シナモンの祭壇11
ジョルジュ卿のお仕事は、都市が抱える軍隊(領軍)の補給物資、全ての管理だった。
全てである。
いくらなんでもひどいと思う。
今日は、腐らない類の備品の数を確認する作業だと言う。一応、補助として部下の兵士がいるものの、その数たったの五人。
圧倒的に数が足りていない。
腐らない備品とは、鉄剣もあれば、鉄槍もあり、大型の盾と小型の盾、弓・弩弓とその矢玉、城壁に備えてある大型弩弓の予備部品や矢玉、馬具全般に馬車用具、その他にも縄やら梯子やら野営道具やら、目眩がしそうな種類がある。
この都市の軍制は、志願兵で形成される常備軍と、一定年齢の市民徴収兵で形成される予備軍に分かれている。
志願兵だけなら大した数ではなく、装備の管理も日常的に行われているため、手間がかからない。
しかし、緊急事態に都市の防衛にあたる徴収兵は多く、彼等は定期的に行われる訓練以外に装備を手にしない。
しかも大袈裟に言えば、本当の緊急時には都市の住人全てが兵士になるため、予備軍用の備品は可能な限り大量に用意してあるのだ。
なお、本日は手をかけない腐る備品の類とは、食料類である。
籠城用の備蓄の他、兵士が都市圏の見回りに赴く際の補給にも関わってくる。
つまり、これらの管理全てをジョルジュ卿一人が行っているという現状は、とてもひどい。
そりゃ忙しいわけですよ。
せめて責任者となるジョルジュ卿の下に、中間管理職が五人はいても良いだろうに。その手足となって実働する人員は、さらに五人ずついても良い。
しかも、数の確認だけでなく、傷みが激しい備品は、修理に出すか、廃棄して新しい物と交換するという点検作業が入る。
それを、年度の切り替えに当たるこの時期にまとめて行うのだ。
アタマ、オカシインジャネーノ。
「ジョルジュ卿、これは備品管理の手順を見直しましょう」
数の確認の前に、槍の傷み具合を確かめながら、気合をこめて提案する。
こんなの一括にまとめてやるべき作業量ではない。それに、一人の責任者の下でやらせて良い作業でもない。
不正し放題じゃないか。
だからこそ、為政者(この場合はイツキ氏)が信頼できる人物にしか任せられていないのだろうが、その人物に魔が差したら終わりだ。
むしろ、この作業をさせられて魔が差してないなら、ジョルジュ卿を本気で尊敬する。
私だったら、傷みが激しい廃棄品を水増し報告して、売り払って懐に入れる自信がある。
これくらいは犯罪ではなく人間味だよ。労働に対する正当な対価だよ。
「なにか、作業量を減らす妙案でもあるのか」
生真面目なジョルジュ卿も、流石にうんざりした表情を隠しきれていない。
私は初日だが、ジョルジュ卿は連日この作業をしているのだろうから、無理もない。
「少なくとも負担が減るように考えましょう。例えば、一年に一度しか確認作業を行わないのは、仕事が溜まりすぎます。とりあえず、季節ごとということで、年に四回に分割しましょう」
四分の一ずつに作業量を振り分けるのだ。備品の種類ごとに分けるのが良いだろうか。
「確かに、一度にやるよりは気が楽そうだが、私の仕事の都合がそう頻繁に空けられるかと言うとな」
「他の方にやってもらいましょう。作業監督として指揮官一人、その部下として五人ですか? もっといても良いと思いますけど……とりあえず、その六人で一チームとして、四チームを作ります」
「人手が増えるわけだから、それは一人当たりの作業量は減るだろうが……」
ジョルジュ卿の渋い表情は、横領される可能性が増えると言いたいのだろう。
実際、その手の問題が頻発したから、現在ではジョルジュ卿一人に負担が回っているのかもしれない。
そこは、相互監視体制を整えれば、ある程度の抑止力が期待できる。
「この四チームですが、定期的に人員を変えましょう。確認する備品を変えるのも良いでしょう。同じ人員が、同じ部分を確認し続けるということは起きないよう、管理するのです。何か間違いがあれば、次の確認作業で別な方が気づくはずです」
四チーム全てが団結して不正を企むようなら、それはもう組織全体が腐っているので、内部の自浄作用は期待できまい。
あるいは、組織管理上の問題の可能性もあるので、甘んじて受けるべきだ。
