ氏が倒れでもしたら、私の数々の根回しが無駄になるではないか。
そんなことを考えつつ、ジョルジュ卿に代わって、備品管理の手順見直しの提案を締めくくる。
「以上の提案は、軍子会と神殿神官の四名が外部の立場から、またこれまで備品管理に携わってきたジョルジュ卿の部下五名が内部の立場から検討し、修正を加えております。領主代行殿におかれましても、ご検討をお願いいたします」
読み上げていた提案書を差し出すと、イツキ氏は無表情に頷く。
マイカ嬢にデレデレになっていた時と、同一人物とは思えない冷静ぶりだ。
「確かに受け取った。聞いた段階では利点の多いように思う。詳しくは、この文書を精査して返答するが……」
イツキ氏の業務用の無表情が、少し崩れてジョルジュ卿を見つめる。
「どうしてこの子……アッシュがいるんだ? というか、説明したんだ?」
「つたない説明で申し訳ございません」
私が頭を下げて詫びると、イツキ氏はますます業務用の表情を崩す。
「あ、いや、説明は見事だった。すごくびっくりした」
褒めてもらったので、恐縮です、と再び頭を下げておく。
冷静を保っていたイツキ氏の化けの皮がどんどんはがれていく。
そんなやり取りを見ていたジョルジュ卿が、勤務時間中には珍しい笑いをこぼす。
「もっとびっくりさせてしまいますが、発案者がアッシュ君で、提案書をまとめたのもアッシュ君だからです。私よりよほどこの提案を理解しています」
「なんと! おい、バレアス、ちょっと顔を見せろ」
完全に口調が変わり、イツキ氏がまじまじとジョルジュ卿の顔色をうかがう。
「どうやら冗談を覚えたというわけでもなさそうだな。そこは安心した。お前が冗談を言うようになったら、天変地異の前触れだろうからな」
「私とて冗談ぐらいは言います」
「ほう。どれ、聞かせてみろ。領主代行として聞いてやる」
意地の悪いイツキ氏の挑発に、ジョルジュ卿は言葉に詰まってしまう。
ずいぶんと仲の良い主従だ。
置いてけぼりの私の視線に気づいたのか、イツキ氏が我に返って、気まずそうに苦笑する。
「突然すまんな。バレアスと俺は、軍子会の同期なのだ。だから、つい気安く接してしまうのだ」
「そうでしたか。それで、信頼も厚いというわけですね」
「もちろん、必要があれば公私は分ける。が、バレアスはこの都市一番のバカ真面目だ、それは友として保証できる」
ジョルジュ卿の特別扱いにちょっとだけ納得する。
人格的なところは全く以ってその通りだ。今だって、乱暴な褒め言葉に、どう言葉を返したものか迷っているジョルジュ卿だ。
「ともあれ、そのバレアスが言うのだ。今の言葉は本当だろう。……しかし、そうするとますます驚きだ」
イツキ氏が、背をかがめて私の顔を見つめる。
美形の顔が近い。
「利発そうな少年だとは思っていたし、姉上と義兄上からの言葉もあったが、しかしもっと年相応のものかと勝手に思い込んでいた」
「私も驚きました。アッシュ君は、私の副官役として、十分以上に活躍をしましたよ。ヤエ神官も、アッシュ君の才覚は大したものだと」
ヤエ神官の名前は為政者にも届いているのか、イツキ氏がますます感心する。
「これは大した逸材だ。そんな逸材をタダ働きはさせられん。まして、我が友であり重臣であるジョルジュ卿の仕事を助けたとあれば、十分な報酬を出さねばなるまい」
ジョルジュ卿の業務の大変さを、よく理解しているのだろう。
イツキ氏が、倉庫整理は割増手当てがあっても辛いからな、としみじみと呟く。
部下の働きに報いようとする、良い上司だ。良い上司なので、たっぷり甘えておこう。
「そういうことでしたら、報酬の代わりにお願いがございます」
「なにか希望があるのか? ひとまず聞こう」
イツキ氏の表情が引き締まる。
そんな改まらなくても、麦一粒たりとも出て行かない報酬だ。
「寮の管理をしているリインさんから、提案書が上がって来ていると思います。そちらを優先的に読んで頂ければ、それで十分です」
「リインからの提案書? 少し待て。この一月、緊急以外の案件は全て後回しで、誰が何を持って来たかも目を通していないのだ」
イツキ氏が、机の紙の山の発掘作業を始める。
