シナモンの祭壇13
その日は、ジョルジュ卿のお宅へと、晩餐に招かれた。
めでたいことに、ジョルジュ卿の備品整理が一段落したので、打ち上げをしようと声をかけて頂いた。ついでに、今まであまり話せなかった私的な面についても話をするつもりだ。
ジョルジュ卿の自宅は、小ぶりなお屋敷だ。
木造平屋なので、騎士の住居と言うよりも、武士の住居といった風情がある。
ドアをノックすると、使用人ではなく、主人であるジョルジュ卿当人が出迎えてくれた。
「ようこそ、アッシュ。遠慮せずに上がってくれ」
「本日はお招きに与り光栄です。お邪魔いたします」
「うむ。相変わらずの礼儀正しさだ。今日はもっと楽にして良いぞ、本当に私的な食事だからな」
「では、お言葉に甘えまして」
ジョルジュ卿の案内に従って、居間へと移動する。
人の気配が他にない。主人が出迎えてくれたのではなく、主人しかいないらしい。
住みこみお手伝いさんなどはいないのか。都市では上流階級に位置する騎士位でも、私生活はこういったものなのだろうか。
ただ、料理はテーブルの上に、たっぷりと並んでいる。
たっぷりと、だ。
「なにか食べられないものはあったか? 普段の軍人同士の感覚で料理を選んでしまったのだが」
「素晴らしいメニューですね!」
肉料理が茶色く眩しい。流石は肉体派の軍人嗜好、育ち盛りの体が喜びの余りに踊り出しそうだ。
そんな私に、ジョルジュ卿が笑いをこぼす。
「こういうところは年相応だな。腹一杯食べて行ってくれ。今回は、本当に助かったからな。喜んでもらえると私も嬉しい」
「こんなご馳走を前にしたら、流石に遠慮する余裕がありませんよ」
全身が胃袋になった心地で、いそいそと椅子に腰かける。
胃袋が満ちるまでは食べることしか考える気はない。ただ、流石に手に持った荷物については忘れられなかった。
「おっと、そうでした。ジョルジュ卿。こちら、ヤエ神官からお預かりしたものです」
前日からヤエ神官に、なにか伝言などありますか、と前振りしておいたら、手料理を作ってお土産に持たせてくれた。
あの人の本気がわかる。
「ほう。ヤエ神官からか。あの人にはいつも世話になる」
「ほほう」
ヤエ神官からのアピールは、いつものことらしい。
そして、アピール先も、しっかりと意識しているようだ。
このことを突いて、ヤエ神官への助太刀、恩の押し売りをしておこう。
ただし、食事があらかた済んでからの話だ。
「では、ジョルジュ卿。頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、私も腹が減った。頂くとしよう」
申し訳ない、ヤエ神官。
今の私はただの食欲の塊、恩の売り買いだとかに集中力を割けない。
やはり、人の持つ原動力とは、美味しい物を食べることなのだろうなぁ。
****
お腹一杯になったところで、私は食欲の塊から、食欲を満足させた塊へと戻った。
微妙に戻りきれていないかもしれないが、ある程度は悪――いかもしれない知恵が働く状態だ。
ジョルジュ卿とエールを呑みながらの雑談に移行する。
村で飲まれる自家製と違って、酸味ではなく苦味が利いている。ホップが使われているのだ。
「それにしても、アッシュの能力には驚かされた。ダビドから話は聞いていたが、想像以上の知恵者だったよ」
「フォルケ神官のおかげですね。色々と学ばせて頂きました」
私が変わっているのは、全てフォルケ神官のせいになっている。あの人は共同研究者のカガミだ。
「ヤエ神官が、今まで見たことのない才と評したのも納得したよ。実際、私も君ほど有能な若者は見たことがない」
あまり褒められてもくすぐったい。
話題そらしに丁度良いので、ヤエ神官のことを探ってみよう。
「そういえば、ジョルジュ卿はヤエ神官と親しいのですか? お土産にと、手料理を熱心に勧められましたよ」
ちょっと露骨だったのか、ジョルジュ卿はエールとは無関係に苦い笑みを見せる。
「うむ。こんな武骨者にも、彼女は世話を焼いてくれるよ」
意外と言っては失礼だが、女性の気持ちに気づかない朴念仁というわけではなかったようだ。
「若輩者の私から見れば、ヤエ神官は理知的で素敵な女性に見えますが、ジョルジュ卿……バレアスさんは?」
あえて、私的な会話を強調した呼び方に変えて探りを入れてみる。
「私から見ても、ヤエ神官は魅力的な方だよ」
社交辞令を言っているようには見えない。
とすると、独身を貫く事情があるのだろうか。
「そういった席ではありませんし、私がいらぬお節介を焼く立場とも思えませんから、無理にお答え頂かなくとも構いませんが……なにかご事情が?」
「イツキ様や同僚からも良く言われる。この年で酒の席に出ると、独り身は肩身が狭い」
「楽しい食事の席では無粋でしたね」
無礼を詫びて話題を変えようとすると、ジョルジュ卿が軽い調子で、しかし熟成された苦味を持って教えてくれた。
「初恋を忘れられないだけなのだ。我ながら未練たらしくて情けないが、ただそれだけなのだ」
なんだこのイケメン。これだけ顔が良くて仕事もできて、その上に純情だと言うのか!