「さらに、備品の数に関しては変動がある度に記録が残るようにしましょう。備品倉庫から持ち出す際、何を、何個持ちだしたかを帳簿に記入します。返却された場合、その帳簿に再度記入すれば、帳簿上に常に最新の倉庫状態が記録できます」
備品倉庫は鍵がかかっており、持ち出しには必ず鍵の借用が必要になる。
そこで一緒に倉庫備品帳簿の管理をすれば良いだろう。
こうしておけば、帳簿上の数と、倉庫内の数を比較することで、問題が発生したことを認識する機会が増やせる。場合によっては、どの時期に問題が発生したかも特定できるだろう。
「その都度の手間は増えますが、それは一度に降りかかる手間を分散しているからです。また、何らかの間違いが発生する可能性を減らせますし、発生した場合の被害の軽減も期待できるでしょう」
「なるほど。悪いところはないように聞こえるな……」
ジョルジュ卿が、すっかり手を止めて私の話に聞き入っている。
よほどこの作業がつらいと見える。わかる。この人も、生真面目なだけの人間だった。
人間ならば、最大の問題点も認識頂かねばならない。
「何より、今のままではジョルジュ卿一人に任せ過ぎています。労力的にも、権限的にもです。ジョルジュ卿ならばできるのでしょうが、ジョルジュ卿以外にできる方がいないから、現状があるのではありませんか」
あなたがいなくなったらどうするつもりかと、言葉を変えて訴える。
これを一人で、問題を犯さずやれている、ジョルジュ卿が特別なのだ。
一人が倒れたら終わるような体制は、改めるべきだ。
継続すべき組織において、個人の能力に信頼を寄せることと、依存することは峻別しなければならない。
「それに、ジョルジュ卿にしかできない仕事は他にたくさんあるはずです。誰にでもできる仕事は、他の誰かに任せた方が、皆が幸せになりますよ」
生真面目なジョルジュ卿に、単に楽になってもらおうなどとは言わない。多分、そういう論調になると、否定的になるタイプの人物だと思う。
なので、もっと大役が待っている、と使命感をあおっておく。
これは口から出まかせを言っているのではなく、これだけの信頼を得ている人物なら、イツキ氏はもっと任せたい仕事があるはずだ。
なにせ、可愛がっている姪っ子にも会えないほど多忙な人だから、仕事はいくらでもあるだろう。
説得が功を奏したか、ジョルジュ卿の眼差し(さっきまで実にうんざりしていた)に、強い光が見える。
「そうか。そうだな。私にしかできないことは、他にもあるか」
その言い回しが気に入りましたか。良かった良かった。
「貴重な意見をもらった。アッシュ君の言うとおりに動いてみよう」
ぜひ、そうして欲しいので、やる気に満ちたジョルジュ卿に、にっこり微笑み返す。
「ただ、アッシュ君の言ったことを十分に理解できていない。今後も相談に乗ってもらえないか」
「もちろん、喜んで」
「助かる。すまないな、軍子会に勉強で来たのに」
遠慮などなさらず、どうぞどうぞ。
射抜きたい将を射程距離まで引きずりだすための布石ですので、感謝の必要もございません。
「そうですね。備品管理の手順改善についての提案書を、一度私の方でしたためて参りますので、そちらを基にしてご相談しましょう」
「それは話が早そうだ。こちらとしては助かるが」
そこまで甘えて良いのだろうか、とジョルジュ卿が生真面目に案ずる。
そこは思う存分に甘えてもらおう。
「私にとっては、これも社会勉強の一環ですよ。私のことは、副官候補の見習いとでも思って頂ければ」
「見習い副官か。確かに、騎士家では身内の子に将来を継がせるために、親の補助役として仕事を手伝わせているが」
「ああ、それならそういうものだとお考えください。ほら、一応、血はつながっていますから」
お役に立ちますよ、と冗談めかして表情を引き締めて見せると、生真面目な軍人は思わず、と言った風に笑う。
今の、ヤエ神官が見たら悶絶する。絶対する。
「ふふ、頼もしいな。では、よろしく頼む、アッシュ」
ジョルジュ卿から、私的な呼び方をされた。一段階、懐に深く入れてくれたようだ。
その調子で、どんどん私への警戒心を解いて欲しい。
そして、私に甘えたと思った分以上に、私を甘えさせておくれ。
それが年長者の心意気とか余裕とか体面とか、とにかく何でもいいから私の下心を満足させて下さい。