シナモンの祭壇12
私の下心は、日に日に膨れ上がっている。
どうしてかと言えば、ジョルジュ卿の仕事の手伝いが本当に忙しいからだ。
最初は単純作業の手伝いだったのだが、私があれもできる、これもできると分かるにつれて、雪だるま式に仕事が増えていった。
おかげで、副官見習い扱いどころか、本当に副官になってしまった気がする。
部下の方々まで私に書類を持ってくるのだから、自意識過剰ではないと思う。
ジョルジュ卿の部下は、いずれも志願兵である。
志願兵であるということは、徴収兵と異なり座学も教えられている。それでもなお、私の前世らしき記憶の引き継ぎ分の方が、勝っているようだ。
私の顔を見ると、「良いところに!」「助かった!」みたいな表情で、部下の皆さんが駆け寄って来るようになった。
これでは、私の寛大な精神をもってしても、貸し出している好意に十日で一割の利子がついてしまうぞ。
これを好意貸しという。
などと、心中でつまらない冗談を考えつつ、私は今日一日の仕事結果をまとめた書類を書き終える。これは、工房の職人に依頼した、傷んだ備品の修理ないし新規作製に関する報告書になる。
もちろん、水増し請求などの不正はしていない。
していないが、会ったばかりの親戚に任せるにしては、重要な役割ではなかろうか。
「終わったのかい?」
同室のアーサー氏が、私の肩越しに報告書を覗きこむ。
ここは寮館の自室で、つまるところ私は、持ち帰り残業をしていたことになる。
本当に忙しいんですよ、ジョルジュ卿……。
「ええ、すみません。気を使わせてしまって」
「構わないよ。ジョルジュ卿が忙しいという話は、イツキ兄様からも聞いているからね」
それに、と呟きながら、アーサー氏が報告書を手に取って眺める。
「とても見やすい書類だね、これだけでも勉強になる。少し聞いても良いかな」
表形式にした部分の読み方がわからなかったらしく、アーサー氏が肩を寄せて質問を始める。
相部屋になった当初はいくらか緊張していた様子だったが、最近は距離感が近い。自分が知らないことをあれこれ知っている私と話すのを、楽しんでくれているようだ。
その分、警戒心も緩んでいるかもしれないので、私が気をつけないと彼女の秘密が思った以上に早くばれてしまうかもしれない。
この間も、ちょっと当たったりした。
何がとは言わないが。
まだ発展途上ゆえ、そうだと知らなければ気にならないとは思うが、当てた方より当てられた方がひやっとした。
「なるほど。この表を応用して使って行けば、備品倉庫の管理帳簿もできると言うわけだね」
「ええ、私はこれが良いかなと考えています。皆さんで話し合った意見は?」
「ここまで具体的な意見は出ていないよ。まだ話し合いもぎこちないから、もう少し時間が欲しいな」
苦笑するアーサー氏に、もちろん、と笑顔で頷く。
現在、堆肥資料をまとめた同志諸君には、私が作成した備品倉庫の管理手順の素案を基に、問題点や改善点の洗い出しをお願いしている。
ジョルジュ卿の役に立つとわかった時の、ヤエ神官の意気込みがすごかった。
アーサー氏は、素案を皆で理解している最中、という現状を申し訳なさそうに報告した後、とても楽しいと笑顔になった。
「ヤエ神官、マイカ、レイナに、僕。たった四人なのに、それぞれの目の付け所や考えが、まるで違うんだね。色んな意見がある、とは知っているつもりだったけど、すごく実感しているよ」
「わかります。当たり前のことなのですが、実際に思いもよらない考えを聞くと、驚きますよね」
「そう、そうなんだ。それが、嬉しいというか、楽しいというか」
私もそれが好きで本を読んでいるところがあるから、すごくわかる。
珍しくアーサー氏が熱っぽく話しているので、もう少しこの話題を広げてみようと首肯する。
「自分とは違うもの、つまり他人がいるということが確認できるからでしょうかね」
「他人?」