物語になりすぎるだろう。
「下世話で申し訳ありませんが、大変興味をそそられるのですが……!」
「ふふ、こればっかりはいくらアッシュでも、そう簡単には教えてやらん」
殺生な!
私が捨てられた野良犬のような顔で見つめるが、ジョルジュ卿は笑ってエールを飲み干すばかりだ。
「むぅ、無念です……。ですが、いつか機会がありましたら、お聞かせください。いえ、確約はいりません。私がそう求めていたとだけ、ご記憶頂ければ」
「ほう。まあ、気長に待っていると良い」
拒否されたら可能性もなくなるが、拒否さえさせなければ可能性が残る。
反応を聞く限り、かなり乏しいが、望みは繋ぎましたぞ。
エールを手酌したジョルジュ卿が、意地の悪い眼で私に言葉を返す。カメラがあったら、ヤエ神官への誠意用に撮影しておきたい表情だ。
「そういうアッシュはどうなのだ。お前は頭が良い上に、武芸だって農民上がりにしては大したものだ。女性も放っておかないだろう」
「残念ながら、そういったお相手はいませんよ」
「そうか? それこそ、マイカ殿とはずいぶんと親しげじゃないか」
「幼馴染ですからね」
いやはや、実に良い人材と幼馴染になったものだ。
こればかりは神の采配と言うほかない。
「いや、そうではなく……」
しみじみと感心している私に、ジョルジュ卿が呆れた声を出す。
「ああ、いや、そうだな。むしろ、そういうところが未熟になりやすいのかもしれないな。年を考えてみれば、そうおかしくもないか」
なにやら勝手に納得されてしまった。
「よし。ここでは私が親代わりだ。アッシュ、今日は男同士、じっくり話そうじゃないか」
「それは心強いですね」
親代わりとの言質を得たぞ。
その代償と言うなら、いくらでも会話に付き合おうではないか。
「お前、女の好みとかあるのか」
「もちろんありますよ」
失礼な。枯れているわけでもなければ、無節操でもない。
「たぶん、私の女性の好みは、一緒にいて楽しい人とか、刺激的な人とか、そういう方ですね」
今のところ、今世で一番好みのタイプはユイカ夫人だ。
あの掌の上で転がされている感覚がたまらない。もちろん、基本的には私の利益を考えている、と言う優しさがあるからの話だ。
単に、こちらを罠にはめようという悪女には……あんまり惹かれない。
うん。少なくともユイカ夫人タイプの方が良い。
人妻であり、年の差が大きいのが残念でならない。
「では、マイカ殿はどうだ?」
「素敵な人だと思いますよ」
明るくて、頭が良くて、良く気も回る。一緒にいて頼もしいし、とても楽しい。
おまけに、ユイカ夫人とクライン村長の娘だけあり、顔立ちも整っている。将来は美人さん間違いないと思う。
「高評価だな。せっかく身近にいるのだ、そういう仲に進もうとは思わないのか」
「思わないのですよねぇ」
何しろ若すぎる、というより幼すぎる。
マイカ嬢を恋愛対象とするには、ロリコンという前世的概念を乗り越えねばならぬのだ。
確かに、今世の価値観では、そろそろ結婚やら婚約やらの話が出てくるお年頃ではある。
平均寿命が恐ろしく低いので、これは理解できる。ただ、それを受け入れるには、いささか良識家すぎる私である。
徳が高いのも考えものだ。
肉体的には同い年だし、頭の中で割り切ればいけなくもないくらいには、今世に馴染んできているが、別にそこまでして恋愛しなくても良いじゃない、なんて思っている。
「今は、やりたいことがたくさんありますから、あまり恋愛に目を向ける気にならなくて」
「やはり、そういう状態か。わからんでもないがなぁ」
ジョルジュ卿が、コップの中のエールを回しながら、過去の苦杯を思い出すように肩をすくめる。
「そうやって後回しにしていると、素晴らしい女性がどんどん手が届かない場所に行ってしまうぞ」
「非常に説得力がある表情ですね」
惜しむようで、恥じるような、満足と後悔が混じった、人間の顔だ。
いつか、この人の初恋話をぜひ聞きたい。
私もそのうち、同じ表情をするのかなぁ。
そんなことをのんびり予測して、私は微笑む。
「ご忠告は確かにその通りと思いますが、私は、今の私が思うようにしかやれませんよ。そういうものではありませんか、私達」
勝手にジョルジュ卿もふくめて言うと、彼は心外そうに眉をひそめて腕を組む。
そのまま、じっと私を睨みつけてから、堪えかねて笑い声をあげた。
「うむ。良し悪しは別として、その通りだな」