「まだ各地から届いた生産量の報告を片付けたばかりでな。その間に溜まっていた仕事は、これから目を通すところで全く手付かずなのだ」
「それは、思っていた以上にお忙しいですね」
栄養ドリンクが売っているなら、箱で差し入れしたいところだ。
何かそれらしいものでも作ってみようか。
「お、これのようだ。……農業改善計画の実験? なんでリインからこんな書類が上がって来るんだ」
領主一族の侍女で、現在は主に軍子会の管理をしている人物から、農業なんて単語が出てきたら確かに変だ。
不思議がったイツキ氏だが、私の言葉を思い出して顔を上げる。
「待て。これを読んで欲しいと、アッシュが言ったということは……」
「そちら、軍子会の勉強の一環として、私、マイカさん、レイナさん、アーサーさん、それとヤエ神官がまとめました。ご検討お願いいたします」
やっとこの案件をねじ込むことができた。
寮館の庭にある家庭菜園で、この春から実験したかったのだ。
すでに、堆肥作りは知己を得た畜産家の協力の下に手をかけているので、堆肥の熟成が間に合えば最短でスタートを切れる。
私が達成感に包まれて将来を夢想していると、イツキ氏から現実の声がかかる。
「報酬は、これを読むだけで良いのか? だとしたら、えらく安上がりの報酬だが」
「お忙しい領主代行様のお時間を優先的に頂戴できるなら、安いとは思いません」
本心からそう思うが、まだ何かもらえるならありがたく頂戴する。
「他にご配慮を頂けるなら、計画認可が叶ったら、予算としてつけて頂ければ幸せです」
「なんとも無欲な若者だな。認可の可否判断については一言もなしか」
「そこは論理的で、公平な判断であれば、文句はありません」
頑張って作った計画書ではあるけれど、完全だとは思っていない。
却下されるに然る理由があるなら、却下してもらった方がありがたいくらいだ。
無論、そこで諦めるつもりはない。
却下された理由に従い、さらに計画書を作りこむ所存である。
そんな熱意溢れる私に感じ入るものがあったのか、イツキ氏は優しい表情で笑い、ジョルジュ卿に視線を送る。
「バレアス、お前のバカ真面目さは血筋のようだな」
私はジョルジュ卿ほど純粋ではありませんよ。
比較対象の偉大さに顔をしかめていると、ジョルジュ卿も何やら似た表情をしていた。
「私はアッシュほど頭が回りませんよ」
……イツキ氏が笑う程度には、似ている部分はあるのかもしれない。
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領主代行の名前で計画の許可が下りたのは、五日後のことだ。
これまで禁忌とされた畜糞堆肥を使うため、寮館の家庭菜園のみに限ると厳重な注意があった。
後から聞いた話では、かなり揉めたらしく、却下されそうになったのだとか。
そこをなんとか許可までこぎつけたのは、色々な手助けが入ったからだ。
ヤエ神官から調査した文献についての正当性、リイン夫人から私の几帳面さ、ヤック料理長からは食品への知見、ジョルジュ卿からは真面目さが、それぞれ熱弁されたらしい。
審議会は押し切られた形だ。
なんだか私への信頼度が上がりすぎて困った気がするが、都市でまいた種が役に立ったようだ。
やはり、計画は数ですな。
畜糞堆肥化をふくめた農業改善計画の承認が下りたことで、変わったことは二つだけだ。
領主公認計画なので、開発予算が下りたことと、人手を使えるようになったこと。
これだけのことである。大したことはない。
ところで、「世の中は金」という言葉がある。
金で買えないものはあんまりない。金で買えないものであっても、金の力を駆使すれば割となんとかなる。
人手は、言わずともがな重要である。
一人の人間が一発殴っても熊は殺せない。だが一万人が一発ずつ殴れば熊だって殺せる。
予算と人手が手に入っても、大したことはないでしょう?
その二つが使えなかったため、都市に来てから我慢していたあれやこれやが色々あったことを、私は都合よく思い出した。
早速、あれやこれやしてやりましょう。大したことはないけれども。
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