話題を転がし損なったらしい。すっと、アーサー氏の熱が引いてしまった。
「どういうことかな」
怒っている様子はない。ただ、寂しそうな表情を、ぐっとこらえているように見える。
男性のフリをしている訳ありの少女に、他人、という単語がかすってしまったのかもしれない。
どう答えれば彼女の笑顔が戻るだろうか。せっかくの、彼女が抑えようとしない、本心からの笑みだったのに。
思いもかけずに地雷に足を乗せてしまったことに、内心で焦る。
私が一流の紳士だったら、さっと洒落た答えが出るのだろうが、生憎と紳士見習いだ。
仕方なく、私らしく行くことにした。
「他人がいるということは、自分一人ではない、ということですから。独りぼっちではないというのは、人にとって安心できることでしょう」
社会性の生き物ですからね。
習性として、個でいるよりも、群れでいた方が落ち着くようにできている。
「でも、他人がいるから、揉め事も起きるよ。一人の方が、良いこともあるんじゃないかな」
否定できないことを言う。
習性だけで生きていけるなら、人間はここまで頭でっかちにならなかったろう。
「そうですね。どうしても相性の悪い人というのは、いるでしょうから、他人がいるから傷つくこともあります」
「そうだよね。やっぱり……」
吐き出される彼女の溜息は、肯定されて傷ついたように響く。否定して欲しかったのだろうか。
残念ながら、自分でも思い当たる節があることを、勢いだけで否定するだけの単純さを、私は持っていなかった。
「確かに、他人は思い通りにならず、面倒だったり、邪魔だったりしますが……」
早く堆肥実験をやりたいのに、前に進めていないとか、本当に他人という存在がわずらわしく思う。
本心から、そう思う。
次の言葉も、本心だ。
「ですが、他人の悪いところばかり見ては意地悪ですよ。こうやってお話しできるのも、他人だからです。私のやりたいことを他人が聞いてくれて、私に必要な意見を他人が言ってくれる。それは、私にとってとても幸せなことです」
ユイカ夫人が私に打ち込んだものだ。
あの人は、自分一人のわがままで、独りよがりに周囲との軋轢を生まないよう、他人と接することの心地良さを私に打ち込んだ。
おかげで、私は彼女の繊細な心に、本心から口にできる。
「私は、あなたという他人と、こうして話して、一緒に勉強して、御飯を食べて、笑い合えることを嬉しく感じています。なんといっても、訳のわからないことを次々言い出す、こんな変わり者ですから、お相手は大変でしょう」
我ながら、自嘲の笑みがこぼれてしまう。
こんな私に付き合わされている皆さんが不憫でならない。
逃す気はないけれど。
「そんなことないよ! 確かに、変なことを言い出すなとは思うけど、僕は楽しい。アッシュと会えて、アッシュと一緒で……」
そこで、彼女は自分の言葉の中に、なにか輝くものを見つけたように息をのむ。
私の自嘲に言い募る言葉のうちに、他人の良いところを、彼女自身が知っていたことに気づいたようだ。
驚いた顔をしている彼女に、笑って頷く。
「そう思って頂けているなら、何よりです」
「今のは、その……ひょっとして、初めから、狙ってたりした?」
唇を尖らせて上目遣いに睨まれると、本当に少女なのだなと感じさせる。
しかし、会話の流れを誘導したのでは、という疑惑はいくらなんでも深読みが過ぎる。
「まさか、まさか。私はそこまで口が達者ではありませんし、あなたの心を読めるわけではありませんよ」
「そう? アッシュなら、なんて思えてしまうのが、君の怖いところだ」
「買いかぶりです。でも、あなたならわかっていると思っていました」
どうして、と彼女から問われ、私はくすりと笑う。わかりきったことだ。
「私だって立派な他人なのに、初めて会った日から、一言も口を利かなかった日は一日たりともなかったではありませんか」
完全な人間嫌いは、そもそもこんな相部屋生活なんて耐えられないでしょうからね。