「私達、仕事はできるけれど、そういう器用さはないのですよ。おかげで苦労したり、痛い目を見たり、散々ですね」
「ああ、散々だ。だが、どうしようもない。私達は、このようにしか生きていけない」
「じゃあ、散々な目に遭うのを、せいぜい楽しみながら生きていくしかないですね」
ジョルジュ卿が、私と自分のコップに溢れるほどエールを注いで、力強く頷いた。
「その通りだ。せいぜい楽しんでやろう」
「まずはこのお酒ですね」
ジョルジュ卿にあわせて、エールをあおる。
正直、あんまり美味しく感じないけれど、話が合う人とお酒を飲むのは楽しい。早く苦味が美味しく感じられる年になりたいものだ。
「しかしですね、バレアスさん。あなたの場合、確かに素敵な人を逃したのかもしれませんが、ヤエ神官がいるわけじゃないですか」
「む、それをまた言うか」
「まあまあ、私のためと思ってお聞きください」
今回、多大な恩を売った私の言葉に、ジョルジュ卿は渋々ながら聞きに回る。
この人は、基本的に人の役に立つことを断れない。実に不器用な人だ。
「バレアスさんのお気持ちは、詳細はわからないなりにお察しします。しかし、ヤエ神官のお気持ちも察せられる身としては、いささかヤエ神官を応援しないわけにはいかないのです」
ヤエ神官のためではなく、私のために。
やっぱり、ヤエ神官に話を通して、図書の持ち出し許可がないと不便で仕方ない。
最初に言いましたからね。私のためと思って聞いて、と。
「今回、私はヤエ神官に様々なご助力を頂きました。倉庫管理の手順をまとめることも手伝って頂きましたからね」
さらっと、ジョルジュ卿も恩があるのだと含めると、生真面目な独り者がむっと唸る。
「今日もこうして手料理を下さったのですから、なんらかの誠意をお返しすべきではないかと」
今度は、むむっと唸った。実に困っているようだ。
身を固めろとか、妻を娶れとかなら、そんな気になれないなんて言えるだろう。
だが、お礼をしろと言われては、反論の言葉が思いつかないようだ。
冷や汗を浮かべる従伯父にほくそ笑んでいたら、なにか上手い言葉を思いついたのか、彼の顔色が変わる。
「しかし、私も忙しい身で」
「丁度、お仕事も一段落しましたよね」
迎撃完了。そんな雑な言い訳で逃れられると思うてか。
「ぐ、ぐむぅ……」
「そう難しく考えずに。結婚を申し込むわけでもなし、お世話になった友人と、軽く食事をするくらいで十分ではないですか。今回はお世話になりましたと、ヤエ神官のご好意に感謝を示すだけですよ」
ヤエ神官を友人と評した私に、ジョルジュ卿は恨みがましい視線を向ける。
そうですね。ついさっき、逃した素敵な人と同列にヤエ神官を並べましたものね。
当然、ただの友人などと思っていませんし、思ってもらっても困ります。
良いじゃないですかー。
くっついてくださいよー。
そっちの方が私にとって都合が良いんですよー。
「手を尽くしてくださったご友人に、お礼をするのはお嫌ですか?」
「だ、だから、友人と……いや、友人だが、微妙なところが……」
「お嫌ですか?」
「い、嫌とは、言わないが……」
そうでしょうとも。
「では、ヤエ神官にお礼をしましょう。食事に誘うということで、よろしいですね」
「わ、私は、あまり女性が好むような洒落たお店を知らないのでな……。何か贈り物という形では……」
「お任せください。ヤック料理長のご実家は、素晴らしい料理店だとうかがっております。私からお願いしておきました」
「……ました?」
そうですよ。過去形ですが、なにか?
「日程はお二人のご都合をおうかがいして決めますが……バレアスさん、明後日はお休みが取れますよね。偶然ですが、ヤエ神官もその日がお休みだそうです」
「予約済みか……!」
「副官見習として、上官の予定は把握しておかなければいけませんからね」
一度の食事くらいしてあげたっていいじゃない。
ヤエ神官はもちろんお若いが、適齢期としては大分高い年頃になっている。
それが懸想相手の誰かさんの優柔不断な態度のせいだとしたら、責任を取るべきだと思う。
その責任の取り方が、思い切って抱きしめて泣かせるか、すげなく振り払って泣かせるかは、ジョルジュ卿が選ぶのだ。
私は何も悪くない。
活動報告にて、頂いたご感想への返事についての方針と、作中の飲酒表現に対する方針をご報告させて頂きました。
下記のリンクからご確認頂ければ幸いです。